第三章 「やってみるがいい」

 一

 ぼくは走っていた。
 与えられた時間は、あまりに少ない。
 周囲はビル。右を向いても左を向いても、ただ、ビル……
 ぼくにとっては珍しい光景だ。建物と建物の間がこんなに詰まってるなんて。こんなに建物を上に向かって伸ばすなんて。太陽が、空が、まるで見えないなんて。
 やっぱり平民は貧しいんだ。
 ぼくたち貴族が高い税金をとっているから?
 いや……ビル街だというだけなら、そんなに驚くほどのことじゃない。でも、ここは。
 ビルは残らず薄汚れていた。五、六階くらいのビルも、十階くらいのビルも、もとの色が白だったのか灰色だったのか判らないくらいに汚い。窓があちこち割れていたり、街灯がへし折れていたり、赤錆の塊になった自動車がいくつも放置されて……なぜか窓ガラスとタイヤがついてない……いたりする。
 しかもなんだろう、この落書きは?
 帝国公用語じゃないみたいだ。文字は確かに知ってる字なんだけど……変な風に崩した字体だし、知らない単語がすごく多い。スラングっていう奴かな。
 時間はない。
 すぐにぼくはつかまるだろう。
 父さんの家臣はそんなに無能じゃない。ぼくがここまで来ることができたのも奇蹟みたいなものだ。
 ……ぼくは逃げ出してきたんだ。
 あのあと、ぼくは部屋を出た。父さんはさすがに心配したらしい。「言い過ぎた、悪かったな。勉強はしばらく休んでいいぞ」って言ってくれた。ぼくはこう答えたんだ。
「気分がむしゃくしゃする。休んだだけじゃ治らないと思う。外に行きたい。街に行きたい。できれば一人でいきたい。それで安心したいんだ、この星の平民達はべつに困ってなんかいない、苦しんでなんかいない、だからこれでいいんだって。言葉とかじゃなくて、本当のことを知りたいんだ」
 演技する必要はなかった。
 ある意味、ぼくの本心だから。
 この星の平民って、ぼくは家庭教師とか召使いしか知らない。あの人たちは当然、苦しいとか辛いとか、待遇が悪いなんてことは言わない。
 だから、あの人たちがどんなに「アルカゼル伯爵閣下は、キリアス様の父上は立派な方です。素晴らしい統治をされています」って言ったって信用できない。
 自分の眼で見たかった。それは確かだ。
 だからぼくの言葉とか表情には、さぞ真実みがあったと思う。
 でも、父さんに言わなかったこともある。ぼくは召使いも護衛も連れず、たった一人で街に行くつもりだった。そして、平民達を見るだけじゃなくて、助けるつもりだった。
 実際に見なきゃ、わからないじゃないか。
 お金がないのか、病気なのか。犯罪とかの恐怖にさらされているのか。それを見て、できるだけのことをしたい。そう思っていた。
 次の日、ぼくは数人の召使いと護衛を連れて屋敷から飛び立ち、屋敷の一番近くの大都市……エルフェンカイネンにやってきた。
 そして、隙を見て人混みの中に駆け込んだ。
 走った。ただ走った。後ろを振り向かずに、息が切れても立ち止まらずに、次から次へと人を突き飛ばして、人と人の隙間に潜り込んで、走った。地下道に飛び込んだりもした。
 今の季節、エルフェンカイネンは春だ。全力疾走のせいで、服が汗を吸い込んで重くなっていた。前髪を、額を汗が流れ落ちる。眼に入って痛い。
 そのときようやく振り向くと、後ろには誰もいなかった。
 ぼくは追っ手をまくことができたんだ。
 どうしてそれができたのか、判らない。訓練も何もしていない、ついこの間までスポーツの授業だってあまり真剣にやっていなかった素人に、そんなことができるなんて意外だった。
 だけど、できた以上、この機会を生かすつもりだった。
 だから、ぼくは今ここにいる。
 このエルフェンカイネンのことは、屋敷のコンピュータを調べてある程度知っていた。ここは旧市街と呼ばれていて、平民の中でも貧しい人たちが大勢住んでいる。犯罪の発生率もきわめて高いそうだ。
 ここになら、きっと苦しんでいる人たちがいるだろう。
