第6章 英雄エリオットの寂しすぎる夜

 全軍司令官エリオットは、色の付いた羽根で飾られた旗を掲げ、叫んだ。
「攻撃隊出撃!」
 もちろん、その言葉と動きは、下で司令官の一挙一動に注目している戦士たちに伝わったはずだ。
「リョウカイ!」
 エリオットの足元に置かれた無線機から、発音のずれた返答が返ってくる。
 エリオットはドロパ族が住む丘を要塞化し、その丘に建てられた鉄塔の上に陣取っていた。
 ここからだと、戦場の様相がよく見える。
 彼は、敵のトレーラーの残骸から手に入れた双眼鏡を眼に当て、地平線に眼を凝らす。
 あまり良くないエリオットの視力では、何か黒いものが動いている、としか見えない。
 そもそも、すでに時刻は夕刻に近い。エリオットたちは、この間のトレーラーから多数の機械をかっぱらい、自分の装備に変えていたが、さすがにナイトスコープ付きの望遠鏡は手に入らなかったのだ。
 しかたなく、隣にいるドロパの青年に双眼鏡を手渡した。
「これで敵を見てくれ、どんな奴がいる」
「大地の声を聞くもの」の視力は尋常ではない。明確な答が返ってきた。
「先頭にいるのは、大砲の生えた鉄の箱です。だいたい二十両。大きな大砲が走ってます。これも二十両くらいです。あとは百両かそのくらい、細長い箱です」
「ありがとう」
 若いドロパ族の部下にそう礼を言って、エリオットは考え込む。
 戦車か何かがいるらしい。それから自走砲も。かなり装備を強化してきたようだ。
「ちゃんと並んでる?」
「いえ、ごちゃごちゃしてます」
 それなら大丈夫だ。きっと、兵隊や指揮官はまだ素人に近い連中だろう。
 自分こそ素人の大将軍であることを棚に上げてエリオットはそう結論した。
 以前、地雷にやられたことが教訓を与えたのだろう、突然進軍をとめ、部隊の内側から、奇妙な形をしたブルドーザーのような車が数台現れる。
 地雷処理車だ。
 だが、そう簡単にはいかないのだ。
 こちらには、味方に付いたいくつかの部族があり、頭をしぼって作った新兵器がある。
 エリオットは笑みを浮かべる。
 きっと部下の戦士たちからは、余裕の笑みだと思われるだろう。そう、それでいいのだ。実のところ虚勢に近いものだったが、いかにも立派な指導者であるかの様に振る舞わないと、うまくいく作戦も駄目になってしまう。
 地平線上にいくつかの閃光が生じた。
「やった!」
 エリオット、とっさに部下から双眼鏡をひったくる。

「な、なんだと」
 叫ばずにはいられなかった。原住民掃討部隊の司令官は、またも予想を超えた新兵器の攻撃に、度肝を抜かれていた。
 窓越しに、地平線を這うように飛んできた複数の影を睨む。
 影は、いま、コウモリのようなその姿をさらして、獲物に襲いかかろうとしていた。
 エンジンの吼え叫ぶその音も高らかに、青く塗られた機体を風に乗せて飛翔する、複葉機の集団。
 距離は、たった五千メートルしかない。飛行機にとっては、一分かそこらで飛べる距離。
「げっ迎撃だ。対空砲を! ミサイルを!」
「駄目です! 対空装備はありません」
 血相変えて喚く司令に、部下がやはり血の気を失った様子で答える。そう、まさか原住民が飛行機を持っているとは誰も予想していなかったのだ。
 前回の攻撃で敵が使ってきたのは、黒色火薬と青銅の先込め式大砲。それと投石器。十六世紀ごろの軍事技術の所産にすぎない。どうせ、今回もそんな程度の武器だろうと、誰もがたかをくくっていた。
 あれから一ヶ月で、こんな……
 一ヶ月で四百年もの技術進歩を遂げたというのか。
 眼鏡をかけた副司令が、口元に手を当て、声に出さず感嘆する。
「第一小隊、防空射撃開始!」
 装甲車やら何やらが、懸命に機銃を旋回させて火線を空へうちあげる。だが、やはり、そうそう当たるものでない。弾の種類も、あくまで対地上目標用。直撃しなければ意味のない代物だった。
 墜落する素振りも見せない敵機たち。
 距離は二千メートルを切った。いまだに低空飛行のままだ。
「散開だ! 散開しろ!」
 中年の司令官は喚いたが、もともとさしたる人望があったわけでもない彼の言葉に、すぐさま従った者は少数だった。
 
 高度わずか十メートル。地面をなめるような超低空飛行を、彼の機体は続けていた。
 敵の装甲部隊までは、もう三千メートルほどの距離しかない。
 そうだ……もっと近づけ……あと少しだ……
