第5章 その瞳をしんじて
今日もまた、族長ガーハたち、ドロパのリーダー格の集まる前で、エリオットは「講義」を行っていた。
「……つまり地球人は、こうやって油の燃える力で、金属のピストンを動かし、それでクランク軸を回して、動力にすることができるわけです。これと同じものを作れれば、空を飛ぶ機械、地を走る鉄の箱が、実現できます」
枠に張った布に炭で図を描きながら、「内燃機関」の説明をするエリオット。
「それは、すぐにできるのか。空を飛べれば、一気に優位に立てる」
指の一本一本にいたるまで緑色のペイントをくねらせた中年のドロパ戦士が質問する。
「いえ、それは無理です。高圧電流を使って火花を飛ばす必要がありますので、小型の変圧器とバッテリーを、もっと完成させる必要があるでしょう。あと一ヶ月で、形にして見せます」
「そうか……」
そこでガーハが口をはさんだ。
「ときにエリオットよ、ドルエーヌ族とヤガット族の族長が、お前に会いたいと言っておるのだが」
エリオット、期待に目を輝かせる。
「じゃあ、この間ぼくが言っていた、部族間を統一しようという話に、乗ってくれるんですね?」
「それは、まだ判らぬ。なにしろ、我ら『大地の声を聞くもの』はじまって以来のことだからな」
部族どうしが手を取り合って、エリオットの創り出す近代兵器で武装した「革命軍」となり、地球人の侵略に立ち向かう。これがエリオットの基本構想だった。
「あれから2ヶ月になるのに……まだ話がまとまらないんですか」
「うむ……」
信用されてないのだろう。いくら種族が違うとはいえ、ガーハやその他の有力者たちの目に浮かぶ不信の色は明らかだった。
ガーハは、まだいい。目の前で、エリオットが魂の試練を突破する所を見ているし、彼の「大砲」や「爆弾」が、地球人を蹴散らすところも見ているからだ。
けれど、他の種族は。
やはりエリオットを、解放者とは思えまい。
「私がその指導者になるかも知れない、という事が、嫌なんですね? 地球人の命令を受けるのが、嫌なんですね?」
自分なりの想像をぶつけてみると、ガーハは重々しくうなずいた。
「そうなのだ。それゆえ容易には動かぬ。それどころか、シャラーハの族長など、俺のことを腰抜けと言いおった。地球人ごときの妖術に頼るとは、と」
「そう言われるのではないか、と思ってはいました」
沈痛な面もちでそう言うエリオット。
だが、嘘だ。
そんな事など思ってはいなかった。もう少し、みんな簡単に、ぼくの考えに従ってくれるのではないか、そう思っていた。
そう思っていないと、自分は天才で英雄なんだと、みんな自分のことを誉めてくれるじゃないかと、そう思ってい続けなければ、壊れてしまいそうだったのだ。
「部族どうしの争いなど、まるでなかった事なのに……」
ガーハにつぐ実力者らしいペイントだらけの中年男が、あごひげを撫でながら顔をしかめて言った。エリオットはその言葉に敏感に反応する。
「ぼくは、地球人の科学だけではなくて、地球人の争いまで、持ち込んでしまったんですね」
「いや、そのようなことは言っておらぬ」
そんな言葉はエリオットの胸の奥にまでは届かない。
彼らが寄り集まっているのは村の中央の広場だ。広場からは、丘の下に広がる草原を一望することができる。エリオット、そちらに視線をむける。
レンズの向こうの目が細められているのは、陽光のせいばかりではないだろう。
自分がやったことを成果を確認したかった。自分はこれだけ凄いことをなしとげた、自分の科学知識がなければこうはいかなかった、そう思うことが必要だった。
だからエリオットの目は希望に飢え、信じさせてくれる何かを求めて、魔的な光を放っている。
丘の下に広がる草原は、ただの緑のカーペットではなくなっていた。小川のほとりに、黒い煙を吐き出す煙突と、中から大きな音の響いてくる建物が、いくつも並んでいた。
ここ2ヶ月の間に、ドロパの男たちを総動員して作り上げた武器工房である。そこで作られた大砲や爆弾は、すでに一千の大台に達していた。少しずつ性能も向上し、いまでは大砲は丸い石ではなくて、ドングリ型の鋼鉄の弾を速射できるようになっている。
足りないのは、それを使う兵士だけなのだ。
もっと大量の兵士が必要だ。たった一千人たらず、他の部族をいくつか合わせても数千人、そんな頭数では、大軍団はつくれない。工業生産力を発達させるのにも、多数の労働者が必要だ。ぼくの反攻計画を実現させるためには、ざっと…
