2001年8月の日記
8月30日 反応がない。 さびしい。 かなりはずかしかったのにー。 どのくらい恥ずかしいってあなた、以前母親の前で「カードキャプターさくら」のトレーディングカードをぶちまけてしまった時に匹敵する恥ずかしさだ。 ばさばさばさばさばさっ 母親「あ、あんた……!」 私「ち、ち、ちがうんだ! ぼくはロリコンじゃないんだ! ぼくはたださくらちゃんが好きなだけなんだ! あっ、でもさくらちゃんは眼鏡かけてないからイチオシじゃないんだ!」 墓穴全開。 しばらく母は、私のことをはれものにさわるように扱ってました。 るーるーるー。 さて今日は何を書こうか。 昨日の続きで、クルマの危険性とか。 そうでなきゃ、打ち上げに成功したH2Aロケットと、傑作宇宙漫画「プラネテス」をからめて書くとか。 うーんどっちも面白そうなんだけど。 クルマに関しては、うーん、今までの私はあまりにも警察を敵視しすぎていたんかな。 いや、私は今でも白バイとか大嫌いだし、連中が交通事故防止のために取り締まりを行ってるなんてこれっぽっちも信じちゃいない。でも結果として、捕まるまい捕まるまいと安全運転して事故率が下がることはあり得る。 悪い面ばかりじゃない。 捕まったにしても、もしここで捕まっていなかった事故って人を殺していたかも知れない、よかった、みたいなプラス思考をもうちょっともつべきなのかもしんないな。 宇宙の話。 宇宙開発は停滞している。どうしようもなく停滞している。 人間が月に着陸したころ、つまり1970年前後、子供向けの科学解説書やジュブナイルSFを読めば、そこには「1990年、月面基地完成」「2000年、人類は火星に」などという景気のいい未来図があった。 我々はすでに家族で月旅行を楽しみ、火星に向かう探検ロケットを見送っているはずだった。人によっては、すでにドーナツ型の宇宙コロニーに住んでいるはずだったのだ。 あの夢はどこにいったのか。 一体何十年遅れれば気が済むのか。 そうだ。本当は私だって判っている。宇宙開発はすぐに利益を生むようなものじゃない。はっきりいって金を生むのは50年後、100年後だ。だから経済原則に頼っている限り宇宙開発が停滞するのは当然だと思う。金以外のなにかがなければ、人類は星を目指せない。 なんで初期の宇宙開発があんなに猛スピードで進んだのか。そりゃもちろん、ソ連とアメリカが必死に張り合っていたから、国の面子の問題ってのもあるが……やっぱり「宇宙に行く」ということに憧れをもっていた人がたくさんいたんじゃないのかな。宇宙は夢とか未来の象徴だったんだよ。月面基地とか宇宙ステーションとかを作る、というのが素晴らしいことだと信じられていた。 今だって、そういう計画がなくなったわけじゃない。でも「そんな事に金を使うくらいなら他に使え」と言い出す人達が圧倒的だ。人類が火星に到達したとしても、木星や土星に行ったとしても、月着陸ほどのニュースにはならないだろう。 だから……なにかが必要だ。 宇宙開発をどかーんを進めるためには、なにかが。人々の目を再び宇宙に向けさせるようなものが。ただ資源が手に入るとか、人口を移住させるとかそういうメリットじゃだめなんだ。もっと形のない、夢や希望としかいいようのないものが必要だ。 私はずばりSETIに期待している。SETIとは異星人を発見すること。この場合は電波SETI、電波望遠鏡で異星人と接触することだ。我々の科学技術で可能な、唯一の接触方法だと言える。 この試みが行われるようになってから40年。いまだに「これが異星人からの信号だ。間違いない」といえるものは見つかっていない。「これかも」というものが一回あっただけだ。その信号にしたところで意味は不明だった。 仮にちゃんとしたメッセージの受信に成功したとしても、それは光の速さですら何百年、何千年かかる距離をとんできたもの。つまり大昔に発された信号だ。返事を出しても、そのまた返事が来るのは数百年、数千年後だ。コミュニケーションなど不可能。 しかし、もし、どんな遠くでもいい、誰かが星の向こうにいることがはっきりしたら。 星との間にひろがる距離は、ただ冷たいだけのものではなくなるんじゃないか。 いまだにSETIは続けられている。世界中のアマチュアたちのパソコンに支えられて。 今朝は捕まる夢を見た。 正夢じゃなくってよかったー。 あと279日。がんばるぞー。 |
8月29日 前略 ××××様 「殺人ドライバー くるま社会ニッポンのタブー」(沼澤章 WAVE出版) という衝撃的なタイトルの本を買った。 交通事故、それも死亡事故について調べた本だ。 私はバイクに乗っている。だからいつだって人を殺す危険性がある。いまはまだ殺していない、というだけだ。もっともバイクの場合、他人を殺すより自分が先にあの世に行ってしまうことが多いが。 つまりクルマは殺人機械、バイクは自殺機械。私は自殺の方が罪が軽いと思っている。だから私はバイクに乗っている。それがすべてではないが、理由の一つだ。 ってな感じで、私は交通事故について理解し、知識もあり、経験もあり、そして覚悟すら決めていたつもりだった。そしてこう認識していたのだ。 「事故はあくまで事故だ。もちろん人をひき殺した人間には責任があるが、偶然というか運の要素の方が大きい。わざとやったわけでなし、できるだけ刑罰は軽くするべきじゃないか。殺人罪と同列に扱うなんてとんでもない。本人だって深く反省しているだろうし」 ところが、だ。 この本はタイトル以上に衝撃的な内容を告げている。 「交通事故は事故ではない。これは暴力だ。犯罪だ。殺人なのだ」と。 死亡事故を起こした人間について統計をとってみると、無免許運転・飲酒運転の割合が妙に多かったり、過去に人身事故を起こした者が大勢いることがわかる。死亡事故を何度も起こしている人すら、全体の5パーセント存在する。これは偶然では考えられない。 