楽園迷宮
序章 「僕は、何も知らなかったんだ」
一
「キリアス! こんなとこにいたのか。なあ、行こうぜ!」
聞き覚えのある声が鼓膜を叩いた。
ぼくは読んでいた本から顔をあげた。分厚い紙の本だ。ぼくは紙の本が好きなんだ。いくらカード大公領が懐古趣味的だからって、紙に印刷した本をいつも持ち歩いてる奴は少ないだろうね。でも、好きなんだ。父さんなんかは首を傾げているけど、紙の本っていいもんだよ。キッチナー大公領に生まれなくて良かったと思ってる。あそこは紙が全くない世界だもんね。
だから読書を邪魔されて少し腹が立ったけど、一応、声のした方を見てやった。
予想通り、そこには浅黒い肌の少年が立っていた。少し小柄だが、いかにも気の強そうな顔の少年。ポケットが山ほどついた、動きやすそうなジャケットを着込んでいる。この庭園の気温を考えると少し暑そうだ。
ペルーサだ。
ペルーサ・ダリュオント・ヴァイ・エスペラン。
「ヴァイ」という称号を見れば判ると思うけど、僕より一つ下の「子爵」だ。でも、父さんは、貴族同士の身分の差にはそんなにこだわらない方だから。そもそもうちの家…アルカゼル伯爵家にしたって、たかが恒星系ひとつ持ってるだけ、大貴族とはおせじにも言えない。
だから彼とは、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。たいていは、あいつが「これやろうぜ」っていって、僕をひきずり回すだけだったけど……
例によって、何が楽しいのかにやにや笑いを浮かべて近づいてくる。
「またその話かい?」
もう七回目か、それとも八回目になるかな。ペルーサからそうやって誘われるのは。
「そんな危険なことできないよ」
「何言ってんだ。お前、もうすぐ十六歳だろ。もう小さい子供じゃない。それなのに召使いなしで行動できないのか?」
やっぱり例によって、ちょっと乱暴な、遠慮を知らない口調だ。別に貴族らしいしゃべり方ができないわけじゃない。相手が僕だから、友達だから、あえてこういうしゃべり方にしてるんだ。有り難いと思う……思うけど……こういう言い方されると、なんか逆らえない……
「でも……」
ぼくは周囲を見回した。誰かペルーサを止めてくれる人はいないかと。
だが、いない。いるわけがない。ぼくが座っているベンチの周りには銀河各地から集められてきた樹木が茂り、鳥たちがさえずっているばかりだ。
ここはジリオース星系の第三惑星、ラミーナ。その北大陸にある、庭園の一つだった。
端っこから端っこまで、だいたい二十キロくらい。二年前の誕生日、僕のために父さんが造ってくれた庭園のひとつだ。貴族は庭園のひとつや二つ持っていなければいけない、今のうちから慣れておけ、ってさ。
でもぼくは興味ないから、世話はロボットに任せっきりにしてる。今日みたいにたまに来ても、本を読んでるだけ。誰にも邪魔されずに読書するには、なかなかいい場所だよ。
だから……ぼく専用の庭園だから、周りには誰もいない。見えないくらい離れた所には、たぶん庭師ロボットがいると思うし、端っこの発着場には執事のクラウドが待ってると思うけど、ぼくの声が届く範囲にはいない。
結局ぼくは、ペルーサの顔に視線を戻すしかなかった。よっぽど僕が困った顔をしていたんだろう、ペルーサは苦笑した。
「そんな顔すんなよ、それじゃまるで俺がいじめてるみたいじゃないか」
「違うの?」
「とんでもない。俺はお前のこと心配してるんだ。お前の親父さん、もうすぐお前に、仕事任せるつもりなんだろ」
「うん。惑星の三分の一、この北大陸をくれるんだってさ」
「こんな広いとこか……忙しくなりそうだな。領主の仕事ってけっこう大変らしいじゃないか。それに領主ってことになったら、社交界デビューって奴も一緒にはじめることになるよな。遊んでる暇なんかない」
「それはそうだけど……」
「そうなってから後悔しても遅いんだよ。まだ子供のうち、時間のあるうちに、ちょっとだけ羽目を外して遊ぼうって、そう言ってるだけだ」
