第一章 「ほんとうにたすけてくれるの?」
……初代神聖皇帝リアン・エルベシュトック・インペリュン・マルートの造り出した偉大なる国家、『地球帝国』は、この大銀河に永遠の楽土を生み出すことを本来の目的としていた。むろんリアン大帝とて知ってはいた。『永遠』など抽象概念にすぎないことを。
けれどリアン大帝は当時の人類が知っているすべての英知をもって、あり得ないはずの『永遠』を現実世界に出現させようと試みたのだ。大帝の造り出した帝国は五百年の長きにわたり繁栄を続けた……
ぼくは本の文面を追っていた。ちょっと文章が硬いな、とか思いながら。
……そのシステムが限界に達したのは、帝国暦五百年を過ぎてしばらく経った頃である。帝国が次々に未踏宙域に進出、他の種族を傘下に加えることができていた膨張の時代には、建国帝のシステムはうまく行っていた。だが進出の開始より五世紀、すでに帝国はこの大銀河の全域に広がり、新たに開拓すべき恒星系は一つもなくなった。ここに停滞の時代が訪れたのである。停滞はたやすく退廃へと変化した。貴族達は研究を忘れ、政治を忘れ、ただひたすら遊びほうけるようになった。遊びがいかに新奇で大規模であるか、それだけが貴族の格を表す基準となった。
帝国暦五一五年に即位した狂皇帝ダリリオスはこの退廃の時代が生み出した鬼子であり、一千年に及ぶ帝国史上唯一、武力によって玉座を追放された皇帝である……
うーん、具体的な例が少なすぎるなあ。かといって統計資料もないし。この本は外れかなあ。いっそ創作が入ってもいいからエピソードを加えて、半分歴史小説みたいな代物にしたほうがいいと思うんだけど。
「おいキリアス」
ぼくは次のページをめくった。
……狂皇帝ダリリオスは当時の世相を象徴する男であった。彼は闘技を好んだ。それも何百万もの兵を動員した闘技を。彼を喜ばせるためだけに、見せ物の戦争がいくつも行われた。彼は核反応で惑星を焼き尽くし、苦しみもだえる人々を見ることを楽しみとしていた。遺伝子操作で造り出した巨獣を何万となく惑星に放ち、人々が食われていく姿を見物した。つまり他人が苦痛にうめきながら死ぬ光景こそ、ダリリオスが最も好むものだったのだ。
貴族たちはダリリオスに反発を強めた。このままでは我々の領地はすべてダリリオスの快楽のために灼かれてしまう。奴隷のすべて、平民のすべてが殺し尽くされてしまう。我々の財産が全て灰になってしまう。冗談ではない。
だが少しでも逆らったものは、ことごとく粛正の対象となった。最初の一年ばかりは根拠のある反逆者狩りしか行わなかったダリリオスだが、やがて平民のみならず貴族をも殺せるという魅力にとりつかれ、「勘」に基づいて粛正の刃を振り回すようになった。とある公爵が「式典のさいに余から眼をそらした。きっとよからぬことをたくらんでいる」という理由で惑星ごと吹き飛ばされた。これは一例にすぎなかった。ダリリオス治世の最後の一年で、十二万家の貴族が根絶やしにされた。
事ここに至り、貴族たちは結集して狂皇帝を倒そうとした。貴族たちの盟主となったのがダリリオスの弟マリウスである。マリウス軍と皇帝軍は銀河の各所で九十八日間に及ぶ戦闘を繰り広げた。やがて皇帝軍は内部崩壊を起こし、全軍降伏した。
捕らえられたダリリオスはマリウス自らの手によって処刑された。
狂皇帝を討ち果たしたマリウスは戴冠し、新帝マリウス三世となられた。マリウス三世の最初の仕事は帝国の仕組みを根本から作り替えることであった。皇帝ただひとりに権力を集中する現在の仕組みには無理があると、マリウス三世はお考えになったのである。
かくて銀河系は六十四に分割され、マリウス三世の任命した優秀なる貴族「六十四大公」によって治められることになった。皇帝家はただそれらを束ねる権威としてのみ……
「キリアスってば!」
ん?
ぼくはようやく、自分を呼ぶ声に気づいた。
声はすぐ真横からしていた。首を動かすと、ペルーサがしかめっ面をしていた。
「あ、ペルーサ。どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ全く。本読むのもいいけど、人の話きけっての」
「ええ? まだ着かないよね」
「もう着いたよ」
「え、嘘?」
「目で見える範囲の星なんだから、大して離れてるわけないっての。よっぽど明るい星でなけりゃ、百光年離れたら見えなくなるんだぜ。百光年以下なら、空間跳躍二、三回ですぐ着くよ」
そう言ってペルーサは、顎で前方の大スクリーンを指し示した。
そこには確かに、オレンジ色にまぶしく光る球体が浮かんでいた。
「でも、この星は誰か住んでるの?」
「この船のデータバンクには細かい情報が載ってない。でも、第三惑星には酸素も水もある。微弱なエネルギー反応もあるな。こりゃ電波の反応だ。うん、誰か住んでるみたいだぜ」
「じゃあどうしてデータバンクに記録されてないの?」
「記録する価値もない、ド田舎惑星ってことじゃねえか? どうする、この星にするか? なんか、なんにもなさそうだけど」
「うーん……もう少し見てみようよ。近寄れないの?」
「もちろんできるさ」
ペルーサが何事か打ち込んだ。モニター上の小さなウインドウに「第三惑星への接近軌道に入ります」という文章が表示された。
数分のうちに、モニターには黄色い惑星が映し出された。本当に真っ黄色だ。森林も、海もないらしい。
「砂漠の星?」
「らしいな。おっと……名前だけはデータバンクにある。惑星サクリファイス」
「サクリファイス?」
ぼくの口から飛び出したその言葉には、少しばかり不快感が混ざっていたと思う。
「サクリファイスってのは、古代地球の言葉で『犠牲』って意味だよ」
「へえ。お前よく知ってるな。伊達に本は読んじゃいないって訳か」
「うん。でも悪趣味な名前つけるなあ」
「そう悪く考えることもないぜ。この星を開拓するとき、いろいろ困難があって、たくさん人が死んだ。そいつらの犠牲を忘れないようにしよう、だから『犠牲』という名前の惑星にしよう、そういう感じかもよ」
「そうかなあ?」
どうも無理がありすぎる気がする。まあ、でも、わざわざ悪い方に考えて暗い気分になることないよね。
と、思ったんだけど。
「恒星系の名前はギルティ星系だってよ」
ギ、ギルティ……
「どうした、そんな顔して。ギルティってのも嫌な名前なのか」
「『ギルティ』は『罪』だよ」
「そりゃひどいな。罪に犠牲……悪意で付けたのかな」
「たぶんね」
「領主の名前は……カルロ・カーン・ギルティ・バルトロメオか。このおっさん、そんな名前の星に住んでて平気なのか?」
「地上に住んでるの?」
「さあな。あそこにでっかい衛星が浮いてる、あれじゃないか?」
ペルーサがモニターを指さす。確かに惑星の表面をかすめるように、白い輝点が移動していた。かなり大型の人工衛星だ。貴族が宇宙に住んで、領民たちを見下ろすのはよくあることだ。
その時、コンピュータが呼びかけてきた。
「通信です。第三惑星の衛星軌道上、ギルティ伯バルトロメオからです」
「はあ?」
ペルーサとぼくは顔を見合わせる。
伯爵本人から?