だからこの本は言うのだ。「どんなに事故を起こしてもまったく反省しない凶悪なドライバーがいて、死亡事故というのはそういう異常な人達が起こすものだ。連中にはちょっとやそっとの罰をあたえても駄目だ。人を殺した人間がまた免許を与えられ、また人をひく。そんな事が許されていいはずがない、奴ら殺人ドライバーを狩り出せ。厳罰を与えよ。二度とハンドルを握らせるな。連中は過失致死ではなく、もっと重い殺人罪で裁くべきだ」 そしてその後は、そういう人間をみわけるための心理学的な考察に入っていく。どういう環境で育ったらそういう人間になるのか、とか。 正直いって危険な論理だ。 「ペンネームCは自己中心的な性格なので人をひき殺す危険性が高い。よって免許は生涯与えない」とか言われてしまいかねない。 でも…… 嘘だと言い切れるだろうか? 本当に、事故を起こすのは確率の問題だけだろうか? 事故を起こしやすい人間は存在しないか? そしてそれは本人の性格と結びついていないか? うちの会社にも、事故ばかり起こしている人はいる。 私も、確率論から導き出される数字よりはずいぶんと多く事故っている。たまたま相手が人間でないだけだ。 違反が多いのも無関係ではないだろう。 性格的に、ハンドルを握るべきでない人間はいるのだ。 とてもとても悲しいことだが。 それに実際、死亡事故被害者の遺族が叫んでいる。 「加害者は、あれだけの事をやらかして罪の意識もない。それなのにどうして、あの程度の罰で済むのか。また同じ事を繰り返すことを許してしまうのか」 私は何も言い返せない。 まずは、あと280日間、無事故無違反でいよう。 それが私の戦いだ。 これをもし破るようなことがあったら、私もやはり運転不適格者だということなんだろう。その不適格性を矯正できるのかどうかは、この本には書かれていないが……なんにせよ、それがはっきりした時は、今度もバイクに乗り続けるべきかどうか真剣に検討しよう。 どうでもいいけど、前半と後半の落差はどうにかならないのか。 |
8月28日 少しずつアクセス数が元に戻りつつある。 しかし小説も更新してないし、見てもらうものがない。来た人はがっかりしてるだろうなあ。 うーむ。 短い奴でも一本上げるか…… 実は一時期凝ってたんだよ、短編。50枚くらいの。あとになって読み返してみると、必ずしもその分量が適当ではなかったりするんだけどね。雑誌に載ったのがそれくらいだったから、すっかり自信もっちゃってさ。 今週の「蒼天の拳」(コミックバンチ)。 ついに拳志郎が「××という秘孔をついた……」とか言い出した。でも技の名前が出てこないから不満である。 どうでもいいがこの漫画は「正義の味方が悪党をぶちのめす話」じゃなくて、「すごい悪党が、小物の悪党をぶちのめす話」のような気がするぞ。いや悪人ではないんだよ主人公は。でもそれ以上に善人じゃあないな。 もしかして青年誌だから、主人公を純然たる正義の味方にしなくてもいいということかな。だからこういう奴にしてみたという実験なのかな。そうとでも考えなきゃ納得いかんくらい、今回の主人公はかなり人格に問題があってなあ。 いや、でも少年誌でもそういう主人公はいるぞ。 ダーク・シュナイダーとか。 ……ちょっと例が極端すぎましたね。 うーん、でもさー。実際戦いの話で、主人公だけキャラがたってて、敵がしょぼいってのは致命的だと思うよ。 強くカッコイイ悪役の登場を期待する。 新城カズマ「狗狼伝承 蒼穹天女・ユウ」(富士見ファンタジア文庫)を読む。 すごいぞ。 ライトノベルの特徴として「心理描写はモノローグでやっちゃう」というのがある。それは手抜きの技法だといわれることもあるけど、このシリーズはその手法を最大限に生かして、超スケールの時空ロマンと少年少女のみずみずしい感性を融合させてきた。 ここまで純粋なものだっけか、少年とか少女ってのは? そうだっけ? とか思うが、そりゃあまあいろいろいるでしょ。中高生の私が特に汚れまくってただけっつー気もするし。 なんつースケールのでかさだろうな本当に。SF的な用語を使ってないけど、これはいい意味でSFなんじゃないかな。途方もない空想を楽しむ、という意味において。「こんなすげえ話見たこともきいたこともねえ」って感じで。身体がブルブル震える。ほんとに。 ちかぢか2ちゃんねるがなくなってしまうかもしれない。 ミラーサイトを残そうと試みる人達がいる。サーバーの負担を減らそうと高度技術を駆使する人々がいる。彼らは必死だ。 私も、あそこには恩恵を受けた人間の一人だ。 あそこのことを、ただの悪口集団だと思っていたままなら、書けなかった小説がある。 言えなかった言葉がある。 あそこに行ってはじめて感じた種類の感動がある。 だから私は2ちゃんねるに恩義がある。それをどうやって返せばいいのかっていうと。 まあ実際のところ。 私はけっこういろんなもんに属してるんだよな。 私が何か犯罪でもやらかしたら。女の子の一人も殺したらどうなるか。 栃木の彼がそうであるように、「やっぱりアニオタは」「エロゲーとかやってる奴は」「これだから2ちゃんねるに通ってる奴は」って言われるんだよな。何万人もの人が迷惑するんだよな。で、私の好きなものがマスコミに取り上げられて、たとえばザンヤルマとかが奇怪な分析をされて、「この部分を読んでいるうちに現実と空想の区別がつかなくなり云々」とか言われちゃうんだよな。月姫なんかやばいだろーなー。さぞかしメッタメタに叩かれるんだろーなー。情景が目に浮かぶようだ。とにかく私の好きなものすべてを冒涜することになっちゃうんだよな。 これを逆に考えてみると、答はおのずと出てくる気がするな。 うん、それっきゃないよね。がんばろー。 今日はどうしようもなく暇だったけど明日はどうかなー。 あと281日ー。 |
