第8章 それぞれの居場所
エバーグリーン最大の都市ホープシティ。
街中に設置された巨大テレビの画像に、人々は見入っていた。
この一年、残虐な原住民を率いて活発なテロや大量虐殺を行い、数多くの死者を出してきた、あの忌まわしい犯罪者が、人類の裏切り者が、公開処刑されることに決まったのだ。
ひとりの母親と、まだ幼い少年が、涙すら浮かべてテレビ画面を仰ぎ見ていた。
画面の中では、メガネをかけた細面の男が「反乱軍首謀者
エリオット・マースチン」と紹介されていた。多少手が加えられているのか、いかにも狡猾そうな「メガネの悪人」づらだ。
「かあさん。あいつがぼくのおとうさんをころしたんだね」
「そうだよ、ハイニ。あいつがいま、やっつけられるところを、よく見ておきなさい。きのうテレビでやってたわ。あいつは人間みんなを征服するために戦争を起こそうとしていた気の狂った奴なのよ。だから死んであたりまえなのよ!」
子供以上に強烈な憎悪を、母親はスクリーン中のエリオットに叩きつけた。
「でも、へんだね。あのひと、どうしてつかまっちゃったんだろう」
そう、ニュースは、エリオットが講和を求めて自らこちらに出向き、捕虜として拘束された、と告げていた。あいつらは狂信的だから最後の一人になっても戦いをやめないだろう、そう思われていたのに。
「よけいなこと言うんじゃありません! きっと馬鹿だったんでしょ!」
映像が切り替わり、画面の中ではエリオットの行った残虐行為が列挙されていた。
そのエリオットは、ホープシティにある収容所の特別棟、いかにも「独房」といった場所に放り込まれていた。冷たい石の床と壁、鉄格子のはまった窓……数千年の昔から変わっていない陰気な場所だ。
灰色の囚人服を着せられたエリオットは、自分があまり恐怖をおぼえていないことに気づき、驚いた。
僕はもう臆病でなくなったのだろうか?
いや違う。
ほんとうの勝利に、少し近付いたのだ。だから怖くないのは当然だった。むしろ嬉しいのだ。
「まあ、最初から、まともに交渉できるとは思ってなかったけどね……死刑か」
当然だろうな。「下等生物」の味方をして、「人間」を大量に殺したのだから。
あの時、エルミンを置いて、地球人との講和のため、わずかな部下だけを連れてエリオットはドロパ要塞を離れた。全員で白旗を振り、殺到する討伐軍に降伏の意志を伝えたあとで、複雑な感情のいりまじった視線を背後から浴びながら。
エリオットは特別な護送車に放り込まれ、ここまで運ばれてきた。
もちろんあの後、ドロパ要塞と、周辺につくられた各部族の居住地は占領されたろう。
無血占領であればいいのだが。あれ以上、もう血は流して欲しくない。
これ以上血を流したくないから抵抗をやめる、降伏する、そうみんなの前で宣言した時、非難の声も当然上がった。いや、多数派だった。
……臆したかエリオット!
……まさかエリオットさまが!
……我々は死ぬことなど怖くありません!
最後まで地球人相手に戦い抜きましょう!
……我らの最後の戦いを見せてやろうではありませんか!
……奴隷にされるくらいなら皆死にます!
拳をふりあげて叫ぶ戦士たち。
僕は約束したのだ。ほんとうの勝利を呼ぶと。そう自分に言い聞かせ、それらの願い、叫び、あまりに熱すぎる想いすべてを、振りきった。
なにも反論するつもりはなかった。
ただ、これだけ言った。
「……僕は勝つ。僕はやっと見つけたからだ」
最大の理解者であるエルミン、その次にエリオットの凄さを、能力のみならず魂のレベルで認めていたガーハ、その二人が「エリオットに従うべきだ」と言った。
けれど、そんな二人の言葉ですらも、決戦を叫ぶ者達の耳には届かない。
「なにをおっしゃるのですか! エリオットさま!
