第七章

 一

 ここは宇宙船の食堂。会議室にも使われるあの場所。プレアとマードが初めてこの船にやってきたときに招かれた場所。
 そこに、いま、全員が座っている。
 円卓を挟んで、マードとゲンデが相対している。ゲンデは、ヘルメットを外しただけの宇宙服姿。マードは作業着。
 プレアは、マードのすぐ側に、不安そのものの表情で寄り添っている。
 ラルヴァやクアンといった人々は、一歩離れ、円卓を囲むように立っている。
 ゲンデが口を開いた。
「まず、この話し合いの模様は中継させてもらう。カメラを持ってきた」
 ゲンデが宇宙服の腰に付けられたケースを開ける。中から、羽虫のように小さな物が飛び出した。円卓全体を見渡せる場所まで飛んでいって、空中で静止する。
「このサダラカイン全土に?」
「そうだ。少し遅れるが、他の星にも」
「じゃあ、いまこの船を取り囲んでいる宇宙船にも?」
「もちろんだ」
「それはよかった」
 マードは激しく跳ね回る心臓に静まれと命令しながらそう言った。虚勢ではない。一人でも多くの人間に、自分と父のやりとりを見て欲しかった。
 そうすれば変わるかも知れない。
 だからどんなに怖くても、ここで退くわけには行かないんだ。黙ってしまうことは許されないんだ。
「逃げないんだな、マード」
「これだけ包囲されて、逃げられるとは思えないよ。武器だってろくにないのに」
「そうか。あきらめの良いことだ」
 少し拍子抜けしたようなゲンデの表情を見て、マードは即座に言った。ほとんど反射的に出た言葉だった。
「諦めてなんかいないよ。父さん」
「……ほう?」
「僕は父さんに勝つ。
 父さんは僕に何かを教えてくれるって言う。だから僕も教える。
 父さんは間違ってるって。父さんだけじゃない、みんな間違ってるって。今の世界、今の銀河、帝国を倒した革命戦争、全部どうかしてるんだって、僕は教える。
 父さんの、考えをうち砕く」
 プレアをはじめ、通信室にいる者達は驚きの感情表現をした。マードの言葉は絶対の自信に満ちていたから。その自信の根拠がまるで判らなかったから。
 だが、その言葉を発したマードは、単語一つを吐き出す事に身体に力がみなぎってくるのを感じていた。
 そしてゲンデを見つめる。
 もう怖くなどなかった。
 視線を向けられたゲンデは、怒らなかった。かわりに冷ややかな笑みを浮かべた。
「……ほう。それは楽しみだ」
「まず父さんに聞きたい。
 僕に教えなかった『本当に正しいこと』って、何?」
「それは」
 ゲンデが口を開いた瞬間マードは叫んでいた。
「わからないはずだよ!」
「なぜだ?」
「父さんの中に、正義なんてないから。自分でも、何が正しいのかなんて判ってないから。
 そうだよね。判ってなかった。革命の時、父さんは『地球人は悪』だっていう考えを持っていた。地球人を殺すのは良いことなんだって。でも、本当に心からそう思っていたんなら、どうして僕にその考えを教えなかったの。戦争中に自分はこういうことをしたって、どうして全部教えてくれなかったの。たぶん兵士を戦闘で殺しただけじゃないよね。戦闘が終わった後で、捕虜とかもたくさん殺したよね。裏切り者狩りもしたよね。地球人の味方をした人とか、何も殺すことはないとか、そういうこと言った人をたくさん殺したよね。隠すことはないよ。戦争中はそういうことをやるのは当たり前だったらしいから。そういうことまで含めて、俺はこんなに凄いことをやったんだお前も見習えって、どうしていってくれなかったの」
「それは番組中に言ったろう。本当にこれが正しかったのか、疑問に思っていたからだ」
「うん、聞いた。じゃあ、どうして? どうして疑問に思っていたのに、それが正しいって言い切れなかったのに、戦争のときはそれができたの?
