イスタンブール(1)

6日目 3月24日

観光予定は・・・ブルーモスク(スルタン・アフメトモスク)、アヤソフィア、トプカプ宮殿の観光が組まれていたが、その日は移動が無いのでとってもゆっくりした気分だった。

     
ブルーモスク


スルタン・アメフト・モスク

オスマン建築で最高傑作といわれる。1616年に建てられたイスラム寺院で
6基のミナレット(尖塔)をもち、優美なモスク内部の様子は、ステンドグラスや太い柱に圧倒された。
通称ブルーモスク。内部は青と赤のタイルで装飾されている。
「ワーッ」とつい声が・・・・
「ジュ−タン買って」と近寄ってきたが、羊毛で作った粗悪のものだった。

モスクの近くにオベリスクがあった。
この場所は、ローマ時代の「競馬場跡」だとのこと。「ヒポドローム」といって当時4万人の人が入ったそうだ。
歴代のローマ皇帝がエジプトから運び出した最後のオベリスクだと説明してくれた。
それも、エジプト18王朝トトメス3世の葬祭殿から持ってきたというからすごいオベリスクだ。
聞いた事を忘れても、体が覚えているようにオベリスクの碑文をなでた。
しかーし、碑文の内容についても説明してくれたが、思い出すことができない。
イタリアへ行った時スペイン広場や、ポポロ広場、ヴァチカンのサンピエトロ広場の中央でも見た。イタリアには13本のオベリスクがあると話ていた。

本当にヴァチカンだって悪いよ。宗教の本山なのにぶん取り品のオベリスクの
上にちゃっかり十字架なんかつけたりして・・・・・・
それにしても,20メ−トル近くもあるオベリスクをよくも運んだと思う。

イタリアとトルコと行って感じた事だけど、イタリアとトルコとギリシャは3点セットのようなものだと思う・・・いつかギリシャに行かなくては・・・・と思った。

(うんちく)
オベリスクとはギリシャ語で「焼串」ですって。道しるべとしても利用したらしい。


      
アヤ・ソフィア




アヤ・ソフィア

アヤ・ソフィアは、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の首都コンスタンティノープルに537年に東方正教会の大聖堂として完成した。そして、オスマン帝国に征服されるまで1000年もの間、総本山として君臨した。

オスマン帝国の時代になると、聖堂内のイコンは漆喰で塗りつぶされたが、聖堂が偶然にもメッカの方向に向いていたため、破壊されずに残されたと言っていた。
トルコ共和国になって、政教分離政策によって、1934年博物館となったが、500年近く漆喰の中で眠っていたビザンティン時代のキリストのモザイク画は、再び光を当たることとなった。

キリスト教のイコンのモザイクと共に、柱には預言者モハメットの名が円盤に刻まれており、今はキリスト教とイスラム教と共存して展示している。
(去年行ったヴェネツィアのサンマルコ寺院は外観ばかりでなく、入ってすぐの天井のモザイク画がアヤソフアと同じようだった。11世紀末に建てられ、オリエントと西洋をつないだ寺院はビザンティン様式でもあった。)

アヤ・ソフィアの内部
キリストと皇帝コンスタンチヌス九世、皇后ゾイ
     
トプカプ宮殿博物館




表敬の門

1453年、千年も続いたビザンティン帝国(東ローマ帝国)はメフメト2世のオスマン帝国軍によって陥落した。
メフメト2世はスルタンの(君主)の居城としてトプカプ宮殿を築いた。

16世紀に入るとスレイマン1世は地中海の4分の3を征服し、その時の戦利品や献上品等の宝石を集め、宮殿内に工房を作り、数多くの工芸品が作られた。


儀式用金製水差し


白磁の宝石飾りボウル



トプカプ短剣


スルタンの兜


水晶の水差し


85カラットのダイア


 トプカプ宮殿には数え切れないほどの財宝が集められている。
 中国の青磁、白磁等に宮殿内の工房で細工が施されているものや、
 日本の古伊万里の大壺なども見かけた。
 それらは、オスマンの帝国が長きに渡って繁栄した事によって、分散
 することなく、今にいたっているのです。
 ケマル・アタチュルクはトルコ共和国を建国した時トプカプ宮殿を博物
 館として、オスマン帝国の遺産を公開した。


うんちく
トルコ石ってイラン原産ですが、トルコを経由して来たので、「トルコ石」と言うようになったそうです。トルコで取れた石だと思っていました。

世界で最初の軍楽隊です。戦士の意識を鼓舞した

誇り高きわれら子孫よ
我々には誇り高き祖先の血が流れている
我々の祖先は強いプライドを持った勇気ある人々だ
勇気あるトルコ軍よ
愛と力と勇気を持ったトルコ軍よ
いざ進め、敵国を倒せ



「パッパーカパ。パッパーカパ。パッパーカパカパカ・・・・・・」この曲は一度聴いたら忘れず覚えてしまう曲だ。街で、CDを見つけて買った。