「伯爵本人か? 航宙管制局じゃなくて」
「ええ、本人のようです」
「つないでくれ」
スクリーンに、老人の顔が大写しになった。
ぼくは思わずシートから腰を浮かそうとした。ハーネスが邪魔で出来なかったが、それさえなければ背もたれの後ろに飛び込んでいたかも知れない。
要するに、怖い顔だった。
頭には一本の毛も生えていない。そのかわり黒々とした髭をたくわえている。顔は、かなりごつい感じだ。いや、顔そのものじゃない、ぼくが怖がってるのは。
雰囲気っていうか、口を開かなくてもなんとなく伝わってくる感情っていうか。
とにかく、この人は変な風に顔を歪めていて。それはどうみても、怒りの表情にしか見えなくて。つまり……
っていうか、この人どう見ても激怒してるよ!
「誰だ、お前らは」
その表情にふさわしい言葉だった。
「ええっと……」
さすがに気圧されたらしいペルーサが口ごもる。
「か、観光に来ました」
これはぼくの口から滑って飛び出した言葉だ。そんなこと訊かれてないけど言ってしまった。
「観光だとっ!」
どういうわけか、伯爵はいっそう怒り出した。額に何本も血管が浮き上がる。カメラに向かって突進したらしく、顔がますます大きくなる。
「ふざけおって! 観光でこの星に来る奴などいるものかっ! わしを笑いに来たんだろうっ! そもそも貴様らは何者だ!」
ぼく、こんなしゃべり方する人、会ったことないよ……この人、なんなの?
「俺は……私はペルーサ・ダリュオント・ヴァイ・エスペラン。こちらはキリアス・ジリオース・カーン・アルカゼルです」
「子爵に伯爵だと? やはりか! やはりわしを笑いに来たか! 帰れ! とっとと帰れ!」
「いえ……別に笑ってはいません。ただ観光旅行中に……通りがかっただけなのです」
ぼくは声も出なかったが、ペルーサは一応まともに答えようとしていた。ところどころでつっかえるのは、ちょっと圧倒されてるのか、それとも単に敬語を使い慣れてないのか。
「ふざけるなーっ!」
モニターが何か黒いもので埋まった。黒いものはすぐに消えた。伯爵が拳骨でカメラを殴ったらしい。
「貴様らのことは全てわかっている。わしがこんな星を押しつけられたから笑うのだろう、バカにしているのだろう!」
「いえ、そのようなことは一言も言っておりません!」
「言ってないかも知れんが、言われているような気がするのだ!」
……こういうの、被害妄想っていうんじゃないか? この人は被害妄想の塊だぞ。
「ただちに出て行け! 出ていかんと撃つ!」
「そりゃないでしょう! 不法侵入じゃありません。登録ナンバーは……」
その瞬間、つきあげるような衝撃があった。
モニターの中央に巨大なウインドウが開き、そこに「警告」と表示された。
なんだ、何があった? まさか……
ぼくの疑問には、コンピュータが答えてくれた。最悪の形で。
「軌道上の建造物より、対空レーザ砲による砲撃を受けました。自動的に回避プログラムを実行しています。重力制御機構の限界を超えるGがかかる恐れがあります。衝撃に備えてください」
「くそっ、どうかしてるぜおっさん!」
ペルーサは絶叫する。すでに彼はコンソールパネルから手を離している。光の速さで飛んでくるレーザーを探知してよけるのは、人間の反射神経では絶対に無理なことだ。機械に任せるしかない。高感度の超光速波センサーと、高性能の量子コンピュータがあればどうにか……でも結局はエンジンの……
ぼくの思考はそこで止まった。
左右に体が倒された。椅子ごと、いや床ごと。それが終わったと思ったら天高く持ち上げられる。体重が二倍か三倍くらいになる。足を動かすことができない。腕を持ち上げることも。意識が遠のいていく。その寸前で、重力の増大は止まった。今度は逆向きの重力が襲ってきた。ストリージィは下方向に猛然と加速しているのだ。それは一秒たらずで終わり、今度は斜めの重力加速度がぼくをなぐりつけた。首が折れそうになる。
ものすごく激しく動き回って、攻撃をかわしてるんだ。きっとこれだけよければ……この船はすごく小さいし……きっと……
びーびーびーびーびー。
耳障りなブザーが鳴り響いた。頭がくらくらして眼の焦点が合わない。モニターに何が映っているのか判らない。
親切なコンピュータが教えてくれた。
「エンジンに被弾しました。プラズマ炉心保護殻が損傷。出力低下します。今後の回避は不可能と思われます」
「降りろ! 星に降りるんだっ!」
「了解」
これまでと全く違う種類の衝撃が襲ってきた。いや、衝撃というより振動というべきかな。ぼくを含めたこの船の全部が細かく揺さぶられる。さっきまでよりはずいぶん楽になった。
モニターを見るまでは。
モニターに山ほど開いていたウインドウは全部閉じていた。画面のすべてが真っ赤な色で埋め尽くされていた。
あの色……そしてこの振動……大気圏突入したんだ、いまこの船は炎に包まれてるんだ。じゃあ本当に降りるんだ。
「着陸するぞ!」
眼をこらして、モニター上の画像をどうにか捕らえる。赤いだけだと思っていた画面だけど、実際には下のほうにいくつかの数字が表示されていた。
対地距離。対地速度。
え、これは……こんな速くていいの。
まさしく流星そのもののようなスピードで、地面に向かって突っ込んでるじゃないか。
「速すぎるよっ!」
「いいんだよっ」
ぼくの叫びに、ペルーサはぼくより十倍大きな声で答えた。
ぼくはモニターに映し出された「対地距離」と「対地速度」から眼が離せなかった。その数字はとても恐ろしい意味をもっていたけど、それでも眼を離せなかった。
対地速度は秒速十五キロ。
流星みたいな、というのは嘘だ。普通の流星はその半分くらいの速度しかない。
対地距離は百、八十、七十、六十、五十、四十、三十……
「うわーっ!」
「いまだ!」
その瞬間、床が持ち上がってきてぼくを張り倒した。
ぼくは今度こそ気を失った。
三
眼をさますと、妙に薄暗い。
「あれ?」
自分がどこの誰で、どうしてこんなところにいるのか……それを思い出すのに五秒くらいかかった。
そうか、ぼくたちは……変な伯爵に撃たれて、地上に逃げてきたんだ……
だから床が傾いてるんだな。
でも、どうしてこんなに暗くて、しかも寒くて、息まで苦しいんだろう?