 「爆風」と呼びたくなるほどの風が、むき出しのコクピットにいる彼を包んでいた。いや、コクピットなどという立派な言葉を使うべき場所ではないかも知れない。彼のいるのは、単なる布の穴の中であり、そこにあるのは操縦Aとスロットルレバーなど、片手の指で数えられるほどわずかな操縦装置だけなのだから。
 彼の乗る粗末な飛行機は、その速度を保ちながら敵陣に突撃する。
 木材と布と皮で作られた華奢な機体が、いまにも空中分解を始めそうな音を立てていた。骨組みに張った布は波打ち、はためいている。いまこの瞬間にも、ちぎれとんでしまいそうだ。
 後方で、この飛行機を押す形で回り続けているプロペラ。地球人のトレーラーの残骸から回収した高性能エンジン。この二つのおかげで、彼の機体は外見からは想像もつかない高速で飛ぶことができた。
 そうであるが故に、機体の強度がついてこれない。
 この飛行機に、速度計はない。だが感覚的に、機体の耐えきれないほどの高速を出していることは彼にもわかった。
 一筋の汗が、眉の上を横に流れていった。時速三百キロの猛風を浴びながら汗をかくのは、恐怖と緊張の影響以外の何物でもない。
 枯れ葉が頬をかすめ、後方へ流れ飛んでゆく。ただそれだけで、小さな刃物でかっさばかれたような傷が生じ、血が霧のようになって噴き出す。これが時速三百キロの世界だ。
 それでも彼は青ざめることなく、恐怖をおさえ、口元に笑みすら浮かべて、拡大を続ける敵の姿に殺意をこめた視線を送り続けた。
 ……待っていろ、すぐに殺してやる。
 この機械の鳥が、いけすかない地球人の考えたものだってことは、今は忘れてやる。
 奴らを殺せるのなら何でもかまわない。
 俺を残して死んでいったラ・ハンのみんなの仇を討つのだ。
 猛々しさを秘めた鮮やかな笑みを顔に刻む。
 むき出しの肩には、生々しい銃創があった。

「落ちつけ、ただの爆弾には、大した命中率や貫通力はない!」
 司令が喚いた。そう、確かにその通りだった。ただの爆弾であったなら。
 距離一千メートルを切った時、飛行機の群れが閃光を発した。
 夕闇を裂いて、数百本の「光る矢」が飛んでくる。
 副司令だけがその正体を瞬間的に察知しえた。
 ……ロケット弾!
 細長い、空対地ロケット弾……
 原住民の得意な武器である「槍」と、簡単なロケットを組み合わせたものだ。そう、まさに、野生の力と科学の力を。
 時速三百キロの飛行機、プラス、ロケットの加速力。それだけの速度で襲いかかった特大ロケット花火は、次々と命中していく。
「うあああっ」
 敵弾を浴びた経験のない者達が、身も世もない悲鳴をあげる。別に高度な誘導装置を使っているわけでもないのに、信じられないほど高い命中率だった。実に九割をこえている。
 常人の数倍の視力と反射神経をもつ者だけが、それをなしうる。攻撃者たちには、まさに、それがあった。どれほど訓練を積み重ねた兵士でも、普通の人間である以上、彼らほどの腕前には達せないはずだ。
 いくらロケットとはいえ、しょせんは小型。装甲を貫通された車はさほど多くない。だが、またしても彼らは、精神のレベルで甚大な被害をこうむってしまう。
「第一分隊、被害甚大! 戦闘不能一、車載砲使用不能二、走行不能三! 指揮官戦死!」
 司令車に飛び込んでくる通信は、どれも悲鳴に近かった。ある通信によれば第一分隊は壊滅したことになっており、また別の通信を信じれば、「第一分隊は俺達第三分隊を盾にして自分だけ生き残った」ということになっていた。
 なんと冷静さを失いやすい軍隊かと、副司令は呆れていた。錯乱していたのは彼の上官も同じだった。
 企業連合体の中で地位を得たいから、というだけの理由で指揮官に名乗りをあげたこの男は、マイクをひっかみ、拳を振り回して、ただ「墜とせ! 墜とせ!」とわめき続けていた。
「だいたい、なんでレーダーに映んねえんだよお!」
「司令閣下! 自動追尾装置が動きません! レーダー射撃も赤外線も……」
「手動だ! 手動で撃て! お前ら自分の眼があるだろう!」
 そうなのだった。敵機は、いま上空から死の雨を降らしているというのに、一切の索敵システムに捕らえられていないのだった。レーダーには映らず、赤外線センサーも反応しない……
 実際には、機体が木で出来ており、プロペラ機だからこそ、なのだったが、そんな原始的な機械など知らない地球人たちには思いもつかない。
 こいつらは一体なんなんだ。
 そんな思いが、襲撃部隊の男のたちの心に広がりはじめた。
 あいつらは……あいつらは化け物なんじゃないのか。レーダーに映らないって……ステルス技術とかって奴か?