 ついさっき、それがわかったんだ」
 プレアが眼を見開く。
「ここにいるプレアさんはね、すごくやさしい人なんだ。でも戦争中、もしかしたら解放軍に内通しているかも知れない人を、リンチにかけて殺しちゃったことがあるんだって。
 理由は簡単なんだ。
 怖かったから。
 他の人が殺してたから。自分も一緒になって殺さないと、殺される側に回るんじゃないかって、怖かったんだって。だから、とにかく怖くて殺したんだって。
 そうか、って思った。
 結局、ただの感情なんだ。
 自分が殺されるのが怖かった。仲間を殺されて憎かった。だから殺した。本当はただそれだけなんだよね。プレアさんから聞いたよ、リンチをやっていた他の人達は、自分たちの仲間を殺されたから憎いって、そういう理由でリンチをやってたって。はたから見てたプレアさんには、そうとしか見えなかったって。
 でもリンチをやってる当人は、正義だって、裁きを与えるって言ってた。どう見ても、ただ感情で動いてるだけなのに!」
「……俺達もそれと同じだというのか?」
「そう。ただ感情で動いた。
 家族が殺されたから憎い。恨みを晴らしたい。どうしても殺した奴を殺さずにはいられない。
 それは仕方ないよ、でもそれは正義なんかじゃないよ。
 プレアさんは、自分はただ感情に負けたんだって判ってたよ。
 正義なんて、そんなものでごまかしたりしなかったよ」
 ゲンデの表情が変わった。怒りの形相ではない。むしろ今までより無表情になった。だがとてつもなく冷たい氷の像、触れたものを冷気で傷つける氷の像のような、攻撃的な無表情だった。
 退散していたはずの恐怖が蘇ってきた。だが胸の中に途方もなく熱い物があった。その熱さが、その輝きがマードの萎縮を許さなかった。
 だから、またマードは父を凝視する。
 父も、絶対零度の視線でそれに応えた。
「……我々の正義が、ごまかしだったというのか。我々はな、地球人も異種族もない、平等な社会を作ろうと思ったんだ。だから地球帝国を倒した。それは正義じゃないのか」
「ウソだ。父さんはそんなこと考えてない。父さんだけじゃない、革命をやった人の大部分はそうだよ。平等な社会を作りたかったんなら、どうしていまの銀河はこんななの。革命で活躍した種族だけが権力を握ってて、貧乏な人がいて金持ちがいて、人間扱いされない人達までいて、どうしてこんな世の中になっちゃったの? 
 もし本当に平等が目的なら、どうして戦争が終わったら戦いをやめたの。まだまだ不平等はたくさんあるじゃないか。
 でも無くすどころか、父さん達は不平等を増やしてるよね。地球人は殺しても良いとか、味方する奴も殺して良いとか。それのどこが平等なんだよ、どこが革命の正義なんだよ。
 もし父さんが平等な社会の為に戦争をやってたんなら、いまやるべきことは地球人を殺す事じゃない、守ることだ!」
「お前には判らない」
 ゲンデは不自然に抑揚を欠いた声で言った。
「そう、わからない。俺には妹がいた。だが殺されたんだ。地球帝国によって。優しい奴だった。何も悪いことなどしてはいなかった。だが死んだ。
 それ以来ずっと声がする。助けて助けてと声がする。苦しいと叫びが聞こえる。
 だから、その声の為に戦った。妹と同じ目に、地球人達を遭わせてやった。そうしてやることが義務に思えた。そうすれば妹は喜んでくれると思った。
 そうだ、確かに感情だ。だがな、死んだ人間の為に戦うのが、死んだ人間の思いに応えてやりたいと思うのが、なぜ悪い? それさえも正義でないというのなら、妹はなぜ死んだ? なんのために、何の意味があって? 忘れろというのか? 無視しろというのか? 何をされても我慢しろというのか? せめて俺が覚えて、やり返してやらなければ、あまりに悲しすぎるじゃないか?」
 その問いかけは決して絶叫ではなかった。普通喋るときより若干大きな声に過ぎなかった。だが衝撃力をもってマードの心を叩いた。
 気圧される物を感じ、マードは歯を食いしばる。それでも身体の震えを抑えることが出来ない。
ゲンデは続けた。
「直接妹を殺したわけでもない別の地球人まで巻き込むな、そう言う気か? そのプレアという女は無関係だと言う気か?
 では教えて欲しい。本当に違うと言い切れるか? 妹を殺したのは誰だ。そんな事をしてもとがめられない世界を創ったのは誰だ。地球人は優れた種族だから他の種族を殺しても良いんだ、殺される側は逆らっちゃいけないんだ、そんな国を作ったのは誰だ? それを支えていたのは誰だ。変えようともしなかったのは誰だ。そうだ、地球人だ。一人や二人じゃない、地球人はみな同罪だ」
マードの耳に呻き声が聞こえた。
 ふとそちらに目を走らせると、声の主はすぐ隣のプレアだった。彼女はうつむいて、膝の上で二つの拳を握りしめている。
 そうなのか? プレアさん自身が認めているように、地球人はみな同罪なのか?