「おい、ペルーサ」
と言いながら首を回して、息を呑む。
ペルーサがいない。隣の席は空っぽだった。
「ペルーサッ!」
ひどい、ひどいよ。おいてけぼりにするなんて。
震える手で自分のハーネスを外す。うまく外れなかった。力をこめた。なおさら外れなくなった。と、その瞬間外れた。
「わっ」
床が傾いていたせいで、ぼくは右に向かって床を滑り落ちていく。
その音が、妙に響いた。
音……そうだ。音がしない。宇宙船の音が。
人間が床を滑る音が聞こえるくらい静か。つまり、エンジンとかの音が全然しない、ということ。なんだか怖くなってきた。
「ペルーサッ!」
「なんだようるせえな。ここにいるよ」
ドアがゆっくりと半分だけ開いて、そこからペルーサが顔をのぞかせた。
「よかった……」
「外に出てこいよ、そこにいたってどうしようもないぞ」
ぼくはペルーサを追って外に出た。
そして、出くわした。
どこまでも続く、黄色い地平線と。
乾ききった、冷たい風と。
「これは……」
「軌道上から見たとおりだよ。この星はどこまでいってもこんな感じなんだ」
「冷たい砂漠?」
「まあ、そんな感じだろうな」
ペルーサとぼくは空を見上げた。
オレンジ色の大きな太陽。でも、ほとんど熱を与えてくれない。
風は本当に冷たかった。宇宙服が必要なんじゃないかと本気で思った。コートもセーターもなし、薄いズボンとシャツだけの格好ではとても耐えられそうになかった。
ぼくはシャツの袖に縫いつけられた四角い布を握りしめ、思念を送り込んだ。……「作動!」……本当は布じゃない。超薄型個人バリア発生装置だ。貴族の着ている服には大抵ついている。
羽虫が飛ぶような音がぼくの体を包む。バリアが発生したのだ。けれど大した力はないはずだ。持続時間も短い。風が直接ぼくの体に当たらなくなった。でも、やっぱりまだ空気そのものは冷たい。
「ひどい星だね……」
「まあな。人間が住む星としては最低レベルかも知れない。何か資源があれば別だけど、そういうことも書いてなかった」
「じゃあ利用価値ゼロ?」
「そういうことだ」
そこでぼくは気づいた。
「こんなことのんびり離してる場合じゃないよっ! 宇宙船は、ストリージィはどうなったんだよっ! ぼくたち帰れるのっ?」
「ああ、船は無理だ」
「無理だって……」
「あれを見な」
ペルーサは振り向いて、何かを指さした。ぼくも後を追って振り向く。
「あ……」
もちろんそこには、鳥のように翼をもった小型宇宙艇ストリージィが、片方の翼を下にして横たわっている。着陸脚は出していない。ブレーキをかけるタイミングがギリギリすぎて、出している暇がなかったんだろう。
いや、それはいい。
ペルーサの指の先には……
ストリージィの後部、エンジンがあった。
左右二基あるエンジンは、どう見ても使えそうにないくらい潰れていた。
「あ……」
「ごらんの通り、ぐちゃぐちゃだよ」
「落っこちたショックで?」
「落ちたわけじゃない。最後の瞬間、人間が耐えられる程度に減速してる。だからあれは墜落じゃない。限りなく墜落に近い着陸だ」
「そんな細かいことはどうでもいいよ」
「よくない。俺のプライドの問題だ。俺はこのストリージィでいろいろな星に行って来た。ずいぶん危険な目にもあった。『限りなく墜落に近い着陸』だって五回くらいやった。でも掛け値なしの墜落は一度もやってない」
「君とは宇宙船に乗らない方がいいような気がしてきたよ……」
「まあ、たぶん接地の衝撃じゃないだろう。エンジンに弾喰らってるのに、無理矢理全開にしたから爆発したんだろう」
「じゃあ、やっぱりペルーサが悪いんじゃないかっ!」
「まあそう言うなよ。ああでもしてなきゃ、俺達は今頃死んでたぜ」
「それは確かに……」
あの伯爵は本気だった。
「でもどうするの。エンジンが壊れたら飛び上がれないよね」
「そりゃもちろん。仮に根性で飛んでも、上がった途端またズバッっとやられるだろうな」
ぼくの体温が急激に下がっていった。
それにひきかえ、ペルーサは大して取り乱した様子も、怯えている様子もない。
「まあ、どうにかするさ」
「どうにかなるわけないよ!」
「どうにかなる、じゃない。『どうにかする』って言ったんだぜ、俺は」
「どう違うの?」
「まあ見てればわかるさ」
そう言ってペルーサはハッチに滑り込む。
「待ってよ!」
まず彼は操舵室に向かった。ぼくは転がるようにして後を追う。かなり急な角度のついた床を這って登る。
「飛ばせないんでしょ」
「何いってんだ、まず救難信号だよ」
予備電源を入れたらしく、室内に赤い非常灯がともる。ついでモニターが息を吹き返した。
「現在、このストリージィは非常モードで作動しています。機能が限定されますのでご注意ください。現在、このストリージィは非常モードで作動……」
コンピュータの言葉を無視して、ペルーサは何かのコマンドを打ち込んだ。ぼくがのぞきこむと、モニターには
「救難信号を発信します
方位・全方位
信号種類・超光速信号
出力・最大
文面・定形文を使用
これでよろしいですか?」
