<光の約束>

 

 事実上、フリージに占拠された、城郭都市ターラ。774年。
 ターラでは、帝国の送り込んだ代理公主による高額の税金、役人らの横暴等の圧政が続いた上に、子供狩りまで始まろうとしていた。
 ついに耐えかねた市民らが、義勇軍を結成。傭兵団を雇い入れ、抵抗の構えを見せた。
 レンスター王子リーフを匿った罪で処刑された先のターラ公爵に代わって、傀儡の家長となった公女リノアン。
 領事館で囚人同然の生活を送る彼女をターラ解放運動の旗印とすべく、その救出に、義勇軍が動き出した。
 義勇軍の雇い入れた傭兵団の中には、トラキア王子の密命を受けた蒼き竜騎士ディーンと、その妹エダの姿もあった。

1

 雲の間に覗くは、薄青と朱色。野を彩るのは鮮やかな緑。
 荒く走る馬車に揺られながら、ターラ公女は虚ろいの瞳を外界に向けていた。
 薄暗い部屋に閉じ込められた彼女には、久方ぶりの鮮やかな色であった。
 だが惜しい事に、今の彼女には自然を楽しむ心はない。

 ターラ公爵家の紋が施された馬車の内に公女はあった。フリージより派遣された役人が彼女の脇をとり、一個中隊が馬車を取り囲んでいる。フリージ軍の役人は、義勇軍の動向を警戒し、公女の身柄を出入りの易いターラ城からアルスター領に近い山荘に遷さんとしていたのだ。 

  ターラ城門を出て、どれだけの距離を走ったか。
  馬車はアルスターとターラを行き来する商隊が利用する街道をひた走った。ついには山道にさしかかろうとしている。 舘を出る際には真上にあった太陽は、西に傾いていた。

 公女は役人の目を盗むように、上空を見た。
 翠の瞳に反映されるだけの風景。その中に一つ。遠い空の中、力強く翔ぶ竜の姿がある。
 南トラキアに近く、交流があった国に生まれ育った彼女だからこそ、判別することができた。
 一人、空を翔ぶ竜騎士の姿。
 それは、ターラ街門を出る時より、常に遥か上空にあった。

 何か目論みがあって、追跡しているのか。それとも進行方向が同じだけなのか。公女には分からなかった。
 ただ、彼女が望んでも得られない限りなき自由を持った天空の騎士の姿を瞳に映すと、心の泉からやるせない気持ちが湧き出した。哀しみは口から吐く息となって、外に漏れた。

「リノアン公女。どうなさせたのかな?」
 漏れた愁いが、看視者の意地の悪い好奇心を刺激する。
 公女は冷やした目線と無言で、これに応えた。怯えや哀しみは残虐な男を喜ばせるだけだと知っていたから。
「おや、反抗的な。そのような態度をとって、よろしいのかな?」
 楽しみもない狭い馬車内。公女監視の責任者であるゲルプリッターの将軍ミュラーは公女の美貌と瑞々しい肢体を上から下へと眺めては悦に入った笑いを浮べている。彼は常より公女に強い関心を持っており、監視の役も自ら買って出たという。長期間山奥に篭ることで生じる出生レースでの遅れは易く取り戻せるものではないというのに。

「これから、我々は山荘で寝起きを共にするのですぞ」
「……」
「何もないところです。が、私に媚びの一つでも売っておけば、不自由のない生活ができますよ。ターラの情勢も、気にかかるでしょう? 私は優しい男です。仲良くしようではありませんか」
 脇を固める役人に席を変わるように顎で示唆する。誇り高い姫を屈服させる様を想像して、将軍は愉しげに喉を鳴らす。公女の大腿部に、堅い手を這わせる。
 彼女は幼女の時から闇の生活を強いられていた。美貌が災いとなり、子供のうちから薄汚い大人を幾人も寄せていた。だから、何が身を護るものなのかも知っていた。いずれこういったものが護刀として必要になると無垢であった彼女に教えたのは、トラキア王子その人であった。
「折角の申し出ですが……私には、将来を約束した方がありますもので」
「……そうでしたな」

