第1章 開拓者たち

「第七次エバーグリーン開拓団のみなさん、エバーグリーンに到着しました。軌道港にドッキングします」
 かすかな衝撃が、この大きな移民宇宙船をつらぬく。
 船が着いた。
 巨大な荷物をしょって、エリオットはドッキングポートをくぐり抜けた。
 エリオットの乗ってきた旧式の大型貨客船は、定員の何倍もの「開拓者」たちを詰め込んでいたから、エリオットはその小柄な身体を人波に押しつぶされそうになりながら、やっとの思いで展望スクリーンのある場所にたどりついた。大半の者達は、スクリーンから見える景色などには目もくれないが、エリオットはそこで立ち止まった。
 展望スクリーンの中には、たった数万キロの距離をおいて、これからエリオットがずっと暮らすことになるだろう星が見えていたから。からみつく綿のような雲、澄んだ輝きを放つ大洋、苔むしたような色彩の大地。
 惑星エバー・グリーン。ほんの十年前に、そう名をつけられた星だ。
 名前のとおり、この星は緑にあふれていた。海のなかに浮かぶ唯一の巨大大陸、その陸地は淡い緑で塗られていた。草原だ。黒ずんだ濃い緑も点在している。森だった。
 十年前、西暦5260年に、この惑星エバーグリーンは企業の探検船によって発見された。
 時、まさに大航海時代。超光速技術の低コスト化によってたくさんの企業が惑星開発に乗り出していた時代。
発見者たちは狂喜した。この星は宝の山だった。かつての地球以上に富んだ惑星で、空気も水も人間にとって全く無害。農地に不自由はしない。ここに植民すれば、いままで金持ちにしか縁のなかった天然食品を毎日食べることができる。押しつぶしあうような狭く密集した家ではなく、ただ同然の値で手に入る広大な土地付き一戸建てに住むことができる。
 なによりもこの星は、鉱物資源の宝庫だった。宇宙船の超光速エンジンの心臓部に使う希少金属をはじめ、掘れば何でも出てくるかのようだった。
 ゴールドラッシュ。そうとしか言いようのない事態が発生した。人々は、一攫千金を狙ってこの星に殺到していた。この数十年は「大航海時代」だと言われていて、多くの惑星が植民地化されていったのだが、この星エバーグリーンは、人類が見つけた中でもっとも高い価値をもつ惑星だった。
 第二の地球エバーグリーン。富と栄光はエバーグリーンにあり。そんな言葉を人々は囁きはじめた。じっさい、第一次開拓団の中に、無一文から身を起こして富豪になった者が現れた。
 エリオットも、そうしたゴールドラッシュの人波にのって、この星にやってきた。
 エリオットの、眼鏡の奥に見える細い目、どこか臆病そうな光をたたえる青い瞳にうつるエバーグリーンは、宣伝文句の通り、確かに理想の地球型惑星のように見えた。
 けれど……と、エリオットは少し首をかしげて、もういちどエバーグリーンを見つめなおした。
 なんだか悲しそうな光だな。
 エリオットはエバーグリーンが放つ青と緑の光彩のなかに、栄光へのシグナル以外の何かを見いだしていたのだ。
「おい、あんた、サミュエルソンじゃねえか?」
 背後から浴びせられた大声に、エリオットが振り向くと、声の主である短い髪の大男は、頭を下げて謝った。
「あっ、わりい、人ちがいだった」
「お知り合いの方が、ぼくに似ているんですか?」
「そう、俺の友達でな。一緒に入植しようって決めてたんだが、ばらばらになっちまったもんで」
「見つかるといいですね」
「なに、どうにかなるって。ここは希望の星だろ? あんたも、やっぱり奇跡みてぇな成功をもとめて来たんだろ?」
この人、偉そうだけどいい人だな。エリオットは半ば直感的にそう感じとった。
「そうですよ。まあぼくの場合は、機械屋ですから、きっとここに来れば役に立てるだろうという考えがありましたが」
何かを朗読するような調子でエリオットは言う。
「そっか、あんたメカニックなんだ。いいなあメカニック。俺は元軍人だから、むかしは整備士や技師なんかにもしょっちゅう世話になったぜ。
まあ、何かの縁だ。そこで飲んでかねえか?」
 強引ではあったが、人なつっこい笑顔に負けたエリオットは、空港内の小さな店ですぐに料理をパクつきはじめた。
 大男は、サンダースと名乗った。第一印象どおりの大喰らいだ。酒も大量に飲んだ。
