*カルテ6 98.5.24

      約束の月末まで、あとわずか。
      朝夕の修行の成果で、器具や薬品の名称と置き場所くらいは把握した
      アンジェリークだったが、実技の方は    案の定――――――

      ズゾゾゾゾーーーッ
      「ごふっ‥‥げえッ!‥‥(診察台の上で飛び起きる)ゴホッゴホッ!
      バ‥‥バカ、のどン中    突っ込むなって言ってんだろ!‥‥ちょっと待て‥‥
      おえ〜〜〜ッ‥‥ハアハア。ここの、下の一番奥の歯の後ろに
      バキュームチップ置きゃ、ちゃんと吸えんだからよオ。」
      「ごめんなさい、大丈夫ですか?ゼフェル様〜〜」

      印象材の粉は撒きちらす、レントゲンフィルムは箱ごと感光させる、
      昨夜は、ガラス製のセメント練板を、あやうく足の上に落とされかけた。

      「ま、今日はこんくらいにしとこうぜ。ああ、ラボ(技工室)の石膏、
      補充しといてくんねーか?普通石膏のストック、場所分かんだろ?」
      「はいっ!行ってきまーす。」
      ―――――はぁ〜〜〜〜っ。

      しばらくして、腕まくりした両手を    肘まで石膏の粉で真っ白にしたまま
      楽しそうにクスクス笑いながらアンジェリークが戻って来た。
      「見て見て、『七匹の仔ヤギ』のオオカミさんみたいでしょ?」
      ――――こんな物でメルヘンできるとは、つくづくコイツって可愛い‥‥
      「赤いリボンした狼なんか居るかよ。オメーは‥‥そうだな、せいぜい
      赤頭巾ってトコだぜ。ほんとの狼ってのはなあ‥‥‥」
      手を広げたまま抵抗できないアンジェリークの腰を、素早く引き寄せた。が、

      「あ〜、ゼフェル〜、こんばんは〜」
      「ル〜ヴァ〜、てめえ、馬に蹴られて死にてえか?」
      「はあ?何の事でしょうかねえ。実は今日、古書を探して出歩いていましてね、
      アンジェリークに頼まれていた、料理の本を見つけたものですから‥‥‥」
      「わあ!『和食のこころ』ですね。ありがとうございます。
      どうぞお入り下さい、お茶にしましょう。」

      ルヴァは、この街に来た当初からゼフェルの世話を焼いてくれる、
      後見人のような存在なのだが、結婚後の新居の大家でもある。
      さすがにこの診療室の奥の間では狭すぎるので、手頃な部屋を探していたら、
      持ちビルである薬局の2階を提供してくれた。
      アンジェリークの事もゼフェル同様、気に掛けてくれているのだが、

      「あ〜、そうそう、これを渡そうと思っていたんですよー。
      来月この街で開かれる『リュミエール』のコンサートのチケットです。
      二枚手に入りましたから‥‥アンジェリーク、聴きたかったんでしょう?」
      「えっ、本当に?いいんですか?」
      「わたしからの、ささやかな婚約祝いですよ。」
      リュミエールは、近頃大変人気のあるハープ奏者で、奏でる音楽もさる事ながら、
      その容姿の端麗な事で、特に女性ファンが多い。
      しかし、アンジェリークが彼のファンだとか、コンサートに行きたいだとか、
      ゼフェルには聞き覚えのない話だ。はっきりいっておもしろくない。

      「アンジェリークッ!またそんなに砂糖入れやがって‥‥ったくよー。
      そんなに甘いもんが欲しけりゃ、これでも噛んでろ。」
      アップルミント味のキシリトールのガムを放り投げる。
      「キシリトールって、虫歯にならないお砂糖ですか?」
      「砂糖じゃなくて、甘味料だ。歯を溶かす酸の元にならないし、ミュータンス菌を
      減らしたり、フッ素化合物との相乗効果で虫歯予防に有効なんだぜ。」
      「へえ‥‥そうなんだ。ね、ゼフェル様、それって、お料理にも使えるんですか?」
      「お、おう。そうか、おいルヴァ、取り寄せられるか?」
      「ええ、まあ。糖尿病の輸液原料としては扱ってますが、少々高くつきますよ。」
      「値段なんかいーんだよ、別に。コイツの歯の方が‥‥っ!な、何でもねーよ。」
      「製菓原料の方で当たってみますよ。そちらの方が安いでしょうからね。ただ、
      最小単位でもおそらく500キロぐらいになってしまうと思いますがね〜。」

      家路についたルヴァは、そっとつぶやいた。
      「あのゼフェルがアンジェリークには、甘味料のように甘いんですね〜、うんうん。」

         カルテ7につづく     キシリトールは天然素材、カロリーは砂糖の3/4です。



      1998.5.24 ROM /個人で楽しむ以外の転用、複製及びHP上での使用をしないで下さいね。