「でもぼくは、ずっとこのジリオースに閉じこもってるわけじゃないんだよ?」
一年に一回くらいは、父さんにつき合って他の星に行く。カード大公に挨拶しに行った時なんて、けっこう長旅だった。カード大公領の首星系まで四千光年くらい離れてるからね。
「それは親父さんに連れられて行っただけだろ。自分で目的地を決めたわけでも、自分で船を操縦したわけでもない。他の星に降りたって、警備兵が山ほどついたまんま、そうだろ。それで旅をしたって言えるのか?」
うう……それは確かに。ぼくが口ごもったことに勢いを得たのか、ペルーサはいつも以上に早口で、一気に叩きつけるようにして喋り続けた。
「だろ、お前もほんとはそう思ってるんだろ。これじゃまるで荷物みたいだって。ペットといってもいいよな。大切にされてるけど、籠から一歩も出してもらえない。前々から思ってたんだけど、キリアス、お前は親父さんの言うことを気にしすぎなんだよ。ああ、わかってる、父親を敬えって教えられたっていうんだろ。まあ、それはそうだよ。俺だって親父のことはあんまり好きじゃないけど、とても貴族とは思えないくらい貧乏だったエスペラン家を一代で立て直したんだ、立派だと思うよ。あんまり親をバカにしてると、狂皇帝ダリリオスみたいになっちゃうしな。でもさ……」
「わかったよ」
ぼくは弱々しくうなずいた。とたんにペルーサが黒い眼を輝かせる。
「おっ、わかってくれたか。そうだよな、お前の親父さんは少し過保護すぎるんだよ、だから一回くらい、言いつけに背いてでも冒険したほうがいいぜ。そうしないと……」
「もうわかってるって」
そうだ。自分だって判ってる。ぼくが、他の貴族達に比べてとても気が弱いことくらい。向こうが少しでも冷たい態度をとったら、僕はうまく喋れなくなるんだ。この人僕のことがきらいなのかな、ぼくこの人を怒らせちゃったのかな、そんなことで頭が一杯になって、うつむいて、相手の眼を見ることもできなくなってしまう。自分でも情けないと思う。
父さんはよく嘆いてた。お前はレテルシアに……母さんに似すぎたって。少なくとも領主には全く向いていない、そんなことで伯爵家を継げるのかって。それでもお前は地球人……銀河を導く、優秀なる種族の一員かって。
そこまで言われたら腹も立つけど、実際ぼくは、知らない人と喋るのが少し怖い。この星の人ならまだいいんだ、みんな「公子様」「キリアスぼっちゃま」って言って、すごく丁寧に接してくれるから。でもそんなのが通用するのは今だけなんだよな。
だから……
ぼくはペルーサに従うことにしたんだ。
今まで、一人でこの星……うちの領地を出たことはなかった。父さんが、それは危険だって言ってたから。でもぼくはこのままでいたくない。目の前にいるペルーサみたいに、明るく元気に振る舞いたい。言いたいことをはっきり言えるようになりたい。だから……
ペルーサは背を向けて、意気揚々と歩き出した。かなりのペースだ。ぼくは慌てて彼を追った。いつもそうだった。小さい頃からずっと。ペルーサが僕をリードして。ぼくは「待ってよーっ」って叫びながら追いかけて。
でも、いつか追いつくから。
ずっとそんな風では、いたくないから。
庭園の中に造られた石畳の道を、数百メートルばかり進むと、二人乗りの浮遊車が停められていた。この大公領ではごく一般的な、古代地球のガソリン自動車を模したデザインのものだ。ペルーサは勢いよくドアを開けて飛び乗ると、すぐさまキーを回した。羽虫が飛んでいるような唸り。車が数十センチばかり浮き上がる。後からぼくが追いかけていることを忘れているようにしか見えない。
「ま、待って!」
「遅い」
君が早すぎるんだよ。
ぼくはそう思いながら助手席に滑り込んだ。
シートベルトを締める前に、ペルーサは浮遊車を上昇させた。たちまちぼくたちは木々の間を抜け、庭園を見渡せる高さにまで達した。
実際にその場で歩いていると世界のすべてのように思える庭園だけど、こうやって上から見ると箱庭のように小さいことがよくわかる。いや、この惑星だって、宇宙から見れば小さく狭いようにしか見えないかも知れない。ぼくは自他共に認める臆病者だけど、こうやって高いところから下を見るのは好きだ。あんなに広く大きかったものが小さく見える、この体験が面白くて仕方ないから。