と表示されていた。
「そーれ、ぽちっ。さて、これでいい」
「これで助けてくれるの?」
「いくら小さな船でも、全開にすればお前の星くらいまでは届くさ。すぐにあんたの親父さんが血相変えて飛んでくるよ。軍隊ひきつれてな」
「なんかすごいことになっちゃったな……」
そこでぼくは苦笑した。
「でも、意外だな」
「なにが?」
「ペルーサが、あっさり助けを求めるなんて。てっきり『そんなのは俺のプライドがゆるさねえ。自力で切り抜けてやる』とか言うんじゃないかって心配してた」
「よくわかったな、その通りだ」
「は?」
「これはあくまで、保険っていうか、二番目の手だ。おれは自力でどうにかする。それに、あの伯爵とかいう奴にも一泡吹かせてやりたいしな」
訊かなきゃ良かった。
三
数分後、ぼくとペルーサは例の浮遊車に乗って、砂上を飛んでいた。今度は、高度数百メートル程度。大したことはない。
「くっそー、ほんとに何もねえ星だな」
ハンドルから手を離して腕組みし、ペルーサが悪態をつく。危ないとは思うけど、まあ何も障害物がないわけだし、まあいいか。
「でも電波を探知したとか言ってなかったっけ」
「あれは軌道上からかも知れない」
「伯爵の住んでる家ってこと?」
「ああ。だとすれば難しいかな」
「何をやろうとしてるの?」
「わからねえか? 俺にはなんとなく、あの伯爵がなんであんなに怒ったのか見当がついてるんだ。だとすれば……」
「だとすれば?」
「まあ見てな。おっ、あったぜ」
ペルーサはスピードを上げ、車を降下させた。
窓から見える、黄色い砂漠。
その中に、小さな箱を散らしたようなものがあった。
ぼくは最初、それが何だかわからなかった。
そんなもの見た事無かったから。
ぼくが知ってる家って、もっとずっと大きなものだったから。父さんとぼくが住んでる屋敷は何百メートルもある建物が十くらい集まったものだし、ペルーサの家だって百メートルくらいはあったはずだし……父さんに連れられて都市惑星に行った時平民の家も見たけど、ぴかぴかのビルばかりだった。
こんな汚い木の箱に住んでる人なんて見たことがなかったんだ。ただ今まで読んだ小説の中で、そういう人がいるのは知っていた。
「あれ、街?」
「街っていうか、集落だな」
「どうして、あんななの?」
「この星が貧乏だからさ。見ればわかるだろ。畑もない、工場もない。なんの産業もない星。まあそういう星だからこそ、俺には都合がいいわけだけどさ」
「どういうこと?」
「見てれば判る」
高度を下げていくと、集落の周りにみすぼらしい畑が見えた。何かの植物がまばらに生えている。
その畑のそばに、ペルーサは車を着陸させた。
「出るぞ」
そう言ってペルーサは飛び出す。ぼくもすぐに降りた。
いつの間にか、ペルーサは小さな円筒形の物を手にしていた。それが何だかはぼくも知っていた。カメラだ。
「そんなものをどうするの」
「だから見てろって」
ぼくたち二人は畑を回り込み、集落の中に入っていった。近くで見てみると、驚きはますます強くなった。木の箱……家は、あちこち穴だらけで、板を打ち付けたり、布を張ったりして直した跡がたくさんあった。その上建物自体が傾いているものまであった。ここの人は寒さに慣れているのか、開いている窓がたくさんあった。いや、そもそもガラスがはまってないみたいだ。昔何かの本で読んだ。透明なガラスを作るのには結構な技術力が必要で、たとえば古代ローマ帝国なんかは作れなかったと。
ここの人たちは、そんな技術も持ってないのか? そう言われて見れば、機械と名のつくものが何もない。集落の中にも、畑にも。家にもアンテナ一本立ってない。
がらっ。がらっ。
変な音がした。
あたりを見回してみると、何かが変わっていた。
がらっ、がらっ。
今度は気づいた。窓が。窓がどんどん閉まっていく。ぼくたちが近寄ると窓が閉まって……
「ねえ、ぼくたち嫌われてるの?」
「俺たちが、というより、外から来る連中すべてが恐れられてるんだな。思った通り」
何人か、動いている人間の姿も目にした。平民だから、異種族といっても地球人に近い姿をしている。角が生えていたり、尻尾があったり……そういう格好の人たちが、建物と建物の間の路地を走っている。
「あ、ちょっと、待ってよ!」
ぼくが呼びかけても、その人たちは立ち止まるどころか振り向きもしない。建物の中に逃げ込んでしまった。
「ひどい……」
「けどよ、逃げない奴もいるぜ」
ペルーサの言葉に、あたりを見回す。
すぐ真横に人の頭があった。
「わっ」
黒い髪の毛。そしてそこから生えた二本の角。
腰を抜かしてその場に座り込む。
ぼくより頭ひとつぶん小さい女の子が、ぼくをのぞき込んでいた。
砂色の外套に、首から下をすっぽり包んでいる。歳は十歳くらいだろうか。髪の毛は短い。かわいい子供だ、純粋にそう思った。
「だれ?」
「え、ええと……ぼくは」
「こわい機械じゃないの?」
「こわい機械?」
「うん、空から飛んできて、みんなを殺して去っていくの。いろんな物を奪って」
去っていく? 奪って?