8月27日 ひとつ用事が終わったので、国家改造計画を再開できる。 とりあえずトップのデザインをちょっと変えて、イラストとか置こうかなーと思ってるんだけど。 でも、そもそもイラストかけんのです私は。 どんな風に変更すべきかアイデア募集ー。 ついでにイラストも募集ー。 べつに眼鏡っ娘じゃなくてもいいから。 ……自力でできることを考えよう。 なんか「相変わらず色が気持ち悪い」とか言われてるし。 バックは黒とかのほうがいいかな。テキスト系サイトには黒バック多いけど。 漫画の話でもしよう。 今週のジャンプ。 私は今のジャンプってなかなかどうして悪くないと思ってる。こないだはじまった久保帯人の「BLEACH」もけっこういいし。設定は実にありきたりだけど、かけあいのテンポにけっこう味が。まだわかんないけどねー。でも個人的には「ゾンビパウダー マキシマム」が読みたかった(笑)。ブリーチの何が悪いって、タイトルに魅力というか凄みというか想像力喚起力がないことだ。ゾンビパウダーとくらべてみればいい。 まあなんだかんだいって、チェックしなきゃいけない漫画が、現在のジャンプには6本くらいある。これは今までで一番多い。 ってことは私にとっては今のジャンプが一番いいのか。 かなり特異な意見なんだろうなこれは。 だって私が気にいった漫画ってかなり高い確率で打ち切られるもん。「封神演義」が4年以上続いたのは奇蹟のようだ。ハンターハンターは確かに打ち切られることこそあり得ないが、たまに漫画としての臨界を(下向きに)超えちゃうし。もう編集部はあの作者に何も言えないんだろうね。だから人気とは別の理由で突然消滅する可能性がある。いやマジで。 昨日、銭湯のかわりに健康ランドいってきた。汗まみれで松本零士展いくのは悪いと思ってさ。 なんか風呂だけじゃなくてプールもあるんだね。身体も少し引き締めようと気合いいれて泳いだら、すぐにヘロヘロ。わたしゃ昔泳ぎを習ってたのにー。 マッサージ機でウインウインと背中もんでもらって、気持ちいいと感じてしまった私。 これはもう完全におっさんである。はうー。 他に何か書くことはあるかな。ないな。 もう2時だ。寝よう。 あと282日。雨にも耐えつつがんばるぞー。 |
8月26日 さて、昨日は終わった。 詳しく書くべきか否か。 いや実はね。 もう何年も会ってない友人が久々にこっち来るから、その人を歓迎しようという話だったんだ。 掲示板をみるかぎり、なんかもっと凄いものを想像させちゃったかな。 いや、でも私は深刻に考えてたよ。 女の子と遊びに行ったときより緊張したっつーか畏怖を感じたよ。 まあ要するに幹事を任されたわけだ。 幹事にふさわしいことができたのかというと……うん、駄目だな。 自己評価は100点満点で15点くらいだな。 私は、会話で自分からネタ振りするのがほんと下手くそなんだなあと痛感させられた。っていうか自分がその場の主導権を握ることができない。 以前とある小説家兼ゲームデザイナーが、「目の前にいる人間を楽しませることもできずに何が娯楽作家だ。なにがエンターテイナーだ」みたいなことを言っていた。私はこの言葉に激しく反発し、「小説を書く能力と、生身同士で相手を楽しませる能力はぜんぜん別だ。場合によっては反比例することも考えられるだろう」と思った。 しかし、そう考えていたからうまくならなかったんだな。 将来はなにがあるのかわからない。 もっと大きなこともあるかも。 いや、結局「血を吐くまでカラオケ大会」になっちゃったけど。 閑話休題。 以前ここの掲示板でも触れられていた「大松本零士展」に行ってきた。 「新・宇宙戦艦ヤマト」にしても、「銀河鉄道999エターナル・ファンタジー」にしても、どうも最近の松本作品は面白くない…… と思っていたんだけど。 それはそれとして、このイベントは素晴らしかった。 松本零士が松本あきらを名乗っていた頃の作品、特に学生時代作っていた同人誌なんて、もう二度と見ることが出来ない代物なんじゃないか。 明らかに手塚治虫の模倣だったキャラクターが、だんだん松本キャラになっていく過程を追いかけるのは実に刺激的な体験だった。 「男おいどん」がターニングポイントだったのか。デビューしたのは十代の時だけど、オリジナリティのある一人の作家になったのはそれから15年も経ってからだった……そういうことか。 巨匠と言われる人でもそういうことがあったんだなあ。 一番印象に残ったのは「東京にやってきたとき、全財産は700円だった。700円からのスタートと考えれば、喪うものは何もない」という本人の台詞だった。 翻って私はどうだろう。こういう精神を持っているか。プロですらないのに、何かやったつもりになっておごりたかぶっていないか。 いろいろ恥ずかしくなった。 いや、比較すること自体が恥ずかしいかも知れないが。 しかし私には不満がある。 松本零士展というからには、壁とか床は全部真っ黒で、そのへんに大量の(何に使うのかさっぱり判らない)メーターが埋め込まれていなければ駄目だろ。わかってないなあ。 でも松本零士コレクション(紫電改の照準機とか)が見られたからよいとしよう。 さて、一つのイベントが終わったが、まだまだやることはいろいろある。 小説も再開できます。 あと283日。 このヤマト縛りを発明したのは松本さんなのか、それとも豊田氏なのか。まさか西崎ということはないだろう。 |
8月24日 白バイが赤灯回して追いかけてきた。 どひー! と思ったらターゲットは私ではなかった。 しかし、だ。 今までの行いというか心が悪かったんだな。他の人が捕まるところを他人事みたいに見ていたり、「ざまー」とか思ったりしているから捕まるんだな私は。 ってなわけで、私は見事撃破された原チャリの兄ちゃんに深い哀悼の念を捧げつつ荷受先へ急ぐのであった。 明日はやってくる。この一月は明日のためにあった。 私は他人のために何かできるのか、それを試したい。 と、構えても良いことはないか。 結局は単純な原理なのかも知れないね。物事がうまく行くかどうかは、本人の感情と姿勢にかなり影響されるかも。 「いやだ。いやだ。辛い。苦しい。やりたくない。でもやらないと怒られる」 みたいなノリでやってると、うまくいかないし、上達もしないんだな。 まずその感情をどうにかすべきなんだな、ということが一つわかった。 幸い、ヒントはある。 それとはべつに、あと284日間免許を守り抜かなければいけないことも確かである。 |