ペルーサはさらに車を上昇させた。すでに窓の外に見える空の色は「青」ではなくなってる。高度数十キロ……
「ちょっと、どこまでのぼるのさ、ペルーサ。発着場はあの庭園のすぐそばだよ、こんなに高く飛ぶ必要ないよ」
「誰が、発着場から宇宙船に乗るって言った?」
「え?」
ペルーサは個人用の小型宇宙艇、「ストリージィ」を持っている。確かに数十トンしかないけど二人しか乗らないなら十分だし、たぶんあれで乗り付けたんだと思っていたけど。
「ストリージィに乗り換えるんじゃないの?」
「そうだよ。でも発着場にはよらない。だって発着場には、お前の家の家来がたくさんいるだろ。二人きりで旅に行くなんて、止められるに決まってるじゃないか」
「えっ、じゃあ」
「そうだよ。ストリージィは衛星軌道に浮かべてあるんだ。そこまでこの車で行って、乗り移るの。そのための宇宙服も持ってきたから」
「そんなメチャクチャな! これは車なんだよ、宇宙船じゃないんだよ、航法装置だって宇宙には対応してないし、ロケットで飛んでるわけでもないし、第一……」
「大丈夫大丈夫。こいつの重力制御エンジンは、『半径四百キロ以内に惑星サイズの第質量が存在した場合、それに対する反発効果で一.二Gの加速が可能』なんだってさ。だから四百キロまでは上昇できるの。俺もこいつが宇宙を飛べるなんて知らなかったけど」
「い、いやだ! そんなの危ない! 宇宙船じゃないもので宇宙飛ぶなんて無茶苦茶だよーっ!」
当然のことを言ったつもりだった。でも次の瞬間ペルーサか口にした言葉が、ぼくを黙らせた。
「それじゃ、いつまでたってもこのまんまだよ? 勇敢になりたいんだろ? たくましくなりたいんだろ?」
……う。それは……
「じゃあ、行くぜ!」
ペルーサが立体式ステアリングを思い切り手元に引いた。鈍い衝撃。車体が縦になる。アクセルを踏み込んだ。振動が激しくなった。
「全開っ!」
車は宇宙空間に向かって猛然とダッシュをはじめた。
やっぱり嫌だ!
そう叫んだが、勢いに乗っている時のペルーサを、ぼくが止めることのできたことは一度だってなかったんだ。
重力制御で飛んでいるから、どんなに加速しても重圧は感じない。いわば「上に向かって落っこちている」のだ。だからスピードを出しているという感じを受けなかったのが、唯一の救いだった。
二
「そんなに怒るなよ、キリアス。ほら、何の問題もなく着いたろ?」
ここはペルーサの船「ストリージィ」のエアロック。ぼくたちは二枚のシャッターにはさまれた狭い空間で、空気が注入される音を聞いていた。
「べつに怒ってるわけじゃないけど」
どっちかっていうと、あきれてるんだ。
性能限界ぎりぎりとはいえ、このストリージィは高度四百キロより低い、人工衛星としては最低レベルの軌道を巡っていた。だからどうにか、車はこの船の高さまで這い上がってくることが出来た。でも問題はそれからだった。なにしろ重力制御エンジンを全開でぶん回さないと浮いていることはすらできないのだから、精密なコントロールなんかできるわけない。そんな状況でストリージィにドッキングしようってのは……無謀すぎ。何度か車体を壁面にぶつけてへこませたあげく、十分以上かかってようやくドッキングできた。死ぬかと思った。
「今度から、自動操縦にしてよ」
「ああ、俺の車には自動操縦ついてないよ」
「え……」
「あんまり好きじゃないんだ、機械に頼るの。まあちゃんとした宇宙船は空間跳躍するわけだから、コンピュータ抜きじゃさすがに無理だけど……このくらいのスピードしか出さないんだったら、人間の眼と反射神経でもどうにかなる。現に大丈夫だったよ」
「どこかだよ! 死ぬかと思ったよ! もう少しスピードが速かったら……それにしても、よくみんなが黙ってるね、自動操縦なしなんて。もしもの事があったらどうするの、とか言われないの」