 なんでそんな事をあいつらが出来るんだ。
 あいつらは字も知らない、鉄砲ひとつ作れない野蛮人じゃなかったのか。
 一度の敗北で根本的に考えを改めるほど、地球人たちの人種的偏見は根の浅いものではなかった。その偏見が強いだけに、恐怖が育ちはじめていた。
 なにしろ彼らは、鳥なみの視力でことごとくロケット攻撃を成功させると、熟練パイロットとしか思えない鮮やかさで機体を反転させ、複葉機特有のヒラヒラとした動きで対空砲火をことごとくかわして、雲の彼方へ逃げ去ってゆくのだ。
「なんで当たらねえんだよお!」
 装甲車の機銃座を操っていた若者が、焦りと怯えで声を震わせながら叫ぶ。
クモの巣のような形をした照準器に敵影を収めているのだが、まるでうまく命中しない。
 相手の動きを予測するのだ、そう頭では思っていても、やればやるほど的外れな射撃になってゆく。
 そう、彼らの回避力の高さは異常なまでだった。
 いくらなんでも、三百キロそこそこしか出せない複葉機に、この近距離で、一秒間で数十発を発射できる機関銃やら機関砲やらが当たらないはずがない。もし一発も命中しないのであれば、それは奇跡だ。
 だがしかし、奇跡はあっさりと起こっていた。
 天空より舞い降りた二十機ほどの複葉機は、一機の損失も出すことなく攻撃を成功させていた。
 なぜだろう? あいつらは原始人のはずなのに。
 あの動きはベテランパイロット……いや、それ以上。
 まるでこちらの攻撃を読んでいるかのようだ。
 ……読む?
 それに気づいた瞬間、銃座を操る彼は全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。
 ……魔術……奴らは魔術を……原住民の呪い……
 野生のカン、そんな物が機械を凌ぐ場合があるなど、彼らとしては認めるわけにはいかないのだった。まさに、シャラーハ族長マルガスが科学の力を認めなかったのと同じ理由で。
 そのとき彼は、まさに自分のいる装甲車に向かって、怪鳥が突っ込んで来るのを見た。あわてて車内に飛び込む。
 複葉機の叩き付けたロケット槍は、ハッチと銃座を吹き飛ばす。連続した悲鳴が車内であがった。
司令も慌てずにはいられなかった。彼の乗る装甲トレーラーも、二発ものロケット弾を浴び、屋根の上の機関砲を叩き潰されている。
そんな悪夢の数分間が過ぎ、敵飛行隊は蒼天に消えていった。やはり、撃墜できた機体はほとんどない。
「敵飛行隊、去っていきます」
 オペレーターの一人が額の汗を拭いながら報告する。
 司令はため息をつき、損害の報告を命ずる。
 高速プリンターから吐き出された紙に視線を浴びせ、被害を吟味していた司令は、満面に笑みを浮かべる。
「なんだ、撃破されたのは十両そこそこではないか。よし、作戦遂行には何の問題もない」
「しかし閣下、確かに撃破された物は少数ですが……戦車八両が主砲旋回不能、自走砲二両が……」
「副官! 君は戦意不足だ! この程度の損害で退けというのか!」
 小太りの身体を震わせて司令は怒鳴る。
「だいたいだな、あんな小型の飛行機に積める爆弾など百キロかそこらにすぎん。うちの兵器に致命的損害を与えることは出来んのだ! したがって恐るるに足らず! 前進せよ!」
「司令官、敵がどれだけの兵器を持っているのか分からない状態で戦うのは危険すぎます。こちらにも航空兵力や宇宙からの眼があることですし、ここは一度撤退し、十分な偵察によって敵戦力を分析したのち戦備を整え」
 軍隊にいた経験があるのか、妙に落ちついた様子の副官はそう進言する。だが、火に油、という類であった。
「うるさい! よく考えてみろ! あいつらの人口! 資源! いくら、なんかの間違いで兵器を発明したって、そんなに量産できるはずがないんだ。 この装甲部隊で押し切れないはずがあるか!ここで撤退なんぞしてみろ、俺は地球人の恥さらしだぞ!」
 一気にまくしたてる。副官は押し黙った。なにを言っても無駄なのだと悟ったらしい。なおも独演を続ける司令。