 いや、そうじゃない。
 マードはありったけの意志力を奮い起こしてゲンデを見た。その瞳の奥まで見通す、視線を貫き入れるつもりで。
「……違う。地球人がほかの種族にそんなことをしたのは、怖かったからだ。反乱で殺されるのが怖かった。だから殺した。一人だけ殺さずにいて、裏切りものだって言われるのが怖かった。だから殺した。みんな怖かった」
「地球人も被害者だというのか?」
「そこまでは言わない。
 でも。父さんは地球人に似てる。
 父さんが憎んでるはずの地球人に。
 深く考えない。反乱がどうして起こったのかも考えずに、ただ怖くなって殺す。それが地球人。死んだ人が本当は何をのぞんでたのか、どうすれば喜んでくれるのか考えないで、ただ憎いから殺す。それが父さん。それで結局、作った世界も同じような世界。
 ねえ父さん、その妹さん、本当に喜んでるのかな? 
 本当は、父さんだって気づいていたんじゃないか。
 だって、戦争がおわったあとも声が聞こえてきたんでしょ。助けて助けてって声が。ぜんぜん消えずに、それどころか強くなったんでしょ」
「それで? お前は俺に何をしろと」
 マードは言った。
 ゆっくりと。力強く。
「本当の敵は他にいる。父さんの中に。プレアさんの中にも。僕のなかにも。
 だから、父さんは僕とプレアさんを殺しちゃいけない。そんなことをしてる限り、父さんの頭の中に声は聞こえてくる。
 革命は、絶対に終わらない」
 一瞬の静寂。
 それを破ったのは、笑いだった。
「ははははははははは!」
 ゲンデは笑っていた。上半身全体を震わせるような激しい笑いだ。
「くく……ははははは!」
「……何がおかしいの?」
「マード。実に口が達者になったな。なるほどなるほど、たしかに理屈だ。
 たいしたもんだ。たいした理屈だ。
 だが、所詮理屈なんだよ」
「どういうこと?」
「お前の言ってることは正しい。だが、そんなことはわかってる。正義なんかじゃない、俺も、革命も、ただ復讐をやりたかっただけだ、それはわかっている。そんなことをいくらやったって死んだ奴が生き返るわけでも、死んだ奴の為になるわけでもない、別の事をすべきだ、憎しみで動いてる限りは革命なんて実現できない……そういうことだな」
「そう」
「正しい。お前の言ってることは全部正しい。
 だがな、そんなのは、現実とぜんぜん関係ない、夢の世界の、おとぎ話の、ただの理屈なんだ。
 いま、判らせてやる」
 そう言った瞬間。
 ゲンデは消えた。
 いや。跳んだのだ。〇.九七Gの重力があり、宇宙服も着ているはずなのに驚くべき身軽さで、テーブルに手をつき、それを支点にして身体を縦に半回転させ、円卓のほぼ反対側、プレアの隣に降り立った。
そして、プレアの首筋に手を当てた。
 がくん。
 プレアの首が折れる。
 凍り付いた時間が動き出した。
 プレアは首を傾けたまま。口を半開きにしている。身体が少しずつ傾いて、椅子から落ちた。だが起きあがらない。全く動かない。
「プレアさん!」
 抱き起こす。だがぐったりしている。全く動かない。
 まさか。
 鼻と口の前に手を当てた。
 息をしていない。
 手首をとった。脈がない。
「何を、した……?」
 マードの問いに、ゲンデはこともなげに答える。
「殺した。ナノマシンで。銃は取り上げても、そこまではチェックできなかったな」
 ナノマシン暗殺術である。あらかじめ体内にナノマシンを入れておき、皮膚同士の接触によって相手の体内に浸透させる。ナノメディックは生体を操る。暗殺に使うことも可能。
 だが、そんな理屈などどうでもよかった。
「あ……あ……あえ……」
 床に座り込んで、生命のないプレアを抱きかかえて、マードはうめいていた。何も考えることが出来ない。何も喋れない。
「さて!」
 ゲンデは、口を半開きにしているマードを見下ろし、どこか芝居がかった口調と表情で問いかけた。
「さあ、この女は死んだ。お前が自分の命を懸けて、全銀河を敵に回してでも守ろうとしたものは喪われた。
 さあ、気分はどうだ?
