第二章 「ぼくはあきらめない」
一
ペルーサがふんだくった宇宙船は、ストリージィよりも若干性能の劣る船だった。見たところ同じようにしか見えないけど、前に聞いた話ではペルーサはストリージィのエンジンやセンサーなどを相当いじってるらしいから、そのへんで差が出てるんだと思う。
とにかくその宇宙船に乗って、ぼくとペルーサはすぐにジリオース星系に戻ってきた。
第三惑星ラミーナには、行きと同じように車で降り立つ。
ぼくの庭園に音もなく……ぼくは全身の震えを抑え込めないほどに怒っていたのに、ペルーサは表向き平静そのもので、その運転には全く乱れがなかった……車が着地する。四つの反重力ホイールが接地するのをまたず、ぼくはドアに体当たり。転がるようにして外に出た。
もうこれ以上、ペルーサと一緒にいたくなかった。同じ空気を吸っていたくなかった。
「おいおい、えらく嫌われたもんだな」
ペルーサもすぐに降りて、ぼくに向かってそんな言葉を投げかけてきた。
その言葉には……なぜだか、哀れみの感情が含まれていた。そう感じた。
ぼくは我慢できずに、両方の拳を握りしめてペルーサに歩みよった。一歩、また一歩。草を踏み散らして。
「……どうした、殴るのか?」
ぼくはペルーサを睨んだ。胸の中でたぎる思い、言葉にならない思い。怒りとか憎しみとかいう言葉では足りない、そう思えるほどに強く激しい感情。
だがペルーサは一向にこたえていないようだった。
「なんだ、睨むだけなのか?」
「……ひとごろし」
その言葉は、実に自然に、実にあっけなく、ぼくの口から転がりだした。
「そうか、人殺しか。そうだよな。確かに人殺しだ。ああ、そうだとも。
……で?」
最後の「で?」は、いまにも噴き出しかねない表情で発せられた言葉だ。
「ペルーサッ! あんなことして許されると思ってるのっ! だって人だよ、人なんだよ、ぼくとかペルーサと同じ! でも死んで……助けようと思えば助けられたのに……それなのにわざと……自分のために……ペルーサが……ひどいよ……ひどいよ……ペルーサがやったのと同じだよ……」
それだけ言うのがやっとだった。
他にも言いたいことはあった。
友達だと思ってたのに。信じてたのに。
人に逆らったり、人をびっくりさせるのが好きなペルーサだけど、でもそれは、「いたずら好き」っていうレベルで、本当はすごくいい奴だって思ってたのに。
それからもう一つ……ぼくが一番怒っているのは、このペルーサの態度だ。
失敗はあるかも知れない。そうだ、誰だってある。悪いことをしてしまうことも、そのせいで誰かが死んでしまうことも、あると思う。でもそのあとで反省するか、それとも悪いと全然思わないか、それによって罪はずいぶん変わってくる、そう思うんだ。
父さんの大事にしていた壺を割ってしまったときのことを思い出す。あの時の父さんはそう言っていた。
……わたしはお前が壺を落としたことを責めているのではない、それを認めずに隠したり、他人のせいにしているのが許せないのだ。それは貴族がやっていいことではない。
だから許していたかも知れない。少なくとも許そうとは思っていた。ペルーサが、「ごめん、まさかあんなにひどいことになるとは」って言ってくれれば。「もう二度としないよ、俺が悪かった」って言ってくれれば。
許したかも、知れない。
でも、今のペルーサは。
ほんの少しだって、自分が悪いことをしたとは思っていない。それどころか、悪いのはお前のほうだって言いたそうだ。
だから、だからぼくは。
「ぼくは……」
「ぼくは、なに? なんだよ?」
「ぼくはお前を、許さない」
たった数十センチの距離。
けれど、それが今、とても遠い遠いものになった気がした。
「そうかい、よくわかったよ。じゃあな」
ペルーサは、やはり悪びれもせず、そのまま車に乗り込んだ。
草の葉が人工重力場にかき乱されて千切れ、何枚か宙を舞う。風がぼくの髪を揺らした。
ペルーサの乗った車はゆっくりと上昇していった。青い空に溶けるように。
ぼくはそれを、いつまでも睨み続けていた。
「ぼっちゃま、ぼっちゃま! お帰りになられましたかっ。ご無事で!」
背後で声がした。執事の声だ。
一応その声はぼくの耳に届いていた。でも脳には届いていなかった。
ただ、ぼくはペルーサの消えていった空を仰いで、じっと立ちつくしていたのだ。
二
「父さん」
ここは食堂。
ぼくはベスヴェー調の大きなテーブルの向こうに見える父さんの顔をにらんでいた。
「どうした、そんな怖い顔をして」
「……」
「きいたぞ、ペルーサ君と一緒にこの星を抜け出して遊びに行ったそうじゃないか。かなり危険な目にあったらしいな。そういうことはやめろと言っているはずだ……ふう……父さんが心配しているのがわからないのか?」