 それを見て、その苦しみを知って、一人でも二人でも助けたい。そうしないと、ぼくはおかしくなってしまいそうなんだ。あの日惑星ギルティで見た光景が眼に焼き付いて離れないんだ。あのフェリサという女の子の言葉が、いつも頭の中で鳴り響くんだ。
 だから……ぼくは。
 それにしても、ここは暗いな。
 道も汚れてる。踏みつぶされた動物の死体みたいなものがころがってる。一応舗装はしてあるけど、ひび割れや穴だらけだ。平民は反重力浮遊車を使えないから、道が整備されてないと困るんじゃないかな。
 あ、そうか、そもそも車なんて持ってないかも知れない。あの村の人たちと同じように。
 でも、こんなに暗くちゃ夜は大変だろうなあ。あと、物音が全然しないのも気になる。人は住んでないのかな。昼間は働いてるから、ここにはいないってことなのかな。
 なんてことを考えつつ、ぼくはふらふらと歩いていた。
 実は少し怖かった。こんな暗くて汚くて臭いところは生理的に嫌だったし、犯罪多発地帯というからには、ぼくがそういうのに巻き込まれる可能性だってある。殴られるかもしれない。襲われるかも知れない。殺されることだって……ないとは言えない。
 でも、怖がってちゃいけないと思うんだ。
 もっとずっとひどいめにあってる人、有無をいわさず殺されてしまった人だっているんだから。
 と、その時ぼくの視界に人影がとびこんできた。
 大きい。最初はそれしかわからなかった。次の瞬間、シルエットが少し変だと気づいた。茶色いジャンパーみたいなものを着ているけど、その腕の部分の形が……
 腕が、四本?
 その後をついて、もうひとり人影があらわれた。こちらはそれほど大きくない。マント状の布……マントと言い切ってしまうには、その布はみすぼらしすぎた……で体を包んでいる。
 でも、ぼくはその後から来た方を見た瞬間、あっと声をあげていた。
 太陽の光からほとんど見放されたこの場所でもはっきりわかるくらい、その人の眼は光っていたから。光る、四つの眼。
 四本腕の人と眼が四つある人。その二人は、ぼくを見つけると足を止めた。
 間違いない、四本腕なのはベヘグット人、四つの眼があるのはアラードン人だ。
 帝国の法では、「地球人に近い肉体をもつ種族は平民、まるで違う姿をしている種族は奴隷」って決められている。この両種族は、平民でいられるかどうかギリギリの線上にいる種族なんだ。
 だから平民たちの中でも「最低の種族」だといってさげすまれるらしい。たいていの星では、働ける場所とか住む場所とかが制限されて、一生貧乏暮らしを強いられるらしい。
 犯罪者になる率も、高いそうだ……
「お? どうした、おぼっちゃん。ここはぼっちゃんみたいな人間の来るところじゃないぜ」
 四本腕の男が口を開いた。その体格にふさわしい声だ。
 四つの眼を持つ男のほうは、凄い速度でぼくの背中に回り込んでいた。
「それとも何か恵んでくれんのかい、ぼっちゃん?」
 ぼくの格好、お坊ちゃんだってすぐわかるらしい。
 やっぱり助けを求めてる。助けなきゃ。
「え? お金? もちろんそのつもりだよ。君たち平民が困ってることは知ってるんだ。でもお金をあげるだけじゃ駄目だと思うんだ。だからいろいろ話して欲しい。どう困ってるのか。それで助けたいんだ」
 二人の男は、突然顔を歪めた。
 次の瞬間、噴き出した。
「ははははっ、こいつはいいや」
「お高くとまっちまって、ほんとに貴族なんじゃねえかこいつ」
「地球人に見えるが、そういう異種族もいるぜ?」
「この脳天パーっぷりは本物の貴族だよ、まちがいねえ」
「そりゃそうかも知れねえな、よっぽど苦労知らずでなきゃ言えねえよこんなセリフ」
「そうだ、持ってる金だけじゃなくて、もっと金とる方法あるぜ。こいつ人質にすんの」「お前、どこの貴族だ」
 ぼくは一瞬だけ口ごもった。
「……伯爵だよ。ここの領主だ」
 答えてしまってよいのかと思った。
「はははっ、こいつはすげえ!」
「大金が入るぜ」
「ちょっと来いよ」
 四本腕の男が詰め寄ってくる。ぼくが後ろに飛び退く。体が勝手に、磁石の同極みたいに動いていた。でも背中が何かにぶちあたり、それ以上進めなくなった。もう片方の男に止められたのだ。肩に男の指が食い込んでくる。