8月23日 午前9時。私は外苑東通りを疾駆していた。 その時眉間に火花が! ムッ殺気! 急減速。 するとネズミ捕りをやっていたー! 危機一髪! もし電波君が私に囁いてくれなかったら今頃私の免許は!! これがニュータイプか。 見える! 私にも警察の動きが見えるぞ! 「わたしは虚夢に月を聴く」読了。 どこか破綻している。でも「それは奥深いってことなのかな」と錯覚させてくれる。 最初のブギーとある意味似ている。突き放したようで、それでいて希望があるようで……そんな終わり方だ。力強い虚無主義。前向きな絶望。それが上遠野作品だ。いや、言葉遊びなんだけどね。 山田正紀「地球・精神分析記録」(徳間デュアル文庫)読み始めた。 いい感じだ。やはり山田正紀はいい。奇想といい文章力といい溜息が出る。もっともっと彼の作品を読みたい。ただ、やっぱり前の作品のほうが面白かったんだね。 さて。 やはり私が今気になるのは幼女誘拐事件だ。 誘拐されただけで済んで良かった、宮崎事件みたいにならないで良かった、というのが正直なところだが…… それより気になるのは犯人がエロゲーとアニメのオタクで、Kanonとかが好きだったということである。 まあ「ちゆ12歳」とか見て欲しい。 あと「エロゲーオタク研究」も。 困った困った。変なこと言うなよ犯人。 真琴シナリオみたいなことがやりたかったとか絶対言うなよ。頼むぜ。 なんてことを一番心配してる私はもしかして外道か。 去年末の新宿爆破事件(表現大仰すぎ)の時トライガンのせいにされたように、やっぱりこれはゲームのせいだと言われるだろう。っていうかすでに言われてる。 だから私は迷惑だ、ああ、決して犯罪を犯しているわけではない私まで、同じ趣味だというだけでそういう眼で…… という話をしていてもしょうがない。それこそ非生産的だ。 ああなるまいと思うしかないんだよな、私としては。 そもそも私と彼の分岐点はどこにあったんだろう、と考えてみるべきでもある。 あと285日。ずっとニュータイプ能力が発揮し続けられますように。 泣いても笑っても時間は過ぎてゆくものなのだなあ、というのが現在の私の素直な気持ち。 |
8月22日 台風が意外としょぼかった。「まだ来ないのか。まだ来ないのか。どんどん遅れるぞ。私の原稿みたいだ。ええい、しびれを切らした、普通の雨ばかり降ってないで台風らしいのがドンと来い! ……え? もう通り過ぎちゃったの?」 という感じだ。 いや、良いことなんだけどね。 ふと思い立って「ペンネームC」で検索かけてみたら、ある有名な人の日記が出てきた。そこには「ペンネームCがつらくてつらくて、ライトノベル板読むのやめちゃった」などと書かれていた。 ……私、迷惑だったらしい。 ごめんねー、でも、どのへんが? 上遠野浩平「わたしは虚夢に月を聴く」を 読む。 かなり面白い。前作「ぼくらは虚空に夜を視る」より面白い。この人は造語のセンスとかタイトルのセンスとか、そういう部分が優れているんだな。「ねじれのような違和感」、それを「なんだこりゃ。どうなってんだ?」と興味をひく、という形でプラスに作用させることができる。 これは得難い特性だ。ブギーにせよこれにせよ、ものすごく抽象的にしか科学解説をしていない、それがいいのかも知れない。単に科学知識がないだけじゃなかろうか、と勘ぐることもできるが、やりたくない。「わかった上で、あえて独自の世界を創るためにこう書いてるんだ」と思いたい。山本弘の正反対というべきか。あの人はすべてを語ってしまうことで想像力をせばめているんだなー。もったいないなー。兵器のスペックを羅列すれば架空戦記になるわけじゃない。SFだってそれと同じだと思うんだけどなー。 覆面パトカーが獲物に食らいつく瞬間を目撃した。 ふう。あぶねえあぶねえ。あそこは確かに飛ばしたくなる。 あと286日ー。持ちこたえろ、我が免許!! |
8月20日 明日は台風直撃らしいしね。 私が生きて帰れることを祈っててください。 あと288日。今日は道は混んでるのに(田舎いってた連中が戻ってきたんだね)仕事が少なかった。妙な一日である。 |
8月19日 サイトを大改装する予定だったのだが中規模改装になってしまった。もう一度やります。9月には。 あと9月に入ったら小説の更新も再開できたらいいなあ、と思ってます。 さて。 「猿の惑星」を見た。 私は実写の映画には詳しくない(アニメだってたいして知らないんだけどね)。前の猿の惑星って全然見たこと無かったんだが……うん、今回の奴はいろいろな意味ですごい。すげえ労力とエキストラと金かかってる。超大作。 でも娯楽路線というのとは少し違うな。こんなブラックでいいんかい。ああ、元祖がそうだからか。 献血に行った。血が足りないらしくって呼び出されちゃったんよ。 血圧計るときに「不整脈が出ています」とかいわれてびっくり。うひょー。やっぱり太りすぎ? 喰ってるモノが悪いのかな。 「今はもうない」半分くらいまで読んだ。 面白いが、相変わらず主人公はやな奴だ。 それからあと、「神谷美鈴」という女の子が出てくる。ちょっと気になる名前だが、時期的に考えて偶然なんだろう。 小説家全員がエロゲーマニアというわけじゃない。 三雲さんなんかはかなり怪しいと私は睨んでるが。 だって「沢渡美古都」と「葛城千鶴」だぞ。 いっそのこと開き直って青木基行みたくなったら。 昨日と今日を使って、いろいろと準備をしていた。 泣いても笑っても、どういう時間の使い方をしようとあと6日でその日はやってくる。 だったらやるしかないだろう。 あと、私自身も楽しいと思わないとね。 さーてさてさて。なんか今週は雨っぽくてやな感じ。 でも289日間戦いぬくぞーっっっ!!!! |