「見ろ、あれっきり何も攻撃がないではないか。オペレータ、敵の兆候は?」
「ありません」
「やはりあいつらは馬鹿だ。もうネタ切れなんだろう。突撃するぞ!」
 景気よく叫んだ司令に、全く気乗りしない様子で部下たちが従う。部下たちの顔は苦々しいものに変わっていた。
 これだけの科学兵器があれば楽勝だって聞いたから参加したのに……
 誰ひとりとして、命をかけて戦おうなどという者はいないらしい。
「どうかしたか」
「いえ、何も。全隊、横隊に展開終了」
 砲力をうしなった車両を守り、戦車を前に押し出した形で横に広がり、突進する。速度は遅くなるが、最大の攻撃力をもつ陣形だ。
 敵がこもっているはずの丘が、地平線の向こうから見えた。だが、丘のまわりに、何十もの建物があるのは、一体なんだろう?
 そうか……作戦前の説明で聞いたことがある。宇宙ステーションからの映像によると、連中は工場を作っているらしいとか。
 鼻で笑った司令は、さらに前進を命じた。
 と、そのとたん、丘のあたりに、いくつかの赤い炎が出現した。
 炎は矢となって、こらちとあちらを結ぶ光の曲線を闇に描く。砲撃は何度か繰り返されたが、ごく小規模なものだったし、命中したものは一発もない。
「たったこれだけか! この程度の砲撃など気にすることはない!」
 攻撃の貧弱さに安心しきったらしく、司令はふんと鼻を鳴らして、全軍突撃を命じた。
「いけません司令、これは試射です。これを参考にして弾着修正と修正射を行い、十分な射撃データが集まったのちに本射を……」
 砲術の基礎について述べる彼の忠告はしかし、意味をもたなった。
 突然、冷たい大気を裂いてあらわれた光の矢の大集団。
こちらから見ると、すべてが自分に殺到してくるかのように見える。
 司令の乗る武装トレーラーの前面ガラスに、にぶい音を立てて何かが突き刺さり、弾ける。
 運転手その他が、破片を浴びて倒れた。
 ロケット槍とは比較にならない、大きく重いものの衝突だ。
 ざっと口径二百ミリ以上はあろうかという砲が吼える。重い、遠雷のとどろきに似た音が乾いた大地にひろがる。
 すると、また、真っ赤な何かが、目にも止まらない早さで装甲車に激突する。
 百キロ以上はあろうかという巨大な砲弾が、音速の何倍もの速さでぶつかっているのだ。すぐ横の装甲車が爆発炎上した。当然といえば当然だ。しょせんは旧式兵器、これだけの巨砲で撃たれればただではすまない。
 そう、これは……飛行機と同じか、それ以上に高度な技術の所産。第二次大戦レベルの砲ではないか……
 間違いなく、前回より数百年も進歩している。よほど科学技術にくわしい優秀な教え手が、原住民にはついているに違いない。
「第三分隊連絡つかず!」
「第二分隊、戦車一両走行不能!」
 反撃開始の命令をまたず、恐怖にかられた戦車群がばらばらに砲撃をはじめていた。敵より数段高度な技術でつくられた電磁砲がうなりを上げ、敵側の火線と交錯した。けれど十数発の戦車砲弾を撃ち込まれても、攻撃は少しもやまない。
 当然だ。まともな指揮もなく、敵の部隊分布もわからずに撃つのでは。
 副司令は首をひねった。
 これは攻勢準備射撃だろうか? それとも純然たる防御のための砲撃だろうか? 奴らが勇敢な戦士で、白兵戦に自信をもっているという情報が確かなら、このあと必ず突撃をかけてくるはずなのだが。
 いや、相手の指揮官はそんな気合いバカではないはずだ。こちらは守りきりさえすれば勝ちなのに、わざわざ陣地から出ていく理由など何もない。
 よし、とるべき作戦は……
 だが、冷静さをたもっていられたのは彼だけのようだった。他の連中は、とても作戦どころではない。
 反撃むなしく、砲撃によってさらに数両が炎上していた。タイヤやキャタピラ、武装、カメラ、窓など、弱い部分から黒煙がふきだす。