と、そこまで考えて、エリオットはおのれの冷血ぶりに戦慄した。自分のまわりにいるドロパの人達すべてを、当然のごとく道具あつかいしている自分に、否応なく気づかされたからだ。
「魂の試練」の中で感じた、己への嫌悪。あの怒涛のような無力感と罪悪感が、すべての視線が刺だらけの拳となって降り注ぎ、むき出しの心が滅多打ちにされるあの感覚が、薄らぐことなく蘇った。
小さな子供が「いやいや」をするように、エリオットはゆっくりと首を振る。
やっぱり自分は、あの旅の途中で、仮面からの視線で教えられたように、悪しき偽善者にすぎないのだろうか。多くの地球人たちが言うような存在なのだろうか。
試練の最中にもそう思った。あの時は、打ちひしがれていたぼくに、それでも生きて行けるって言ってくれる人がいて……惜しげもなく暖かさをふりまいてくれた、奇跡のような人がいて……それで、ようやく……
あの声は一体だれの声だったのだろう。二ヶ月ぶりに訪れた暗い精神状態に耐えながら、エリオットは考える。
それを知る事さえできれば、重圧の中でも生きていける気がした。
それとも……
もっとも恐ろしい考え。あの優しい女の人の声すらも、幻影の中にすぎないのだろうか、という想像。すべての希望をうちくだく考え。ぼくの中に、優しい女の人に救って欲しいという願望があって、ただ、それが実体化しただけなんだ……
もしそうだったら?
もう駄目だ。駄目なのだ。
地球人すべてを嫌い抜いて、自分もそいつらと同じだということが判って。やっと仲間に入れたと思ったら仲間からも相手にされない。そして、相手にされるだけのことを成し遂げたら、まさにそれこそ最悪の選択だったのかも知れないという疑念が押し寄せる……
頭を抱えたかったが、それもかなわない。皆の目が英雄を見る目であれ、信用のおけない者を見る目であれ、ここで弱みを見せても何もならない。
「では会いましょう。どうにかして、ドロパ族とともに戦ってもらわなければいけません。何万という兵が必要です。こちらから会いに行くべきなのですか?」
それですらも、地球人が本格的な鎮圧軍を送り込んできたら、たちまちひねり潰されてしまうだろう。
「いや、向こうから来るそうだ」
エリオットの予想を裏切る言葉だった。きっと呼びつけるだろうと思っていたのに……
あるいは、そんなに悪い感情は持っていないのかも知れない。一条の光がエリオットの心象世界に生じた。
だが、それは全くの考え違いというものであった。
地平線の向こうから白く細い煙があがる。
断続的なたちのぼり方だった。エリオットは顔色をかえた。「接近する者あり」という信号そのものだったからだ。
「地球軍!」
喚くエリオットを、ガーハは押さえた。
「ちがう、きっとシャラーハの族長がやって来たのだ」
「まさか、手勢を連れて来たのですか!」
「ああ。ぜひともエリオットとやらの顔をおがみたい、気に喰わぬ男であればドロパなど同族とは思わぬ、と言っておった」
もとより臆病なエリオットは、平静を保つことができなかった。けれど怯えた顔をさらすわけにはいかなかったので、足元を見つめた。
いかにも指導者らしく沈思黙考している、と解釈してくれると者もいるかも知れない。
ああ。そうだ。これは最悪の可能性だ。当然起こり得ることだったのだろうけど、否定し続けてきた可能性だ。
自分が引き金になって、「大地の声を聞く者」同士で争いが起こる。自分こそが元凶。自分こそが。
「エリオットどの!」
「どうしたのだ!」
周囲の者達が、そろってが心配げな声をかける。それほどに、エリオットの顔は青ざめていた。
「いえ……何でもありません。シャラーハの族長に会いましょう」
エリオットは青ざめたままだった。
シャラーハの族長は初老の男だった。「大地の声を聞く者」は地球人とほとんど同じ速さで歳をとる。だから、この男も四十代後半といったところか。平均寿命に近いが、眼光あくまで鋭く、身のこなしも生気にあふれていた。骨の首飾りと腰布以外身に付けていないその肉体も、老いを感じさせないものだ。
白いものがまじりはじめた髪は後ろで結び、広い額をあらわにしている。
「遅い!」
シャラーハの族長は、殺意に近いものすら宿したその両眼を動かし、自分の前に立つドロパ族長ガーハ、ドロパの長老などを睨みつけて、叫んだ。声量もすさまじい。
「わしはシャラーハの族長、マルガスなるぞ!