「親父は『好きにしろ』って感じだぜ。まあやめろって言われても気にしないけどな」
「へえ……」
ぼくは簡易宇宙服のバイザー越しに、ペルーサの顔を見つめた。エアロックの中は赤い非常灯が点いているだけなので、彼の表情はよく判らない。でもぼくには予想が付いた。彼は自信に満ちた表情をしていることが。
いいなあ。素直にそう思った。
どうして彼は、自分のやりたいようにやれるんだろう。どうしてそんなに強いんだろう。どうしてぼくにはできないんだろう。しかも彼は、ただわがままだってだけじゃないんだ。実際、誰の手も借りずに一人でやりとげてしまう。
「加圧終了しました。内側シャッターを開放します」
女性の声がした。宇宙船のコンピュータだ。
「ほら、早く行こうぜ」
「う、うん……」
シャッターが完全に開き終わるのが待てないらしく、隙間をすりぬけてペルーサは飛び出していった。
「ま、待ってよ!」
今回もまた、ぼくは声をあげて追いかける羽目になった。ぼくはこの船に乗せてもらったこと、二回くらいしかないんだよ。まあ、船室が三つくらいしかない船だから、迷うことはないと思うけど……
通路は狭かった。このくらいの大きさの船なら仕方ない。ペルーサは一直線に操舵室に向かっているらしい。人工重力の働いていない通路を泳ぐように進んで、通路の端にあるドアに飛び込む。
そこが操舵室だった。ペルーサはもう、中央のシートに腰掛けていた。
「まず、どこに行くの」
「適当」
たぶんそう答えると思っていた。でもやはり呆れる。
「て、適当って……」
大銀河には全部で一千億もの星がある。
このカード大公領だけでも、十億くらいの星系があるはずだ。「観光地」と呼ばれている星だけ選んでも、百万や二百万じゃきかないはずなんだ。それなのに、どこに行くか決めてなかったなんて。
「だって適当だもん。まあ、これでも見ながら考えるよ」
そう言ってジャケットの胸ポケットから取り出したのは、一枚の量子ディスク。ラベルには「カード大公領観光案内 その三」と書かれている。
いきあたりばったりだなあ……
「まあ一応決めているんだぜ。カイドットか、エクサパーサなんてどうだ」
カイドットは密林惑星だ。高さ五百メートル以上あるラガシュー樹とかいう樹が惑星中にびっしり生えていて、密林の中には何百万種類もの生物がいる。獣、鳥、昆虫……危険な猛獣や、人間まで食ってしまう食肉植物もいる。可変猟銃を持って、そういった生き物たちをハンティングして回るのが、惑星カイドットでの遊び方だ。そこまでの危険を冒したくないなら、電磁バリアで仕切られた安全地帯だけを回ればいい。このカード大公領では一、二を争うくらい人気の高い観光地だ。わざわざ他の大公領から遊びにやってくる人までいるみたいだ。
でもエクサパーサは……
「ちょってまって。エクサパーサって賭博惑星だよ」
「知ってるよそんなこたあ。あそこの賭けはすごいらしいね。この間親父から聞いたんだけどさ、闘獣にハマったなんとかって侯爵が、惑星十個突っ込んで負けたんだって。大騒ぎだったってさ」
「惑星十個賭けちゃったの?」
「そう。都市ひとつくらいならたまに聞くけど、惑星をチップにした大勝負ってのは滅多にないらしいぜ。お前もそんな風にならないように気を付けろよ。うーん、ギャンブルって怖いなあ」
「怖いって判ってるんなら、どうしてそんな星に行きたがるんだよっ!」
「判ってないな、お前は。耐性をつけるためさ。そこそこ負けて恐ろしさを体で知るの。さっき言ったバカ侯爵も、お前みたいな堅物で、『ギャンブルなんてまともな人間のやるもんじゃない』ってずっと思ってたらしいぜ。だからこそ、なんかのきっかけでのめりこんだら、あとは一直線……な?」
「な、と言われても……」
ぼくはペルーサの隣の席に腰かけ、ハーネスで体を固定した。うまく言葉が出てこない。
「まあ、やりたくないってんならしょうがない。あそこにはほんと、銀河系のあらゆる賭け事が集まってて、見てるだけでも退屈しないんだけどなあ」
「とにかく駄目……」
