「うーん。ここまで来たはいいけれど、どうしよう……」

 マチュアが激しく落ち込んでいる時。
 マチュアの部屋の前をただ往復している少年が1人、おりました。
 その少年はアスベル。マギ団時代からマチュアと付き合いがある、風の魔道士です。

 何故に彼は、マチュアの部屋の前をうろうろしているのかって? そりゃあ決まっているでしょう。今、レンスター城は恋の季節なのですから。男の子が、女子部屋並ぶ回廊に赴く理由なんて1つです。アスベルは、マチュアをデートに誘おうとしているのです!
 そう。誘おうという、気持ちはあるのです……が。

「マチュアさんは美人で強くて優しくて……だから、とっても人気ある……フラれた人も多いっていう噂で……」

 フラれたり断られたりするのが怖くて、部屋の前まで来たものの、マチュアの部屋へと続く扉をノックすることができなかったのです。それで部屋の前を行ったり来たりとしているのです。

「年下の僕なんて、相手にされない気がする……」

 カッコよくて優しい、憧れの女性。アスベルはマギ団時代からマチュアのことを好きでした。以前は彼女のことを、姉のように慕っていました。でも今は、一人の女性としてマチュアが好きです。長い戦いの間に色々あって、憧れは本物の恋へと進化したのです。好きだからこそ、断られるのが怖かったりするのです。これまで築いてきた関係が崩れてしまうかもしれないから……。

「でも……本当に好きなんだ。マチュアさんを好きって気持ちだけなら、誰にも負けない! だから、気持ちが通じても、通じなくても、この想いを伝えたいんだ!……と、わっ」

 アスベルは回廊の真ん中で立ち止まって、両拳を握りました。気合を入れます。掌から汗が滲んで、右手で握っていた花束を滑り落としてしまいました。 

「ホメロスさんが言うように、プレゼントだって用意した……」

 床に落ちた花束を拾い上げました。黄色いアイリスの花束。アスベルはその花束を、大事そうに腕に抱え直しました。優しく清楚な花を見ていると、少しだけ、勇気が湧いてきます。

「何もせずに諦めたら、親身になって相談に乗ってくれたホメロスさんにも悪いし。何よりきっと、僕は後悔する。だから……頑張らないといけない」

 背伸びをして深呼吸をしました、アスベル。少しだけ、気持ちが落ちつきました。

 アスベルは、マチュアが初恋の人です。当然、女の子を口説いた経験もありません。マチュアのことが好きなのだと自覚して、何らかのアプローチをしたいと思っていても、その方法すらわかりませんでした。
 そんな不器用なアスベルの相談に乗り、恋のはう・とぅーをレクチャーしたのが、同室で同職、自称“恋愛のエキスパート”ホメロスでした。  

「いいか、アスベル。女をモノにするには、まずはプレゼントだ。物を貰って喜ばない女はいない」
「そんな物で釣るようなマネ……僕はしたくありません」
「ああ、アスベルはわかってないなー。いいかー? プレゼントっていうのは男と女が親しくなるための、一種の通過儀礼なんだぜ?」

 ホメロスは口でチッチッチと言いながら、人差し指を三回振りました。アスベルは首を傾げました。

「通過儀礼?」
「贈り物っていうのは、ユグドラル大陸に昔からある伝統的な恋のはじまり方なんだ。物を貰えば、相手は嫌でもこっちの好意を感じるだろ? 何の気もない相手でも、好意を寄せられたら気になっちまうもんだ。他にも、相談に乗るとか、稽古をつけてやるとか……好意の示し方は色々あるが。でもま、親しくなる切っ掛けとして一般的なのは、やっぱり贈り物だろ」
「そうなんですか。はじめて聞きました」
「好きなヤツがいるんだったら、他の男から物をもらったりなんて普通はしないだろうから、フリーかどうか確認するためにも有効だしな。先人の知恵っていうヤツだ」
「な、なるほど……」
「だけど、物だけに頼るんじゃ駄目だぞ。好きなら好きと、言葉でも意思表示しなきゃな! 単なる道具の受け渡しと判断されたら、意味がない。効果的な愛の言葉が伴ってこそ、贈り物は贈り物となり得るのだ。でも、おこちゃまアスベル君にはちとムズカシイかぁ? 愛の言葉なんて10年早い??」

 ホメロスはニヤリと笑って、アスベルの顔を覗きこみました。
 子供扱いを嫌うお年頃なアスベルは、顔を赤くして言いました。 

「ぼ、僕は子供じゃありませんっ! できますよっ!! あ、ああああ、愛の言葉くらい、僕にだって言えますっ」

 ホメロスは満足げに頷きました。

「そうか、言えるか。じゃあこのおれが具体的な女の口説き方を教えてしんぜよう。同職のよしみで、アスベル君の初恋の手伝いをしてやる」
「あ、ありがとうございますっ! よろしくお願いします、ホメロス先生!!」