わしを待たせおって! おい、ドロパの民、ドロパのガーハ、貴殿らは、かくもいい加減な男を信じておるのかっ!」
憤激をあまり大地を踏みならす。体格では勝るガーハも、この男には気迫において数歩をゆずる。まして、非は確かにこちらにある。なにも反論できなかった。
エリオットは自分から「会う」と言っておきながら、自分専用のテントに引きこもり、ずっと出てこないのだった。
「どうしたというのだ、一体……?」
ガーハも眉をひそめ、苛立たしげに唸る。
「むう。すまぬが、しばし待っていただきたい」
長老が、ミイラのような身体を揺すりながら言う。が、シャラーハ族長マルガスの怒りは収まらない。
「どれほど待たせれば気が済むのだ! よし、あと千かぞえる間だけ待とう。それを過ぎ、なおエリオットとやらが現れなんだときは、ドロパは大地を欺くもの、けして容赦はせぬ」
マルガスが鬼神めいた異貌に怒気をみなぎらせてそう宣言する。そのマルガスの言葉を受け、広場のまわりを囲んでいる百名ばかりの、槍と弓を手にしたシャラーハ戦士が姿勢を正す。
臨戦体勢である。マルガスの号令一下、この百名の勇敢な戦士たちは「裏切った部族」であるドロパを皆殺しにすべく猛り狂うことだろう。負けはしない。だが……そうなれば、全部族が手を結ぶという夢は、夢のまま消え果てることとなるだろう。
「どうだ。千かぞえる間では、駄目か」
ガーハは、またも低く唸りながら、「仕方あるまい」と答えた。
じっさい彼にも、一体なぜエリオットがこの場に現れないのか、まるきり判らないのだった。
「すまぬ、エルミン、ここでマルガスどのの相手を頼む。俺はエリオットを引きずってくる。無理矢理にでも、な」
ガーハはそう言って歩きだそうとするが、娘は彼を制止する。
「待って。ここで待とうよ、ガーハ」
「何を言う。少しでも遅れれば戦さになるぞ。同胞同士が殺し合う羽目になっても良いと言うのか」
「ちがう。きっとエリオットにも」
「どうした、連れてくるなら早くしろ。ほれ、981、980、979……」
ガーハは走り出す。なるほど、エルミンの言うとおり、エリオットにも彼なりの事情があって来れないに違いない。だが、それがどうしたというのだ。そんなもの一族の興亡の前に何の意味があると言うのだ。
エルミンはもうガーハを止めることもできず、少々吊り気味の眼のなかに、いままで見せたことのない種類の光をたたえていた。
と、その時、広場を飛び出すところだったガーハが立ち止まる。
異形の影が、彼の脚を地面に縫いつけたのだ。
沈みゆく赤い輝きをバックに登場したその人影に、シャラーハの戦士たちが息を呑む。
ガーハ、その異形の影が、他ならぬエリオット当人であることを確認する。
だが、一体なんという姿だろう。今のエリオットは、ドロパ戦士としての姿を捨てていた。ここに来た時と同じ、あくまで地球人としての姿にもどっていた。
白いロングコート。羽根飾りもつけず、後ろで結ぶこともなく、そのまま首を覆い隠す金色の長髪。
もちろん裸足ではなく、ブーツを履いている。
雪でも降らない限り上着など着ない「大地の声を聞くもの」から見れば、およそ人間とは思えない姿であった。
「申し訳ない。お待たせしました」
そう言って笑うエリオットの顔にはかげりがあった。薄い唇の端がつり上がっている。どこか病的なものを感じさせる、そんな笑みだった。
いままでのエリオットは、あんな笑い方をするような男ではなかったはずなのだが。