8月16日 今日はやけに忙しかった。おかしい。お盆なのに。道は空いてるのに。なぜだ。実に不可解だ。せっかく持っていった森博嗣の「今はもうない」(講談社ノベルズ)がほとんど読めなかった。どうでもいいがこの作品の語り手はかなりやな性格というかうざい性格をしているぞ。なに私に似ている? 似ているからうざいんじゃ。 ちょっとくらい良いだろう、と2ちゃんねるに行ってしまったのが運のつき。「撲滅委員会」の続きである「コテハン観測所」で気になる書き込みを見つけてしまった。
ただし私の言う眼鏡とは物質ではない。魂だ。心だ。わかるか? わからんだと? わかれ。 たとえばKanonの天野美汐は物質的には眼鏡をかけていない。だが精神的にはかけている。あの喋り方が、あの抑揚が、あの表情が、あの感性がすなわち眼鏡なのだ。絶対かけている。かけていないなんてゆるさん。私には彼女の眼鏡が視える。よって「天野美汐に眼鏡をかけさせる会」を結成する。会員募集! 他にもリヴァイアスのユイリィなど、魂の本質において眼鏡であるキャラは数多く存在する。 だいたい氷上恭子が声をあてているというだけでかなり眼鏡なのだ。
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8月15日 ひろく世界の現状にかんがみ、たへがたきをたへ、しのびがたきをしのび…… 伊達眼鏡も眼鏡の一種であることを受諾する。よって萌え。 というわけで終戦記念日である。 であるのだが特に書くことはない。なんか昨日全部かいちゃった気がする。日本の戦争責任の話? いや、してもいいけどさー。よくいえば中庸、悪く言えばどっちかつかずの考えしか出てこないから、あんまり面白くないと思うよ。 私はそれよりも未来を見たい。 韓国の若者が、「昔の日本が我々を踏みにじった。憎い。かならず償わせてやる」ではなく「今の日本は漫画とかアニメとかゲームとかいろいろ面白いものをつくっている。われわれもああなりたい」と思ってくれていることに、私は深い安堵をおぼえる。まだまだ人間もすてたもんじゃないよな、とすら思う。 そうだ。教科書に書いてある通りの思想を持つとは限らない。韓国だって日本と同程度には民主的な国だ。 今、そして未来のほうが重要だよ。 我々もそうならなくちゃね。 オペラント条件付けの話を読んでいてふと疑問に思った。 失敗した行動には罰が与えられる。だからその行動は繰り返されなくなる。 だとすると人間というのは同じ失敗は二度とやらないことになるが。 でも、私をはじめ多くの人間は、やっちゃ駄目だと思いつつも同種の失敗を繰り返しているぞ。一体どういうことだ。 これは罰が弱すぎたということか。それともオペラント条件付けの限界を示すものか。 うーん、罰と報酬両方が必要なのであって罰だけしか与えられない状況だと人は意欲をなくす、みたいなことも書いてあるなこの本には。つまり何か、ちっぽけな事でもいいから成功しないといけないわけか。 渡瀬草一郎「パラサイトムーン2 鼠達の饗宴」(電撃文庫)を読んだ。 前作よりずいぶん面白くなっている。相変わらずイラストにはかなり問題がある(下手ではない。女の子はすごくかわいい。だがこの絵描きさんは少女・少年以外のものは全く描けないらしい。学園ラブコメ小説ならそれでもいいだろうが、この内容でそれはちょっと)が。 想像力を激しく刺激してくれる、とにかく壮大なビジョンがあり。 泣けるシーンがあり。 そして深みのあるキャラがいて。ないのもいるけど。 世界観にもオリジナリティが加わったよ。 すげえスピードで成長しつつあります。さすが私より3つも若いだけのことはある。将来が楽しみっていうか怖いです。ふと気づけば、私はもうロートル。私より若いプロがごろごろ。 まあとにかく、我が好敵手よ同じ土俵で戦う日が楽しみだな、みたいな(吹いてる吹いてる)。 そうとでもおもわなきゃ、このみじめな現状にたえられんのじゃよー。 あと293日。 今日はとにかく暇だったぞー。やっぱり時期が時期だしなー。明治通りがあんなに空いてるなんて尋常じゃない。 週末あたりに国家改造計画発動するかも。 |
8月14日 某国の総理大臣に対抗意識を燃やし、熟慮に熟慮を重ねて東郷神社に行った。 しかし取材陣もいなかったし近隣諸国(って、どこ?)からの抗議もこなかった。 けしからん。私だって国家元首である。我が国を代表して行ったのだ。差別すんな。 てなわけで小泉総理の靖国参拝について書いてみよう。 えー、別にいいんじゃない? 以上。 石投げないで。 私は左よりの人から「軍国主義者」「右翼」「ファシスト」「戦争狂」「人民の敵」「よしりん信者」と呼ばれたことがある。 戦前の日本も悪いことばかりしたわけじゃない、みたいなことを言ったからだ。 かと思えば右よりの人から「アカ」「ソ連の手先」「日本から出て行け」と言われたこともある。 虐殺は本当にあったし、それについて責任を問われるのは当然のことだと言ったからだ。 ってなわけでどっちの主張もある程度はわかるんだよね。 ただ、調べてみればわかる。靖国神社というのは戦争を美化し戦死者を英雄視するために作られたわけではない、ということが。それはごく一面だ。だからあそこに参拝したからといって戦争で日本がおこなったすべてを肯定したことにはならない。ぜんぜんならない。 私も調べている途中なんだけど……もっと奥の深い所だね。 いやそもそも、他民族を支配し虐殺したのは日本人のごく一面にすぎないさ。250年に渡り平和な時代を守り抜いたのも日本人だし、渡来人をわけへだてなく受け入れたのも日本人だし、男色などの倒錯性愛に寛容だったのも日本人だよ。他国に比べ遙かに少ない血で革命に成功した(明治維新のこと)のも日本人だし、一次大戦のとき、ドイツ軍の捕虜をとんでもなく丁重に扱ったのも日本人だよ。 いや、ちょっと歴史を勉強している人にとっては、わざわざ書くまでもないことだと思うけど。 でも私自身が、日本人に対する偏見の持ち主だから、ちょっと自戒をこめてね。 さーて、あと294日の間、東郷元帥のラッキーパワーが私を白バイから守りますように。 昨日のオペラント条件付けの話も、もう少しいろいろな面で目標を設定してやってみよう。あれを信じるかどうかはやってみた結果しだいだ。とにかくいろいろと、藁にもすがりたい気分だ。 |