「っぷう。そうかそうか、あんた、あの星から来たのか、近地球圏の国々でいちばん裕福な星じゃねえか」
「まあ、国じたいは金持ちでも、いろいろあるんですよ」
「……そうか。すまねえな。俺は例の、半世紀前の大戦からの戦争屋でな。
驚くこたあねえよ。俺の身体はこの五十年、歳をとってない。戦争のために機械化したからな。
機械の身体って、維持するだけでも相当の金がかかる。それに、ただの探検や肉体労働じゃなくて、この戦闘向きの身体を活かせる仕事をしたくてね……それで、この星に来たってわけよ」
「この星には何か、敵でもいるんですか? 平和で、緑ゆたかな、伝説の楽園みたいな星だと聞きましたけど」
「原住民がいるんだとよ。ま、一種の宇宙人だが、ろくな文明はもってねえ。猿のたぐいさ。しかも凶悪で、人間を喰い殺したりするらしい」
 はじめて聞く話に、エリオットが眉をひそめる。
「それに、まだこの星は無法状態だからな。自由の星なんて、金されありゃ人殺しも当然になっちまう星ってこった。用心棒だの賞金稼ぎだの、血生臭い仕事がゴロゴロしてるだろうぜ」
「へえ……」
 何か、イメージしていた星と違うので、しきりに首をかしげるエリオット。その様子を見て、男は突然豪快に笑い出す。
「な、何がおかしいんですかあ!」
「あはは、お前、ほんとに気弱っつうか、まあよく言やあ素直っていうか、面白い奴だな。得難い素質だぜ、そういうの。そういう心、開拓者として、いちばん役に立つんじゃねえかな」
「そうですか……ありがとうございます」
「いちいち礼いうなよ……まあ、分からんことがあったら何でも聞くといいさ。俺もこの星は初めてだが、他の植民惑星をうろついて仕事探したことはあるから、多少は役に立てるだろう」
 眼鏡をこすり、難しい顔をして、しばらく唸るエリオット。自分が会話の主導権を握るのは苦手なのだ。「気弱」という指摘は、まったくの事実であった。
 だが、どうやらこの人はいい人らしい、という印象がエリオットの震える心を明るい方向へ突き動かした。
 それに、ぼくは、今までの自分が嫌で、今までの生活が嫌で、変わりたくて出てきたはずじゃないか。
 彼にとっては重大な決心をしたエリオットは、つとめて明るく笑い、いろいろと質問をぶつけた。男は、それらすべてを、嘲笑することなくていねいに答えてくれる。
 いい人なんだなあ、というエリオットの思いは、それからしばらくの会話の中で、ますます膨れ上がっていた。
 会話もいい加減途切れ、じゃあこれで、と席を立つ二人。
「なかなか楽しかったぜ、マースチン。また会うことがあったら、今度も飲もうぜ。あんたが一発当てて金持ちになってたら、おごりな」
「ははは、いいですよ」
 それだけ言って、二人は別れた。
 いきなり息のあう人を見つけちゃったなあ。この星、ほんとにいいことあるかもしれないな。
 細面に微笑をうかべてそう思うエリオットは、つい先ほどエバーグリーンの輝きに「哀しみ」を見いだしたことなど、すっかり忘れてしまっていた。

 エリオットは衛星軌道上の港から小型シャトルで惑星上に降り立つ。エバーグリーン最大の都市、ホープシティに仮住居を与えられた。
 ホープシティは急造のマンションと建築途中の建物がやたら目立つところで、草原のまっただ中に作られていた。エリオットは与えられたアパートをすぐに飛び出して、仕事を探しにでかけた。
 まだ舗装されたばかりの路地をエリオットが歩いている。鉱山関係の会社を見かけて何件かあたって見たが、貪欲な開拓者たちは仕事を食い尽くしつつあるらしい。
 希望の星ってのはウソだったのかなあ。
 外見どおりの気弱さをみせ、早くも落ち込んでしまうエリオット。すでに日はおちて、明日にするかと思ったときに。
「兄ちゃん、仕事ねえのか?」
 妙に立派な身なりをした男がエリオットに声をかけた。この星には山ほどいる、一発当てた成功者に違いない。
「そうですが。機械の整備とか、そういった仕事はありませんか? 鉱業機械の操作もできますが」
「機械屋かい。メガルート社の万能掘削機をいじったことは?」
「ありますよ。一級免許もってますから。まあ、立ち話もなんですし、あの店でどうですか」
 チャンスを確信したエリオットは、並ぶ酒場のひとつを指さした。
「ああ、かまわんよ」