 駄目だ、もう逃げられない。
 どうする。この人の人質になれば、確かにこの人たちはお金を手に入れることができる。これで救ったともいえる。でもこれでいいのか。ぼくはそんなことをしたかったのか。わからない。わからない。わからなくて……
 それ以上考えられない。怖い。相手は銃もナイフも持ち出してないけど、それでも怖かった。この人たちは本当にぼくを殺せる。まだそのつもりになってないだけで。そう感じたから怖い。なんてことだ、命をかける覚悟はあったつもりなのに。
「こいつはいける。ここから出ていくチャンスかもしれねえぜ」
 と、四本腕の男がそう言った瞬間。
 彼の頭が弾けた。
 首から上がなくなった。
 甲高い破裂音がした。
 赤黒いシャーベットみたいな、ペーストみたいな、べっとりとしたものが飛び散る。ぼくの顔や体にも。
 ぼくは動けなかった。口を半開きにして、その場に立ちつくしていた。
 頭を吹き飛ばされた男は、ゆっくりとその場に倒れる。
「て、てめえ何をっ」
 四つ目の男が喚く。ぼくだって何がなんだかわからない。ぼくは何もしてない。
「こいつが、貴族様が死ぬぞ、どうなってもいいのかっ」
 男は周囲を見回しながら叫んだ。確かに撃ってきたのに、誰もいない。
 また次の瞬間、「がはあっ」という声が背後でした。ぼくの体を押さえている力が急に弱くなる。ついに、四つ目男の手がほどけた。
 ぼくは振り返る。四つ目男は倒れていた。
 首筋から、おびただしい量の血を噴き出して。
「あ……」
 何か、とても鋭いもので頸動脈をかき切られていた。四つの眼はどれも濁っていた。体はまるで動かない。息もしていないみたいだ。
 死んでいた。
「ご無事でしたか、キリアス様」
 そんな声がして、誰もいなかったはずの場所に、真っ青な制服に身を包んだ男が現れた。
 長いナイフを持っている。高周波ブレードとかいうものかも知れない。
「戻りましょう、キリアス様」
 後ろからも声がした、ふりむくとそこには、やはり青い制服の男が立っていた。大型拳銃を手にして。
 不可視装置だ。立体映像を使うものとか、特殊な力場で光をねじ曲げるものとか、空間の性質を変えてしまうものとか、いろいろあるみたいだけど、とにかく透明人間になれる装置。それを使っていたんだ。
 そして、二人の男を殺した。
「あ……」
 どうしてだ。どうしてなんだ。
「キリアス様、帰りましょう」
「そうです。当主様が心配されています」
 二人の男は顔色ひとつ変えていなかった。
 ああ、この二人が誰だか、ぼくはよく知っている。父さんがつけてくれた護衛だ。まいたつもりだったのに、いつのまに追いつかれたのか。
「これでわかったでしょう、平民と接触するとどうなるか。体で理解されたはずです」
 護衛が放ったその言葉。
 それじゃあ……
「はじめからそのつもりだったのっ。ぼくが逃げ出すことも計算に入ってたの。わざと取り逃がして……」
「ええ。キリアス様のやりたいようにさせろというご命令でしたから。ずっと後を追って、危険があればいつでも排除できるようにしておりましたが」
 ぼくはその場にうなだれた。
「父さん……」
 こうしてぼくのせいで、また二人の人間が死んだ。
 ぼくが助けようなんて思ったばっかりに。
 この二人の護衛のせいだろうか。いや、たぶん違う。この二人は任務を果たしただけだ。命令に従っただけだ。
 じゃあ父さんのせいか。
 そうかも知れないけど……
 父さんも憎い。許せない。でもそれ以上に悪いのは……
 ああそうだ、考えるまでもない。ぼくじゃないか。たった一人で街にやってきて何ができるっていうんだ。なにかできるつもりになっていただけだ。結果はこれだ。頭を吹き飛ばされて、あるいは首を斬られて死んでいる二人。なにが言える。この二人に何が言える。確かに怖い人たちだったけど、でもぼくがどうにかしたかったのは、こういう人たちじゃなかったのか。なにが言える。この二人に何が言える。悪気はなかったんだ、死んだのは仕方ないんだって言うのか。ぼくのせいじゃないっていうのか。