まだまだ戦えます。兵は少なくとも二万人以上残っています。戦いましょう。一人でも多くの地球人を道連れにしましょう」
若いシャラーハの戦士が、銃剣をつけたライフルを、威嚇するように構え、声高に訴えた。
「いや……もういい。みんな死んでしまったら……何にもならない」
途切れ途切れに、エリオットは決意を語った。
彼も辛いのだ。
ここでやめたら、今まで自分たちは一体何のために戦ってきたのか。そう問われたら答えがたい部分が、自分の中にも存在しているのだから。
いまは、まだその問いにはこたえられない。
「エリオットさま!」
「戦わせてください!」
「……誇りとともに死のう、そう言うのかい」
「そうです!」
「みんな、僕の言う事なら聞くんだな」
僕は弱い。昔から弱かったし、今でも弱い。
だから、こんな偉そうにするのはほんとの僕じゃないって判ってる。
しかし、やめさせるにはこうするしかない。
「それなら命令する。戦うのをやめてくれ。二度とやめろと言っているわけじゃない。今、やめてくれ」
「今戦わずしていつ戦うというんですか!」
「いつか、時が訪れたら、だよ」
エリオットはそこで、ともすれば強ばろうとする顔面を無理に歪ませ、微笑を浮かべて、抗戦を主張する戦士と向き合った。
「きみは何のために戦ってる?」
突然の問いに、しかし、ひとりの戦士は動じずに答えた。
「シャラーハの一族を、いえ、この大地を、地球人から取り戻すためです」
「たいせつだよね、それって」
「もちろんです!」
「みんなそうなんだよ。みんな、なにか大切な物のために戦ってるんだ。そうでなきゃ、大切な物を見つけたくって戦ってるんだよね」
「は?」
「僕もそうだ。たぶん、ここにいるみんな、そうだと思う。
だから本当に勝つために、今は我慢してよ」
「ではいつ、地球人に勝てるのですか。五年後ですか、十年後ですか」
「そのくらいじゃ無理だろう」
「では俺達の子の代ですか。孫の代ですか」
「たぶん、もっと」
「それでは一体いつだというのですか!」
「……でも必ず時は来る。僕がそうだったように、気づいてくれる時がくる」
どこまでエリオットの言葉がつたわったのか、それは判らない。そもそもエリオット自身、自分がなにを言いたいのかよくわかっていなかった。
ひとつだけ確かなのは、その青い瞳の奥にあるものに気づいた戦士が、覚えたばかりの敬礼の姿勢をとったということである。
無言の返答に、エリオットはうなずく。
すでに地平線の彼方から、雷鳴に似た音が響きはじめていた。
エリオットたちの周囲に、巨大な自走砲の砲弾が落下、土煙をあげる。発射速度といい破壊力といい、エリオットの砲の比ではなかった。こ れでは、たとえ決死の突撃を敢行したところで、どれだけ敵を倒せたやら。
白旗を手にしたエリオット、通信機に向かって、疲労を感じさせない声で叫んだ。
「私は総司令官エリオット・マースチンです。無用の犠牲をさけるため、これより降伏します。戦時国際法にのっとった捕虜としての扱いを要求します」
こっちは正式な軍隊と認められていないようだから、それは無理かもしれないな、と思いつつエリオットは言う。
砲撃はすぐにやみ、地平線の彼方から、戦闘指揮車がやってきた。
茶色い迷彩をほどこされ、反重力システムで浮遊するその車は、どことなく棺桶に似ていると、エリオットは思った。
「貴官がエリオット・マースチンか」
白旗を持って、一同の先頭に立つエリオットに、指揮車のスピーカーを通じて問いかけがあった。
「そのとおり。こちらにいる全員の命が保証してもらえるのなら、私は……」
「貴官に取引を行うことは許されていない。全武装を解除して当方の指示に従え」
振り向いて、エルミンとガーハに視線を送るエリオット。
「……わかった」
それだけ言って、口を閉ざすガーハ。巨体をもつこの男は猛り狂うこともなく、むしろ穏やかな眼をしていた。
「……約束したよ」
エルミンは、なにかをこらえるような顔をして一歩一歩ゆっくりとエリオットに近付きながらそう言う。
触れあうほどの距離にまで近付いた二人、それ以外の誰にも聞き取れない小さな声で会話する。
「……約束だよ」
「ああ。エルミンも約束してくれ」
エリオットには、自分の胸の鼓動以外なにも聞こえなくなっていた。半開きになった口から、それっきり言葉は出ない。
眼の前にいる彼女も、何もしゃべれずにいた。
けれど、やがて彼女の側から沈黙は破られた。
「……ねえ、地球ではどうするの?」
最初で最後の口づけは、
エリオットの想像していたような味は何もしなかった。
鉄格子のはまった窓から射し込む光は、夕刻のそれだ。
あれからまだ半日しか経っていないのか。
もう、懐かしいほどの昔のような気がするよ。僕があの場所に立ち、夢にまで見た何かを手にいれていたあの瞬間は。