「安心して、父さん」
ぼくは言った。激怒しているつもりなんだけど、妙に無感情な声しか出てこなかった。
「もうペルーサには会わないから」
「……喧嘩でもしたのか。ペルーサ君は確かに乱暴で、少し無茶な所もあるが……」
「違うよ父さん。父さんはペルーサの事を知らないんだ。ペルーサは……ペルーサは」
そこでぼくは言葉に詰まった。どう説明すれば、わかってもらえるだろう。いやそもそも、どう言えば表現できるだろう。ペルーサがやった事のひどさ、罪深さを。
見たことのある人間にしか判らないのではないか。自信たっぷりに「必ず助けます」と言い切るペルーサ。でも空から蜂型ロボットが降ってきて。みんながせっかく作った作物をまきあげて。銃撃で何人も何人も殺して。それを平然と見ているペルーサ。すべてはペルーサは仕組んだこと。伯爵に一泡吹かせてやりたいから。撃たれた仕返しをしたいから。別に村の人たちを助けたかったわけじゃなくて。ただ自分のために。みんなをわざと。
「ペルーサは、ひどいんだよ。ひどい……最低だよ」
その言葉を口に出した瞬間、「違う」と思った。やっぱり違う、そんなのじゃない。
そんなちっぽけな、ありきたりな言葉ではペルーサのひどさを説明できない。
父さんは別に驚きもしなかった。友達を悪く言うもんじゃない、と怒り出したりもしなかった。
昔から父さんはそうだった。父さんが呆れることは何度か見た。でも、声をあげて怒っているところは一度も見たことがない。
「何があったのか、詳しく話してみなさい。そんな顔ではせっかくの食事が台無しだ。わたしに出来ることなら相談に乗ろう。他の者達は下げようか?」
父さんが言う「他の者達」というのは、ぼくたちの後ろでずっと待機している給仕係のことだ。
「ううん、別に聞かれてもいいよ」
「そうか」
ぼくは話し始めた。
あの星で起こった、全てのことを……
父さんは、ずっと無言だった。
だから話している間、ぼくの中の緊張はどんどん高まっていった。父さんがずっとぼくのことを見ている。眼鏡の奥の黒い眼で。ぼくが悪いことをしても、あの壺を割ったときも、父さんの書斎にこっそり入って読んじゃいけないっていう本を読んだときも、父さんはあんな眼をしていた。
父さんは、あの伯爵みたいな怒り方はしなかった。むしろ悲しそうな眼でぼくを見て、「どうしてそんなことをしたんだ」と訊いてくるのだ。それがとても辛かった。どうして普通に叱ってくれないんだろうって思っていた。
だから今の父さんも……
ぼくの言うことを、きいてくれないかも知れない。
そう思いながらも、ぼくは話し続けた。言葉は止まらなかった。
そして、終わった。
「で、ぼくは船に乗って、戻ってきたの」
「なるほど、わかった」
父さんは重々しくうなずく。
「その伯爵は貴族の義務を怠り、領民を虐待していた。お前は領民たちを助けたかった。だがペルーサ君はそうしなかった。領民が殺されるのを黙って見過ごした。だから許せない。そうだな」
「そう! そうだよ!」
「そして、お前はその領民達を助けたい。そう言っているわけだな」
「そうだよ!」
ぼくは椅子から立ち上がって叫んでいた。
父さん、わかってくれたんだ。
「わたしは嬉しいぞ。お前がそういったことを考えるようになった。今までのお前は、嫌なことから逃げ回るだけだったからな。人と会うのが嫌だ、科学のような理系の学問を学ぶのが嫌だ、ダンスや乗馬やフェンシングを習うのが嫌だ、庭園を整えて飾り立てるのが嫌だ……本だけ読んでいたい。こんなことで立派な貴族になれるのか、わたしは本当に心配だったよ。だが、お前は弱い者を、苦しんでいる者を助けたいと思っているようだな。それはとても大切な事だ。貴族は導く者、守る者でなければいけない。だからこそ我々地球人は銀河系の頂点に立っていられるのだ。その義務に自分で気づいたお前は、偉いぞ」
「じゃあ、父さん」
「うん、どうにかしようじゃないか。そうだな……」
父さんは微笑んで、髭をきれいに剃ってある顎をなで始めた。ぼくの心の中に安堵がひろがっていった。知ってる。父さんがこの仕草をするときは、たいていぼくの言うことをきいてくれるんだ。
「うちの家は、キリアスのいうバルトロメオ伯爵と同格にすぎない。だからわたしが直接、やめろと命令するわけにはいかない。だが今度、ウェルキン公にお会いする機会がある。その時に一言申し上げておこう。近くにこのような伯爵がいると」
「助けられるんだね!」
「おそらくはな。ウェルキン公は義侠心の篤い方と聞いているからな、きっと許しはすまい。しかるべき罰を下されるだろうな」
すごい、公爵に顔がきくんだ、父さん!