8月13日 10000ヒット踏んだ人が名乗り出てくれない。私は寂しい。 心理学の本を数冊読んだ。まあ入門書的なものだけど。 私が面白いと思ったのは「行動分析学」だ。心理学の中にそういう分野があるらしい。その行動分析では、心理学といいながら心を直接は扱わない。心理の結果としての行動を扱う。 この行動分析学によれば、性格が行動をつくるのではなく行動が性格をつくるのだという。 性格というのは、「自分はこういう人間だ」と思いこむことによって自分で創り出したもので、行動の結果その思いこみは生じたのだという。たとえば「私は人と話すのが怖い。現にうまく話せない」という性格の人は、人とうまく話せなかったという事実があるからそういう性格になったのだと。 だったら行動を変えてやれば、つまり「話せた」という事実を創り出してやれば性格もそれにつれて変わるのだ、みたいな考えらしい。 非常に新鮮な考えだ。 人間の性格というのは何者か(神様だとは言わない。本当に神様なら話は楽だからそう思いたいんだが、実際にはたぶん親や友人のような周囲の人間だろう)が人間に埋め込んだプログラムであり、それはきわめて堅固なもので、その人間の全行動を無意識のうちにコントロールする絶対的なもので、一度決定されてしまったら変更不可能である、せいぜい表面にメッキを施す程度のことができるだけである……という私の考えとは正反対だ。 行動が先か。ふむ。 あまりにもぶっ飛んだ考えだったので(私にとってはね)衝撃を受けた。 性格が変わってないのに行動を変えられるはずがあるか、とか私なら思うんだが。 で、行動を成功させるためにはどうすればいいのかというと。 「オペラント条件付け」を強化すればいいらしい。 つまりあれだ、良いことをしたらエサをあたえ、悪いことをしたら罰を与える。するといいことをするようになる。これがオペラント条件付けなんだそうだ。 なんか動物に芸を教えているみたいだが、まあ人間も動物だしな。エサは精神的なものでも物質的なものでもよく、罰による条件付けよりエサによる条件付けのほうが長く持続するんだと。実際罰は慣れてしまうから長期的に見れば効果がないらしい。 でかい目標をたててしまうと実行できないから、できる程度の目標をたてて、達成できたら少しずつ高度化させていくべきだとも書いてある。もちろん報酬と罰を忘れずに。 ううむ。ほんとうにこんな簡単なことでどうにかなるんか。 やってみる価値はあると思うけど。 あと295日だ。 さっそくこれに導入してみよう。 あと1月捕まらなかったら、すっごい報酬を自分に与えよう。 できなかった時の罰はみなさんから募集。 |
8月12日 ますます更新の間隔が開いている。 一度でも怠けてしまうとすっかり癖がついてしまうものだね。 10日、コミケに行った。 「月姫」の番外編、お祭りディスクこと「歌月十夜」を買うためだ。 会場で徹夜したりバイクで乗り付けたりするのは禁止だ。実際迷惑だ。しかしできるだけ早く並びたい。そう思ったので、会場の近くの駅で一夜を明かし、始発で行った。会場には六時着。しかしその時、すでに5000とも1万とも知れない列がのたくっていた。 だめだあ! それから四時間並んで会場時刻がやってきたが、列はさっぱり動き出さない。 まあ三十分で動き出し、四十五分頃には会場には入れたのだから上出来な方だろう。逆に言えば徹夜しても三、四十分早く入れるに過ぎない、とも言える。 で、会場の中に入ってからがまた大変だ。 タイプムーンのスペースに行く。 ぱっと見て「おっ、行列だ」と思った。それだけでも圧倒された。ところがそれは行列の先頭部分でしかなかったのだ。実際にはそれが何列も何列も、ぐねぐねと曲がりながら続いていた。 だめだあ! 「買えないかもしれん」と思った。月姫の人気をなめていた。 あの列は軽く見積もって一万人はいる。しかも私の後ろにもどんどん並んでくるわけだし。もはやコミケで売れる数の限界を超えているんじゃないか。1万本を超えることが出来なくて苦しんでいる商業エロゲーがたくさん存在するというのに。 買えないのか。 せっかく休みまで取ってきたのに。 徹夜状態なのに。 買えないのか。無駄だったのか。 しかし、この期におよんでじたばたしても仕方ない。まさか割り込みや泥棒をするわけにもいかないだろう。私は周囲の人達と月姫談義・エロゲー談義などをしつつ、列が進むのを待った。ずっと尿意をこらえていたので大変な苦痛を味わったが、仕方なかった。もともとバイク便は好きなときにトイレに行けるとは限らないのでこの手のことは普段から気を付けなければいけないのだが、私にはどうもそのへんの管理がきちんとできない。マジで膀胱破裂するかと思った。あんまりこれを繰り返すと病気になるらしいね。 しかし、そのかいはあった。 やった! かえたよーっ! 一体何本用意していたんだろうね。 その後は、コスプレ広場のものすごい熱気でぶっ倒れそうになったり、まあいろいろあったのだが。 規制されてるはずなのに、けっこうエッチなコスプレ多いね。あれは近々手入れを受けそうだ。まずいよー。 私は乳や尻より眼鏡のほうがいいから興味ないけどー。 