口元に手をやった。
まだ感触が残っていた。
これが完全に消え去る前にすべてが終わってくれればいいなと、彼は思った。
幻想だって? 幻以外の何かのために戦う人間などいるものか。
その時ドアを叩く者がいた。
「マースチン、出ろ」
どこか、あのラルゴ社長の会社にいた「帽子の男」に似た声だった。
看守に連れられて来た所は、数人の男たちに囲まれたパイプ椅子の上。潔癖症という言葉を連想させるほど真っ白い壁と床と天井にかこまれた、意外に広い部屋の中である。
自分の向かいに座っていた男と視線が合い、エリオットは驚愕する。
細いメタルフレームの眼鏡、女性的といっても嘘にはならないような顔、淡い金色の髪と、細められた青い眼。
そうだ。自分とそっくりな男がいたのだ。
そしてその男のとなりの、巨躯を椅子にしずみ込ませている男にも、エリオットの視線は吸いつけられた。
サンダース。確かそんな名前だったはず。この惑星エバーグリーンに来たとき最初に出会った、あの男だ。
体重が二倍は違うだろう二人の男は、ともに軍服を着ていた。今回の作戦ではじめて作られた「エバーグリーン治安軍」の制服である。
鏡をのぞき込んでいるような印象を覚えさせずにはいられない、この細い男が、口を開いた。
「これより特別軍事法廷を開廷します。市民の感情を考慮し、通常の法廷常識にのっとらず、治安軍司令である我々二人、エグバード・サミュエルソンと、ハリー・サンダースが、被告人エリオット・マースチンを裁くことになりました」
やっぱりそうか。僕は特殊な裁判にかけられるのか。敗戦国が味わう苦痛のひとつ。絶対悪として裁かれるのだ。ニュルンベルク裁判、東京裁判……
部屋の隅には、大きなカメラが据え付けられていた。隠すどころか、むしろ存在を誇示するようだ。きっとエバーグリーンの都市すべてに中継されているのだろう。
「まず第一に、被告人エリオット・マースチンにかけられた嫌疑を読み上げます。
平和に対する罪、
大量殺人罪、
内乱罪……」
もちろんエリオットには何を言う機会も与えられなかった。弁護人もいはしない。かつて敗戦国が裁かれた裁判にすら存在したのだが。むろん、「人間以下の、悪逆非道の虐殺集団」の指導者に、そんなものは不要だというのだろう。それが市民の意志ならば、民主主義を守るため、むしろそうしなければならない……きっと総督府はそう考えているのだろう。被告人エリオットには、何となくそれが判った。
まあいいや。僕が人を殺したことは事実だからね。それが殺人罪だと言うのであれば何も言う事はないさ。
自分たちもそうだ、ということを君達が無視するのであれば。
サンダースはずっと黙って、パイプ椅子に座ったエリオットをにらみ続けている。かたわらのサミュエルソンばかりがずっと言葉を続けている。冷静で、丁寧な言葉使いではあったけれど、エリオットの人格すべて、やったことすべてを否定していることに変わりはない。
「私は、これらの罪状を吟味した結果、被告の行為は残虐であり、民主主義と人間性に対する邪悪な挑戦であるという当初の見解を揺るがすべき何物も見いだせませんでした。
よって、ここに、この男の死刑を要求します。それも、この男の罪状が未来永劫に渡り人々の記憶に残り、正義により裁かれるのだと市民全員が納得できるような形で」
……ってことは公開処刑か。
自分と同じ顔をした男が、軍人というより科学者めいた態度で、そんな冷酷な言葉を吐くのを見たエリオット、小さくため息をついて思う。
「被告、この裁判と、事件について何か言いたいことは?」
……ぎりぎりになって、喋らせるのか。
感触が消えちゃうから、あまりしゃべりたくないんだけどなあ。
……僕はどうしてそんなことを考えてしまうのだろう?これから死ぬってのに。
「何か言いたいことは?」
一度、ううん、と唸って、エリオット、自分と同じ顔の男に向かい、立ち上がって問いかける。
「……あなたは、なぜこんな事をするんですか?」
いろいろと言いたいことはあったはずなのだが、面と向かうと、ただそれだけしか言葉は出てこなかった。
これまでずっと冷静さを保っていたサミュエルソンは妙な顔をした。本物の裁判官や、犯罪心理の分析者などであれば、被告人がどんなおかしなことを言い出しても驚かなかったかも知れなかったが、彼は結局のところ戦争屋であるにすぎない。
「訳がわかりませんね。マースチン被告、この裁判の模様はエバーグリーンの全国民が注目しているのですよ。そればかりか、いずれは近地球圏十六国家にも、他の何百という植民惑星にも、この裁判の内容は詳細に報道されることになるでしょう。愚かな原住民が、地球人の優れた科学に楯突いた結果どうなるか、という好例として。
それが判っているんですか? 判った上で、そんな妙なことを言うのですか?
