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「もう、いきなり何よ……」
花束攻撃によって、後退を余儀なくされたマチュア。
再び床と仲良くした後、しこたま打ちつけた腰を摩りながらも扉を開きました。
「一体、何の用なの、アスベル……?」
先に黄色の固まりの向こうから覗いたのは確かに、アスベルでした。ショートヘアにも関わらず、ボブカットにしているマチュアよりもよほど女の子に見える可愛い顔……。最近でこそ長い時間言葉を交わすことがないけれど、マンスターにいた時は一日中顔を突き合わせ、マンスターの未来や、強くなる方法について、熱っぽく語り合ったりした仲のアスベルです。今更見紛うことはありません。
「?? あれ?」
しかし、おかしなことに。マチュアが再び扉を開けて、彼を迎えようとしても、その姿を見ることはできませんでした。見ることができたのは、床に残されたアイリスの花束。のみ。
「……?」
とりあえず、マチュアはそれを拾い上げてみました。花束を手にしたまま回れ右をして、室内に身体を向けてみます。そうして鏡に、花を持った己の姿を映したりなんかしてみたり。
「に、似合わない……」
先に、花の合間から数秒だけ見えたアスベルのはにかんだ笑顔と、ひきつった笑いを浮かべた己の顔を、比較します。
「どう考えても、男のアスベルより、女の私のほうが、花が似合わない……んだけど」
遠くを見る目をして、マチュアはつぶやきます。
「そんなことがあっていいの……?」
外見も思考も、性的嗜好も。女ではない。だけど、生物学的には女に分類されるはず。それなのに、男の子のほうが、ずっと女の子っぽい……。あんまりといえばあんまりな事実に、泣きたくなります。
「……でもまあ! 比べる相手は<あの>アスベルだものね」
これ以上はないというくらいに落ち込んだマチュアです。落ちた先の世界の新天地にたどり着いたように、伸びをしました。惨めにさせる材料である花をほうり投げます。
「しかたがないわ、うん」
そう、<あのアスベル>だから仕方がないのです。自分が落ち込む必要は何処にもないということに、マチュアは気が付いたのです。
あの、アスベル。あの。 何が<あの>アスベルなのかというと……。
毎度おなじみ、盗み聞きの達人マチュアの回想に、またまた、またまた入っちゃいます。
食料が乏しくなってきた頃。稽古を終えたマチュアが遅い夕食をとるために厨房に足を踏み入れた時のことです。その時に、酒を入れた樽の影から聞こえてきた太い声。交わされていた会話を、マチュアは忘れることができないでいたのです。
「アスベルってよ、最初見た時、女なのかと思ったわ」
姿を確認することはできませんでしたが、そう言ったのはフェルグスでした。マチュアと前線で顔を合わせることが多いフリーナイトの。
「オレもだ。グラフカリバーとか使うだろ。そうすると、あの短いスカートがひらひら〜とするだろ。以前はそのたびにさりげなーく隣に行ったりしていたな」
もう一人が誰なのか、マチュアにはわかりませんでした。聞き覚えがまったくないというワケではないのですが、あまり、なじみのない人間……従軍してはいても、マチュアのいる最前線には出てこないに人間だったので、声ではわからなかったのです。
「覗き見か……? お前、そんな面して意外とスキだなー」
「……? 違ーうっ! オレは、敵や味方の野郎どもの晒しものにならないように、さりげなく、隠していたんだ!! の、の、の、覗き見なんてしない!!!」
「……赤い顔して言うなよ。気色悪いな」
「あ、赤くなんてなってないぞっ!」
「はは。まあ、気持ちはわからんでもないな。アスベルが女だったら、軍一番のかわい子ちゃんの座はヤツの物だったかも」
「女じゃなくたって、軍一番のかわい子ちゃんだ!」
「……」
「……」
「お、俺もう行くわ。食堂のおばちゃんに見つからないうちに、お前も早く部屋に戻れよ。はは」
「おう……」
レンスター城の食堂。 盗み食いをしていたフェルグスと、○○○○……相手の名誉のためにあえて名前は伏す……の会話は、マチュアの中に深く刻まれました。それからしばらく、必要以上にアスベルに目がいったものです。
昼の空色の髪から覗くか細いうなじや、大きくて潤んでいる夜空の色の瞳。背丈も肩幅も小さくて……。
彼が典型的な男性の姿形をしているいうのなら、マチュアは男の中の男! というべき容姿になってしまいます。
実はマチュアも、最初にアスベルと会った時は、女の子かと思ったのです。ある日街に出たセティが、少しだけ遅く帰ってきたなと思ったら、隣に可愛い女の子を連れていた……。たいそう驚いたものでした。
あの頃のアスベルは小さくて……今も小さいですが。顔も幼くて、まさに紅顔の美少年……というより、美少女〜って、感じで……と、それは今なのですが。とにかく、可愛らしかったのです。風の勇者セティの隣にあれば、まさに似合いの一対! といった感じでした。続いて回想するのは、アスベルがアジトに来たばかりの時、マチュアがラーラ、ブライトンと交わした話です。珍しく、マチュアも会話に一応加わっています。
「ねえ、ブライトン。あ、あのセティさまが連れてきた子は誰!?」
言い出したのは、ラーラです。マギ団の全ての噂話の根源と言われる……。
「ああ。セティさまの弟子、という話だ」
ブライトンが冷静に答えます。因みに食事中。彼は野菜を口に放る手を止めることはありません。マチュアも黙々と食べます。ラーラの盆の食物はあまり減っていません。もともとは少食な彼女ですが、憧れのリーダー、セティがもう少し食べて体格をよくしたほうがいいと言ってからは、マチュア以上に食べるようになっていたのです。でも今日は、口を別のことに使うのに夢中、ということに、無理に食べる意義を失ったという理由が加わり、食が進まないようです。