「エリオット、あんた!」
「なぜ、ドロパの格好で来なかった!」
エルミンとガーハが同時に喚く。マルガスも、満面に悪意そのものの表情をうかべて、燃え盛る両眼で、にっくき地球人を眼光で射た。
地球人の旅行者そのもの、といった格好で現れたことで、彼の憎悪は間違いなく増幅されていることだろう。ドロパやラ・ハンなどの村を襲った地球人たちも、基本的にこんな格好をしていたのだから。
だが、エリオットは後悔していないらしい。エルミンたちの問いに、ゆっくりした口調で答える。開き直っているのか、それとも本当に余裕があるのか、その口調は滑らかで、焦りや怯えなど少しもなかった。
「ドロパの格好をしても、身体に模様を描いても、けっきょく地球人としてしか見て貰えないなら……この方がいい、そう思いましてね」
「地球人よ」
マルガスが大きく口をあけて言う。どこか、鮫のような感がある。
「二度はいわぬ。うぬは敵だ。出て行ってもらおう。われら『大地の声を聞くもの』は、うぬの妖術など使わずとも戦える。われらの戦いをけがすな」
これでも、むしろ控えめな表現なのだろう。
「いえ、科学の力なしでは勝てません。現に、勇猛なラ・ハン族は滅ぼされたではありませんか。地球人が本格的な討伐軍を送り込んできたら、我々はおしまいです。家畜にされる運命を回避するためには、すべての部族が力を合わせて、私の作る科学兵器で武装すること、それ以外ありません」
「我々、だと! たわけたことを! うぬはどこまで行っても地球人だ。大地の声を聞く事のできぬ愚かな生き物!
それが、うぬらだ! うぬと共に戦うなど、うぬの言葉に従うなど、考えることすらできぬ」
「しかし、銃や大砲などを使わずに、一体どうやって戦うというんですか」
「この鍛えぬかれた身体と、大地のあたえたもう大いなる力がある。わしは、攻めてきた地球人に槍ひとつで突撃し、みごと、き奴らの首領を討ち取ったことがあるのだ。みよ、思い上がった地球人、これがその時の傷だ」
そう言って、裸の肩の、大きな「皮膚のひきつり」を指さす。弾丸がかすめた傷跡のようだ。腕自慢でもあるらしいこの男は、地球人の調査隊か何かに向かって飛びかかり、銃弾を浴びながらも隊長を突き殺したのだろう。
「その時の武勲ゆえ、わしは族長になれたのだ。わかっただろう、わしのような腕さえあれば、地球人など恐るるにたらんという事が」
どうしてこの男が、これほど自信をもっているのか、エリオットはようやく理解した。腕だけで機械に勝てるということ、それはこの男の「存在意義そのもの」なのだ。機械をもって機械に抗するという考えが当たり前になれば、彼はただの人になるのだ。
「なるほど、貴方は……自分の魂そのものを守るために、ここへ来たのですね」
「ほほう。判ったならここから去れ」
「駄目です。その時は、たまたま勝てたかも知れませんが、もし相手が生身でなかったら?
鉄の車や、機械の鳥に乗って、火を吐いて襲ってきたら?
どんなに腕が立っても、槍だけではどうしようもないでしょう。
いま、地球人は、大々的な植民を行っています。この星エバーグリーンにも、毎年何万もの人々が来るでしょう。この星だけでなくて、他の植民惑星でも、まったく同じことが起こってるんです。地球人による、原住種族の迫害と奴隷化……みんな同じ仲間じゃないですか。力を合わせましょう。生活を守りたいんでしょう?