 言えるわけない、言えるわけないよ。
「帰りますよ、キリアス様」
 

 二

 父さんは、今度こそ本当に怒っていた。
「キリアスっ! 来なさいっ」
 浮遊車で屋敷に戻った時には、もうあたりはすっかり暗くなっていた。
 父さんは玄関で待っていた。召使いも連れず、たった一人で。そしてぼくを見るなり、そう言ったのだ。
 ぼくが何か言おうとする前に、父さんはぼくの腕をつかみ、談話室までひきずっていった。
「痛い、痛いよっ」
「……お前に殺された平民はもっと痛かった」
「ぼくが殺したんじゃないっ」
「じゃあ護衛二人が殺したのか。違うな、彼らは私の命令に従っただけだ。じゃあ私が殺したのか。そうとも言えるが、私があんな命令を出した原因はお前の行動だ。もし護衛がお前を逃がさなかったら、お前は今回だけではあきらめなかったろう。何度も何度も繰り返したはずだ。目の前で見ないと、あるいは体で味合わないと判らない、そう思った。だからあえて私はこうした。その結果がこうだ。結局のところ、あの二人を殺したのは……お前だ。お前の勝手な善意だ」
 ぼくは何も言い返さなかった。
 別に父さんに言われるまでもないことだったから。一番責任があるのは自分だって、すでにわかっていたから。
 談話室に入り、父さんはテーブルの端の席に座った。
「かけなさい、キリアスっ」
「……うん」
 ぼくは着席すると、父さんは身をのりだしてぼくの顔をのぞき込んできた。貴族が貴族に対してとる行動ではなかった。
 それも驚いたけど、それ以上に驚いたのは父さんの顔だった。顔を数十センチの距離に近づけて初めて気づいた。
 父さん、どうしたんだその顔は。
 顔色はまさしく土気色。眼は血走っている。瞳の色が薄いだけに毛細血管が目立つ。まるで吸血鬼だ。頬の肉は削り落としたみたいになっている。もともとやせ形だったけど、さらに十キロくらい落ちたように見える……
 要するに、父さんはやせ衰え、そして疲れて果て、それにも関わらず神経だけは高ぶっていた。
「気づいたようだな、ここのところお前は自分の問題ばかり気にしていて、私の顔をじっくり見ることなどなかったからな、気づかなくて当然だ。こうなってしまう前は、少し私が落ち込んでいるだけで『父さんどうしたの』と訊いてくれたものだが…まあいい」
 父さんは笑った。とても弱々しい笑みだった。どうしても笑い声にはきこえないかすれた音が唇から漏れた。
 そして父さんは顔を遠ざけ、椅子に座り直した。笑みを消し、苦痛に耐えているような表情をうかべて。
「さあ、これでわかっただろう。いくら善意でも、人を助けたいとおもっても、それがよい結果を生むとは限らない。何も考えずに突っ走ったら、こういう結果を生むだけだ。それとも……あの護衛たちは撃つべきではなかったと、そういうのか? お前があの強盗たちに殺されて身ぐるみはがされる、あるいは人質にされて私が金を出す、そのほうがよかったか? たった二人の人間に金を渡す、そのためだけに死ねるのか? 私を悲しませて、母さんを裏切って死ねるのか?」
 息をのんだ。
 ぼくが小さいとき母さんは病気で死んだ。だからぼくは母さんのことをほとんど覚えていない。だけど父さんからよく母さんの話を聞かされていたから、知識としてはよく知っていた。
 母さんは奇麗な人だった。
 母さんは淡い金色の髪の持ち主だった。
 母さんは優しくておとなしい、ちょっと人見知りのする性格だった。
 母さんは運動が苦手で、詩集とピアノが好きだった。
 母さんは滅多に怒らなかった。
 母さんは、時たま頑固なところを見せた。
 母さんは体が弱かった。ナノマシンや遺伝子操作による肉体改造が禁止されているこの大公領では、それは変えようのないことだった。
 そして母さんは、キリアスを頼みますといって死んでいったという。父さんは深くうなずいて、母さんの最期を見とったという。
 父さんはその誓いについてよく口にする。
 ……母さんの命をかけた願いを絶対に果たさなければいけない、キリアス、お前は必ず立派な貴族になれ、一人前の領主になれ。そうでなければ母さんを裏切ることになる。