 これでもまだ、復讐は無意味だ、憎しみで行動しても意味がないと言えるか?
 ちがうよな、マード。
 今まで言ってた理屈なんて全部どうでも良くなって、ただ俺が憎いよな、殺したいよな。 遠慮はいらない。殺せばいい。
 銃で撃て。脳味噌を吹き飛ばせ。死体を踏みにじれ。
 そして、いままで自分の言って来た理屈がただの理屈に過ぎないことを証明してくれ」
 沈黙が生じた。
 誰一人動かなかった。
 ゲンデの言葉は正しかった。マードは数秒前まで自分が口にしていた理屈を忘れていた。そんなものは今の彼にとって無意味だった。だがゲンデの言葉も耳に入っていなかった。自分の行動が何百万とも知れない人々に見守られていることも、どうでもよかった。
 ただ、自分の腕の中に抱かれたプレアだけが。
 手足と垂らし、首を折り、決して動くことのないプレアだけが。少しずつ体温の抜けていくその身体だけが。
 世界の、全てだった。
 でも、かえってこない。
 プレアさんは帰ってこない。 
 マードの心に光がさした。
 そうだ、ころせばいい。
 ころそう。
 なんで思いつかなかったんだろう。
 ころそうころそう。
 怒りではなく、悲しみではなく。
 あきらめですらなく。
 ただ機械のように、ピストンからクランクを経て変速機に伝わる硬質な力のように、電動機のコイルに流れ込む交流電流のように、感情の伴わない、だが強い力が身体に満ちた。
 力は脳を駆けめぐった。精神を改変した。
 ころそう。
 ただ、それだけしか考えられないように。
 身体が動く。立ち上がる。
 プレアを放りだす。ゲンデまでの距離は一歩。マードはその距離をさらに詰めた。両手をゲンデの首にかける。
 ゲンデは一切抵抗しなかった。
 微笑んでいた。
 その目はこう言っていた。
 ……そうだ、その顔、その目だ。
 切り捨てることができる人間、殺せる人間。
 たった一つの叫びに、どうしようもなく縛り付けられてしまった人間。
 物が落ちるように火が燃えるように、そんなにも自然に身体が動いて人を殺せる人間。
 やれ。そして、こちら側に来い。
 それさえも、ゲンデが澄んだ瞳で訴えていたメッセージさえも、マードにとってはどうでも良かった。
 脳が命令する。筋肉が収縮する。
 渾身の力を、手に。
その時だった。
 ある一つのちっぽけな言葉が、頭脳から用なしだと宣告されたはずの記憶が、弾けた。
 ……プレアって名前は「祈り」って意味なんだ。
 その言葉が、頭の中に整然と組み上げられた歯車の列に一撃を加えた。
 ミシリときしんで、歯車はずれる。
 ずれはとなりの歯車に伝わる。どんどん大きくなっていく。記憶が次から次へと蘇った。
 ……この子が幸せになりますようにって祈ったからプレアだって。
 ……祈りはきっと届くから大丈夫だって。
 ……でも、あきらめないための方法として祈るのは、無意味じゃないと思う。祈りたいくらい強い気持ちがあるのは、無意味じゃないと思う。
 ……だから僕も祈ろう。明日がもっと良くなるように。プレアさんがもっと幸せになれるように。
それが。その言葉が。思い出達が。
 歯車の隙間に挟まり、その回転を止め、歪ませ、割っていく。
 ……これが幸せなのか。
 僕がこいつを殺して、それでプレアさんは幸せになれるのか。
 それがプレアさんの求めたものか。
 殺して殺されてまた殺して。そんなことがずっと続いていく世界が。
 プレアさんは、決してそんなこと。
 手から力が抜けた。
 自分がひどく熱く、ひどく激しい息をしていること、シャツの下の胸や腕が汗にまみれていることに、マードはようやく気づいた。
 たった三十センチ前方にあるゲンデの眼が、落ち着いた光をたたえて自分を見つめていた。
「ころさ、ない」
 言葉を発してみた。汗で滑る手が、ゲンデの首と喉から離れる。だらりと垂れ下がった。
「……どういうことだ、マード?」
「ころさ、ない」