 わずか三十分後には、この成金男のつくった小さな鉱山開発事務所のメンバーに加わることが決まっていた。薄暗い店内、さまざまな星から夢をもとめて来た男や女たちが熱気と臭気のいりまじったものを漂わせているこの酒場のなかで、エリオットの周囲はなかば主観的な楽園と化していた。
「いやあ運がいい。ほんとに、ぼくが整備班長なんかになっちゃっていいんですか? しかも給料は一万ティアって……ふつうの三倍! いいんですかあ」
「ああいいんだいいんだ。エリオット・マースチン君だっけか? もっと飲みたまえほら。ラルゴ事務所は人材獲得に金はおしまんよ、ははは」
 なんか話がうますぎるような気がするなあ。どういうわけか故郷の星ではクビになってばかりだったぼくが、どうしてここではこんなにもてはやされるんだろう。
 なんか裏があるような気がするけど……まあいい。
 エリオットはそう考えて疑念を心の底に封じた。成金男、ラルゴ社長がすすめた酒のせいで難しいことを考えられなかったのも理由のひとつだったが、おもな理由は「やっぱりチャンスの星じゃん!」というものだった。
 つまるところ信じていたかったのだ。
 ラルゴ社長はほんの小さな会社を切り回し、いままで手つかずでいた鉱山をつぎつぎ掘り当て、莫大な収益をあげているらしかった。いずれはエバーグリーンを支配する大企業になってやる、という熱い夢を、ラルゴはエリオットに語ってきかせた。
 もうぼくのこと、すっかり仲間だと思ってるなあ。この人もいい人だな。エバーグリーンの人達って、ずいぶん気楽に心をひらくというか、なんというか、人とつきあえるんだな。
 それが開拓者というもので、彼らの楽天家ぶりも、常識はずれの事業にいどむ挑戦心も、みな根はひとつなのかも知れなかった。
 いいかげんの酔いのまわったエリオットにはそこまでのことは判らなかったが、少しだけうらやましさを感じずにはいられなかった。自分は人づきあいがひどく下手なんだと、エリオットはずっと思っていたからだ。
 ふと、それとはまるきり関係のないことに気づいて、怪しい光をたたえた青い目をラルゴに向ける。
「すいませーん、ちょっときいていいですか?」
「なんだ?」
「ぼくの前の整備士はどうなっちゃったんですか?」
 当然の疑問である。
「おう、死んだ」
 酔いが醒めた。一発で。
「え……え!」
「そんなに驚くほどのことじゃない、ちょっと油断したスキに、原住民に襲われたんだ。このエバーグリーンじゃ当たり前のこった。ここには凶暴な原始人が住んでるからな。そういえば、マースチン君は銃をもってないな。いかんよ、それは。ここは自分の命は自分で守るしかない星だぞ。すぐに安いやつを買うといい」
 ラルゴの言葉は、単なる音となってエリオットの耳の中を抜けていった。酩酊状態はきれいに吹きとんでしまって、なにか別のつめたい感覚がエリオットの身体を支配していた。
 うつむいたエリオットは、グラスの中の酒に映っている自分と対面した。金色の髪と青い目、やせた顔と細い目をもつ、頼りなげな印象の若者。
 おい、エリオット。ずいぶん不景気そうな顔をしてるじゃないか。びびってるのか? 自由の星に、フロンティアに来たってのに。

「まあ、こういう事は、先にやった方が勝ちってことで」
 ラルゴは部下たちを連れて、装甲トレーラーのナビ席で下品な笑みを浮かべていた。
「社長、もうじき原住民の居留地ですよ」
「よしわかった。あの居留地にクラックストーンの鉱脈がある事はわかってる。知られる前に掘っちまおうぜ」
 エリオットは装甲トレーラーの後部で、万能掘削機のコンソールパネルに向かっていた。
 ある種の痛みがこの青年の中を駆けていた。
 作業室に、運転席からの声がとどく。
「おう、マースチン、そろそろだ。準備いいか」
 口の中でなにごとか、自分に言い聞かせる言葉をつぶやいた後、エリオットは答えた。
「はい。万全です」
「よし、いくぜ」
 エリオットは早くも、ラルゴたちの会社に入ったことを後悔しはじめていた。いや、違う。社員に不快な者はひとりもいなかった。だが……
 車はいま、地球人の居住地をはなれて、草原と河と森をこえ、この惑星エバー・グリーンの原住民だけが住んでいる区域に入ろうとしている。
「原住民ドロパ族の居留地に入りました」