子供らしくない言葉遣い。ぼくは気づいた。どう見ても小さい子供……十歳くらいの、かわいい女の子に見えるけど、そんなに小さくはないのかも知れない。ぼくと同じくらいの歳かも。
「……なあお嬢ちゃん、村のみんなのところへ案内してくれないか」
ペルーサが陽気に声をかける。普段はあそこまで明るくない。きっと演技だ。
「あなたたちは、誰?」
「通りすがりの観光客さ。ここの領主に怒られて、大砲で撃たれちゃったのさ」
「ふうん……。あなたたち、貴族よね」
「ああ、そうだよ」
見れば判る。地球人だから貴族に決まっている。そう思うんだけど……
女の子はずいぶん暗い表情になったが、それでも一応「わかった」と答え、背を向けて歩き出した。
彼女のあとについていくと、他の掘っ建て小屋よりはずいぶん大きな建物にでくわした。でも、これは建物というより大きなテントだ。
入り口の部分の布を持ち上げ、女の子が入っていく。ペルーサはためらわずに続いたけど、ぼくは少し怖かった。意味もなく拳を握りしめて、テントの中に入る。
そこはやはり暗い空間だった。
「誰だっ」
鋭い声があがった。
「あたし……」
「なんだ、フェリサか。いや……他にも誰かいるだろう! 後ろの奴は誰だっ」
「あたしが連れてきたの。さっき、空から降りてきた人みたい」
「おい、なんてことしてくれるんだ」
「家から出るなって言っただろうっ」
「……そんなに悪い人には見えなかった」
「だまされるなっ、こいつらは」
眼が薄暗闇に慣れてきた。
数人の男たちがいた。フェリサと呼ばれた少女を後ろにかばって、立ちはだかる男たち……鎌とか、でっかいナイフみたいな武器を持ってるぞ。
「あっ……」
怯えるぼく。でもペルーサはすぐにぼくの前に立ち、両腕を広げて言った。
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。怪しいものじゃありません、上の領主とは全然関係ない。それどころかみんなを助けてあげられるかも知れない」
ペルーサは自信たっぷりにそう言った。
四
どうやらそのテントは、この集落の集会所みたいなものらしい。
今はそこに、何十人かの人が集まっている。
中央の柱にひっかけられたランタンの中で油が燃え、弱々しい光がみんなの顔を照らしている。
「……なるほど、そうだったか。……やっぱりな」
ペルーサは深々とうなずいた。
「つまり……あの伯爵の八つ当たりで、ここの領民達はひどい目に遭わされてるってこと?」
「おお、そうだっ」
ぼくたちの前に座っていた若い男……こんなに寒いのにずいぶん薄着だ……が、語気荒く叫んだ。
「やめなさい、ガズ」
その隣の、顔がしわだらけで細い眼をした老人が、小さく弱々しい声を漏らした。
「やめることはねえ。あいつは……バルトロメオは、あいつの親父もそのまた親も、代々ずっと、この星の領民をいたぶり続けてきたんだ」
「一体なんでまた?」
ぼくがそう訊いたのは、ただ単に不思議だ去ったからだ。
「だから八つ当たりだって言ってるだろうがっ!」
ガズはぼくに詰め寄った。
その場から逃げ出したくなった。
「やめなさいと言っておるだろうが、ガズ。貴族様になんという事を。うちの領主様のことも、わしは仕方のないことと思っておる」
消え入りそうな声でそう言う老人に、ガズと呼ばれた若者は怒気のこもった視線を投げつけていた。
「だいたい話はわかりました。つまり、ここの領主であるバルトロメオ家は、五百年前の戦いで狂皇帝ダリリオス側についた。だから帝国から冷遇されて、この星しか領地にもらえなかった。領主はそのことで劣等感と、怒りを抱いているわけですね」
ペルーサは相変わらず、ふだんぼくと喋っている時とはまるで違う理知的な口調のままだった。
「そうじゃ。領民をいたぶってその憂さを晴らしておる。来る日も来る日も、何代たっても……そんなことはやめて欲しいと進言した者もいたらしいが、みな追放されてしまった。かくいうわしも、もともと領主さまに仕えておったのだ。あなた方と同じように、地上に墜とされたわけじゃ。そういう身の上のものは意外に多い。今では領主様には人間の部下や家臣は一人もおらなんだはずじゃ、すべて機械……」
ぼくはようやくうなずいた。
「ああ、そうか、だから通信を送ってきたのが伯爵本人だった……」
ぼくの言葉は、ガズの叫びにかき消された。
「おれたちはみんな、次の代では少しはマシになるかも知れないと思ってきた。だが、ますますひどくなっていったっ!!」
「そうだっ」
ガズの言葉に同調して拳をつきあげる者達。みんな若かった。それとは対照的に、年老いた人たちは静かだった。ほとんど、あきらめ顔といっていい。
「……貴族様。貴族様の力で、もう少しうちの領主さまの行いを改めさせることはできませんか」
老人の言葉に、ペルーサは明るく笑って応じた。
「もちろん、そのつもりです。できるだけ正確に、この村の状況を教えてください。男と女の比率、年齢ごとの比率、食べ物はどうか、どのぐらい税としてもっていかれるのか……」
「この村にいるのは五十人くらいじゃな。男のほうが少し多い。年寄りは六人、中年と若いのが三十人ばかり、子供が十五人くらいか。まあ、子供は次々に生まれて死んでいくから、正確な数を計っても意味がないかも知れませんな」
その言い方にぼくは衝撃を受けていた。
「ひどい言い方だね……なんか、死んで当然みたいな言い方だ」
「病気です、病気。なにしろ薬がないもので。抗生物質の注射一本で治る病気なのかも知れませんがな。先代の頃はごくたまに薬品が届くこともありました。わしたち領民が死にすぎても困るということでしょう。ですが今の代になってから、それすらない」
「来るのは、あのいまいましい機械どもだけだっ」
「機械って?」
「見ておればわかります。明日は税を納めねばならない日ですから」
ぼくはもう我慢できなかった。
だってこんなひどい話ってないよ。
ここの人たちが何か悪いことしたの?
そりゃ、作物もとれなければ資源もない領地しかもらえなかったら、悲しいかも知れない。他の貴族からバカにされるかも知れない。だからってこんなことしていいはずないじゃないか。今までぼくが読んできた小説の中にも悪い奴はたくさん出てきたけど、それと同じような奴が現実の世界にいるなんて。
許せないよ。小説の中では、こういう奴は主人公に倒されるって決まってるんだ。
「……ねえ、ペルーサ。許せないよね、あの伯爵。やっつけようよ。この星の人たちを助けようよ」
「それができれば何よりなのですが……」
老人はそう言うが、あまり期待していないように見えた。
「おい、ほんとにやっつけてくれるのか?」
「うん、できると思う。もちろんぼくたち二人だけじゃ駄目だけど、父さんに頼めば。父さんも伯爵だし。父さんの知り合いに、公爵ももいるんだ。そういう人たちの力を借りればきっとどうにかなるよ」
「貴族は敵だとばかり思ってたけどよ……」
ガズが腕組みして、ぼくたち二人を見る。
「お前らは俺達のことをわかってくれるっのか。力を貸してくれるってのか」
「もちろんだよ!」
そう言い切るぼく。
「……ほんとうに、たすけてくれるの?」
かん高い声がぼくの鼓膜を叩いた。声がした方に顔を向ける。そこにはフェリサと呼ばれた少女がちょこんと座っていた。今までずっと喋らなかった彼女が、ぼくをまっすぐに、大きな瞳で見つめて言うのだ。