 もう一度マードは言った。
 それは叫びではなかった。つぶやきだった。
 だが、その一言で心は決まった。
「……俺が憎くないのか」
「ない」
「この女が、大事ではなかったということか?」
「ちがう。大切だ。だから殺さない。ここで父さんを殺したら、何もかも無駄だった事になる。プレアさんの考えも、プレアさんの幸せも、悲しみも、勇気を出して告白してくれたことも。
 だから。ぼくは殺さない。
 これからプレアさんの為にいろいろやるだろうけど、絶対やるだろうけど、復讐なんてのはない。
 プレアさんは、絶対に、殺すとか殺されるとか、そんなの望んでないと思うから。
 もし殺したら。
 憎いからって、仇だって、復讐だっていってころしたら、どこまでも続くから。殺された方もまた殺すから。それをいけないことだとは、もういえないから。
 だからころさない。
 父さんみたいに、なりたくないから」
 小さな震える声で、マードは一気に言った。
 その声を聞き、その眼を見た瞬間。
 ゲンデの表情が変化した。
 ほんのわずかな変化だった。
 仮面のひび割れ。あるいは歪み。その程度の。基本的には無表情だった。だがそこにノイズが走ったのを、それは二つの感情が混ざったものであったのを、マードは直感的に理解した。
 それは恐怖。
 決定的な敗北感が、心に刻みつけられた時の顔。
 そしてもう一つ。
 羨望。
「……俺の負けだ」
 ゲンデはうめいた。そしてしゃがみ、死んだプレアの首筋にまた手を当てた。
 プレアがその身体を大きく痙攣させる。
 そして、眼を開けた。
「……あれ?」
「え……生きてた? どういう……こと?」
「仮死状態だ。ナノメディックを使えば出来る」
 まさか、それでは父さんは。
「僕を、試してたの……?」
「いや、本当に殺されてもかまわなかった。だがお前の気持ちは本物だ、それは判った。
 俺の負けだ。俺が二十年かかっても出来なかったことを、お前はやったんだ。
 もう何も言わない。どこへでも行け。お前は正しい」
 プレアが立ち上がり、当惑しきった表情で言う。
「ね、ねえ? どういうこと? 何があったの? さっぱり判らないよマードくん」
 父と子の顔を交互に見比べるプレアを、マードは後ろから抱きしめた。
「きゃああ!」
「ありがとう。ありがとうプレアさん」
「え? え?」
「喜ぶのはまだ早い」
 ゲンデが宇宙服の胸に取り付けられた通信機をいじった。そのとたん罵声が部屋を満たした。
「……裏切り者!」
「何が英雄だ!」
「情にほだされやがって!」
「やっぱり親の方も狂ってる!」
「死ねゲンデ!」
「構うことはねえ! ゲンデも一緒にやっちまえ!」
「皆殺しだ!」
 それは。この宇宙船を包囲している人々の叫び。
「彼らにまでは、伝わらなかったのかようだな」
「そんな……」
 父さんだけじゃない。きっと他の人にも伝わったって思ったのに。
「諦めるな。俺に届いたように、いつかお前の考えはみんなにも届くかも知らない。それが本当の革命なのかも知れないな。
 いまは、まず逃げることだ。
 ……来い!」
 最後の叫びは、マードに対するものではなかった。
 壁を突き破って、銀色のドリルが現れた。
 いやドリルではない。水銀のような液体が渦巻きになって浮いている。それは生命あるもののように空中を滑り、ゲンデを包み込んだ。
 銀の液体はゲンデを守る鎧となる。マードはこの鎧を、着用者の意志に応じていかなる機能をも備えるナノテクノロジー兵器を、映画で見たことがあった。
「バトル・ビーイング! そんな物まで!」
「そうだ。まさかこんな事に使うとはな。
 さあ、逃げろ。俺が援護する。
 心配するな。後で合流する。
 俺の船に九人乗るのはキツイが、我慢してくれ。早く! 全員乗るんだ!」
「わ、わたし……」
 ライネがプレアとマードの方をみて、苦痛にあえぐような表情で言った。
 マードは微笑んで応える。
「来てくれ!」  