被告。むしろ貴方のやったことは、地球人以外の種族の立場を悪くしただけなんですよ。このエバーグリーン動乱をきっかけに、植民惑星では原住民に対する強硬な政策を打ち出しています。居留地の接収、下層労働者としての位置づけ、正しい地球文化を教える教化政策……
どこかの惑星では、『最終的解決』を検討しているそうです」
最終的解決。昔、どこかの帝国が、ユダヤ人に対して使った言葉だ。
「まあ、これらによって、地球人こそ最も偉大な生物であるという事が明らかになる訳ですが……どうです、すべてが裏目に出たと判った今、感想は。罪を悔いる以外、何かできますか」
エリオットより数倍能弁なところを見せて、すべて無駄だったことを強調するサミュエルソン。
やはりそうだったか。
予期はしていた。みんなを指揮して塹壕を掘っているとき、新型砲の砲身設計をしている時、ガソリンエンジンのプラグリーチを変えるべきか否か悩んでいる時、頃のどこかに、全て無駄なのではないか、そんな予感があった。
だから、ああそうかやっぱり、と、乾いたため息を発しただけで、泥沼のような落胆はやってこなかった。
決めたんだ。僕は決めたんだ。それでも、って。
他のことに注意がいった。
……こいつ、演出してる。
自分とよく似ているだけに、外見だけでなくて、この気取った喋り方が、コンプレックスをごまかそうとする時の自分によく似ているだけに、エリオットにはそれが判った。
僕とこいつの顔が似てるってことも、演出のうちなんだろうな。僕は、鏡の中の「虚像」ってわけだ。本当の賢人はサミュエルソンで……ぼくはその影、対極に位置する存在。
エリオットが、ただひたすらサミュエルソンに視線を注ぐだけだということを確認して、眼鏡の軍人は先に進めた。
「何も発言はないようですね。
みなさん、この男、被告エリオット・マースチンには一切、反省の色がありません。見て下さい、このふてぶてしいまでの態度を。せめて真実を語ってほしかった、市民の誰もがそう願っていたはずであるのに。
この男に良心はなく、いかなる贖罪も不可能であり、よって、私の結論はより強固なものによって裏付けらました。
では民主主義と自由の名の元に、エバーグリーン全市民の意志を問います。
この男、エリオット・マースチンに与えられるべき罰とは何か?」
へえ。
国民投票までするんだ。そのための演出か。
空間投影装置の働きで、空中に特殊な立体映像が浮かび上がる。
原色に輝く、いくつかの数字だ。
デジタル式体重計に飛び乗った時のように激しく変化するその数字は、しかし、少しずつ変化の幅をせばめ、ある一定の数字に落ちつきつつあった。
死刑……九十八.二パーセント
無期懲役……一.二五パーセント
その他……〇.〇二パーセント
無解答……〇.五三パーセント
エリオットは、まるで自分とは無関係なものを見るかのような顔をして、事実上の死刑宣告を見つめていた。
サミュエルソン、重々しくうなずく。
隣にいたサンダースは、一瞬だけエリオットと眼を合わせ、口元を歪め、結局しっかりと感情を表現することに失敗して、ただ小さく首を縦に振っただけだった。
「さて、ただ今の投票で了解いただけた事と思います。被告エリオットの罪に対する処置は、国民の総意と呼び得るほど確定されたものである、ということが。
では以上のことをふまえた上で判決を行います。どうぞ」
一応裁判長ということになっているらしいサンダースが、明らかに渋りながら、うむ、と話し出した。状況を楽しんでいるサミュエルソンと違って、この大男はどうにもぬぐい難い違和感をおぼえているらしかった。
「判決を下す。
……死刑」
最初に会ったときの、人の良さそうな笑みはどこにもなく、その角張った顔は硬直していた。きっと部下に一斉射撃を命じ、多数の人間を殺す時も、この男はこれほどの不快感を感じはしないだろう。
民意には逆らえない。だからその胸の奥に何があっても、彼は「死刑」と言わざるを得ない。それはもう判っていたら、エリオットは別段驚きもしなかった。
サンダースではなく、薄笑いをうかべているサミュエルソンの方に、彼は興味をひかれた。
こいつは自分に似ている。顔だけじゃない。いろんなところが似ている。
それなのにこいつには迷いがない。僕だったら必ずあるはずの、心の中のかげりがちっとも見えない。
こいつは居場所を見つけているのだろうか?