 実際には、半分以上の砲弾は弾かれている。とく戦車は、キャタピラを砕かれたものが一両あるだけで、あとは無傷。こちらは宇宙時代の金属で装甲を施されているのだから。けれど、錯乱しきった声が通信回線をかけめぐっている。心理のレベルで受けた打撃は甚大だ。
 このままでは、最初の連中とおなじように、同士討ちをはじめかねない。副司令は歯ぎしりした。
 だが、まだやれる。後方の兵員輸送車は大半が無傷だ。指揮官が冷静な態度を見せ、部下たちを鎮静化させて引っ張ってゆけば。
 そう判断した副司令は、眼鏡を冷たく光らせながら命令を下した。
「全車に通達。
 損害にかまわず攻撃せよ。本部隊は機甲兵団であり、この程度の砲撃で戦力を失うことは有り得ない。
 コール、チャーリー1、赤外線センサーで敵拠点を探知しろ。丘にトンネルを掘って砲を隠しているものと思われる
 敵攻撃の最も薄い部分を機動力により浸透突破する。これより指令……」
 強敵を相手にしているためだろうか、眼鏡のレンズにごしに見える彼の眼に、これまでにない知性の輝きが生じた。
「やっやめろ!」
 我にかえった司令が、副司令の命令をさえぎった。
「あ、あいつらは化け物だ。も、もう何人もやられている。こんな筈じゃなかったんだ。そうだ、お、お前だって撤退しろと言ったじゃないか。死ににいくようなもんだ。て、撤退しよう」
 眼鏡の奥の光が変質した。明かな侮蔑の色に変わる。
「わかりました。撤退しましょう」
 最初からそうしておけば、こんな無駄な損害を出さずに済んだのだ。
 くすんだ金色の髪を片手で神経質そうにかき回しながら、副官は撤退を命じた。
「なお、撤退時の指揮はこの私、サミュエルソン副司令がとる。……よろしいですね、司令」
「あ、ああ」
 豪語しておきながら、一発喰らっただけで震え上がった上官には興味がなかった。ちらりと冷たい視線を浴びせると、サミュエルソン副司令は素早く、次々と命令を下す。
 陣形の変更の仕方から何から指示してやらなければ、まともな撤退ができない部隊なのだった。
 指揮官が変わって、急に動きがよくなった部隊だが、それでも何発か、丘から飛んできた砲弾やら何やらが、こちらに被害をもたらす。
 だがサミュエルソンは気にしていなかった。
 彼の関心は自部隊の損害程度などにはなく、もちろん、指揮官席にいる無能な味方にもない。
 有能な敵にのみ、彼の興味は向けられていた。
 航空隊による対地支援。それも、発見されにくい低空侵入とロケット弾の組み合わせだ。
 その後、堅固な要塞からの砲撃か……
 こちらの作戦よりは百倍ましだ。
 石槍もって突撃することしか知らなかった原住民連中を、こうまで強力な軍隊に変えたのは……一体どんな奴なのだろう。
 今度は、もっとまともな戦力を率いて、そいつと正面から戦ってみたいものだ。
 その男エリオットが、自分とそっくりの外見をしていることを、サミュエルソンはもちろん知らなかった。

 歓声が上がり、何度も何度も繰り返され、大波となってドロパ要塞内を駆け巡った。
 時は夜。ドロパの丘の中央にある広場では、大きな天幕が張られ、数千本の火がたかれ、祝賀会がひらかれていた。
 この大勝利を導いたエリオットは、数千人の戦士たちに囲まれて、興奮しきった賞賛の言葉を浴びせられている。
「すごい! すごいぞ!」
「素晴らしいです、エリオットさま!」
「見ましたよ! 地球人たちの情けなさ!」
 中には、地球人の攻撃で重傷を負いながらも、英雄エリオットの姿を求めている戦士もいた。途中でちぎれてしまっているらしい腕に、真っ赤な布を巻いた戦士が、仲間に運ばれてエリオットの前に連れられてくる。
 自然と皆が道を開ける。
 重傷を負った戦士が、それでも意志の力で眼を燃えたたせ、歩みよってくる。
「ありがとう……みんな……よく、がんばってくれた……ほんとうに」
 エリオットはそれだけ言うのがやっとだった。
 嬉しいから? それもある。