 ゲンデは宇宙空間に飛び出した。
 宇宙戦闘を行うには最小サイズでは心もとないため、ラルヴァたちが住んでいたあの宇宙船を材料として吸収し、十メートル前後の身長になっている。
 すでに背中に巨大な翼を生やしている。
 この翼の両端には噴射ノズルがあり、そして翼そのものは重力を制御する。
 ただ飛ぶだけなら、ここまでの翼は必要ない。これは戦うために、そして守るために必要なのだった。
 すでに宇宙船団は、怒り狂った群衆をのせ、包囲を縮めつつあった。
 発砲はない。
 船と船の間が詰まりすぎているし、すぐそばに球体モジュールの壁面がある。とても撃てたものではなかった。
 そのかわり船体そのものをぶつけて動きを封じ込め、しかるのちに殴り込みをかける。引きずり出して集団リンチ。そんなつもりなのだろう。
 翼から軽く噴射して、接近しつつある船の一隻に迫った。円筒形の、何の変哲もない小型貨物船だ。
 片腕を刃に変えて、船をかすめる。
 ノズルを一つ斬った。
 推力の方向が狂い、回りながら迷走をはじめる。ここが宇宙と呼ぶにはあまりに狭すぎ、船同士が接近しすぎていることが徒となった。円筒形の船が他の船に激突する。幸い爆発はしない。それほどの速度ではないのだ。だがその代わり、壮絶な玉突きが発生した。船と船がぶつかり、はねとばされた船が回転しながらまた別の船にぶつかった。姿勢を立て直し、後退してこの混乱から脱しようとした船もあったが、ゲンデはそれを許さなかった。すぐさまその船に飛んでいき、鞭のようにしならせた長い剣で、エンジンごと切断する。動力を失ったその船は、なすすべもなく激突また激突の嵐に呑み込まれていった。
 すべての船が、マード達を殺すどころではなくなった。
 よし。
 ゲンデは翼を一杯に広げた。
 重力制御、全開。
 翼の中には葉脈か毛細血管を思わせるほどたくさんの細い管が通っていた。そこを超流動ニュートロニウムが流れ、渦巻く。空間の構造がねじ曲がり、重力が生まれる。
 そうやってうみだした重力場を、ゲンデは前方に叩きつけた。
 何百という船が飛ばされていく。
 ぽっかり空間が開いた。
 ゲンデの背後で、船が動き始める。
 卵型の、高速万能艇。ゲンデが乗ってきた船。その船はゆっくりと、名残惜しそうに加速した。
 ゲンデは先導する。まだ船にはもどらない。
「……父さん。もう追っ手はいなくなったよ、全部吹っ飛んでいったよ。早く戻って」
 これだけですむはずがない。マードの呼びかけをゲンデは無視した。
 サダラカインを構成する球体モジュール群の外にでた瞬間。
 それは起こった。
 ゲンデが顔の部分に形成しておいたアクティブタキオンセンサーが、殺到するエネルギーをとらえた。
 艦砲ほどの、核兵器並の威力を持ったプラズマビームだ。
 それも一本ではない。全部で六本。
 正面からは防げない!
 アクティブタキオンセンサーで、正確にビームの軌道を読みとる。針のように成形した人工重力場で、ビームを横からつついてやった。こうすれば、正面からうけとめるより遙かに小さなエネルギーで防御できる。
 わずかにそらすのがやっとだった。だがわずかな角度変化でも飛んでいくうちに大きなズレとなる。
 ビームはゲンデやマードをかすめもせずに通過していった。
 すこし間を置いてまた六本。
 また、そらした。
 だが正確な射撃だ。
 ゲンデは光学センサーで見た。
 数万キロ離れた場所に、二隻の船が浮かんでいる。全長は千メートルあまり。巡洋艦サイズだ。剣のように尖ったそのシルエットは、ドロパ宇宙軍の戦闘艦に似ていた。
 そして、この二隻以外……本来ならそのあたりを無数に航行しているはずの客船・貨物船は全く姿が見えなかった。
 ……警務艦隊か。やはりな。
