*カルテ14  99.12.24

       ―――ピーッ‥‥間もなく 西行きの列車が参ります。
      ラインの内側に下がってお待ち下さい‥‥プツッ。

      大陸横断寝台特急、23両編成の焦げ茶の列車は、
      乾いた空気を掻き分け、ホコリを巻き上げながら 賑やかなパレードの足取りで
      彼を待つ人々の許へと滑り込んで来た。

      この田舎町の小さな駅は、普段ならダンボールやらコンテナが幅をきかせているばかりだが
      感謝祭前の連休ともなれば、行き交う人々でにわかに活気付き、
      赤茶けてところどころ欠け落ちた古いレンガの構内には、感謝祭用のディスプレイが
      華やぎを添えていた。
      仕事の為に都会に離れて暮らす若者達は、休暇を取って故郷の家族の許へ帰って来る。
      その出迎えの人々がホームで交すあいさつと、笑い声。

      「寒いか?」
      「ううん、平気。なんだかワクワクしちゃいます。」

      ふたりの向かう先は、先日の約束通り、ゼフェルの生家。
      ゼフェル自身も、久しく帰っていないその故里では今頃
      ものすごく言いずらそうに、散々言葉を濁した後「会わせたい奴がいる」と
      少しばかり遠い受話器越しの音声で告げた息子と、まだ見ぬ客人を
      キリンの両親が待っているであろう。

      乗り込んだ旧式の列車は、床も壁も、ピカピカに磨き上げられていて。
      こんな、青い絨毯敷きの廊下などの存在をアンジェリークは初めて知った。
      ゼフェルが取ったのは、一般車両のパスではなく、
      ホテル並の内装を誇るコンパートメントだったのだ。
      もちろん列車の先端の方から半分程は、お馴染みの乗り合いの席になっているのだが。

      「さて、と。先は長いぜ?おめーも楽にしとけよ。」
      暖房の効いた個室内だ。靴を履き替え、コートも脱いで、すっかりくつろぎ体勢のゼフェル。
      帰省はともかく、学会やら器材の買い付けやらで、この鉄道の利用は慣れている。
      騒々しいのと狭苦しいのが嫌で、個室を使うのはいつもの事だ。まあ、今回は倍の広さだが。
      「すっごーい!テレビがある‥‥‥わ、この洗面台って、大理石ですよ??うわぁ〜〜
      シャワーのお湯って、どこに溜めてあるんだろう‥‥‥あ!冷蔵庫にゴディバのチョコ発見!」
      ――――ぷっ。
      ガキか?あいつぁ。
      世程珍しいのか、いちいち点検しては歓声を上げているアンジェリーク。
      しかし、当人の心中は只のお子樣モードというばかりでもなかった。

      ゼフェルと一つ部屋の中で過ごすのはいつもの事だ。
      職場でも、アパートでも。
      しかし、こうも狭い密室で、目に入るものといったら、ソファにテーブルに‥‥
      それより何より視界に幅をきかせているのは‥‥‥ベッドである。
      これが寝台特急である事を鑑みるに、至極当然の事なのだが。
      そして、これといって何をするでもなくこの先二人、向い合ったまま
      いかに豪華な作りと言っても、所詮は列車内。コンパートメントはさして広くはない。
      妙な焦りと緊張感が、アンジェリークの心をガタコト揺らしていた。

      「あっ、あの〜〜〜、ちょっとお腹すいちゃった。ビュッフェに行って何か買ってきます!」
      室内点検がひとしきり済んでしまうと、そんな逃げ口上を掲げて、サイフとハンカチを掴み
      わたわたと部屋を飛び出してしまった。

      「おい、気を付けて行けよ!‥‥って、何あんな慌ててんだ?全く、落ち着きの無い奴だぜ。」
      膝に広げた雑誌から視線を上げ、閉ざされたドアに呟きながらも、
      ゼフェルは密やかな笑みを浮かべていた。なんのかの言っても、二人きりの旅行である。
      着いた先でのあれこれの煩わしさはひとまず置いて、やはり少しばかり心浮き立つ感じは
      感謝際ムードに乗せられてしまっているのかと思うと若干癪だが。