ぼくはよく世間知らずだって言われるけど、それが凄いことであることくらいは判ってるよ。
だって公爵だよ、公爵。
ひとつの恒星系は、伯爵によって治められる。このジリオースがまさにそうだ。その恒星を千くらい集めたものを「星区」というんだけど、その星区を治めているのは侯爵。たまに例外もあるけど。で、その星区をまた千くらい束にしたもの、つまり百万の恒星系を、「星域」という。星域の統治をまかされているのが公爵なんだ。すごいよ。この上には、もう六十四大公家しかいない。六十四大公はこの地球帝国を直接動かしている、事実上の王様みたいなものだから、貴族としては公爵が最高級かも知れない。事実、どんなに功績をあげても公爵までしかなれないわけだし。六十四大公家の顔ぶれは、マリウス三世がこの仕組みを作ってから四百年、全く変わっていない。
「話はそれで終わりか?」
「うん。ねえ……本当に助かるの」
「くどいな。ウェルキン公は立派な方だ。きっと心を動かされるに違いない。さあ、食事がさめてしまうぞ。そこのスープはずいぶんぬるくなったはずだ。温め直すか」
「いや、いいよ」
ぼくはスプーンを手にしてスープ皿に突っ込んだ。少し行儀が悪い食べ方になっているかもしれない。だって気分が、すごくうきうきしていたから。
三
陽光が気持ちいい。
「キリアスぼっちゃん、最近機嫌がいいですね」
ペルファロット先生の声は喜びに満ちていた。まあ、当たり前のことかも知れない。ぼくは今まで、この授業……馬術は嫌がっていた。っていうか、体を動かすこと全般を嫌がっていた。いくら父さんから、「スポーツも貴族の嗜みだ、あまり下手だと恥をかくことになるぞ」って言われても……父さんに怒られるのが怖いから一応やりはした。でもちっとも上達しなかったし、先生たちにとってもまるで教えがいのない生徒だったと思う。だって以前のぼくには、熱意とかそういうものがなかったから。
でも……
ぼくは馬の背に揺られながら振り向いた。
先生はぼくの馬より一回り大きな黒い馬に乗って、ぼくのほうをじっと見ている。視線が合うと、歯をむき出して笑った。肌が極端に黒いせいで、歯がすごく光って見えた。
ペルファロット先生は平民だから地球人じゃない。ヘスゴイル人という種族で、骨格とか内臓とかを調べない限り見分けがつかないほど地球人と、特にアフリカ系と似ている。そういう種族も結構いる。あまりにも似すぎているせいで、昔はひどい迫害を受けたらしい。今はそうでもないよ。ただ額のど真ん中にガラス玉みたいなものを埋め込んでる。これは「地球人じゃありません」っていう印なんだそうだ。
「うん、先生……最近いろいろうまくいくんだ」
事実そうだった。この馬術だけでなく、嫌で仕方なかった剣術も、宮廷作法だって、今月に入ってからは先生によく褒められる。
それはたぶん……
先生は馬を近づけてきた。
「やはり馬も生き物ですからね、乗っている人間の感情というか、意気込みを感じることができるんですよ。無気力な人間より、やる気がある人間の方が馬も協力するんです」
「うん、そうかも」
「馬ほどではありませんが、私にもわかります。眼ですね。眼が変わりました」
「眼?」
「ええ、今までのキリアス様は、まるきり操り人形のようでした。抜け殻といってもいい。あれではどれほど礼儀作法や帝王学を叩きこんだところで、貴族の風格は身に付かなかったでしょうな。おそらくあのまま御父上の後を継がれていれば、キリアス様は昔話に出てくる王様のようになっていたでしょう」
「昔話? なんのこと?」
「ほら、よくいるでしょう。悪い大臣や宰相、神官といった連中に操られている王ですよ。自分の意志や判断というものがないから、誰かが耳元でそれらしい事を囁けば、面白いように操ることができる……」
ぼく、そんな風に見られてたんだ……
口を半開きにして仰天するぼく。
その顔を見て少し誤解したのか、ペルファロット先生は眉間にしわを寄せた。
「ああ……平民の私がこんな口を利くことをお許し下さい、キリアス様。お父上の言いつけなのです。あの子を立派に育ててやってくれ、そう言われたのです。だからこのペルファロット、心を鬼にして……」