 この恒星系に軍の艦隊は駐留していない。一番近くの軍港からでも数日はかかるだろう。だがこのサダラカインの保安警察は、密輸や海賊行為などの犯罪を取り締まるため、小規模な艦隊を持っている。そのなかで飛び抜けて強力なのがこの二隻だ。ドロパ宇宙軍の巡洋艦を改装し、武装を減らし、かわりに牽引ビームなど拿捕用の装備を強化した「巡視艦」。
 減らしたとはいえ、その火力は強大。
 速力も、快速の民間船を上回る。
 ……逃げ切れない……
 ゲンデの心を焦燥が満たした。
 バトル・ビーイングは確かに強力な兵器だ。だがいかんせん小さい。動力源である核融合炉も小さい。ビームの威力、バリアの強度、それらは結局エンジン出力で決まるのだ。
 ビームを弾くことが出来ているのは、防御だけに専念しているから。攻撃に回す余裕は全くない。
 では、避ければ? できる。ここでは機体の小ささが逆に生きてくる。バトル・ビーイングの機動力をもってすれば艦砲ごときをかわすのは造作もない。
 だが避けられるのは自分だけ。マードたちの乗った船は無理だろう。意味がない。
 また閃光。
 もう一度弾いて、軌道をずらした。
 と、二隻の巡視艦は射撃をやめ、接近してきた。
 いかん。牽引ビームを使う気だ。
 牽引ビームは重力制御の応用である。触手のように伸ばした重力場で敵をとらえ、引っ張る。それを使われば、それこそ綱引きのようなもの、エンジンの小さいこちらに勝機はない。
「マード」
 緊張に満ち溢れた声で呼びかける。
「なに」
「このままでは駄目だ。いったん離れよう。お前はサダラカインにまた潜り込め。そうすれば撃ってはこれない。その間に俺があの二隻を沈める」
「父さん!」
「他の連中に追い回されるかも知れないが、悪いが自力で切り抜けてくれ」
「いや、でも……父さん!」
「なんだ弱気だな。さっきの勢いはどうした。大丈夫だ。だてにバトル・ビーイングに乗っている訳じゃない」
「父さん! 死……!」
「早くしろ! 来る!」
 卵形宇宙船が後退し、サダラカインに戻っていった。球体モジュールとチューブで作られた森林の中にまた潜る。
 よし。
 行くぞ!
 ゲンデは真っ白い核融合プラズマを噴いて突進した。
 撃ってきた。
 避ける。
 また避ける。
 翼を振り、右に左に噴射し、ときには重力制御でさらに弾みをつける。宇宙船とはまるで桁の違う運動性をもつバトル・ビーイングを、巡視艦の砲はまるで捉える事が出来ずにいた。
 距離が詰まるにつれ、飛んでくるビームの種類が変わった。対空砲の射程に入ったのだ。細いビームが何万という単位で殺到する。
 これさえも、ゲンデを傷つけることはできなかった。量子コンピュータと完全に連動したゲンデの脳は、タキオン粒子や光、空間のさざ波を皮膚感覚のレベルでとらえ、ビームとビームの隙間に機体を滑り込ませていく。
 さらに接近した。
 不意に、敵艦がぼやけた。陽炎のように揺らぐ。
 とっさに真横に噴かした。
 すぐ脇の空間が、はっきりとねじれ、つかみ取られた。
 牽引ビーム。それも「圧壊」モードの。
 その空間歪曲の密度たるや、とてもこのサイズの機体で中和できるものではなかった。
 だが、よけた。
 敵艦は目前に迫っていた。
 急減速をかける。
 重力場を前方に叩きつけ、クッションにする。
 激突。
 いや、二本の足で、敵艦の艦腹に立った。
 右腕を振り回す。
 腕の中から、身長ほどもある剣が生まれる。
 剣は赤く輝いていた。
 分子破壊フィールドで形作られた剣。
 足下の装甲板に剣を突き立てた。装甲は切り裂かれる。内部に飛び込んだ。
 こうなればもう軍艦だろうと防ぐ手段はない。立ちふさがる隔壁を切り開き、逃げまどう乗組員を無視し、勇敢にも多目的ブラスターで立ち向かってきた男は片手で払いのけ、艦の中枢めがけて突き進んだ。
 そして艦の一番奥深くにあるブリッジに飛び込み、剣の一閃でコンピュータ類を粉砕、そのまま機関部まで突っ走り、核融合エンジンとエネルギー蓄積装置を一機残らず破壊した。これで、この船はもう動けない。戦えない。
 ……遅い!