大して明るくない照明なのに、彼女の眼がとてもよく見えた。黒い眼。でも瞳の形が地球人と違う。もう一つの違い、頭に生えている二本の角も。
「助けるよ、きっと……だって嫌じゃないか、みんな苦しいんでしょ、フェリサ……さんも、フェリサさんの友達とかも、食べ物がなくて、薬がなくて……死んでいくんでしょ、そんなの嫌だから」
フェリサはとても暗い顔をしていた。
だからぼくはそう言った。元気づけたかった。
それなのにフェリサは少しも笑わなかった。笑うかわりに、こう言ったのだ。
「今まで、この星を変えようって言ってた人は何人かいた。でも、できなかった。領主に逆らったり、何か意見を言ったりしたものは、あの機械に殺された。この村だけじゃなくて、他の村もそう。この星の誰も、そんなことできなかった」
「ぼくならできるよ、きっとやるよ!」
どうしてなのか判らない。
でも、ぼくはそう言い切っていた。
こんなの知らなかったから。
小説の中だけじゃなくて現実でもこんなことがあるなんて、知らなかったから。ぼくが
知ってた世界は、もっとずっと奇麗で明るくて、父さんも母さんも召使いたちも領民たちも、父さんの友達もみんな優しかったから。
だから、衝撃だった。衝撃が、ぼくにその言葉を言わせていた。あとの事なんて何も考えていなかった。
ペルーサは、ぼくの方を不思議そうな眼で見た。そして満面の笑顔を作り、ぼくよりもずっと強い口調で言い切った。
「ええ、必ず倒しますとも! ですからもっと教えてください、みなさんがどれほど苦しめられているか。あ、そうそう」
そこでペルーサは、奇妙な事を訊いた。
「念のために訊いておきますが、この村のみなさんは全員平民ですよね? 奴隷はいませんよね?」
「もちろんです」
老人は何故か顔を伏せて答えた。
「全て平民です。奴隷は……奴隷たちは、先に死んでしまいました。見ればおわかりでしょう、わしたちは地球人に近い形をした種族、つまり平民です。すべて平民です」
「それならけっこう」
ぼくにはペルーサが、なんでそんなことを訊いたのか全然わからなかった。
五
「ねえペルーサ、どうしてこんなところにいるの? あの村にはもう用がないの?」
ぼくたちは、村から数キロ離れた場所に車を止めていた。さっきからペルーサは運転席に座ったまま、じっと動かない。
「ねえってば」
あれからぼくたちは、ペルーサの持っていたカメラを使って村の人たちの写真をとった。人間だけじゃなくて、家の中や、村の全景も撮った。村の人たちから聞き出した、いかにひどい目に遭わされているかという話を全部録音した。だいたい丸一日かかった。
それが終わった時、ぼくは訊いた。「どうするの? どうやって伯爵をやっつけるの? 館に乗り込むの? それとも父さんに連絡とるの?」するとペルーサの返事はこうだ。「まだだ。まだ足りない。決定的な映像が欲しい」
「はあ?」
「だから待ってるんだ、十分な証拠が手に入るのを」
「何言ってるんだか全然判らないんだけど」
「判らないならそれでいい」
どうしてペルーサが行動を起こさないのか判らない。だってもう夕方だよ。夜になって、次の日になったら、領主が税をとりにくる。
「これから寒くなるぞ、車から一歩も出るな、今のうちに何か食っておけ。非常用食料なら積んである」
「だから、ペルーサ……」
「俺が言ったこと聴いてなかったのか。今のうちに食っておけ。今食わないと消化しきれないぞ」
「はあ?」
ぼくは首をかしげてばかりだった。
でも、基本的にはぼくはペルーサを信用して。これまでぼくはペルーサに連れられていろんなところに遊びに行ってた。ペルーサはぼくに説明せずに、了解もとらずに、勝手にいろんなことをやってしまうことがあった。でも結局、それはうまくいっていた。まかせてよかったって思うことばかりだったんだ。
だから、ぼくは黙った。黙って、ペルーサの差し出した非常用食料を口に入れた。
パックを破り、ビスケットの出来損ないみたいな非常用食料をかじった。
「……不味い」
「けどよ、あの村の連中が食ってる飯はもっと不味いはずだぜ」
「……うん」
それっきり、ぼくたち二人は沈黙した。
橙色の太陽は完全に隠れた。もともと弱かった光が消えてなくなる。
時間が経った。
「眠れよ、キリアス。体力がなくなると辛いぞ」
「どうして? なんか凄いことするの? あ、わかった、領主と戦うんでしょ」
「まあ似たようなもんだ。いいから早く眠れ、眠っとけ」
「眠れないよ、いろいろ気になって」
「あの村の連中にずいぶん同情してるみたいだな。それともあれか、あのフェリサとかいう女の子に惚れたか?」
「あ、あんな小さな女の子に……」
「あの種族は、あれで大人なのかも知れない。そういう種族はたくさんいるさ。実際けっこう大人びてたしなあ。まあ、それは冗談にしても……同情は、あまりしない方がいい」
「どうして?」
ぼくは真っ暗な車内で、隣の座席に座るペルーサを見つめた。睨んだつもりだけど、たぶん迫力はなかったと思う。
「辛くなるから。さあ、俺は寝るぞ。なにかあったら起こしてくれ」
そう言ってペルーサは目を閉じ、ぼくが何を言っても反応しなくなった。
六
ぼくは夢を見た。
父さんの夢だった。
父さん……エギナル・ジリオース・カーン・アルカゼルは優しくて、すごく優しくて、でも怖い人だった。
「それは違うよ、父さん」
「……なに? なんだと」
父さんがぼくの前にいた。
大きな黒い机の向こうにいた。
ここは勉強室。アルカゼルの屋敷のなかではかなり小さな部屋。普段はぼくと、家庭教師の先生しか使わない部屋なんだけど、今日は父さんがいる。
たまに先生のかわりに教えに来るんだ。
「学問は平民でも出来る。だが貴族にしか教えられないものもある」って言って。
「だって、父さん……」
「だっても何もない。帝国は完璧であり、我ら地球人は大銀河の三〇〇万種族の中で最も偉大な種族だ。それは自明の理ではないか。だからこそ、我々貴族はその帝国にふさわしい人間にならなければいけないのだ。それなのにお前は言うのか、帝国は不完全であると。皇祖リアン大帝は、中興の祖マリウス三世は間違っていたとでも言うのか」
父さんは銀縁の伊達眼鏡……こんなものをかけてる人、貴族では他に見たことないよ……の縁をこすりながら問いかけてきた。
これは確か、どちらかというと機嫌がいい時の癖だった。ってことは本気で怒ってるわけじゃないんだ。
「そこまでは言わないよ。でも、今の帝国が完璧じゃないのは本当だよ。だって、このジリオースのすぐそばに、ひどい星があるんだ。領主がぜんぜん義務を果たしてなくて、領民をいじめてばかりいる、ひどい星」
「なにっ、そんな星があったのかっ」
「うん。でも安心して父さん。ぼくとペルーサが悪い伯爵をやっつけて、いい星に変えてきたよ。ねっ、ペルーサ」
勢いよく勉強室のドアが開け放たれる。なぜか手に汎用拳銃を持ったペルーサがカッコつけたポーズで登場する。
「俺にかかれば楽勝だったけどな」
「すごい、二人とも!」
机の下から、黒い頭と白い角が飛び出した。
「あたしたちを助けてくれたんですね!」
「もちろんだよ、お嬢ちゃん」
「こ、これは……」
父さんはぼくたち三人を交互に見つめる。
「そうだったのか、私もまだまだだな。いや、キリアスが成長したというべきか……立派になったなキリアス」