 嬉しくないはずがない。今度もまた、地球人の攻撃を防ぎきることができたのだ。一人として、「奴隷狩り」の餌食にならずにすんだ。慰みものにされる原住民の少女、その姿に何物かを感じたからこそエリオットは戦っているのだから、これが嬉しくないはずなど。
けれど、それ以上に強い感情があった。
 自分でも、そんな感情があるのを認めたくなかった。だからエリオットは努めて仮面をかぶり、理想的な指導者を演じている。
この何ヵ月かずっとそうだった。けれど、まさに今、その感情は絶頂に達しようとしている。もう耐えられない。
「エリオット!」
 かん高い声で心地よくエリオットの鼓膜を刺激する。
 なぜだかエリオットは、こんな気分のとき彼女の声をきくことだけが救いだと思うのだった。
 駆け寄ってきたエルミンは、エリオットに抱きつきそうなほどの勢いだ。まあ本当に抱き付きはしなかったが、涙すら浮かべて叫ぶのだから、この娘の心中にある思いがどのようなものか、その場にいる全員が理解した。
「エリオットォ! ありがとう! よく戻って……よく勝って……」
「エルミンたちも立派に戦ってくれた。そのおかげで勝てたんだよ」
「エリオットさまばんざい!」
「エリオットさまに大地の導きあらんことを!」
 バックグラウンドに流れる、そんな歓喜の声に包まれながら、エリオットはごく控えめなことを言った。
 その時とつぜん、胸の奥に、耐えきれないほどの痛さを感じるエリオット。
ドロパやシャラーハの部族員たちの瞳が、一体なにを求めて輝いているのか、なんとなく判ってしまったのだ。
「ちょっと……私は戦うのに疲れたので……休ませてもらうよ」
 あまりに唐突な言葉であった。エリオットはそれだけ言って、足を引きずり、逃げるように立ち去る。
 背後から浴びせられる驚きの視線が、ますます彼の胸を痛めた。
 ちがう、ちがうのだ。
 なぜ僕をそんな立派な人間だと言う。僕はそんなんじゃない、僕はそんなんじゃない。
 広場から走り出て、テントの間を駆け抜け、一気に丘を降りる。
丘のまわりには、エリオットの指導で作り上げられた工房がずらりと並んでいる。レンガ造りの建物が、ススで汚れた煙突を生やし、その中では「革命軍」を支える新兵器がぞくぞくと生み出されていく。
 だが、そんな光景、自分の力で生み出された奇跡のような科学力の神殿群を眼にしても、エリオットは誇らしさを覚えなかった。むしろ、コートの下にある薄い胸の奥に、いや増すばかりの痛みを感じていた。
 これは血塗られている。
 そんな言葉こそが、立ち並ぶ兵器工房を形容するのにぴったりだと、エリオットは思った。
 独立のために役に立っているから良い?
 嘘だ。そんな言葉で納得できるなら、大義名分のために惨劇を見過ごせるような人間なら、僕はこんな所にいない筈。
 そう、それが理由だった。
 なにかが間違っているような気がするのだ。
 ほんとうにこれで良いのか、もうひとりの自分が冷笑とともにそう問いかけるのだ。
 何度めかのため息をついて、とある兵器工房の茶色い壁にもたれかかるエリオット。ここで働く者達は、すべて戦勝祝賀のため丘に上がってしまったため、村に突如出現したこの工業地帯は、妙に静まり返っている。
 雨が降ってきた。
 濡れる服と髪には、少しも注意も払わないエリオット。
 暗い灰色の空から落下する雨は、わずかに濁っていた。
 ああ、そうか。ばい煙のせいか。たった数カ月で、このエバーグリーンの、いや、「大地」の輝きは、こんなにも。
 灰色の空、煙やススで汚れた壁と土、枯れた茶色い草、そして褐色のコートを着た自分………彩りというものから見放された世界。
 石槍で貫かれた傷がいえることなく、いまだ自由に動かせない片足。
 なんとも自分に似合っているじゃないかと、エリオットはそう嘆息して、その場に座り込んだ。ますます濡れ、重くなる服のことなど、彼はもはや気にもとめない。
 僕が求めたのはこんなんじゃない。
 どうしてそう思ってしまうんだろう?
