アスベルはマチュアの部屋の扉を叩きました。
 最初は、恐々と。弱い力で。
 でも、返事はありませんでした。
 いないのかな……そっか、いないんだ……と残念半分、安堵半分のアスベルは、今度は気楽に、普通に扉を叩きました。
 すると、中で人が動く気配がありました。返事がそれに続きました。扉が開きました。半分だけ。

「ん……誰?」
「あ、マ、マチュアさんっ!」

 恋しい女性の顔が出現しました。心臓が再び、無駄に暴れ出しました。アスベルはホメロスと相談して計画したことを、なんとか実行しようとしました。

「あの、あの……っ、これ!」

 手にしていたアイリスの花束を、マチュアの顔に向かって押し上げます。先手必勝! プレゼント攻撃!! です。

 ホメロス先生の『特別授業』の内容が、アスベルの頭の中を瞬時に駆け巡ります。
 女の子がどんな言葉を喜ぶか。どんな贈り物を喜ぶか。どんなところに連れていったら喜ぶか……。ホメロスは色々なことを気前よく教えてくれました。さらに独自に調べた豊富な女の子データより、マチュアの男関係、食べ物の好み、趣味。等々。マチュアに関するものをアスベルに提供してくれました。

「オレが調べたデータと経験から来る分析結果によれば、マチュアは意外に乙女チックだ。古典的な恋愛小説を読んだりするらしいし、ドレス姿の女の子を羨ましそうに見ていることも結構あるしな。プレゼントは、いかにも女の子が喜びそうな贈り物がいいな」
「そ、そうなんですか? いかにも喜びそうな……どんなのだろ。花とかお人形とか、かな……?」
「そうだな。後はふわふわのドレスとか……って、あ、でも衣装類はサイズ誤まったりすると悲惨なことになるから、親密な関係になるまでは避けたほうが無難か……」
「……? 悲惨って?」
「実際のサイズより大きいヤツを用意しても、小さいヤツを用意しても、女ってヤツは膨れるんだ。特に胸のあたり。こんなに小さいと思っているの? とか、私はこんなに大きくないわよ! とか言ってなぁ。だからってぴったりならいいわけではない。何で知っている? と余計な警戒をされる、という……」
「む、む、胸……っ」
「あーあ。赤くなっちゃって可愛いねぇ、アスベル君は」

 ホメロスはアスベルの鼻を突つきました。そして、鼻と鼻がぶつかりそうなほどに顔を近づけます。

「胸くらいで動揺していちゃ、女は口説けないぜ? お前、本当にデートになんて誘えるのか? 告白なんてできるのか? マチュアの顔を見たら、真っ赤になって、言葉も出なくなって、そのまま世間話でもしてかえってくるのがオチじゃないのか?」
「……そんなことっ」
「ありそう、だろ?」
「確かに……あるかも」

 アスベルは認めました。
 マチュアが好きだと自覚してからこちら、戦闘時以外で、彼女と自然に話すことができないのです。マギ団で集まっている時、食事で席が近くなった時……会話の機会はそれなりにあります。本心では、どんな些細なことでもいいから話をしたくて仕方がないのに、他の人とばかり話をしてしまうのです。
 では二人っきりになればマトモに話ができるのかというと……微妙です。やたら饒舌になって必要のないことまで言ってしまう……こともあれば、言葉が頭の中でだけ渦巻いて声にならなかったりする時もある……。アスベルとマチュアは、マギ団時代からの仲間です。これまでも、改めて遊びに誘ったり、告白したりする機会はあったのです。その度胸さえあれば。度胸さえ、あれば。度胸がないから、できない……。 

 アスベルのネガティブな思考を全て見抜いているかのように、ホメロスは深く頷きました。

「切っ掛けがあれば、会話の流れがそうなれば……なんて悠長なことじゃ駄目だぞ。百戦練磨の強者ならともかく、お前さんみたいな恋愛初心者には向かない。とにかく、マチュアの顔を見たら、即誘え。そのまま告白するくらいの心積もりがあったほうがいいな」
「え、でも……」
「でも、じゃない! 気合が足りんぞ、アスベル」
「……」
「告白の言葉もあらかじめ用意しておいたほうがいいな。うんとロマンティックなヤツ。慣れないうちは、咄嗟には出てこないものだからな。ま、おれの丸秘アイテム<愛の詩集・ホメロス撰>を特別に売ってやるから、それを熟読すればなんとかなるだろ。そのまま読んでもいいし、適当にアレンジ加えてもいい」
「……はい、わかりました。それを読んで、愛の言葉をマスターします! で、おいくらですか?」
「8000Gだ」
「……」
 アスベルはライトニングの魔道書よりも高いホメロスの自費出版物を購入しました。少し高い買い物だ、と思わなかったわけではないのですが、親身になってくれているホメロスが勧めるものを、断わることはできませんでした。素晴らしい愛の言葉を思いつく自信もありませんでしたし、これでマチュアの気持ちがこちらを向けば安いものだという気持ちもありました。