「いや違うんだよ先生。そんなことで驚いたんじゃなくて。昔のぼくが、そんなにろくでもない奴に見えていたんだって知って、それで驚いただけだよ」
「そうですか……。しかし、それはあくまで以前の話です。今のキリアス様は違いますね。何があったのか存じませんが、今のキリアス様は意志を持っている。明確な目標、理想を目指している。だから奸臣にたぶらかされるようなことはないでしょう」
「ところで先生、さっきから喋ってばっかりいるけど……」
「はは、そうでしたな。では練習に戻るとしましょう」
そうさ、先生のいった通りさ。いまのぼくには、はっきりとした目標ができた。
父さんみたいな立派な貴族になる。
だって父さん、あの村の人たちを助けてくれたんだもの。
あれから一ヶ月の間に、父さんは本当に約束通りのことをやってくれた。ウェルキン公の力を借りて、バルトロメオ伯爵を貴族の義務違反で告発したんだ。伯爵は領地を没収され、最下級の貴族・准男爵に格下げされた。
村の人たちの苦しみを考えれば死刑にしてもいいくらいだと思うけど、これが限度だった。でも、いいよ。バルトロメオのかわりに
あの星を治めることになったのは、父さんだから。もちろん、伯爵は一つの星系しか領有できないって決められてるんだけど、新しい領主が見つかるまでの数ヶ月、一時的に父さんが預かることになったんだ。
父さんなら、あの伯爵みたいなことはしないさ。きっと優しく扱ってくれる。
だから、ぼくは父さんみたいになる。そう決めたんだ。そう思ったら、どの勉強も苦痛じゃなくなった。
四
「あれは何?」
ぼくは父さんと一緒に浮遊車に乗っていた。最近父さんはよく、ぼくを仕事に連れて行ってくれる。今日もジリオースの中央都市・ジリオポリスの式典に出てきた帰りだ。
もう少しで屋敷に着くところなんだけど、今、妙なものを見つけたんだ。
「ん? あれか」
ぼくの隣で、父さんは首をひねって、下界を見下ろした。
「あの行列のことか」
「うん」
ぼくたち伯爵家の屋敷が見える。城壁にかこまれた小さな都市くらいの建造物群だ。
その正門前に、誰かが行列を作っている。千人くらいかな、もう少しいるかな。人だけじゃなくて、地上車……浮かない車のこと。平民はこの種類の車しか乗れない……も近くに止めてある。屋敷の周辺は全部きれいな森になってるんだから、あんなところに止められちゃ困るなあ。道幅も大して広くないし。
「ぼくたちに用があるみたいだけど」
「……ああ、そうだろうな、キリアス」
父さんの口調が突然苦々しいものに変わったので、ぼくは驚いた。ぼくに対して怒っているわけじゃないみたいだけど。
「あれはな、キリアス、陳情に来た人々だよ」
「陳情? ああ」
要するに、頼むことだ。平民が、その地を治めている領主のもとを訪れ、これこれこうしてくれと頼む。自分は困っているって。
もちろん、そう言われたからって聞き入れてあげなければいけない義務はない。その貴族の慈悲しだいっていうか、はっきり言って気分しだいだ。
今まで、陳情に来る人はほとんどいなかったのに……
「どうしてあんなに増えたの?」
「……難しい問題だな。私のせいでもあり、お前のせいでもあり、バルトロメオ元伯爵のせいでもある」
「……どういうこと?」
「降りて見ればわかる。おい、高度を下げろ。半分くらいにな。大丈夫、連中が私の思っている通りなら危険はない」
前部座席の運転手に向かって父さんは呼びかけた。すぐにこの車は降下をはじめる。護衛や書記官の車が少し遅れてついてくる。
高度を五十メートルにしたおかげで、人の列がプラカードや旗をたくさん掲げているのがよく見えた。プラカードの文字は……
ちょっと遠い……
税……って書いてある。
刑罰……とも。
もうひとつ、みんながぼくたちに向かって手を振っていることにも気づいた。
「たぶんこういう事だろうな、税をもっと下げてくれ、それから捕まった仲間の刑罰をもっと軽くしてくれ……そういう要求なんだろう。この星の所得税が少し高すぎる、といった不満は私も耳にしていた。声をあげる者がいなかっただけだ。やはり、危惧していた通りのことが起こったか……」
父さんは腕組みして唸った。
「どういうこと」