「そうでもないよ」
ぼくは笑った。余裕があるからこそ、の笑いだった。父さんはぼくが知らないことを何でも知っていて、なんでもできる、そんな感じがした。だから勉強室で父さんと二人っきりになったときは、とくにいろいろ訊かれたときには、すごく緊張した。余裕なんかまるでない。でも今は違った。余裕を持って父さんに接することができた。
ぼくはずっと前から、こんな風になりたいって思ってた。
七
誰かがぼくを揺さぶっていた。
「起きろキリアス」
急激に意識がはっきりしてきた。
眼を開けると、ペルーサがいた。あたりはずいぶん明るくなっている。
「……おはようペルーサ」
夢だった。いい夢だったのになあ。
でもいいか。すぐ現実になるんだ。
「どうしたの」
「領主が来るぞ。上を見ろ」
フロントガラスに顔を近づけて、できるだけ上を見る。
するとそこには、何か虫のようなものが飛んでいた。蜂みたいな虫。いや、顔を動かしても全然位置が変わらない。すごく離れてる。高いところを飛んでるんだ。それだけ高くても、形がはっきり判るってことは……
とても大きい。
「巨大昆虫? そんなのがこの星に?」
「違う。領主のロボットだ。さあ、行くぞ。できるだけ刺激しないように……地上すれすれのほうがいいな」
ペルーサはアクセルを踏み込んだ。神妙な顔つきで立体式ステアリングを操る。車はほんの数十センチだけ浮き上がると、地面を滑るように走り始めた。五十キロくらいしか出ていない。
それでも村はすぐそこだ。二、三分で村のそばまできた。
その間に昆虫型ロボットは高度を下げ、村の上空にたどり着いていた。上をぐるぐる回っている。
「なにをしてるの」
「あれはたぶん、貢ぎ物を待ってるのさ」
「そうじゃなくて、ペルーサのこと。どうしてやっつけないの?」
「無茶言うな。俺が持ってる武器は汎用拳銃が一丁っきりだぞ。あれはたぶん戦闘用じゃないと思うが、それでも勝てるとは思えない。きっと仲間もいるしな」
「じゃあどうするんだよ」
「……前々から思ってたんだが、お前は自分で考えるってことをしないのか?」
ぼくの方に顔をむけようともせず、ペルーサはそう言った。そして、村まで百メートルの距離で車を下ろした。
「さて……そろそろかな」
朝焼けの光を浴びて、ますますみすぼらしく見える建物群。その間を抜けて、たくさんの人影があらわれた。
あの集会場に集まっていたのよりも多い。子供の姿もある。これで、あの村の全員ということなのか。
先頭の四人、どちらかというと体格のいい男たちが、大きな壺を運んでいた。村の外に出て、彼らは壺を地面に置く。
そして、全員が砂の上にひざまずいた。
蜂型ロボットはそこに向かって急降下。人々の前に降り立つ。
「何をしゃべってるか聞こえないの」
「この車にそういう機能はないよ。まあ、だいたい想像はつくだろ。税を払ってるんだよ」
「あの壺の中身は農作物ってこと? でも、おかしいよ。この星には貴族は伯爵ひとりしかいないんでしょ。一人なら、ひとつの村からあんなに取り立てる必要はないと思うけど」
「領民を苦しめるために、必要以上にとってるんじゃないか? あるいは余った分を売ってるとか。さあ、いよいよだぞ。派手にやってくれよ」
「何を期待してるの?」
蜂ロボットは壺に近寄り、口を壺に突っ込んだ。数秒たって、もういらないとばかりに壺を投げ捨てる。運良く割れずに済んだ。中身はもう空っぽだ。吸い取ったんだろう。
それが終わると、蜂ロボットは村人たちを見回し始めた。
なにか声がした。かなり大きな声らしい。
ぼくは耳を澄ました。
「……バルチャ、レクミナ、ティレンス、前に来い」
あの蜂ロボットが村人を呼んでいるんだ。
呼ばれたものたちが、ふらふらと立ち上がる。他の人たちはますます深く頭を下げた。
立ち上がった人たちは老人も若い人も、男も女もいた。子供だって一人いた。
立ち上がったものたちは一様にゆっくりとした動きで、蜂ロボットの前に立った。
次の瞬間、光が弾けた。蜂型ロボットからほとばしった光の線が、立っていた人たちを薙ぎ払う。
全員吹き飛んだ。血しぶきをまき散らして。
「あ……」
ぼくの口から吐息と一緒に声が漏れた。
「おおおおっ!」
遠くてもはっきり聞き取れるくらい大きな声……絶叫があがった。ガズだ。ガズが叫びながら蜂ロボットに突っ込んで行く。
また、閃光。
ガズは倒れた。砂の上に黒い水たまりが、違う、血だまりができていく。それでもガズは手をついて起きあがろうともがいた。そこにまた光が叩きつけられる。今度こそ彼は、砂に横たわったまま動かなくなった。
「おい、おいっ、ペルーサ、ペルーサあれっ」
このまま車で突撃したかった。武器が弱くてもよかった。だってこんなこと許せるわけないじゃないか。目の前で人が殺されてるんだよ。それなのにペルーサは車を動かさない。
「ペルーサっ」
ぼくは声をあらげて、ペルーサの方に顔を向けた。
するとペルーサは、カメラを手にした。ぼくの声がぜんぜん聞こえていないみたいだ。一心に、撮っている。
蜂ロボットが、村人を殺している所を。
「何やってるんだよおっ!」
ぼくは夢中だった。ペルーサの両肩をつかんで思い切り揺さぶった。
「早く助けなきゃ、早く助け……」
「ぶれる。邪魔だよ」
「撮ってる場合じゃないよっ」
ぼくは叫んだ。だが、やっぱりペルーサは聴いてない。
「なんだ、もう殺さないのか……まあ、これで十分かな」
そう言ってカメラを下ろす。そして運手席の片隅にあるキーボードに何か打ち込んだ。
フロントガラスの内側がディスプレイに変化し、「発信開始」という文字が表示される。
ペルーサは叫んだ。威勢良く、気合いの入った叫びだった。
「ようっ、伯爵! あんたがやったことは全部このカメラで撮らせてもらったぜ! あとはストリージィの超光速通信で広めるだけさ。あんたがやってることは、間違いなく帝国法に反してる。奴隷ならいいさ、奴隷は持ち物だ、自分の持ち物をいくら壊しても他人に文句を言う筋合いはない。だが、あいつらは平民だ。領主は、平民を守ってやる義務がある。そう帝国法には書いてある。伯爵、あんたはやりすぎたんだよ。この事を銀河系中に広めたら、あんたはどうなるかな? カード大公に知られたら? さあ、どうする?」
ようやく、ぼくにはペルーサのやろうとしいた事が判りはじめていた。
つまりペルーサは、わざと……
わざと伯爵に、あの村の人たちを殺させて……
ぼくの体が小刻みに震えはじめていた。
ペルーサは得意げに言葉を続けている。
「どうした伯爵? 俺達を撃つか? あのロボットで俺達を殺すか? いいのか、もう救難信号は出てるんだ、俺達がここで消息を絶ったことはすぐにばれるぞ、同じ伯爵を、それもあんたより遙かに金持ってる家の人間を殺して、ただで済むと思うか? それとも通信妨害でもかけるか? ……どうするね」
ペルーサは一気に続けた。そこで大きく息を吐くと、こちらを向いた。
「終わったよ、キリアス」
伯爵からの返答はすぐにあった。フロントガラスに伯爵の禿頭が映る。
「……わしを脅す気か」
顔面を怒りに歪めて、伯爵はうめくように言った。するとペルーサはにこやかに笑って。
「とんでもない。貴族として当然のことをしろと言ってるだけだ。これは忠告さ。どうする、このまま全てばらされるか?