 父さんは卑怯だ。そう思った。
 母さんを持ち出されて、ぼくが逆らえるわけないじゃないか。
「どうだ、キリアス。それでもお前はやるか」
 そう思っていたのに。
 自分がいかに愚かかって、いやというほどわかっていたはずなのに。
 母さんとの約束があって、だから父さんは必死なんだって、その気持ちは痛いほどわかっていたはずなのに。
 だから逆らえるはずがないって、そう思っていたのに。
 気が付いたら、こんな言葉が口から出ていた。
「……ぼくはあきらめない」
 言ってしまった瞬間、ぼくは心底驚いた。
 ぼくのどこから出た言葉だろう。そんなことをぼくは思っていたのか。
「……なんだとっ……」
 父さんの驚愕はぼく以上のようだった。まさか、これだけやってまだ逆らうとは思ってもみなかったらしい。
 ぼくは自分の胸に手を当てた。
 凄まじい勢いで心臓が飛び跳ねている。
 体中から汗が噴き出していた。
 自分がなんでそんなことを言ったのか分からない。でも……それ以外の言葉が出てこなかったんだ。
「お前は言うんだな。どうあっても、たとえ犠牲者を出しても、お前は自分のやりたいようにやるって。貴族の本分は何だ?」
「領民を守ること」
 父さん自身がそう言ったことだ。しょっちゅうきかされてきた言葉だ。
「その通り。それが判っていながら、お前はまだ繰り返すのか。私の守り方では足りないという事か」
「ぼくは父さんみたいに、あきらめない。今回はやり方が間違っていたかも知れない。でも、あきらめない。父さん、あきらめてるよね。ある程度平民が苦しむのは仕方ないんだって。少しぐらい死んだりするのはしょうがないんだって。貧しかったり、飢えたり、不公平だったりするのはしょうがないんだって……ぼくはあきらめない」
 父さんは唇を歪め、歯をくいしばってきしませていた。ぼくは言葉を続ける。
「父さんは、母さんを裏切りたくないんだよね。だからぼくを立派な貴族に育てたいんだよね。でもぼくにも、裏切りたくない人がいるんだ。あの惑星ギルティにいた人。ぼくはあの人たちに、必ず助けるって言っちゃったんだ。約束したんだよ。でも、出来なかった。だからこれからでも助けたい。助けることを諦めたくない。少しくらい死ぬのは仕方ないなんて、法律だから仕方ないなんて、そんなこと思ったら、諦めることになる。裏切ることになるんだ」
「……だから、ぜったいにあきらめない」
 父さんは立ち上がった。
 やつれた顔でぼくを見下ろして。
 まったくの化け物をみるような、恐怖の表情を浮かべて。
「できるのか……できるというのか、お前には……」
 ゆっくりと、とぎれとぎれに、それだけ言った。
 ぼくの答えは一つしかなかった。
 うなずく。
「そうか……じゃあ、やってみろ。やってみるがいい」
 えっ?
 まさかこんな答えが返ってくるなんて思わなかった。
 父さんはもう振り向かなかった。よろめきながら部屋を出ていく。
 ぼくはしばらく、唖然としていた。
部屋に戻ってからも、何も手につかなかった。父さんに許してもらえた? とてもそんな雰囲気じゃなかったのに。絶対喧嘩になるって思ってたのに。
 だからぼくは机に頬杖をついて、ランプの形をした電灯を見つめながら、考えていた。
 どういうことだ、この変化は一体なんだ?
 ああいわれてしまうと、それはそれで困る。素直に喜べない。
 ぼくの気持ちを判ってもらえたんだ、そう解釈するべきなのかなあ?
 それとも……
 父さんに真意を問いただすべきかな。
 いや……それじゃ「結局、私が許可しなければ行動できないのか? あれは口だけか」っていうことになる。気にしないで、やりたいこと、いや、やるべきだと思ったことをすればいい。
 うん、そうしよう。
 本も読まず、召使いが「御夕飯です」と呼びにきても食堂にいかず、ただ部屋にこもって何時間も考えていた。
 その結論がこれだ。
 そうだ、気にしない。
 だから……
 と、そこまで思った時だった。
 ノック、ノック、またノック。嵐のような、機関銃みたいなノックがドアを乱打した。
 一体なんだ?