「判らないのかキリアス。私が、お前の言うとおりバルトロメオ伯爵を追放した。あの星は私の領地になり、少なくとも今までよりは住みやすい星になった。だからだよ。その噂が知れ渡ったんだ。うちの伯爵は優しい、きっと頼んだら私も助けてくれると、そう思われたんだ」
それって父さんがみんなに信頼されてるってことだよね。やっぱり父さんは凄い貴族なんだ。でも……
「……それって、どういうこと。だってこの星はすごくいい星じゃない。あの惑星ギルティとは正反対って言ってもいいくらい。それなのに、助けを求めてる人がいるの? だったら助けようよ」
眼下に視線を向けたまま、父さんはすぐに応じた。
「……それはできん」
「どうして?」
答えるかわりに、父さんは命令した。
「もっと降下させて、連中のすぐ上で止めろ」
車はいまや、石をなげれば届くほど高度を下げた。下にいる人たちの細かい表情や服装すら判る。
「スピーカーつなげ」
「つなぎました」
運転手が即座に応じる。
父さんは椅子からマイクを取り出す。
……助けてくれるんだ。
「私は諸君らの領主、エギナル・カーン・ジリオース・アルカゼルだ。諸君らの行動は邪魔だ。私は諸君らの嘆願・陳情を受け入れるつもりはない。待ったところで時間の無駄だ、早く帰ったほうがいい。なお一地球時間以内に退去しなかった場合は処罰の対象となる。直ちに立ち去れ!」
どうして! どうして父さん!
ぼくは父さんに詰め寄った。
「とう……」
父さんはまずマイクのスイッチを切り、それからため息を一つ。
「父さんっ!」
「やはり、こういう反応か。平民たちといいお前といい、私の予想通りだ。懸念していた通りだよ」
父さん! ぼくは父さんの骨張った肩をつかんだ。だが父さんは、まるでぼくがいないかのように振る舞った。
「もういい、警告はした。おそらくこれで引き上げると思うが……もういい、運転手、屋敷に戻るぞ」
行列が後方に消えていった。かわって現れたのは、見慣れた庭園と館。ぼくの家に帰ってきたんだ。
「父さん……」
ぼくは手を離した。
父さんの横顔を見た。ほんの少しでも、後悔とか罪悪感とか、そういうものが表情に表れていると期待して。
期待は裏切られた。父さんの白い顔には、倦怠感以外の何もなかった。
車が着地する。
「……着いたぞ、キリアス」
五
父さんがガレージから出る直前、コートの背中をひっつかんだ。
「なんだ、キリアス」
「……ききたいことがあるんだ、とうさんは」
「仕事が山ほどある。これから会わなければいけない者がいる。出席しなければいけない会議がある。眼を通さなければいけない報告書がある。あとにしてくれ」
「いやだ!」
ようやく父さんは振り向いた。
「わかった。談話室に行こう」
ぼくと父さんはガレージを出た。荷物持ちがトランクを持ってついてくる。本館の正面扉を開けると、召使いたちが勢揃いしてぼくたちを迎えた。
「おかえりなさいまさ、当主様、ぼっちゃま!」
ぼくも父さんも答えない。ふだん父さんは、笑顔で挨拶を返すんだけど。
二人っきりの談話室は、とても広く、寒々しく見えた。
細長いテーブルを挟んで、ぼくと父さんは向かい合う。ぼくが椅子に腰掛ける時、かなり大きく金属のきしむ音がした。たぶん、知らず知らずのうちに乱暴な動きをしていたんだと思う。
「時間は十分だけだ。手短にな」
ああ、それでいい。談話室なんかじゃなくて、父さんの執務室に押し掛けていってもよかった。ぼくは父さんと楽しくお茶を飲みたいわけじゃない。
「父さんは、あの人たちを助けるつもりはないの?」
「ないね」
「どうして?」
「キリアス、お前は根本的に勘違いしている。私が惑星ギルティの連中を助けたのは、別に同情したからではない。あそこの領主が法律に反していたから、だ。貴族は平民の生活を、ある程度は保証しなければいけない。法律にそう書いてある。バルトロメオはそれを破った。だからこそ、お前の言うとおり罰したのだ。だが、私はどうだ。法律で定められている通りの庇護を与えている。これで十分ではないか。これ以上のことをなぜ求める。貴族と平民の税が同じでなければいけない、刑罰が同じでなければいけない、なんてことが帝国法典に書いてあるか? 書いてないな。それどころか、差をつけろとはっきり書いてある」