 装甲トレーラーは森の中に踏み入ってゆく。この星の名の由来となった無数の植物群の一部を踏みにじりながら、強烈なまでの突進力を見せて進む。超電導バッテリーの電力がこの車にそれだけの力を与えていた。
 森の中の、とあるポイントでトレーラーは停車する。
 人間の目で見たかぎりでは、森の中のほかの場所と違いがわからない。
「この間の調査だと、この下三千ないし五千メートルのあたりに、クラックストーンがあります」
「わかった。あとは頼むぞ」
 ラルゴはいまだ笑みを浮かべたまま言った。その笑みは仕事に熱中する人間の満足感というより、うまい飯を喰っている時の満足感に近いものを表しているように、エリオットは思えてならなかった。
 この人達が判らない。
 そう思いつつも、彼はラルゴの言葉にしたがって掘削機を作動させる。トレーラーの上部が開き、中からは数本の「触手」が伸びる。金属でつくられた触手は、軟体動物めいた動きを繰り返す。
 触手のうち一本が大地に突き入れられる。触手は木の根をさけて大地に深く潜り込んでいった。
 触手の先端から、目に見えない力がほとばしった。
 すると触手の周囲で、いっせいに木が傾き、ザワザワと音を立てながら倒れ、地面に沈みこんでいく。
樹木の根元から泥水が噴き出す。
 もともと硬くはなかった黒土が、一瞬にして、さらに柔らかい何かになっていった。土のまじった黒い水。泥水になったのだ。
特殊震動波による地盤液状化装置である。
 とつぜん出現した、広さ十メートルの泥の池。また別の触手が伸びて泥の池にもぐり、猛烈に吸い込みはじめる。
吸い込んだ泥水は装甲トレーラーの尾部から噴流となって吐き出されていく。
みるみるうちに池が浅くなり、そこに、このトレーラーが丸ごと収まるほどの穴が開く。すると触手がさらにその穴の底を液状化させ、それをまた吸い上げ、そうやって深さを増した穴の底を、また液状化……
 横の部分を別の触手で補強しながら、エリオットの操作によって穴掘りは続いた。たった三十分で、深さ数千メートルの縦穴が大地にうがたれる。
 このハイペースですらラルゴたちには不満だったらしく、こんな事をいう。
「よおマースチン、もうちょっと早く頼むぜ。もっと乱暴でかまわんから」
「機械がわるいんだろ。こんど反重力式の掘削機を入れようか。あれならもっと早いだろ」
 とほうもなく深い空井戸が掘り抜かれ、また別の触手がその奥底へと差し込まれる。
「クラックストーンの反応あり。含有率五十以上。推定埋蔵量一千トン。おそらく隕石起源の、きわめて小規模な鉱脈です」
 エリオットがディスプレイに表示された数字と文字の列を見ながらいった。
「よっしゃ、二億にはなるな。早いとこ掘り始めちまおうぜ」
 ラルゴは口ひげをなでさすりながら言う。
 その時である。
 密林の向こうから、数人の人影が現れたのは。
 一目みただけで、鉱脈を横取りしようとする同業者ではないと判る。
 黒い髪を長くのばし、後ろで羽根かざりのついた紐で束ねてあった。顔を含むほとんどすべての肌には、ボディペインティングとも入れ墨ともつかない原色の模様がうねうねと走っている。
 白い毛玉が首と脚を生やしたような鳥、ヤック鳥にまたがり、上半身裸で、手には簡単なつくりの短弓がある。
「原住民だ」
 言われるまでもなく判った。
「デテ、イケ。チキュウジン」
 原住民のひとりは、黄色い顔に怒気をみなぎらせて、たどたどしい地球語でいった。
「無視しろ。トレーラーの中にいるかぎり何もできん」
 ラルゴの顔から笑みが消えていた。出来の悪い仮面のような顔からそんな言葉が出た。
「わかりました。採掘はじめます」
 一千トンにのぼるクラックストーン鉱石、その一部なりとも吸い上げようと、吸入用の触手が穴の底に伸びる。
「ヤメロ。マダ、ハナシハオワッテナイ。ココハ、ワレワレノトチ」
 原住民の言葉を聞き流し、ラルゴ鉱山開発事務所の面々は鉄面皮ぶりを発揮して仕事を続けた。大地の底から石が奪い取られてゆく。
「ヤメテクレ」
「うるさいな」
「社長、追い返しますか」
 ラルゴの一の部下らしい、つねに古ぼけた帽子を頭に乗せた男がそう言う。あまりと言えば、それは、そっけなさすぎる口調だった。
 エリオットの顔にはりついたレンズの向こうで、青い球体が強い感情を宿した。八割の疑念、二割の怒り。
 ……追い返す、だって?