だから迷わずにいられるのだろうか?
それとも、自分はどうすればいい、誰か自分に生きていて良いのだと言ってくれ、そう悩み祈ったことが、こいつにはないのだろうか。
「……これをもって閉廷とする」
そんな言葉は耳に入っていなかった。明日、銃殺刑に処されることになったこの男の意識を満たしていたのは、こいつはどんな奴なんだろう、という疑問だけだった。
「なあ、あんた」
疑問に突き動かされて、エリオットは言葉を放つ。
「もう発言は認められていない」
「……あんたの居場所ってなんだ?」
おそらくテレビを見ている誰も理解できなかった質問だろう。だがサミュエルソンには判ったはずだった。自分と少しでも似たところがある男であれば、必ず判るはずだった。
その証拠に、彼の薄い唇の端が引きつった。
対照的な笑みを浮かべて、鏡のこちら側にいる男は言葉を続けた。
「僕は負けた。でも僕は負けない。最初から居場所の見つかってる君なんかには負けない。居場所の見つからない人類なんかには負けない。いや、というより、見つかってないことを認めようともしないものになんか」
一気にまくしたてられたその言葉は、死刑宣告を行なわれた者が世界に叩きつける言葉としては、あまりに異様なものであった。
鏡の向こう側の像が、また歪んだ。
エリオットは直感によって悟った。
きっとそうだ。きっと同じだ。僕が畏怖をおぼえた時の表情は、きっとこんなだ。
……僕は勝った。僕は負けたけど勝ったんだ。
二度とは戻れぬあの丘の上で、最初で最後にかわした口づけの感触が失われたいま、その確信こそが彼に残された全てだった。
死刑執行は予定どおり行われた。
エバーグリーンの一年は三百六十五日ではないし、一日の長さも地球とは微妙に違うので、西暦によってその日を表すことは大した意味を持たないだろう。
とにかく、ある夏の日に、すべての終わりを告げる銃弾は放たれることになったのだった。
丸木の柱に、エリオットは縛り付けられていた。
処刑場は、赤土がむき出しになった広場だ。
照りつける太陽ゆえ、流れた汗が眼にしみる。
風はなく、ひたすらに暑い。陽炎がたっていた。
兵士がライフルの銃口を上げた。
数秒間の凝縮された時間。エリオットはいくつかの事を考えていた。
……もう誰も死なずに、いつか来るだろう日まで、ちゃんと戦い続けてくれるといいなあ。
……そう、これは終わりじゃない。きっとエルミンは気づいているだろう戦いの、はじまりだ。
ずっと生きていてくれるといいな。
死ぬときには、もっと涙があふれて、ああすればよかった、こうしておけばよかったって、そう思うものだと、僕は思っていた。
でも、そんな事は全然なかった。死ぬって、キスやセックスと、どこかに似ているなと、彼は眼を閉じて思った。汗のせいで、眼を開けていられないのだった。
その時とつぜんに、強い風が吹いて、砂塵が巻き上げられた。どこか口笛に似た風の音が、処刑場いっぱいに広がった。
薄暗がりの世界にいたエリオットの耳に、その音は単なる風の音以上のものとして響いた。
……これは歌だ。
風のような歌……
あれ?
どこかで聞いたことあるぞ、その言葉。
おもいだせない。なにか大切な言葉だったはずなんだけど。
そう、きこえたのだ。風のような歌……
その歌が終わるとほぼ同時に、銃声が轟いた。
銃弾はエリオットの胸と首を貫き、即死させた。
衝撃で吹き飛んだ眼鏡が赤茶けた地面に転がった。
宙に浮かんだカメラはすべての映像をとらえていた。
テレビではなく、双眼鏡をつかって、司令官ふたりは反乱軍の首謀者が処刑される瞬間を見た。
サンダースは、まぶしい光に眼を細めながら、口の中だけで祈りの言葉をつぶやく。
一方のサミュエルソンは、そういった神経を全く持ち合わせていていないような顔をしていたが、突然、かたわらの総督府関係者に声をかけた。
「お願いがあります」
神妙な顔をしてうなずく役人に、副司令はこう言ったのだ。
「あの男の遺品、たとえば眼鏡を、元反乱軍の連中に返してやってください」
まっすぐに相手の顔を見つめて言う彼の表情は、たったいま帰らぬ旅に出たエリオットが何かを決意した時の顔とそっくりであった。