「じゃあ父さんは、法律が全てだっていうの? 法律とは別に、苦しんでる人を助けたいと思う気持ちがあっちゃいけないの?」
「いいかいキリアス。情けの心を持つことは確かに重要だ。だが、そのためなら法律を無視してもいいという事にはならない。そんなことをすれば世界は滅茶苦茶になってしまう。それが判らない歳でもないだろう」
ぼくは立ち上がった。
「父さん。ぼくは父さんのことを……」
「見損なったか? それは残念だ」
ひどく疲れたような表情で、父さんはぼくを見上げていた。
「話はこれで終わりか? まあ、これも予想通りだったよ。残念だ。実に残念だ。私が十五の時は、もう少し現実というものが、いや、人間社会を生きるということが判っていたと思うのだがな」
「おかしいよ、そんなのっておかしいよ! だって法律って何のためにあるの? 法律って道具なんでしょ? なにか目的があるんでしょっ」
「法律は人の為にある。人の幸福のために創られた道具だ」
怒りがこみあげてきた。それが判っているのに、どうして。
「そうだよ! 人のためだよ! 弱い人とか、困ってる人とか、苦しんでる人とかを助けるためだよ! 道具が、目的より優先されるなんておかしいよ!」
父さんは机の上に両腕を出した。片方の手を口元にあてる。
まるで、笑いをこらえているように。
「……父さん? 答えてよ父さん!」
「おお、悪かったな。あまりにもおかしなことを言い出すんで、どう答えればいいのやら見当もつかなくてな。……お前は、どうしてそんな人間になってしまったんだろうな。母さんに申し訳ないよ。私ひとりでもお前を立派に育ててやる、そう約束したんだがな」
「どうして? どうしてぼくの言ってることがおかしいの?」
ぼくの声はずいぶん大きくなっていた。
小さい子供のときをのぞけば、こんなに大きな声を出したことは一度もなかったような気がする。
「助けていないように見えるか? 少なくとも私は助けているつもりだ。あのバルトロメオと比べれば歴然としていると思うがな。このジリオースには、飢える者は極少数しかいない。領主の気まぐれで処刑されることもない。どうしてこれで満足できないんだ」
「ぼくが満足してないんじゃないよ。平民たちが満足してないんだよ。現にたくさん来てるじゃないか」
「あれは、ただのわがままだ。わずかな不満なら誰にでもある。普段は眠っているが、私とお前がきっかけを与えてやったから火がついた。そういうことだ」
「ぼくが悪いって言うの?」
「ある意味ではな。さあ、もう十分すぎた。私はこれから仕事に入る。邪魔はしないで欲しい。特に、こんな用件なら絶対に駄目だ。わかったね、キリアス?」
父さんはぼくの返事も待たずに立ち上がり、扉に向かって歩き出す。
ぼくは言葉もなく、その背中を見送っていた。
六
ふらふらと、ぼくは自分の部屋に向かう。
父さんに仕事があるように、ぼくには勉強がある。貴族に、特に領主になるためにはとんでもない量の勉強が必要だ。経済、政治の知識が必要だ。いろいろな人間と交渉するための弁論術や話術が必要だ。さすがに貴族全員は無理でも、周辺の伯爵や、主だった侯爵・公爵のことはそらんじることができなければいけない。ダンスとか乗馬とかもできなければ恥ずかしい思いをする。絵画とか音楽、芸術関係についても「興味ないから知りません」では田舎貴族と笑われる。
父さんもそのためにいろいろ家庭教師の先生を集めてくれた。この星系だけじゃなくて、何万という星から選りすぐった優秀な教師を。
今日だって午後三時からアシュトン先生の経済理論、四時からはベスクラ先生の民心掌握術、五時からリムルト先生の剣術。
だけど、それどころじゃない。悪いけど、部屋にとじこもって出ないつもりだ。
部屋の前に来た。
ぼくは声をあげる。
「ペルーサ!」
そこには見知った顔がいた。例のポケットだらけのジャケットを脱いで小脇に抱え、ドアにもたれかかっている。
「やあ」
ぼくは体をこわばらせた。
「ペルーサとはもう会いたくない。どうして来たんだよ。なにしに来たんだよ」
「ちょっと確認に」
ペルーサは浅黒い顔に微笑を浮かべていた。
「確認……?」
「ああ。どうだい、いいことした気分は?」
ぼくの胸の奥で毒の塊が膨れあがった。
「……!」