オタクの女の子って眼鏡っ娘多いよね。だから私は女の子を鑑賞するためにアニメイトに入ることがある。コミケ会場でも多かったよ。しあわせ。 それから11日は、「2ちゃんねる」に復帰した日でもある。 ここ一月ばかりあそこへの書き込みを一切やめていた。訪れることもほとんどなくなっていた。 際限なく時間を食われるから。没頭して何も手に付かなくなるから。非常に悪い意味でのネットジャンキー。 だからやめていた。一番すごかった(ひどかった?)時期は一日かならず2時間、2ちゃんねるに書き込みしていた。基本的にライトノベル板しかのぞいてないんだが、それでも興味のある発言すべてにレスをつけようと思ったらそのくらいの時間はかかる。 さすがに「時間を食いすぎる。その時間を他のことに回そう。たとえば本を読み、たとえば小説を書き、たとえばゲームをやり、たとえば友人や知人と話す。そっちのほうが有意義だ」と思ってしまった。だからしばらく、あそこに顔を出すのはやめていた。 しかし、大した成果はあがらなかった。 時間が手に入れば何かができる……そうとは限らない。当たり前のことなんだけど。 いっぽうで、2ちゃんねるの人達は、私がいなくなってさびしがっていた。いや「せいせいした」という人も当然いたんだろうが。少なくとも表面上は、「早く帰ってこないかな」という趣旨の書き込みが目に付くようになった。 私は必要とされている。私が来るのを待っている人がいる。たとえそれが「おもちゃとして」であっても。 泣きそうになった。こんなに嬉しいことはない。 だから復帰した。以前のような依存症状態には戻らないつもりだけど。基本的に平日は行かない。これだけでだいぶ違うと思う。 2ちゃんねるの話をもう少し続けよう。 あそこは、私が2番目に常連になった掲示板だ。 その前に常連をやっていたのは、「フルメタル・パニック!」という小説の公式サイト、「無限会社賀東商事」の掲示板だった。「給湯室」と呼ばれていたその掲示板は、つねに何十何百もの常連でにぎわい、フルメタルパニックのキャラ萌え話、替え歌、下ネタ、SSという外伝的小説などが次から次へとアップされていた。悪口合戦もなく、かといってマナーについて厳しくもない、とにかくあたたかいエネルギーに満ち溢れた場所だった。 ネットをはじめて間もなかった私はその掲示板のとりこになった。しったかぶりして軍事知識や科学知識を書き込み、すごいすごいと言われて悦に入る。ギャグSSを書いたらチャット並のスピードで賞賛のレスがつき、私はすっかり舞い上がった。 こんなに楽しいところがこの世にあるとは。そう思っていた。 しかしそれから四ヶ月が過ぎた頃、私は2ちゃんねる・ライトノベル板の存在を知った。そこの人達が給湯室に対して冷笑的な態度をとっていることを。私は怒り狂って突撃した。給湯室の名誉を守るために。この楽しい世界を永遠に維持するために、卑劣な外敵は排除すべし。そう思っていたのだ。 ところが向こうに行って話をきいてみると、向こうの人々が口にしていることはただの悪口ではなく、ちゃんと背後に論理と事実の裏付けがあることに気づいた。ただ口が悪い、言い方が悪いだけで、間違っているとはいちがいにいえないのだ。 それに気づいたとたん、自分は絶対的な正義で2ちゃんねるは悪党の集団だと思っていた自分が恥ずかしくなった。 この人達は私より鋭い、そう思った。 ただ、いっぽうで「この口の悪さ、マナーの悪さはどうにかならないのか。これでは伝わるものも伝わらなくなる。たとえ正論を口にしても」と思った。実に残念だった。もったいない、そう思った。 ある時2ちゃんねるの人が口にした言葉が、決定打になった。「ここのマナーが悪いと思うなら自分の力で変えてみせろ」 そうだ。そうするしかないんだ。そうしよう。そうしたい。 だから私はあそこにいる。自分の言いたいことは言う。でも作品の批判はしても、人間の人格を攻撃するのは絶対にしないつもりだ。それをやりはじめるとキリがないし、作者の人格にしても他の2ちゃんねらーの人格にしても、そうそう判るはずがないから。それをやっちゃうと作品の話はどうでもよくなって、議論は全部ぶちこわしになっちゃうしね。 喧嘩こそが2ちゃんねる、という人もいる。そうかも知れない。私こそ異端者で、マナー違反で、自分の考えを押しつけたがっているだけなのかも知れない。 でも少なくともライトノベル板は、ただの喧嘩広場で終わらせたくない。真剣な、意見と意見がぶつかりあう場、そして新鮮な感性の輝く場所であって欲しい。私が最初あそこにいった時、世界が広がった気がしたのだ。訪れた他の人にも同じ気持ちを味わって欲しい。 だから私は、ライトベル板のコテハンをやっている。 驕りだろうか? ああ、まったくの驕りだ。自分のことすらできないのに、他人のマナーを云々するとは。 だが、やりたいのだ。これは私が手に入れた新しい生き甲斐、新しい夢だ。 あと296日。 やりたいことがあるんなら、いろいろがまんしなきゃ。いい加減には生きられないよね。 |