 はるか遠い日、しかし「懐かしい」などとは決して呼びたくないあの頃、いじめられていた頃、夢想していた世界であるはずなのに。僕は本当は偉いんだ、僕はお前たちなんかと違うんだ、僕は天才なんだ……
 そう、まさに今、僕は英雄などと呼ばれている。
 だが違うはずだ。僕は小さい頃からずっと、クズのエリオットって呼ばれて、友達だって出来なかった。みんな、お前は嘘つきで卑怯だからっていって……僕のために笑ってくれる人、僕のために泣いてくれる人、そんなのは一人だっていなかった。
 判っている。
 そう、僕は……
「エリオット」
 かぼそい声が、眼を閉じて追想にふける彼の名を呼んだ。
「……ん?」
 聞こえるはずのない声をきいた彼は、首をめぐらし、そこに、ひとりの娘が立っているのを見た。
「エルミン……」
「お前、どうしてそんな顔してる? 敵は逃げていったぞ。勝ったんだぞ。どうして喜ばないんだ?」
「エルミンも、ずいぶん悲しそうにしてるね」
 そのとおりだった。山猫のような印象を与えるこの戦士は、陰気としか表現しようのない雰囲気をまとっていた。生気を欠いているのは、決して髪や身体が濡れて冷えているからではないはず。
「エリオットが悲しそうにしているからだ」
「……そうか。君も、僕が英雄だから、僕のことが大切なんだね」
「気に入らないようだな、せっかく皆から高く評価されたというのに。それを求めていたのではないのか」
 いつもどおり硬質なエルミンの口調。だが、いつも以上に冷たい印象を与える。内心の何かをこらえながら喋っている、そんな風にエリオットには見えた。
 声が震えていたのだ。
 ふと、彼女の心の中に興味を抱いたが、あまりに暗すぎて表情などわからない。
 エリオットはその場にすわりこんだ。泥と化した地面に腰を降ろすと、膝を抱える。胎児のようなその姿勢は、この「英雄」が本質的にどんな男であるか、ということを端的にあらわしていた。
「……ねえ、エルミン。自分が何なのかわからない、そう思ったこと、ない?」
 渦巻く気持ちを、精いっぱい、舌たらずな言葉で表すエリオット。どうして話す気になったのか、彼には判らない。
 ただ、あえて言うならば、闇の中、雨に打たれてまで自分のもとにやってきてくれた人のことが気になったのだ。
 わけのわからない問いかけに、しかしエルミンは笑うこともなく真面目に応じた。
「……あるよ」
 ためらいがちに発された言葉。はっと胸をつかれて、エリオットは娘の顔を仰ぎ見た。
 かぎりなく闇にちかいこの場所で、やはり彼女の表情は判らなかった。
 だが知りたかった。もっともっと眼をこらし、知りたかったのだ。
 このひとはぼくとおなじものをもってる。
 そう、それは根拠のない思いこみだ。
 けれど、人が人と触れあいたいと思うとき、大抵はそうではないのか。
「エルミン。僕は小さい頃からずっと、僕は自分が『いらない』んじゃないかって思ってきたんだ。
 僕の心は少し変なんだ。みんなが当たり前だと思ってることに、僕は耐えられない。みんなに合わせるとか、自分で正しいと思うことを忘れるとか、そんなことが全然。だから僕は間違ってるんじゃないか、僕はみんなに迷惑なんじゃないか、そう、ずっと思ってて……たいてい、そのとおりだったんだ。
 ……違う、僕はそんな立派な人じゃないんだ。英雄なんかじゃないんだ。僕は自分が立派な奴なんだと思いたいだけなんだ。お前たち普通の人間なんかと違うって、そんな傲慢なことをホントは思ってるんだ。きっとみんな僕のそんな心が判るんだろう。だから誰も友達になってくれなかったんだ。
 今でもそんな立派じゃない。すごい汚いんだ。
 君達を道具みたいに思うことがある。僕は正義なんだからって、民族解放軍の指導者なんだからって思うことがあるんだ。人を殺してるだけなのに……自分はかっこいいんだって、自分はダメじゃないって、誰かに言ってほしいだけなのに……
 だから判らない。僕はみんなをだましてる。僕こそ真っ先に殺されるべき地球人なんだ。僕は自分が何なのか判らない。
 だから教えて欲しい、教えてほしい」
「ちがう」
 即座に答えるエルミン。彼女はエリオットのすぐ側にしゃがみこんでいた。眼に見えない何かが、彼女にそうさせていた。
「……答を知りたいんじゃない。
 お前は……きっとこう言ってほしいんだ。
 私は必要だ。お前が必要だ。いなくなったら困る。ここにいてくれ。