「きっと、普通の弟子じゃないわよね。すっごく親密そうだったもの。あーん、ショックぅ。あたしセティさまに憧れていたのにっ」
「恋人ということはなさそうだが……」
「違うのかなぁ、違うといいなぁ。マチュアもそう思うでしょ?」
ラーラは食べることしか関心がないかのように動くマチュアの右手を押さえました。
「は? 別にどっちでもいいけど?」
「もう、マチュアったらクールなんだからー。でもま、そういう女が好きっていう男もいるだろうから、丁度いいかな?」
マチュアが率直に言えば、ラーラは頬を膨らめます。さりげなく、マチュアの隣に座ったブライトンにウインクをしながら。
「ラーラ!!」
ブライトンの声が1オクターブ高くなりました。マチュアはそれには意識を向けず、ただ首を傾げます。色恋に疎いマチュアは二年前も健在でした。
「……? ラーラ、好きな人いるって言ってないっけ? 恩人の盗賊とかいう……」
「それはそれ、これはこれよ! 分かってないなー。いいもん、こういう話は他の子とするもんねっ」
言ってラーラは、女の子だけが集う席に移っていきました。次から次に彼女は移動し、言った先から、連鎖のように悲鳴が上がりました。
普通の女の子ですら、アスベルには敵わないと思ってしまうのですから、○○○○が懸想するのも無理のない話だと思います。軍一番の可愛い子というのも、アスベルならば納得です。マチュアよりもお花が似合って当然なのです。
「顔のパーツや輪郭もだけど……全体の雰囲気がすごく可愛いのよね、アスベルは」
黄色の花束を再び拾い上げました。
花の色は黄色。若々しく陽気な色が、暗くなりがちな心を明るく照らします。
すがすがしい植物特有の匂いは、荒れた気持ちを落ち着けます。
花は空間に優しさを振りまくのです。まるでアスベルのように。彼の愛らしさは、花に共通する部分が多いように思います。
「花のような少年、かぁ……」
ナンナさまやリノアンさまは綺麗ーって感じだけど、アスベルは可愛いって感じよね。
人懐っこい性格と……何よりポイントが高いのは、笑顔ね。はにかむ微笑み、喜びで広がった華のような笑顔、困った時に下を向いてためいきの代わりに笑って見せるところもけなげさ爆発で、本当に、何から何まで可愛い……。
羨望の息が漏れます。アスベルは、マチュアが内心で憧れているものを、たくさん持っている少年なのです。
私とは正反対ね、アスベルは。
男なのに線が細くて力もなくて。性格も雰囲気もほんわかしていて可愛くて。当然のように、男の人にもモテちゃう。
私は女なのに、上背もあるし、筋力はあるし。性格はがさつで、女の子が好きで。そういえば女の子から男だったら絶対惚れていたって言われたこともあるわ……。
本当に正反対。
正反対、正反対。
ていうことは、もしかしたら……。
マチュアは一つの可能性に思い当たりました。アスベルがこの場にいたら、涙を流して否定するだろうことに。
「アスベルは、男の人が好きだったりするのかしら? 彼女がいるって話も聞いたことないし……セティさまには異様なほど懐いていたし、リーフ王子とは将来を誓いあった仲だっていう話だし……」
僕が好きなのは、貴方ですっ!
もしアスベルがここにいたら、勢いで告白だってできちゃったかもしれません。でも、残念ながら、というか幸運にも、というか……アスベルは既に自室のベッドの中なのでした。否定するもののいない一人きりの部屋。マチュアの勘違いは進行していきます。
「……私と同じで同性しか愛せない。可哀相ね。本命はどちらなのかしら。どちらでも大変そう……。身分違いだし。っと、身分の前に性別か……」
マチュアは検討違いの方向に想像を膨らめていきます。
「男の人が男を好きになるって……きっと、苦しいわよね。周囲に知れたら、蔑まれるに決まっているし。不自然なことだわ。でも……」
同性しか愛せない苦しみ。今のマチュアには、嫌というほどわかります。異端視されることの恐ろしさも、同性から警戒されるかもしれないという不安も、わかります。
「アスベルだって、好んで同性しか愛せない体質になったのではないのでしょう。己の意思では、どうにもならないんだもの。わかる、わかるわよ、貴方の苦しみっ」
マチュアはアスベルが残した花を強く抱きしめました。アスベルにそうする代わりに、花を抱きしめたのです。力の限り。
「もう一人じゃないわ、アスベル。一人で苦しまなくていいのよっっ」
同じ人がいる。同じ悩みを抱えた人がいる。それはとても心強いことのはず。
マチュアはアスベルが部屋を訪れた理由を知りませんでした。花を残して去ってしまった原因も知りませんでした。悩みに侵された脳が、それを考えようとしてくれなかったから。
ここに来てようやく、アスベルの訪問理由が脳内で擡げました。彼女の想像の世界は、現実から遠く離れたところにあるようです。
「そっか。アスベルは、悩みを打ち明けようと思ってここに来たのね。私なら理解できるだろうと思って……ちらっと見ただけだけど、深刻そうな顔してたもの、きっとそうだわ。でも、勇気が出せなくって帰っちゃったんだ!」
マチュアは一人ぼっちの自室を出ることにしました。向かうのは勿論、アスベルの部屋です。
同志である彼と真向かい、じっくりと話をしたいと思ったのです。
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