「じゃあカイドットで猛獣狩りといくか。今度新しい翼竜型を入れたらしいからな、楽しみだよ。こないだはいまいち不本意な結果だったからなー。三日もいて二頭ってのは恥ずかしいよ」
「い、言ったことあるの、カイドットに?」
「そりゃあるさ。男だったら誰でも憧れねえか、でっかいライフルで、場合によっちゃナイフ一丁で、巨獣と渡り合う! ……なんだよその眼は」
「いや……そういうの、よくわかんないなあと思って」
「全くお前は……そうだよな、お前そういうことに全然興味なかったもんな。本読んでばっか。一度くらいやってみるのもいいと思うけど……どうだ?」
ペルーサは、さっきのギャンブル惑星の時より真剣な表情になっていた。
「うーん……」
生き物は怖い。父さんが飼っている犬……古代地球にいたサモエドとかいう犬種を遺伝子強化したB種バイオ犬なんだってさ……でさえ、息がかかるくらい近寄られると腰が引けてしまう。それより何倍も大きい……場合によっては何十メートルもある動物が大木をなぎ倒しながら暴れ狂っている光景を想像すると、それだけで体が震えてくる。
「誘ってくれるのはありがたいけど……」
「じゃあ、どこならいいんだ」
困ったような表情のペルーサ。そう言うなり操舵席のコンソールパネルに指を走らせる。目の前の大型モニターに外の光景……宇宙空間が映し出される。
「加速準備。プログラムコードA七。これでよし、と……」
背後から細かい振動が伝わってきた。
モニターの端にウインドウが開き、全システム点検・エンジン出力上昇・航法プログラム起動・加速開始という発進プロセスがずらずら流れていく。
「どこならいいんだ? いつも俺が行くところを決めて、お前につき合わせてばっかりだろ。だからたまにはお前に決めてもらおうと思うんだけど……」
ペルーサは、わざわざ横にいるぼくの方を向いて、微笑んだ。
善意なんだと、思う。このまま、ぼくが自分で何も決められないような人間でいて欲しくないから。だから、ぼくは決めなきゃいけない。
どうする?
どこの星にする?
ぼくは大スクリーンを見つめた。もちろん銀河の星すべてが映っているわけではないにせよ、それでも何百かの星がちりばめられた、真っ黒い四角形を。
いくつか、知っている星の名前を思い出す。
遊園地惑星……ヨミリ・ハイラン。
剣と魔法の星……ロマーナランド。
完全機械化惑星……マシーナス。
そういう特別な星でなく、単に大きな都市があるだけ、という星も山ほどあった。単に森とか山が奇麗なだけ、という星も。どの星にだって、それなりに魅力があるんだろう。
どこにする?
そこまで考えて、ぼくは他の星のことをほとんど知らないことに気づいた。やっぱり、一年に一回領地から出るくらいじゃ、どうにもならないんだ……宇宙せましと飛び回っているらしいペルーサほどじゃなくても、せめてその百分の一でも、外に出ていれば……
「どうした? どこでもいいぜ。まあ『地球』とかは無理だけど……」
そりゃそうだ。『地球』は聖地で、聖印をもつ人間以外は入れない。聖印を授けられているのは、皇族、六十四大公家、あとは特例が数人いるだけ。
「うーん……」
ぼくはスクリーンの一角を指さして、叫んだ。
「あれ! あの星!」
ペルーサがあっけにとられる。
「へ?」
「あの星。今指さしているでしょ」
「いや、たくさんありすぎてどの星かさっぱりわからないけどよ……」
ペルーサ、手元で何か操作する。スクリーンに小さな矢印が現れた。
「これか?」
「違う」
「この黄色いやつか」
「それでもない。その右」
「じゃあ……これか」
「そう、それ」
それは、かろうじて見えるかどうか、というくらい弱々しい光を放つ、オレンジ色の恒星だった。
特に何か理由があって、その星にしたわけじゃない。あてずっぽう、でたらめに、眼についた星を指さしてみただけだ。
「お前もおかしな選び方をするなあ……判った、あの星に向かって飛んでみるよ。でも、人が住んでないような不毛の星だったら? 言っとくけど、そういう星の方がずっと多いんだよ」