 アスベルは、ホメロスの教え通り、マチュアの顔を見るなり乙女チックにして安直な贈り物である花束を渡し、同時に十分に学習した<愛の言葉>を口に昇らせて、デートに誘う……はずでした。はずだったのです。が。

「これ、その……っ、あの……」
「ちょ、ちょっと、な、なにっ」

 扉を開けるなり、力いっぱい花を顔にぶつけられたマチュアは、苦しかったのでしょうね。花を手で除けました。半開き扉を押さえていた手で、です。そして、勢いに押され、ニ歩、後退しました。
「えっと、あのっ。そう、貴女の微笑みは月の女神さながらで……」
 完全に開放されていない扉です。支えていたものがなくなれば、自然、閉じます。
 ばーーーーったん。
 折角開いた扉は、大きな音を立てて、再び閉ざされてしまったのでした。

「あ……」
 アスベルは、マチュアが消えた扉を眺めて、立ち尽くしました。
 僕の贈った花を、迷惑そうに除けて……ちょっと僕の姿を確認しただけで、部屋の中に戻ってしまった……。
 花、受け取ってもくれなかった。愛の言葉も、聞いてもらえなかった……。
 アスベル、ボーゼン……。
「好きなヤツがいるんだったら、他の男から物をもらったりなんて普通はしない」
 ホメロスの言葉が、重く圧し掛かります。

 マチュアさん、好きな人がいるのか……。誰だろう。
 ブライトンさんかな、セティさまかな、それとも……。
 マチュアさん、色々な人と仲いいしな。男の人と一緒にいる機会も多いしな。きっとそのうち、誰かと上手くいっちゃうんだろうな。そりゃ、マチュアさんが幸せならそれで……と思わないワケじゃないけど……でも……でもさ。やっぱり、寂しいなぁ。

 軍内の男とマチュアが剣の稽古をしたり、汗を拭きつつ楽しげに話していたりするところ、アスベルの脳裏を過ります。彼はいつも遠くから、それを見ているだけでした。勇気が出なかったということもあります、でも、それだけではありません。
 魔道士と剣士では、一緒に修行をすることは難しいのです。魔力のある人間でなくては、魔力は受け止めきれない。だから稽古も、魔道士同士でなくてはできないのです。 
 僕も、魔道士でなくて、逞しい戦士とかなら、マチュアさんともっと親しくなれたのかなぁ。長く傍にいると親密になれるっていうのも先人の知恵の1つだって、ホメロスさん言っていたもんな。せめてイリオスさんのように、魔法騎士とかだったなら一緒に稽古することもできたし、そうしたら、こうやって告白することすらできずに、フラれることもなかったかも……。

 アスベルはローブを捲り、己の細い腕を見ます。剣など数えるほどしか握ったことがない、柔らかい手を見ます。

 魔道士としての資質に恵まれたことはアスベルの誇りです。リーフ軍の主力として活躍できるのも、魔道が極めて稀な能力であり、かつ、アスベルがそれを磨く努力を怠らなかったからこそです。杖を使えるようになったことで、怪我をしがちな剣士の補助もできるようになりました。全ての攻撃魔法と、初歩的な回復魔法を身に付けること。アスベルには、それが精一杯でした。筋力まで鍛えるような余裕はありませんでした。それに、マチュアと一緒にいる時間を作りたいからという不純な動機で剣を握ることは、マチュアを含む剣士すべてに対しての冒涜のようにも思えたということもあります。

 仕方がなかったんだ。
 仕方なかったんだよ……。
 僕は、強くなって、リーフさまの力にならなくちゃいけなくて……。北トラキアに平和を取り戻したくて。
 だから、恋とかしている余裕だって、本当はなくって……。
 でも。でもさ。
 デートの一回くらい、したかったなぁ。

 アスベルは明後日の方角に水気を多く含んだ瞳を向けて、力なく足を動かしました。
 自室に戻ろうとか、一人になりたいとか、深いことは考えていません。ただここではない何処かに行きたい。早く、この場から去りたい。そんな衝動に近い気持ちしか、アスベルの中にはなかったのです。
 

 

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