 なんであんな滅茶苦茶な叩き方するんだ?
 やっぱり父さん、怒ってたのかな?
 ドアを開けると、モーニング姿の召使いがいた。青ざめて。がたがた震えた。
「……どうしたの」
「き、き、キリアス様……」
「だからどうしたの?」
「だんな様が……当主様が……」
 その召使いは言った。
「亡くなられました」
 言っている意味が分からなかった。口をばかみたいに大きく開けた。
「く、首を吊って……し、寝室で」
 ……なんだって。
 その時になってようやく、ぼくの体を寒気が包み込んでいった。
 ぼくが殺したのは、街で出会ったあの二人だけではなかった。
 父さんも、ぼくが殺した。
 


 父さんは、医務室のベッドに横たえられていた。
 この屋敷の医療設備は大したことないけど、別にちゃんとした病院に移す必要はなかった。
 だって、もう死んでいたから。確実に死んでいたから。
 口の周りには戻した跡があった。異臭が漂っていた。排泄物の匂いだ。首を吊った人間はこうなる。体中の穴から、吐瀉物と、大小便を垂れ流して死んでいく。医学の本に書いてあった通りだ。
 ぼくは声もなかった。医務室にぎっしり集まって泣いている召使いたちをかきわけ、父さんの亡骸に近づく。
「どういうことなんだ……」
 やっと声が出た。父さんの顔に触ってみた。冷たかった。
「キリアスぼっちゃま……」
 執事がぼくの前に来た。
「私が気づかなかったばかりに申し訳ありません……」
 他の召使いたちも。
「申し訳ありません。旦那様がこうまで悩んでおられるとは少しも……わたくしたちの注意が足りなかったのです」
「申し訳ありません……」
 すべて、主人の死を自分の責任だと感じているらしかった。
 だが、ぼくは知っていた。そうではないと。父さんを殺したのはぼくだと。
 ぼくはたぶん、あの時父さんのすべてを否定してしまったんだ。それがなんとなくわかった。あれはただの口論なんかじゃなかったんだ。
 どうすればいい、どうすれば……
 また別の召使いが、年老いた医者に向かって噛みついていた。
「どうして助けられなかった!」
「もう亡くなられていた。無茶を言うな」
「知ってるぞ。死んだように見える人間だって生きかえることもあるんだ。やってみろっ」
「そういう事もあるが、この場合は無理だ。完全に亡く……」
「本当に死んだ人を生きかえらせる技術だって、あるだろう! クローンとか、コンピュータがどうしたとか……そういう事をやったって話きいたことあるぞ!」
「だから、話を最後まで聞いてくれ。確かに貴族の中には、自分の人格や記憶をコンピュータに保管しておく方もいらっしゃる。それをクローンの脳に転写すれば、事実上死んだ人間が生きかえることになる。だができんのじゃよ、このカード大公領ではそれは禁じられておるのだ、死への冒涜だと言ってな。だから当主様は人格のコピーなど残しておらなんだ……」
 そうか、やっぱりそうなんだ。
父さんは、本当に死んで……消えてしまったんだ。
 その時召使いの一人がこうつぶやいた。
「この時期に当主が亡くなられて……まだキリアスぼっちゃまは十五歳だというのに……」
 その言葉が、ぼくの意識を一瞬で澄み渡らせた。
 そうだ。悲しんでいるだけじゃ駄目だ。
 父さんがいなくなった以上、誰かが伯爵家を継がないと。代わりにこのジリオース、そしてサクリファイス星系を統治しないと。
 放っておいても、ぼくがその役目をになうはずだった。予定がずいぶん早まったけど。
 まだまだ勉強が足りない。若すぎるって、みんなきっと言うだろう。
 だけど……やるしかないんだ。
 もしぼくがここでやらなかったら、他の人に領地の運営を任せてしまったら、ぼくはただの我がままを叫んだことになる。あの「あきらめない」ってのはただの言葉になる。
 ただの薄っぺらな言葉、口先だけの宣言。つまり嘘。そんなもののために父さんは死んだことになる。
 それじゃあんまりだ。
 せめてぼくは、やらなきゃいけないんだ。
 父さんは最後に言ってくれたんだから。
 じゃあ、やってみろって。

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