8月7日 ここんとこ夜更かしが続いたので、今朝は寝坊してやばかった。すげーやばかった。 仕事が比較的早く終わったので、神宮の花火大会を見に行った。 ぽーん! どぱーん! ではなく、ばしゅばしゅばしゅばしゅばしゅばしゅばしゅ(中略)ばしゅばしゅばしゅ! という感じの花火だった。 あれはあれで奇麗だ。 他にもいろいろやってきた。 本来なら何年もかけてやらなければいけないことだ、それを2週間かそこらでどうにかしようっていうんだから無理は承知。でも……。 全然関係ないが牛丼太郎の牛肉はやたら硬くてごりごりしてるぞ。やはり200円だからこんなものか。ここまでして値段を下げることはないよな、と思った。私は牛丼屋では「すき屋」が一番好きだ。次から次へと妙な牛丼を発明してくれるところがいい。次は何だ。チーズにキムチに、ニンニクにレタスにキノコに……そうだな、今度はケチャップ味とか。……あまりうまくなさそうだな。カレーと組み合わせるのはすでにあるし……味噌で煮込んでみるとか……ホワイトシチューに浸してみるとか。唐辛子で激辛というのはすでにやったから、ワサビをきかせてみるとか……どうも駄目だな。喰いたいか、そういうの? 私はどうも食欲をそそられん。 シンプル・イズ・ベストというか基本に忠実な吉牛の戦略は、決して間違ってはいないのかも知れないな。 実はここんとこ本読んでないから、書けることがほとんどないんよ。ゲームもPSOしかやってないし。オウガやりたいよー。 そんなことやってるあいだに10000ヒットを超えてしまった。 感謝感激。いやほんとに。もう3ヶ月もメインコンテンツをいじってないこんなサイトに、よく来てくださいました。 10000人目の国民の方、ぜひ名乗り出てください。トップページで盛大に表彰させていただきます。 あと301日。がんばるぞ。 今日は何度もつかまりそうになって実にやばかったよ。あと、青山の246沿いにびっしりパトカーが並んで赤灯回してたんだけど、あれは一体なんだろうね? |
8月5日 2ちゃんねる巡りをしぱらく断っているのはPSOの練習をするためだったんだが…… いかん。ろくに成果があがってないぞ。 今日はグラン・ワークショップという政治っぽい集会にいった。政治運動や環境保護運動の現場にいくたびに思うのだが、どうも私は立場がさだまらないな。さだめる気がしないというか、コーモリという気もする。 あ、そうそう。 ここ一ヶ月ばかり暗くてウジウジした日記ばっかり書いてるから「ペンネームCは小説書くのやめるんじゃないか」と思ってる方がいるみたいだけど。 そんなことないよ。それだけはない。 なにがあっても書き続けるつもりだよ。 書くのをやめたら、すべて無駄だったってことになっちゃうからねえ。 「ここでやめたら、おれたちは何だ。ただのバカじゃないか。おれはそんなのは嫌だぞ」 という奴だ。これは「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の台詞だ。 決してかっこいい台詞ではなく、むしろ利己的で、みっともない台詞なんだけど……でも実感ともなってるよな。 これで少しでも安心していただければ幸いです。 しかしそれはそれとして、やらなきゃならんことが山積みだ。 仮に「総統暦」が入選でもしたら、私は泣いて喜ぶだろう。でも、だからといって他の宿題が消滅してしまうわけじゃないんだよな。 それはそれ、これはこれ。 もちろん捕まらずに仕事をすることも重要だ。 あと303日。まけるかー。 |
8月2日 今日は仕事を休んで、墓参り&里帰りをしていた。 日帰りできるから、大して遠くない田舎なんだけどね。 なんかいろいろと考えることがあった。 自分のやりたいことと家族がどうしても両立できなかったらどうするか、とか。 それをどこまで家族に言うべきか、とか。 相手が望むことと、あるいは「望まないが、おそらく相手のためになるだろうこと」、どちらを優先させるべきか、とか。 いや、私なんぞに言われたくないと思うけどね。 わたしゃ家族にとんでもない迷惑をかけている。そんな人間がどの面さげて「家族に迷惑かけるな」なんて言えるんだ。 だから言わない。言わないけどー。やっぱり気になるわけよー。 わけがわからんぞ。最近こんな日記ばかりだ。 漫画の話でもするか。 身近な家族がヤングサンデーの愛読者であるらしいことを知って喜んでいる。 うん、いいよねヤングサンデー。 やはり「コトー診療所」だな。私はもともと山田貴敏のファンなんだ。「マッシュ」を描いていた頃からずっと。 それはそうと編集部の方。「カケル」の第二部はいつ始まるんですか? え、駄目? たぶんそうだろうと思ってました。 私が好きな漫画って、かなり高い確率で打ち切られるんだよな。 スピリッツもいいぞ。 「日露戦争物語」は、この分だと日露戦争がはじまるまで100話くらいかかりそうだが、それでも面白い。 え、最終兵器彼女? いや、もちろんあれもいいんだけどね。 私はどっちかってゆーと、ヤングアニマルの「愛人(アイレン)」の方が好きかな。 「20世紀少年」は、確かに凄いんだが、ものすごく行き当たりばったりな印象を受ける。 本当に作者はストーリーとか真相とかを考えながら描いているのか。私は完全に疑ってるぞ。 スーパージャンプ。 「暁! 男塾」は笑える。民明書房が出てこないのが納得いかんが。 「狂死郎2030」はすごく面白い。「ゼロ」「環倫一郎」なんかもいい。 オールマン。 一番読みたい「太平天国演義」が休載してばかりなのはどうしてだ。納得いかん。 ヤングキング。 「アオバ自転車」はいい話ぞろい。バイク乗りにはありがちだが、私はどうも自転車を軽んじていたらしい。エンジンはでかいほうが偉い、当然ついてないよりついてるほうが偉い、という奴だ。しかしアオバ自転車読むと、自転車ワールドの奥深さに打ちのめされる。 青年誌で、私が面白いと思ってるのはこのくらいかな。このへんは毎号読んでるよ。 「ヤングマガジン」「ヤングジャンプ」は、どうも肌に合わなくて読んでない。 モーニングは……たまに読む。 え、コミックバンチ? あれって青年誌か。うーんまあ少年誌ってことはないか。まあ、あれも毎号読んではいるよ。どうやら売れているみたいだから、もう買う必要はないと思って買ってないけど。 あ、そうそう。 中津賢也「せいけつ学園戦記」という漫画に、「松戸菜恵」(まっど さいえ)という女の子が出てくるらしいね。 名前の通りマッドサイエンティストで。眼鏡かけてて。 いや、別にオリジナリティがあるとは思ってなかったけどね。 でも、ごめんね「松戸彩恵」さん。 さーて。落ち込むべきか奮い立つべきか判断に苦しむことばかり! あと306日間、がんばるぞ。 |