      「はぁ〜〜〜〜〜っ。」
      何やってんだろ、わたしったら。
      来た道を逆に辿りながら、肩を落として歩くアンジェリーク。
      手には、言い訳めいた箱菓子がひとつ。
      部屋を出て来た理由は、本当はこんなもののせいではなくて、
      実は、化粧室に行きたかったのだ。自然が私を呼んでいる、である。
      もちろんシャワーブースまでついた特等個室には立派なそれ用の設備がある。
      しかし、壁一枚のすぐ側にゼフェルがいて。
      なんとなく、普段のように気軽に用を足す事が憚られたのだ。乙女心は複雑なり。

      「あの、すみません、これ落とされましたよ?」
      後ろから掛けられた声に振り向くと、黒目がちの瞳が印象的な
      良家の子息風の少年が、ハンカチを差し出してこちらを見上げていた。
      「あっ、どうもありがとうございます。」
      惚けていた背中を見られた恥ずかしさに赤面しつつ慌てて受け取る。
      「失礼ですが、少しお顔が赤いですよ?ご気分が優れないのですか?僕でよろしかったら
      お部屋まで送らせて下さい。父さま、すみませんが、先に行ってらして下さい。」
      少年のどこかエキゾチックな独特の雰囲気のせいか、年に似合わぬエスコートぶりの為か
      なりゆきに流されるまま、並んで廊下を歩く羽目になった。
      「それで、お部屋はどちらですか?」
      他愛無い会話の中で聞かれた瞬間、アンジェリークは凍りついた。
      青い絨毯の廊下の右手には流れる景色を写す車窓、左手には同じ顔したドアがずらりと並んでいて
      ‥‥‥部屋番号がわからないのだ。つまり、迷子である。
      トランプのカードが頭に渦を巻く。さあ、どれだか当ててごらん、と意地悪く笑う神経衰弱。
      「あの‥‥‥どうなさったんですか?もしかしてお部屋が分からなくなっちゃったんですか?」
      豪華コンパートメントの旅にこんな落とし穴が潜んでいようとは。
      生憎、部屋番を記したパスはゼフェルが管理していて、はなから見てもいない。
      今回の旅行は全てゼフェルが段取りしたので、後ろからついて歩くだけだったのだ。
      「どうしようわたし、出てくる時にちゃんと見て来れば良かったのに〜〜。」
      「あはっ、大丈夫ですよ、車掌さんに予約の名前を問い合わせればすぐに分かりますから。
      僕、呼びにいってきますね、あなたはここで待っていて下さい。」
      心許なさげな顔をしたアンジェリークを励ますように、ハンカチを握った右手を
      彼女のものよりひと回り小さな両手が優しく包み込んだその時、
      ガチャッ!
      すぐ後ろでトランプの1枚が裏返り、そのドアから顔を覗かせたのは

      「ゼフェル樣ぁ〜〜〜!!」
      半ベソのアンジェリークを抱き止め、今見た場面のせいで眉間に不快感を露にしながら
      相手の年令も構わず睨みをきかせてしまうゼフェル。
      帰りが遅いので、気になって外に出てみればこれだ。
      「ごめんなさい、お部屋が分からなくなっちゃって、この方に助けて頂いたんです。」
      「へぇ、そうかよ。‥‥‥ったくオメーは。おい、あんた!世話ンなったな。」
      アンジェリークを抱いたまま、その手から菓子をもぎ取り、半ば叩き付けるような格好で
      少年の掌に乗せると、空いた手でまたトランプをひっくり返し、スペードの兵隊は姫を匿うのだった。
      廊下の王子はあっけに取られているだろうか。ゼフェルの知った事ではないが。
      ――――だから、こいつは放っとけねーんだよ!

      列車は走る。
      夕日に染まる麦穂の海をなびかせて。
      ガタン、ゴトン
      リズムを刻んで揺れながら。
      線路は続く‥‥‥‥‥‥
       

          カルテ15につづく  プラークコントロールは家庭とプロフェッショナルケアの両側からのアプローチが効果的。



      1999.12.24 ROM /個人で楽しむ以外の転用、複製及びHP上での使用をしないで下さいね。