 こっちが勝手に踏み込んできたのに!
「だまらせちまおう。マースチン、こいつに震動波あびせろ」
 それが殺人指令であることに気づくのに、一瞬より何倍か長い時間を要した。
「なんですって!」
「いちいち驚くなよ、こんな事でよう。うるさい原住民を叩き殺すことなんざ、誰だってやってるぜ」
 帽子男がエリオットに冷たい視線をあびせながら言う。
「そう、ですか」
 エリオットがそう感じただけだったのかもしれない。けれど、それだけで十分だった。車内の空気が針のように鋭く痛いものに変わって自分の肌を刺し貫いたように思えた。
 プレッシャー。それは肉体的な痛みすら伴ったプレッシャー。
 ……あの惑星エバー・グリーンには、凶暴な異星人が棲んでるんだぜ。
 ……文明をなにも知らない、人間を見ると襲ってくる野蛮な種族だ。
 ……交渉しようとした人間もいましたが、殺されました。彼らに理屈は通じません。
 そんな言葉がエリオットの、いかにも良さそうに見える頭の中を行進しはじめた。エバーグリーンに旅立つ前に聞いた話、旅の途中で聞きかじった話。きっとそれが常識なんだろう。
 人間そっくりにしか見えないのに……
 殺すのが当然だって?
「なにしてるんだ」
 いくら言っても動く気配がないので、原住民のひとりはヤック鳥から降り立ち、トレーラーに歩みよってきた。
「ヤメナイト、コノキカイヲ、コワス」
「やれるもんなら、やってみな!」
 無駄な努力、無謀な試みと言うべきだろう。原住民は、自然のなかできたえられた筋肉をひきしぼり、手斧を振るってトレーラーを攻撃しはじめた。
 鈍い衝撃音。もちろん強化セラミックとスペースチタニウムでつくられた装甲トレーラーには傷ひとつつかない。それでも果敢に彼らは挑み続けた。
「奴ら、やっぱ馬鹿だ」
 触手をつかみ、斧を叩きつけて断ち切ろうとする者もいた。
「なにやってやがる、マースチン、そいつを穴に落とせ」
「でも……」
 ラルゴが作業室に入ってきた。エリオットの弱々しい瞳の輝きと、およそ覇気のかたまりにしか見えないラルゴのぎらついた瞳が視線を交錯させる。
「……わかったな」
「……はい」
 いつもこうだ。ぼくは。
 これが常識なんだ、これが普通なんだって言われると。
 そう思いつつもエリオットは抵抗できなかった。口には出さない言葉を、おのれに対する呪文として心の中で何度も何度もくりかえす。
 あいつは人間じゃないんだ。別の生き物で……
 野蛮で、文明を知らなくて……
 危険で凶暴で……
 みてみろよ、あの身体の模様。
 原始的で下等な原住民……
 呪文はくりかえし唱えられた。
 エリオットは言われたとおりに機械を操作した。
 絶叫。

 その日の夜、トレーラーいっぱいのクラックストーン鉱石をもって凱旋したラルゴたちは、酒場をまるごと借り切って大いに飲み、叫び、肩を組んで訳の判らない歌をがなりたて……カタルシスの絶頂にあった。
 けれど、ひとりだけ、酒場のすみに、醒めている男がいた。
 エリオットは昨日の晩がそうであったように、またグラスの中の強い酒に、おのれの顔を映してながめていた。
 へえ、なんだ、こんなものなのか。
 もっと怖い顔だとおもってたけどな。
 人殺しの顔って。
 そこへラルゴたちが話しかけてきた。
「なーにシケた面してんだよぉ、マースチンよお!」
「ほうっておいて下さい」
 自分でも驚くほどの冷たい言葉が口から流れ出た。
「飲めよ飲め、俺のおごりじゃ!」
「いいんですよ。ぼくは一人になりたいんです」
「おお、そっかあ。わかったぞお。酒だけじゃなくって、もっといろんなとこ行きてえんだろ。こいつう。ようし俺が案内してやるぜ」
 エリオットは酒臭い息を吐いてそう喚く男の顔を見上げた。
 平然と原住民を叩き殺そうとした、あの帽子の男だった。けれど、茶色い瞳に浮かんでいたのは、殺意とも蔑視とも無縁な、まじりっけなしの 陽気さ。微かな光をはなつ瞳の中には一片の悪意もないと、エリオットは直感的に悟っていた。
 いいひとなんだなあ、やっぱり。
 これが極悪人であったら、どんなにましだったか。
 もう何もぼくは判らなくなった。もう何も。


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