声を出そうとしたが、出なかった。ひどい。ペルーサはこんな意地悪なことを言う奴だったのか。
「わかったろう、お前のやったことは何の意味もないんだって。いや、はっきりいって悪いことなんだって。お前があの惑星ギルティの連中を助けたばっかりに、こっちの星の平民連中は余計な期待をもった。だから不平不満が高まった。どうしてあいつらだけ助けるれんだって。お前がそんなことさえしなければよかったのにな」
「違う……」
「違わない。人を助けるってのはそういうことだ。一人助けたら、他の奴らは苦しむんだよ。最初っから何もしなければ、世の中そういうもんだって思っていられたのに……それともお前、すべての人間を助けるつもりか? この帝国には千億の星系があるけど、すべて回って、そこの領主がちゃんとやってるかどうかチェックして、していたら罰して、飢えてる奴がいたら食べ物わけてやるのか? できるわけないだろ。たかが星系ひとつの領主には無理だよ。それこそ六十四大公家にでもならない限り。まあ仮にできたとして……でも結局、食べ物や金をばらまいても一時しのぎなんだぜ。貴族と平民と奴隷がいて、貴族は支配者、平民はその召使い、奴隷のそのまた下の、道具。そういう枠組みが決められてる以上、ある程度差があるのは仕方ないんだぜ。不満をもつ奴は必ずいるだろうな」
またか。また法律か!
毒の塊は破裂した。胸の奥で広がっていく痛みに突き動かされて、ぼくは叫んでいた。
「仕組み? 仕組みだって? それって法律のこと? 法律なんかより、いま目の前で苦しんでる人がいる、そっちのほうが重要じゃないか!」
「キリアス、お前……」
これまでペルーサは、どこか哀れむような眼でぼくのことを見ていた。その感情がいま消えた。そのかわり……
驚愕と、そしてわずかな恐怖が、彼の黒い瞳の中にはあった。
「お前、自分がなにを言っているのかわかっているのか?」
ぼくは、沈黙した。
貴族・平民・奴隷……
この三つに差があるって決めたのは、帝国を造り出した初代神聖皇帝、リアン大帝だ。それ以来一千年、いろいろあったけど、この身分だけは変わってない。マリウス三世にだって変えることはできなかった。
「地球人は、銀河でもっとも優秀で偉大な種族である」という考えは、帝国そのものといってもいい思想だから。
それをひっくり返すっていうことは……
体が震えていた。人を救いたいという気持ちは確かに本当だったはずなのに、そのためなら法律にだって逆らってもいいと思っていたのに、膝が笑っていた。両足にまるで力が入らなかった。
それは、反逆だ。最悪の反逆だ。
それは最低最悪のことだ……
そう教えられた。小さい頃から何度も何度も……ぼくはつまり、帝国全体をひっくり返せといってるんだ……
できるわけない、そんなのやっちゃいけない。理屈じゃなくて、とにかく体そのものがその考えを拒否した。あまりにも当たり前のことだから、どうしていけないのか判らなかった。
「俺は、お前が犯罪者に……違うな、国家反逆者になって欲しくない。それだけは本当だ」
「だから……だからあの時、村の人たちを助けなかったの?」
「助けなかった? 言ったろう、ちゃんと助けたさ、俺のやり方で。直接伯爵を倒してしまったら、こうなるのは判りきっていたから」
「……」
七
ぼくはベッドの上に転がっていた。
照明は全部消してある。カーテンも閉めた。だからずいぶん室内は暗い。
それでも……今のぼくにとっては明るすぎた。だからぼくは頭まで布団をかぶった。
それによって生み出された闇だけが、ぼくに安らぎを与えてくれた。
誰かがドアを叩く音がする。
……うるさい。
「キリアス様! キリアスぼっちゃま!」
家庭教師の声だ。他の召使いの声もまざっている。
「ぼっちゃま!」
うるさい。頼むから黙っていてくれ。
勉強どころじゃ……ないんだ。
勉強して立派な貴族になって、それで誰かを助けられるなら、それでいい。
でも、どんなに勉強しても、伯爵になっても、功績をあげてもっと上の貴族になっても、それでも世界を変えることはできない。ほんの気休めみたいなことが出来るだけ。ほんの一部を、短い間だけ助けられるだけ。
「正しい貴族」「立派な貴族」になんて、なったって無駄じゃないか。どうして勉強なんてする必要がある?