 このようなやりとりを経て。ナンパな吟遊詩人ホメロスの猛特訓を経て。
 アスベルはプレゼントとしてもっとも月並みな花束を手に、マチュアに充てられた部屋の前にやってきたのでした。

 アスベルはとくとくと鳴る胸に手を当てました。男は度胸! 沈まれ心臓!! とばかり、胸をどーんと叩きました。

「そうだよ。僕はいつまでも子供じゃないんだ。女の人をデートに誘うくらい、出来るさ! 何度も練習したし……っ」

 アスベルは長い回廊を30往復した末に。ようやくマチュアの部屋へ訪問する覚悟を決めました。

 場面は再び、マチュアに戻ります。
 窓から射し込む陽の光を受けて。床に手をついて。悲劇のヒロインポーズを取っているマチュアへと、戻ります。  

 恋なんて、するだけ無駄。

 先に彼女は、この結論に達しました。一旦、結論に達したのですから、潔く恋人云々のことを考えるのはやめればよかったのです。そうすれば、これ以上落ち込むことはなかったのです。ですが、考えたくないこと、考えても辛いだけのことを、つい考えてしまうのがマチュアという人のようです。

 恋なんて、するだけ無駄よ。
 私は男の人に好かれないもの。
 恋なんて。恋なんて。どうせ叶わないもの。両想いになんてなれないもの。
 時間の無駄よ。剣の訓練をしていた方が、ずっと有意義よ。

 マチュアは言い聞かせるように、頭の中で呟きました。 

 私の恋人は永遠にマンスター。それでいいじゃない。
 そうよ。だから、男に恋をするなんて時間の無駄。するだけ無駄。
 するだけ。そう、するだけ……む、だ?

 落ち込んでいる時に物事を考えても、負の方向にしか思考は向きません。マチュアは思考は、どんどんどんどん、暗〜い方向に行ってしまいます。考えれば、考えるほど、落ち込みの底無し沼にハマッていきます。

 マチュアは、自らをさらに傷つける事柄に、思い当たってしまいました。 

 無駄っていうか。
 ……。
 ……ていうか、そもそも私……。
 ……恋したことあったけ?

 マチュアの思考は固まりました。
 マチュアのこれまでの人生、20年。その中には、沢山の出会いがありました。中には、素敵と形容される異性との出会いもありました。それにも関わらず、マチュアは片想いの経験すらなかったのです。恋だとか愛だとか、そんな大仰なものだけでなく……異性に胸をときめかせた覚えすら、なかったのです。

 マチュアは女性陣の中で特に人気の高い、スルーフやシヴァやカリオンを見ても、特別にカッコイイと思ったことはありません。異性といることを、同性といることに較べて、特別に楽しいと思ったことはありません。

「……わ、わ、私、もしかして……男に興味がないのかしら?」

 最近でこそ、素敵な恋人が欲しいなぁなんて思うこともしばしでした。でもそれは周囲の女の子が、恋人を作って楽しそうにしている様子が羨ましかったから、だけです。特定の誰かの恋人になりたかったワケではありません。

「そもそも、恋をするってどんな感覚なのかしら……」

 マチュアは頭を抱えました。
 皆、いつのまにか、好きな人を見つけています。その結果、想いが通じ合い、幸せな恋人同士になったりするのです。

「……皆どうやって、大勢いる男の人の中から、たった1人を見つけるの……。恋をするってどんな感じ……?」

 素朴な疑問が浮かびました。
 誰もが素敵だと言う人に想いを寄せる娘がいます。何であの人と!? と、不思議がられる男性を選ぶ娘もいます。日頃悪口雑言を叩き合う相手と、いつの間にか結ばれている娘もいます。恋の仕方は十人十色です。
 それでも。幸せそうな笑顔は、共通なのです。片想いの時でも、好きな人のことを語る女の子は幸せそうです。花の綻ぶような笑顔を浮べます。そんな女の子を見て、マチュアはいつも、可愛いなぁ、幸せそうだなぁ、と思っていました。
 ……皆、マチュアが知らない幸福を、感覚を。当然のように知っているのです。 

「……そういえば……以前、リノアン公女とティナが、恋の感覚について話をしていたわ。それによると……」

 マチュアは興味のないフリをしてしっかり聞いていた、16歳の少女たちの恋にまつわる話を回想しました。 

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