「その時は、その向こうにある星に行くの。とにかく、あっちのほう」
「……わかった」
ペルーサは不思議そうにぼくの顔をのぞきこんだ。そして苦笑する。
「お前がはっきり物を言うなんて珍しいからな、従うよ」
彼は視線を大スクリーンに戻すと、素早いキータッチで一連のコマンドを打ち込んだ。
スクリーンにもう一つ小さなウインドウが現れた。現在の船がどういう状況にあるかを示すウインドウだ。その中に表示されているのは「八百G加速中 現在速力四十キロセカンド」。速力の数字は目まぐるしい勢いで増大してゆく。
重力制御が効いているから、加速しても何も感じない。けれど一瞬でも重力制御がとぎれたら、ぼくたちは体重の八百倍の力で押しつぶされる。そのくらいの超加速で、上に向かって吹っ飛んでいるのだ、この船は。
「八百Gは少し飛ばしすぎじゃないの」
「大したことないさ。早く空間跳躍したいだろ?」
この船にはもちろん、空間跳躍……光の速さを超える機能が備わっている。でもたいていの領地の法律で、人が住む惑星から千万キロ以内では空間跳躍をしちゃいけないことになってる。最初はノロノロと、普通のエンジンで進むしかないのだ。
そのときコンピュータの声が降ってきた。
「通信が入っています、ペルーサ様。アルカゼル伯爵領の航宙管制局からです」
「あ、やべ」
「どうしたの?」
「急いで隠れろ、キリアス!」
「え?」
ぼくは戸惑って、左右を見回した。隠れられるものは、この操舵室には何もない。椅子の後ろに、なんとか……でもそのためには、ハーネスを全部外さなきゃ。
「どうして隠れるの?」
「バカ!」
「ペルーサ様。応答を求めています」
「音声回線だけつなげ。こちらペルーサ・ダリュオント・ヴァイ・エスペラン所有個人クルーザー、『ストリージィ』。惑星圏から離脱する。予定航路は……」
「ストリージィ、停船せよ。貴船は航中安全規約に違反している。惑星圏からの離脱に際しては、まず予定軌道プランを管制局に提出、許可を得た上で発進せよ。繰り返す、停船せよ」
「そうだよペルーサ、マナーは守らなきゃいけないって父さん言ってたよ」
ぼくは思わずそう言っていた。するとペルーサは絶望的な顔つきでぼくを睨み付けた。
「今の声は……ぼっちゃん、キリアスぼっちゃんですか? なぜそんな船に乗っているのですか? 護衛はどうされたのですか? 当主様の許可は取られたのですかっ?」
管制官は、やっぱりぼくの声を知っていたらしい。相当に慌てている。
「お前は全く……こちらストリージィ。許可は後でとる。帰ってきた後で。これより全速で恒星系から離脱する。衝突に注意されたし。ってわけで、邪魔だからどけどけー!」
最後のあたりは少しヤケになっているらしい。それだけ言ってペルーサは回線を無理矢理切った。
「ペルーサ、もしかして黙って旅に出るつもりだったの?」
「当たり前だろ。管制局にいちいち報告してたら、お前が乗ってることがばれるかも知れないだろ。ばれたら止められるに決まってる」
「駄目だよそんなの。父さんに一言言ってからでないと……」
「はあ……気が重いね。やっぱりお前は……」
そう言うなり、ペルーサは沈黙した。ぼくと話を続ける気力を失ったらしい。
「ペルーサ様、ペルーサ様。方位一八〇−〇〇五より小型船舶が接近中です。警備艇と思われます。繰り返し応答を求めています。つなぎますか?」
「絶対つなぐな」
「発砲される恐れがあります」
「平気さ。領主の一人息子が乗ってるのに、まさかほんとに当てるわけないだろ。くだらないこと言ってないで、空間跳躍の準備をしろよ」
ぼくはその時、半ば唖然として、半ば憧れていた。
やっぱりペルーサは凄いや、こんなに、規則とか常識とかを無視して、やりたいようにやれるなんて……自由奔放って言葉は、こういう人のためにあるんだな。
……それが間違いだと気づいたのは、ずいぶんあとのことだった。そしてその時には、何もかも手遅れになっていた。
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