それとも俺達を解放するか?」
「ぬ、ぬ、ぬ……」
バルトロメオ伯爵はつるつるの頭を抱えて唸りをあげた。しばらくすると、呪いのこもった視線をこちらに浴びせながら、小さな声で呟いた。
「……わかった」
「何? 聞こえない。もっと大きな声で」
「わかった。お前の言うとおりする。宇宙船を出す、ぜったいに手は出さない、近くの星まで送る」
「送るだけじゃ駄目だね。俺達は旅の途中だったんだ。旅を続けたい。だから宇宙船をくれ。仮にも伯爵なんだ、船の一隻や二隻あるでしょ。できるだけ高性能で、自動化されてる奴がいい」
笑いながら続けるペルーサ。伯爵は今にも画面のこちら側にとびかかって来そうな顔になった。
「いやならいいんだよ、ばらすだけだから。救助が来たときに全部、ね」
「うぬぬぬぬっ」
「わかった。今から船を下ろす。それをくれてやるから、どこへなりとも行け」
「話がわかる人だねえ、伯爵!」
ペルーサは、本当に嬉しそうだった。
八
蜂ロボットは去っていった。
かわりに、一隻の小型宇宙船が降りてきた。
ストリージィと同じような形の船だ。
「さあ、船が手に入った。伯爵が気を変えないうちに乗って行こうぜ」
ペルーサはドアを開け放ち、砂漠に踏み出す。
ぼくが、その腕を思い切りつかんだ。
「……なんだよ」
「どうなるの」
「は?」
「村の人たちはどうなるの? ぼくたちは助かっても、何の解決にもならないじゃないか、全然助かってないじゃないかっ! 嘘をついたの、ペルーサは嘘をついたの? 必ず助けるって、村の人たちに約束してたじゃないっ」
「お前……あんなの本気で信じてたのか?」
ペルーサは振り向いて、白い息と一緒に言葉を吐き出した。呆れているような口調。
「じゃあ、嘘だったの?」
「まあな。俺はあの伯爵に一泡吹かせてやりたかっただけだよ。だから伯爵が領民虐待を行っている決定的証拠が欲しかった。だから村の連中に協力してもらったのさ」
「そんな、そんな……」
ぼくは震えていた。それ以上、言葉が出てこなかった。
蜂型ロボットの銃撃を受けて吹き飛ぶ村人達。赤黒い血だまり。ぼくを見つめていた、白い角の少女。そんないくつかのイメージが、いくつかの記憶が、ぼくの頭の中でぐるぐると回った。
「……ひどいよ……」
やっと、それだけ言えた。
「まあ、あの伯爵も多少はマシになるんじゃないか? 助けてやるってのも、完全に嘘じゃあない」
「違うよ……ペルーサは、ペルーサは嘘をついたんだよ……あの村の人たちを利用したんだよ……だましたんだよ」
「まあ、そうとも言うな。お前はそのつもりじゃなかったのか? おい、いい加減手を離してくれよ」
ぼくは手を離した。
ペルーサと一緒に外へ出る。
もう個人バリアもない。シャツとズボンの中に零下の空気がなだれこんできた。たちまち、寒さすら感じなくなる。皮膚が張り裂けそうに痛い。
でも、ぼくは平気だった。
とても熱いものが……こんな寒さていどではどうにもできないほど熱いものが、ぼくの中にあったから。
ペルーサもそれを感じたらしい。
ぼくの眼を見た。褐色の顔から笑みが残らず消える。
「……お前、なぜ怒る? お前は本気で、あいつらを助けるつもりだったのか? 助けられると思っていたのか?」
「助けるつもりだった。できるよ。っていうか、やらなきゃ駄目だよ。……ペルーサ。旅行はもういいよ。ジリオースに帰ろうよ。ぼく、こんな気持ちで旅なんかできないよ」
「そうかい、それもいい。じゃあそうするよ」
ペルーサの顔に微笑が蘇った。
これまでとは違う種類の笑みだった。
どこか、あざけるような。それでいて同情するような……
「じゃあ、乗れ。ジリオースまで送っていってやる」
「うん……」
「まだ何か言いたそうだな」
「ぼく、今までペルーサに、憧れてたんだ。小説に出てくるヒーローみたいだなって思ってたんだ。ぼくみたいに、知らない人相手だと怖くて喋れなくなったりしない。勇気があって、頭もよくて、宇宙船を乗り回して、冒険が大好きで……でも、違ったんだね。ペルーサは、あの伯爵と同じなんだね」
ペルーサは答えなかった。
ただ、肩をすくめただけだった。
次の章 前の章へ 楽園迷宮の入り口 王都に戻る