 一隻かたづけるのに十分以上かかっている。もっと急がなければ。マード達は大丈夫か。
 そして艦の表面に顔を出した瞬間。
 いつのまにかすぐ側に来ていたもう一隻の巡視艦が、ありったけの火力を浴びせてきたのである。
 主砲の太いビームが。
 対空砲の細いビームが。
 そして見えない重力の塊が。
 敵は、こちらが動きを止める瞬間、回避能力を失う瞬間を待っていたのだ。
 とっさの判断で、艦内に頭を引っ込めた。同時に、全力で重力場を展開、少しでもビームを拡散させようとあがいた。
 艦の装甲がビームの一部を遮った。装甲を突き破って飛んできたプラズマの濁流はゲンデの発生させた重力防御と衝突した。結論から言えばこの防御にさしたる効果はなかった。バトル・ビーイングが操れる程度の重力では、ビームの角度を少し変えるのがやっとなのだ。
 頭と腕、それから身体の表面が蒸発した。
 次いで重力攻撃がやってきた。
 バトル・ビーイングと、その内部に存在するゲンデの身体は、数百Gという強大な重力でもみくちゃにされた。
 ゲンデの手足の骨が、肋骨が粉砕された。内臓がいくつも破裂し、筋肉が身体の至る処で引き裂かれた。
 これでもなお、ゲンデは即死しなかった。脳は破壊されなかったからだ。
 ……危険。生命維持に重大な支障あり。
 量子コンピュータの絶叫を、たしかにゲンデは聞いた。
 ……これより緊急モードに移行。ナノアセンブラの九十七パーセントをナノメディックとして代行使用。肉体回復を最優先事項とする。
 無数のナノマシンが、機体から身体に潜り込む。DNAを読みとり、それを元にして筋肉や骨格を繋いでゆく。破壊された組織を再構成する。はるかに性能の劣るC級ですら人間そっくりの疑似生命を作れたのだ、S級にとっては一瞬で終わることだ。
 だが、その一瞬が与えられなかった。
 矢継ぎ早に、もう一度攻撃が浴びせられた。
 機体の機能はゲンデの治療に振り向けられていた。防御は全く不可能だった。
 機体を構成するゲルの九割が蒸発した。足も胸も腹もない、銀色の雫だけが残った。雫を重力がつかんだ。滅茶苦茶に振り回され、かき乱された。せっかく治りつつあった筋肉が骨格がまた台無しにされた。
 この状況でもまだ、ナノマシン群はゲンデの身体を修復しようと懸命になっていた。
 それを、ゲンデが止めた。
 ……だめだ。止めろ。
 いましかない。
 攻撃のチャンスは今しかない、敵が攻撃した直後である今しかないことを、身体が理解していた。
 次に食らったらもう死ぬ。ゲルは全て蒸発するだろう。
 だから、今しかない。
 ゲンデは強く念じた。
 思念に従い、ナノアセンブラは肉体の修復を放棄。ゲルの再構成に移る。
 新たに作られた機体は、たった三メートルの大きさしかない最小限のものだった。
 だが、それで行くしかなかった。巨大化するための材料はふんだんにあるが、それだけの時間がない。
 飛び出した。
 果たして、敵艦はすぐ側にいた。
 最大の加速で突撃。
 ろくに減速もせずに、体当たりそのものの勢いで突入。衝撃を中和しきれずに、また身体が酷く破壊された。
 心拍数低下。呼吸不全。脳の損傷レベル二。
 量子コンピュータがそう訴えてくる。
 意識はもうろうとしていた。
 自分がだれなのか、ここがどこで、なんのために戦っていたのか判らない。
 だが、戦わなければいけないことは判っていた。だから突き進んだ。剣で隔壁を破り、機関部に達した。
 そして破壊した。
 気が付くと、自分は宇宙に浮かんでいた。
 ガスを垂れ流している二隻の巡視艦が、近くにあった。
 ああ、ちゃんと沈めたんだな。
 良かった。
 意識を失っていた間に、ナノマシンは肉体の修復を終えていたらしい。身体には何の痛みもなかった。
 死ぬ気だったが、生き残ったようだ。
 マード……マードは?
「父さん! とうさーん!」
「マード」
 電波による呼びかけだった。電波の飛んでくる
「とうさーん! 生きてる!? 生きてるよね? 今助けに行くよ!」
「大丈夫だ。……生き残ってしまったよ」
「父さん、やっぱり死ぬ気で」
「ああ。お前たちを逃がすために戦って死ねば、終わると思っていた。
 もういいんだよ、ありがとう、そう声が聞こえてくるんだと思った。だが聞こえなかった。弱くなった。だが、まだ助けてって聞こえる」
「……当たり前じゃないか」
「マード?」
「これから本当の革命をやるんでしょ父さん? 勝手に終わらせないでよ」
「……そうだな」
 そういって、ゲンデは笑った。
 
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