そのためには、小さなことなど忘れて」
エリオットの顔がひきつり、言葉はそこで止まった。マルガスが、疾風の速さで槍を繰りだし、エリオットの眼前で止めてみせたのだ。一瞬エリオットの身体が揺れ、尻餅をつきそうになる。どうにか踏みとどまったものの、冷静な振りをしていたエリオットの意志力がいい加減なものであったことが、万人の目に明らかになった。
震えたエリオットを、マルガスは嘲笑する。
「理屈ばかりこねおって。たかが槍一本で腰をぬかすくせに。頭の中でしか戦えないうぬなど、惰弱なうぬなど、消えるがよいわ」
そうか。口でいくら言っても無駄なんだな。こいつは意地と、こだわりで生きているんだから。エリオットの心に重い諦観が生ずる。
本当は、現実を見ているのはこちらで、空論を語っているのが向こうなのに……
そう思いはしたが、いくら思っても、目の前の戦士の心を動かすことはできない。それを痛感したエリオット、小さくうなずいて、心のなかに用意してあった、衝撃的な言葉を発する。
「わかりました。それでは、決闘を申し込みます」
吊り上がったマルガスの目が、大きく見開かれる。いかにもひ弱な腰抜けといったエリオットの口から出た言葉とは、とうてい思えなかったに違いない。
「なんだと」
「理屈を並べても判っていただけないのでしたら、これは言葉ではなく、魂そのものをぶつかり合わせる以外、方法はない、そう思いました。だから、こうする事にします。機械の力を取り入れるべきだという考えの代表である私と、このままで十分だという考えの代表者である貴方が、一対一で戦う。どうでしょう」
「ま、まさか、そのようなことを、泥人形のような身体のうぬが言い出すとは思わなんだ」
エリオット、上目使いにマルガスを見て、勢いよく言葉をぶつける。
「どうします? まさか断るなどという事はないですよね。魂の力が、ぼくの考えに勝ることを証明してみせてくださいよ。いや、言うまでもないことでしたかな、自分の腕に誇りを持っている貴方が、まさか、ねえ。きっと負けたときは、こちらの正しさを認めてくれるに違いない」
エルミンはエリオットの喋り方に、芝居臭さを感じていた。だがマルガスには判らなかったらしい。あるいは、それが挑発だと判っていても乗らざるを得なかったのだろうか。
「おい、わしを誰だと思っておる!」
マルガスは、使い込んだ石槍を、タコに覆われた指でしっかりと握りしめ、吼えた。
「シャラーハいちの槍の使い手、マルガスだぞ。わしが負けるなど、うぬごときに負けるなど、有り得ぬ。逆に聞くが、本当によいのか?
ドロパの戦士、風のエルミンや岩のガーハ、そういった連中に戦ってもらった方がよいのではないか?」
「エリオット、その通りだ!」
エルミンが焦りに焦った顔で叫ぶ。エリオットが一瞬だけ彼女のほうに目を向けると、ふだんの獰猛そうな光は目の中になく、純粋に心配してくれているんだなあと、彼は知る。
だがそれでも。
「私が代わりに戦おう! 私も槍を使わせればドロパの……エリオット、お前では万にひとつも勝てるはずが」
エルミンはなおもそう言うが、軽くエリオットが首を振って、彼女の申し出を断った。
「あくまでもぼくが戦わなければ、勝負の正当性がなくなる。あいつらも、そうでなきゃ納得しないだろう」
「本気なのか! おまえ……ペロヤックのくせに……」
エリオットは、いままでうつむいていた顔をあげ、夕日を浴びて光るレンズ越しに、エルミンを見つめた。
いつになく真剣で、寂しそうなその目に宿る力に、エルミンはその身を凝固させる。
「……本気だ。さあ、マルガスさん。戦い方はどうします?」
「ふん、戦い方だと? 考えるまでもないわ。うぬに負ける事など有り得ぬ。うぬが、弓も射れない子供なみの惰弱者であることくらい、とうに知っておる」
「では、とくに決まりはない、と」
「それでよかろう。だがいいか、そこまで言った以上、降参など許さん。おのが命を捨ててみよ。いずれかの死をもって決着とする。よいな」
もういちど大地をにらみ、口元に手をあてて黙りこむエリオット。