 理由? 理由ならさっき言ったじゃないか。お前と同じだ。さびしいんだ。自分が他の女達と一緒じゃないことに、すごく……そう、そういうことだ! これ以上いわせるな!」
 雨はますます強まり、ふたりの声をかき消すほどになっていた。だが、雨の打ち鳴らす騒音に負けることなくエルミンは声を張り上げた。深まる闇の中、顔も見えない娘の絶叫が、エリオットの心にとどき、胸をうった。
 エルミンはしだいに身体をエリオットにすり寄せていた。もう、身体をかたむけただけで肌を合わせることができる距離。
「だからお前が不思議だったんだ。お前は、なんか似てるからって……それで……」
 ……ペロヤックのエリオット。
 ……お前、ペロヤックのくせに。
 ……ただの、馬鹿だ。
「信じられない。僕もいっしょだよ」
 そうだ。いまだ。自分と同じ種類の痛み、それを持っている人がいた。自分が何なのか判らない、自分がこの世にいるべき人間なのか判らない、いくら賞賛を浴びても、自分のやった事は立派なんだって思っても、ホントは違うって、これ以上ぼくを押しつぶさないでって、そんなイヤな気持ちだけが膨らんでく……それと同じ人がいたんだ。
 じゃあどうすればいい。そうだ、ひとつ、ありったけの勇気がいる行動が……
 体温を失った手が、雨の中で伸びていった。
 エルミンは、自分を不器用に抱きしめる腕の存在に気づいた。彼女も相手を抱きしめ返し、細い身体を押し付けた。
触れあうほど近付いた二人の顔。雨など気にならず、ただ吐息だけが、暖かい唯一の存在が、互いにからまりあっていた。
 エリオット、思う。
 ……こんなに柔らかいんだ。
 そのやわらかい肉体が、自分を包むようにしているということ、自分がそれに触れることができるということ、その実感が、少しずつつかめてきた。
 奇跡だ。僕のことを、くずとか、嘘つきとか、頭がおかしいとか、偽善とか、そんなこといわずに、優しくしてくれて、わかってくれる人が……奇跡なんだ。
 だから僕の番だ。次は僕の番だ。今まで誰も、他人のこと判ってあげられなかったけど。あの六才のころの自意識をずっと、ずっと引きずり続けていたけれど。
 耳元で何事かを囁いた。エルミンがうなずく。その、わずかな動作すら、身体から身体へ、直接に伝わってきた。
自分が何よりも求めてきたものは何なのか、どうすれば素直になれるのか、やっとわかった気がする。
 だから今はもっと。
「痛い……」
 いつものエルミンからは想像もできない、かぼそい声。
 彼女も僕と同じで、いまやっと裸になれたんだなって、そう思えた。
 腕にこめる力を、さらに強くする。
 エルミンの、とまどったような声が耳に届く。
「変だな……こんなのとは、少し違うと思ってた。恥ずかしいけど、ほんとに男の人と……思ってたのとちがう」
「僕も、想像してたのとは違う……認めたくなかったけど、僕もこうやって誰かを好きになりたいと思ってた……」
「でも嫌じゃないよ。ただ不思議なだけだ」
 民族に独立をもたらしつつある英雄と、その心をただひとり知る娘は、ずっと抱き合っていた。
 すべての独裁者が、おのれの心を壊れずに保つために愛する者を必要とするという事。それすらも今も二人には関係がないことだった。
 と、そのときエルミンは、突然ひどくまじめな顔つきになって、エリオットの鼻の頭をゆっくりとなめた。
「え……?」
「ドロパでは、すきな奴には、こうするんだ」
「ふうん……そうなんだ」
 なめられたエリオットのほうは面食らっていたが、はっきりと変な習慣だと言う訳にはいかない。
「エリオットも、ほら。地球人はしないのか?」
「う……うん」
 結局エリオットが味わったのは、濡れた唇の感触ではなくて、小さな形のいい鼻の肌だった。
 こんな習慣のちがいを特になんとも思わなくなっている自分に気づいて、エリオットは微笑んだ。
「いつか、こんど、ぼくたちのやり方を教えてあげるよ」
「……痛いよ。ふふ、でも、ちょっとうれしいな。ペロヤックのくせに、大胆なんだな」
「臆病だから、離れたくないんだよ」
 レンズを伝う激しい雨のせいで、視界は歪み、なにもまともには見えない。だがそれでもエリオットには、目の前のエルミンはきっと微笑んでいるはずだと確信できたのだった。


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