30年前、世界中の目が打ち上げを間近に控えたアポロ11号に向けられていた頃、N1ロケットの第2回打ち上げ試験が行われた。
すでに前年(1968年)12月にアポロ8号は月周回飛行を達成し、続く9号、10号共に成功、”MoonRace”の勝者はあらかた決していた事はソ連の当事者から見ても明らかだっただろう。だが、彼らはわずかな望みに賭け、最後の努力を続けていた。
同年2月21日に行われた第1回の打ち上げ試験ではエンジンの異常に始まり、エンジン制御システム”KORD”の誤動作で打ち上げから68.7秒後に全エンジンが停止、さらに1.3秒後に管制塔からの指示で爆破された。誰の目から見ても明らかな失敗である。だが、爆破されるまでの間テレメトリーシステムは地上へ貴重なデータを送り続けていた。今回の打ち上げでは前回の失敗の原因を追及し、対策が施された機体が用意された。
2回目に打ち上げられた機体”5Л(5L)”は第1回の打ち上げに使われた機体”3Л(3L)”とは形状はほとんど同じだが、カラーリングが大きく異なっていた。第1段と第2段のサポートタワー側の1/4は3Л同様ダークグリーンだが、残る3/4は白く塗られ、さらに第3段はすべて白く塗られていた。これは前回の打ち上げが真冬だったのに対し、今回は夏に打ち上げられるため、機体が太陽光線で加熱されるのを押さえるためである。前回誤動作を起こしたエンジン制御システム”KORD”にもエンジンからの熱の影響を避けるように対策が施されていた。
打ち上げは深夜、モスクワ時間で1969年7月3日23時54分に行われた。現地バイコヌール宇宙基地ではすでに7月4日になっていた。前回の失敗を糧に今度こそ十分な成果が得られるものと期待されていた。だが、結果はあまりにも残酷なものだった。
機体が正常に飛行したのはわずか数秒間だけであった。発射台を離れるまでは正常であるかに見えたが、サポートタワーを通過した直後(高度約200m付近と思われる)、第1段の2番エンジンのターボポンプが爆発した。その直後”KORD”システムは全エンジンの停止を指示、機体は45度に傾きながら発射台に向かって落下し始めた。エンジンはほんの数秒しか動作していないため、ケロシンと液体酸素で満たされたままの機体は発射台に激突し、大爆発を起こした。この爆発の凄まじさはかなりのもので、核爆発に匹敵する閃光がアメリカの軍事衛星によって捉えられ、北米防空司令部の警報が鳴った程だったという。これはロケットの爆発事故としては史上最大のものである。
この爆発により発射台は甚大なダメージを受け、再建にはかなりの時間がかかると思われた。
爆発の原因はターボポンプに入り込んだ金属片だった。燃料ラインには異物を除去するフィルターが無く、異物の混入を防ぐ術はなかったのだ。ターボポンプが回りだした時点でこの機体の運命はすでに決まっていたのかもしれない。また、この事から当時のソ連の機械工作の「質」が伺い知れるのではないだろうか。
この失敗はソ連に「ムーンレース」での事実上の敗北を認めさせるのに十分なものであった。だがプロジェクトはこれで終わりではなかった。アメリカとの競争に敗れたとしてもN1−L3計画は続行されるべきと判断されたのだ。だが、彼らがこの失敗の痛手から立ち直り、発射台を再建し、改良されたN1を空に飛ばすのには約2年もの時間が必要だった。