だから、ぼくは……
ただ逃げていた。ベッドの中の闇に。
今まで信じていたすべてが無意味だった。そう思えていたんだ。
眼を閉じた。
闇の上に闇を重ねて……
それで眠りが訪れればいいと、そう思った。
ほんの数日前まで、ぼくの世界はとても簡単だった。勉強して貴族になる。それだけだった。たまにペルーサに誘われて、いやだいやだといいながら変なところにつれられていく。ちょっと品の悪い遊びをする。実は楽しかった。スポーツとかの勉強は嫌だって言ってたけど、でも今に比べれば大したことじゃなかった。体の中が全部汚い砂で埋まってしまったような、そんな感覚に襲われることはなかった。
だって、知らなかったから。
苦しむ人、死んでいく人、それは確かにこの世のどこかにいるのだと、ぼくが見えないところで起こっているだけで、ぼくが今までは眼をそらしているだけだというだけで、間違いなく本当にあるのだと。
そして、それを助けようと思っても助けることはできないのだと。本当に助けたことにはならないのだと。
だから何をやっても無駄なんだと。
眠りたかった。何も考えずに眠ったら、眼を覚ましたときにはすべて消えていて、今までのは全部夢で、嫌なことも、わけのわからない理由で死ぬ人も、みんなこの世にいなくて……あの楽しかった頃に、ほんの少し前なんだけどすごく前に思えるあの頃に、自分のやっていることは意味があると思えたあの頃に、意味があるかどうか悩みもしなかったあの頃に……
戻っているのだと、そう願っていた。
でも眠れなかった。
自分の心臓の音が聞こえた。心音がこんなにやかましいものだなんて。
駄目だ……
その時声がした。
「……ほんとうに、たすけてくれるの?」
女の子の声だった。
自分の頭がおかしくなったのかと思った。幻聴だ、これは幻聴だ。そう思った。
でも、確かにきこえた。
……ほんとうに、たすけてくれるの?
そうだ、あれはフェリサという女の子の声だ。あの惑星ギルティにいて、黒い眼と黒い髪、小さな二本の角をもった女の子……悲しそうな眼でぼくたちを見ていた女の子……村人みんなが逃げていたのに、一人だけぼくたちに近づいてきてくれた女の子。
ぼくはそう答えたんだ。確かに助けるって。
でも、できなかった。裏切ったんだ。
ぼくは固く固く眼をつぶった。
でも、闇は濃くならなかった。なぜって闇のなかに、はっきりあの時の光景が浮かび上がってくるから。
八つ当たりで平民たちを殺すバルトロメオ。蜂型ロボットが人々を撃って。血しぶきをあげて吹き飛んで。白い角を生やした女の子が。確かに助けるって約束したのに。
ほんとうにたすけてくれるの。
できなかった。ぼくは嘘をついた。
ほんとうにたすけてくれるの。
その言葉がまた頭の中で弾けた。
苦しい……
その苦しさは、さっきまで胸の中に満ちていた無力感を上回るものだった。
そうだ……
どうにかしたい。
全員を救えないからって無駄なんだって、そう思っていたら。だからやってもしょうがないんだって、やらずにいたら……
ぼくは、ますます裏切りを重ねることになる……ぼくは助けるって言ったんだ。あのフェリサという女の子に。
ぼくは瞼を開いた。一気にふとんをはねのけて半身を起こした。空調を止めてあるから、室内の空気は少しよどんでいる。何時間も苦しんでいたみたいで、窓の外はすっかり暗くなっていた。
ぼくは絨毯の上に足をおろし、スリッパをはいた。電灯のスイッチに向けて歩き出す。まるで何年も寝たきりでいたかのように、足がうまく動かない。
それでもたどりついた。スイッチを入れる。
白い光が室内に満ちた。
「……ぼくは」
自分の声は意外に落ち着いていた。たぶんぼくはこの言葉を発するとき泣いてしまうだろう、そう思ったのに。
「ぼくは、あきらめない」
あきらめちゃいけないんだ。
あの時の言葉のために。
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