*カルテ11 98.9.7

      「お疲れ様でした〜。本日は640円になります。予約は来週の同じ曜日でいいですか?」

      先日の針刺し事件以来、ゼフェルはアンジェリークに器具を触らせようとしない。
      かといって、仕事を辞めさせて 昼間中顔が見られないのも嫌なので、
      受付をさせているのだった。

      「かわいい看護婦さん、君に会うのに来週まで待たなくちゃいけないなんて、
      むごすぎるぜ。このまま君を連れ去ってしまいたい‥‥その花のような笑顔、
      オレだけのものにしたいと、ずっと思っていたんだぜ?
      そうだ、これから二人で食事にでも出掛けないか、とびっきりの店に
      エスコートさせてもらおう。」

      ユニットの薬品を補充していたゼフェルの耳がピクン!と動いた。
      薬瓶を掴んだまま、ずかずかと受付に歩いて行く。
      額にうっすら交差点を浮かべて。

      「てめぇなあ、ここはイメクラじゃねーんだよ!!
      釣り持ってとっとと帰りやがれ!」
      PMTC(Professional Mechanical Tooth Cleaning)を受けたばかりの
      真っ白な歯をキラーン☆と輝かせてアンジェを口説いていた男は、
      しれっとして言った。
      「おやおや、オレはこのレディに用があるんだぜ?
      彼女の耳元にそっと届けた、このオレの愛の囁きを盗み聞いていたとはな。」
      「うるせぇ!それ以上くだんねー事言いやがると‥‥」
      持っていた次亜塩素酸ナトリウムの瓶を振りかざす。
      「おっと。そんな物騒なものを持ち出されたんじゃしょうがない。
      今日の所はこれで失礼しよう。またな、看護婦さん。」

      背の高いキザな男は、洗練された身のこなしで出ていった。と思いきや
      ドアの向こうで、まだウインクを送っているので
      ゼフェルはキーッ!とキバを剥いて、再び薬瓶を振りかざした。

      ――くすっ。

      アンジェリークの漏らした笑みに、我に還る。
      「気をつけろよな、アイツ、女と見りゃぁ誰にでもあんな事言いやがんだ。
      マトモに相手してやる事ぁねーかんな。」
      「あ、はい。でもゼフェル樣‥‥」
      あどけない碧の瞳で微笑むアンジェリーク。
      やっぱり他の野郎に見せるのはもったいねえ。いっそ、どっかに仕舞い込んで‥‥
      「イメクラって、何ですか?」

      ―――っっっっ!

      カマトトぶってるワケじゃ‥‥‥ねーんだろうな、この純粋に興味津々な目は。
      こうなると適当にはぐらかそうとしてもダメだ。チッ‥‥
      「イメージクラブ‥‥つっても、わかんねーか。
      おネェちゃんが、いろんなカッコのコスプレするキャバクラがあんだよ。」
      「キャバクラ‥‥‥って、あの、えっと、もしかして‥‥」
      「おう。そーいうトコだ。」

      「‥‥‥‥‥‥‥ゼフェル樣、そういう、風俗とかって行った事ありますか?」
      すぅーっ、と潮が引くように微笑みが消えて、神妙な顔付きのアンジェリーク。
      こいつはオレの事、聖人君子だとでも思ってやがるんだろうか。
      わざわざ言う必要も無いから黙ってたが、
      風俗云々を抜きにしても、このトシまで女の経験が無い方が不自然だ。
      今までこいつに手を付けてねぇのが、自分でも不思議なくらいだぜ。
      どんだけオレがガマンしてっか、分かってねーのか、このすっとこどっこい!
      「まあな。‥‥男のつきあい、ってヤツでよ。」
      少し意地悪な気分で、多分コイツが欲しがってるのと違う答えを返した。
      ほんの少し、目尻が光って、鼻の頭が赤くなってる。
      「オレだって、フツーの男なんだぜ?」
      受付のカウンターに薬瓶を置いて、一歩近付くと、アンジェも一歩下がる。
      その腕を強引に掴んで、肩を抱いた。

      「‥‥イヤッ!‥‥何か嫌です、そんなのって‥‥」
      体をこわばらせ、顔を背けて拒絶する。
      こいつの性格からいって、そういう部分を受け入れたくない気持ちは分かるが、
      今日のオレは、さっきのヤローのおかげで頭に血が登っていた。
      「不潔だと思うか?オレだっておめーの事じゃ、さんざんおあずけくらって
      その上昔の事まであれこれ言われたんじゃ、たまんねーよ!」
      「だって‥‥‥」
      「だいたい、おめーの方こそ、隙があんじゃねーのか?
      あんなタラシの言う事ニコニコして聞いてやがって!」
      「!!ゼフェル樣、ヒドイです、そんな‥‥」

      ――――あーあ。やっちまった。

      裏口から飛び出して行ってしまったアンジェリークを引き止める事も出来ずに
      ゼフェルは拳で壁を叩いて、ひとり残された診療室にじっと佇んでいた。

      ―――オレが泣かせて、どーすんだよ。
       

          カルテ12につづく  喫煙は歯肉の血行阻害他、多くの悪影響を及ぼします



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