大陸横断列車の旅は、無事に終った。
こうして診療室に戻ってみると、あっという間だったような気がする3日と半分。
田舎の両親というのは、何故ああやって 畑の作物やら、どこででも買えるような
昔懐かしのチリチップスやらを持たせたがるのだろうか。
ゼフェル一人の帰省の時ならば、何だかんだと理由をつけておよそ丁重とは言い難い辞退を
突き付けてくる所だったのだが、如何せん今回は あの親と、このアンジェリークだ。
人参に玉蜀黍、赤や青 色とりどりのベリーの乾物。箱いっぱいの駄菓子を抱えているのに
更に南瓜まで持ち出すものだから、流石に一喝して引っ込めさせたけれども。
重い荷物と肩の荷をどかっと床に下ろすと、今だ興奮ぎみに紅潮した顔のアンジェリークが
たたたっ、と壁際に走り寄り、得意気に振り返った。
「これ!お隣のおばあちゃん家で見たアレですよね!室内移動用のリフトだったんだ〜
今まで何だか分からなくって、でっかい消火栓か、銀行の金庫みたいなのが入ってるのかと
思ってました。」
嬉しそうに笑っている───のは結構なのだが、
悪戯を見つかったような、弱味を握られたような居心地の悪い思いが胸の片隅を掠めていく。
隣の家の幼馴染み‥‥親友であり、兄弟のようなアイツも、今は別の街で働いていて
もう長い事会っていない。が、奴の生家には、親がわりのばーちゃんが居る。
足の悪いばーちゃんの為に半月かけてリフトを作ってやったのは、ハイスクールの最後の年だったか。
この診療所の開設当初、バリアフリー設計を取り入れたのは頭の片隅に、
親から説教を喰らって家を飛び出す度に、熱いジンジャー入りレモネードで迎えてくれた人が居たから。
アンジェリークが薬局に出掛けたゼフェルの留守中、親やら隣にどんな話を聞いてきたのか知らないが、
小さな子供を愛おしむようなキラキラした目で見られると、
身の回りに纏わりつく何かをバリバリと掻き破り、
「止せ!オレはそんなんじゃねぇ〜〜ッ!!」と叫びたい衝動に駆られる。
─────なんでだ?
いい人、と思われるのは好ましい事なのかもしれないが、何かひどく不本意で。
─────ったくよぉ。
「ねえゼフェル樣、御両親怒ってらっしゃらないかしら‥‥あのクッキー。」
土産ものを仕分けしながら、ふとアンジェリークが漏らした。
「バッ‥‥カ。ンなワケねーだろ。」
アンジェリークは、手みやげにクッキーを焼いて持っていったのだ。
彼等2人の生活には当たり前になっている、例のキシリトールがたっぷりと入った
甘くて美味しい(のであろう、多分。ゼフェルは余り口にしないが。)クッキーを。
‥‥‥‥そしてその晩、ゼフェルの両親はバスルームの争奪戦に明け暮れるハメになったのである。
あの手の甘味料は消化吸収が遅く、体質によっては下り腹をひき起こすのだが、
自分達の日常にサラリと溶けていて、つい失念していたゼフェルのミスだった。
自分の所為で食中毒になったんじゃ‥‥、と泣き詫びるアンジェリークと蒼面の両親を目にした時は
修羅場の三文字が頭上を旋回したけれども、落ち着いてみれば今や笑い話である。
荷ほどきから逃れたゼフェルは、技工室の棚からシャーレやビーカーを取り出し、
水を張って作業カウンターに並べ始めた。
隣の部屋では、まだアンジェリークが楽し気に旅の思い出を解いたり畳んだりしている。
引き出しの片隅に仕舞い込んだピンク色の小さな塊を、その水盤にひとつづつ落とす。
ぷかりと浮かぶ三日月や星や、丸、三角のキャンドル。
バーナーで炎を灯し、照明を落としてアンジェリークを呼んだ。
「わっ!!綺麗。」
駆け寄って、その小さな煌めきを瞳に映しながら、もっと暖かく微笑む。
蝋燭の灯は、何故こんなに胸を刺すのだろう。
金の髪の一本一本を輝かせ、頬の白さを闇にくっきり浮き彫りにする。
後ろから腕を回して、捕まえた。
髪に顔を埋めていると、何かとんでもなく恥ずかしい事を口走りそうでいけない。
「‥‥‥なあ、そのローソク、何で出来てっか分かるか?」
「え?これ、作ったんですか?何で‥‥って、ええっ?」
指先でつまみ上げて見せる。使用済みのバイトワックスだ。
補綴物の咬合の厚みを決めるために、印象の時に患者に咬ませるパラフィンワックスの板で、
歯形がくっきりついているそれを超酸性水で殺菌処理後、技工用の金属の匙に乗せて
バーナーで加熱し液化した物を、木綿のタコ糸の芯を入れて型に流すのだ。
「嘘みたい、こんなにかわいいのが作れちゃうんだ。この形は、どうやってるんですか?」
「全部、そこらにあるモンだぜ、セメントの紙練板に‥‥ホラ、こうやって、
セルロイドストリップスをセロハンテープで止めて、ここに溶けたパラフィン流すんだよ。」
歯牙の隣接面に充填する時に隣歯にくっつかない用にする細いセルロイドの帯を
テープで輪にして2ケ所に折り目をつけると、あっと言う間にハート形。
出来上がったばかりの小さなピンクのハートにも、炎を灯して
静かな、二人きりの感謝祭。
Illusutration>感謝祭
カルテ16につづく 咬合採得は2度咬み、歯ぎしり等しないで正常な位置で強く咬みましょう。