顔をあげた時、決然として彼は言う。
「ああ、それでかまいません」
「では、すぐに始めよう」
「エルミン、槍をくれ」
娘が、どこか人形を思わせる、ぎこちない動きで近寄ってくる。彼女の愛用する石槍を渡した。
「わ、わりと軽く作ってある……ほ、他の槍に比べれば……お前にも使いやすいはずだ……」
剛胆であるはずのこの娘が、震え、おびえていた。知っているのだ。その軽い槍ですらも重すぎること、エリオットが生きてこの戦いを終える可能性などないことを……つまりエリオットは間違いなく殺されて。
「ありがとう、心配してくれて」
エリオットはそう言って、槍を受け取る。彼が微笑んでいることに気づいたエルミンは、まったく理解を絶するエリオットの心に驚いた。
なぜ笑うのだろう。なぜ笑えるのだろう。
「さあ、はじめようか。始めの合図をしてくれ」
「俺がやろう」
ガーハは自分の槍を持ち上げる。
「少しずつ槍をおろす。地面についたら、始めだ」
「わかった」
二人は十メートルほどの距離をおいて向かい合っていた。エリオットもマルガスも槍を握っているが、コートの地球人の持ち方はどう見ても素人のそれ。マルダスの顔から余裕の笑みが消えることはなかった。
はじめ背より高く差し上げられていたガーハの槍の穂先は、いま胸のあたり。
「おい……エリオット」
「なに?」
目線を動かさずに、エリオットは答える。
「お前……なぜだ? ペロヤックなのに……死ぬの、怖くないのか?」
「怖いさ」
「だったらなぜ……」
「大丈夫だよ。必ず勝つから。君のくれた槍、あるからな。心配してくれたし」
「おまえは……」
その時突然に、エルミンはエリオットの青い瞳の中にある、揺らぐ光の正体を知った。
何かをかくしている。何かをこらえている。
本当には一目散に逃げ出したいのかも知れない。いや、きっとそうだ。それなのに虚勢を張って……
意地か? 科学の力とやらに誇りをもっているのか?
それとも……?
槍は腰の高さまで降りていた。
エリオットは、全身から肉食獣特有の重圧感を発散させているマルガスに気合い負けすることなく、仁王立ちになっている。貧相な体格の彼だが、それでも、その姿は、ふだんの弱々しい、怯えたり喚いたり子供と遊んだり、そんな事ばかりしているペロヤックのエリオットからは想像もできないことだった。
ある種の気迫すら、そこにはあった。
エルミン、形容しがたい何かに、胸をつかれる。
苦しげな表情を見せ、心の中でつぶやく。
どうしてあの男は……
エリオットは、弱くてみっともなくて……臆病でかっこ悪くて……それは、間違いないはずのに……
槍は、膝の高さ。
「エリオット!」
何かがエルミンの中で弾けた。自分でもなぜ、あの地球人が気になるのかわからない。部族をすくってくれたから……それだけではないはずだ。だが、理由などどうでもよく、とにかく弾けた「何か」は、叫びとなって娘の口から飛び出した。
「もういい! もういいんだ! ハッタリはいい!
とにかく……もう……」
「大丈夫だよ、エルミン」
槍が地面についた。
「はじめ!」
ガーハが苦渋にみちた顔で合図を発する。
「けぇぇぇぇっ!」
化鳥のような叫びをあげてマルガスが疾駆する。十メートルの距離を半分に詰め、さらに踏み込み、空気を切り裂きながら槍を突きこむ。
だがその時、ひとつの鈍い音が響いたのであった。
マルガスの身体が硬直する。腹に穴が開き、鮮血が噴き出していた。もう一度重低音がとどろき、今度は胸から赤い奔流が。
突然身体から血を噴き出したマルガスのすぐ目の前には、自動拳銃を両手でしっかりと構えたエリオットがいる。銃口からは白く細い煙がたなびいていた。
「き……さま」
マルガスが、潰れた声で怨嗟の言葉を吐く。
「ルールなしだって言ったのは、貴方だ」
「ころ……て……や……」
もちろんエリオットも無傷ではない。マルガスは銃弾の直撃を受けるのと同時に、エリオットの脚に槍を突き刺していた。コートの中から血があふれ、マルガスの身体から出た血と混ざり合う。
渾身の気力をもって、エリオットの脚から槍を引き抜き、血とともに叫びを放って、もう一度突きを入れようとする。これほどの重傷を負っていながら、やはり達人というほかない勢いのある攻撃だ。
銃口から、さらにいくつもの閃光が生じた。銃弾にぶっ飛ばされた形になったマルガスは、身体のバランスを激しく崩し、エリオットの脇の皮と肉を槍でえぐって、倒れこんだ。
もはやその身体は真っ赤に染まっている。死んだ魚の目のようにギョロリとむき出されたその二つの目玉は、それでもなお、消える事のない戦意、いや殺意に満たされている。
自動拳銃の弾が切れるまで撃たれても、なおその身体はけいれんを続けていた。
周囲のドロパやシャラーハ族の者達は、硝煙と鮮血によって描かれた地獄絵図に、ただ呆然としているのみ。
「……か……けっ……」
腕を持ち上げ、何かをつかむようにして空中をかきむしるマルガス。
「死をもって、だったかな。やっぱり最後は、これをつかおう」
エリオットは、エルミンから借りた槍に、全体重を乗せ、首に突きおろした。
マルガスの眼球が裏返り、その目が一杯に見開かれる。骨を、さらに硬い石槍の鋭い先が貫く。神経と気管と血管と食道がぶちぶちと音をたてて断たれる。人の肉の感触を、棒切れ一本を通してまざまざと味わいながら、エリオットはマルガスにとどめの一撃を加えたのだ。
「僕は、この槍で戦うとは、言ってないよな」
独り言のように呟くエリオット。
そうだ。すべては、そこにある。相手を挑発したのも、妙な格好で現れたのも、わざわざエルミンから槍を借りたのも、悲愴ぶって見せたのも、すべては。
意識をそらし、銃を使うという可能性に思い至らせないためだったのだ。すべては詐術、あるいは謀略の類い。
エルミンは、エリオットがこの欺瞞作戦に生命と部族の運命を賭け、そして見事大当たりをつかんだことを知った。
エリオット、シャラーハ族長の血で染まった槍を天高くかかげ、宣言する。彼もまた大量の血を失い、激痛で歩くのもままならないはずなのだが、あくまで虚勢を張り続けていた。
「見よ! 見よ! シャラーハの族長マルガスを、『大地の声を聞く者』いちの大戦士マルガスを、このエリオットが打ち倒した。
我が元に来たれば、この力を与えよう!」
きっと、このセリフまでテントの中で考えていたのだろう。眼鏡の青年は、金色の髪と白い顔を返り血で派手に汚したままの姿で、こう叫んだのだ。
おお、と、人々がどよめく。
「シャラーハの一族よ! 見たか! そしてマルガスの誇り高き誓いの言葉、しかと覚えているか!」
おお、と、マルガスの部下たち百名が、うなずく。
「貴殿にしたがおう、エリオットどの」
シャラーハ族の一人がこう言う。その言葉を聞いたエリオットは、これまで彼を吊り下げていた不可視の糸が切れ落ちたかのように、その場に崩れる。
コートはもう赤茶けた色に染め上げられてる。エルミンが駆け寄って、揺すった。耳元で絶叫した。
「死ぬな! 死ぬんじゃない、エリオットォ!」
二人の血がつくった赤い池から顔を持ち上げ、ひどく弱々しく笑って、エリオットは娘の言葉に応ずる。
「えへへ……最後まで僕のこと心配してくれて……ありがとうね。うれしかったよ。さあ、これから忙しくなるなあ、何万人分の武器をつくって……訓練して……」
「お前は……お前は!」
エルミンは続けるべき言葉を失った。
「一歩まちがえば死ぬところだったんだぞ……すべて駄目になるところだったんだぞ……それを……平気な顔して演技して」
「もう、ペロヤックとは言わせないよ」
「ああ……」
エルミンはうなずいた。その目に沈痛な光がにじんでいた。
「お前は……ペロヤックなんかじゃない……
ただの、バカだ……」
そう言うエルミンだが、吐き捨てるような口調では、決してなかった。むしろ、なにか大切なことを告白するかのように、ためらいながら、震える声で言った。
エリオット、いまにも消え入りそうな微笑を、多少強いものに変えた。
そして、これほどの重傷を負いながらも、幸せな気分にひたり、薄れゆく意識の中で、こんな事を思うのだった。
……僕は変わるのだろうか。
……僕は変われるのだろうか。