  若きフリージ将軍は、苦く舌を打った。名残惜しそうに、蜜に吸いつく手を引き剥がす。トラキア王国とグランベル帝国は、表面上は同盟を結んでいる。 実際に二国の関係は対等のものではなく、トラキアは半属国のような扱いを受けている。同盟というより、一時的な休戦条約を結んでいるといったほうが正しい。 しかし、相当に身分の高きものならばともかく、たかだか一将軍に、国同士の諍いの原因となる行動をとるだけの度量はない。
「現在のところは、ですがね」
 背筋を伸ばし凛として語る公女の姿は、侵しがたい気品に溢れている。誰よりも偉くありたい男の征服欲が刺激される。
「帝国からすればトラキアとの同盟など、一時凌ぎのものですからなぁ」
「……」
「それに、貴女とトラキア王子との結びつきも、いつまで保てるものか。解消は、時間の問題なのではないですかな? 国を得るためだけの婚約とはいえ、許婚の危機に手も差し伸べないのですからなぁ。どのみち、愛されてはいないのでしょう。これだけの美貌を持ちながら……気の毒なことです」
 肢体を食いつくさんばかりの視線。公女の中にいる14歳の少女リノアンは、おぞましさに身を震わせていた。 だが、表面に出ているターラ公女は、顔色一つ変えなかった。
「貴女がトラキア王家に嫁ぐ日など、こないでしょう。仮にあったとしても、何も純潔のまま嫁がずとも、ねえ。どのみち愛されてもいないのですから、淫らな娘だったと思われたところで、それほど支障はないでしょう。このような戦況下ですから。王子も、ターラ公女をまっ白な状態で貰えるなどと、期待していないことでしょう。逆に同情されて、可愛がってもらえるかもしれませんよ?」
 最初は公女の聖女面を崩したくて発していた意地の悪い言葉だった。だが、口にしているうちに、それが真実のように思えてきた。
 男は、目をたぎらせて、身体を奮わせていた。
 想像以上に愚かな男なのだと、公女は呆れた。
 トラキアはターラを虎視眈々と狙っている。
 時期がくれば、婚姻によって自らのものになるはずだった街だ。手を出す理由が欲している状態のトラキアにとって、王子の婚約者への無体な仕打ちは、十分な戦の理由となり得る。
「ねえ、お美しい公女様? そうは、思いませんか」
 そのどす黒い手が、公女の顔を挟みこんだ。
 痛みに顔を歪めることすら、彼女の誇りは許さなかった。ただ双瞳に怒りをたぎらせた。
 その瞳に将軍は怯んだ。そして、怯んだ自分を隠すかのように、ますます高圧的な態度に出た。
 なだらかな山道。木々が適度に茂り、川の放つ音が、進軍によって発せられる音以外を消し去る。ほぼ無言で歩き通した小隊には、もともと休息が必要だった。

「おい。ここらで休憩するぞ」
「え? あ、はい……。ですが、万一にそなえて、山荘まで一気に行くようにとの、上層部のご命令では……それも、このように開けた場所で……」
 役人の一人が遠慮がちに意見を述べたが、それは、将軍の一睨みのもと却下された。同僚の大半もまた、彼に冷たい視線を送った。
「……あ、いえ……なんでもありません……」
「止めろ」
「はい」
 役人が、伝令兵にその旨を伝え、場所を選んだ後に休止した。
 一旦休止した後。将軍は役人に何事かを耳打ちした。
 役人は御者に命令を出した。 本隊を残し、馬車は再び動き出す……。


 木々の合間に、人や獣が歩くことによって作った道があった。
 その中を、馬車は乱暴に移動した。
「おい、止まれ。この辺りでいいだろう」
 馬車が急に停止する。将軍が、愉しげに喉を鳴らしている。硬い指で、公女の頤から首筋をなぞり、襟首を持ち上げる。もう片方の手は、ドレスの裾を捲り上げる。
 公女はどのような残酷な言葉にも、行為にも、耐えるつもりはあった。世界の光がターラを再び照らす日まで、何があっても生き延びてみせようと。だが子供と言われる年齢の娘には限界があったのだ。
 男が歓ぶ態度だと分かってはいても、全身で抗わざるを得ない。自由になる限界まで身体を反らす。
「お、や……めなさいっ!」
「おい、お前達、いつまで見ている気だ? 公女様に失礼だろう。外で人がこないか見張っていろ。そうそう、念の為、外から施錠してくれよ」
「は、はいっ!」
「はい……」
 男たちは、衣服の乱された少女の姿に後髪を引かれながらも馬車を降りていく。
 将軍は人に聞かせるための呟きを洩らす。

「自分の身が可愛ければ、他言はしないほうが賢明だと思うぞ……」

 公女の動きを片足で肘で封じつつ、着物を脱ぐ。緋色の肩掛け。黄金の腰帯。携帯する魔道書。その時に備えられたかのように、重たげな見た目と不似合いなほど簡単に剥げる貫頭衣。次々と捨てられていく。

「……私は、アリオーン王子にお話しします!」
「言えるのですか? ご自分の恥を。それこそ、堂々と婚約解消……という運びになるんじゃないですか?」
「……」
「ま、幸い私は一人身ですし、婚約破棄となれば、上層部に話をつけて、貰い受けてあげますよ? 私の家はフリージ公家の流れをくむ、由緒正しき伯爵家でしてな。叔父はブルーム卿の側近……。どうせ一生監視の付きまとう身ならば、いっそ、我が家で伯爵夫人として優雅に暮らしませんかね?」
 将軍は少女の腕を引き、自らの膝の上に倒れこませた。懸命にもがく少女を上半身の重みで拘束しつつ、髭の残る顎を彼女の繊細な頬に擦りつける。その口は赤ん坊のように液を垂らしている。
「ターラ滞在中より、貴女に興味があったのです。この日が来るのを何度夢見たことか……」
「何という、愚かなことを……トラキアとフリージの関係に亀裂を入れるような行為、貴方ごときの立場で許されるものですか!?」
「亀裂なら、もともと入っていますよ」
「確かに帝国にとっては、トラキアとの同盟は一時のものにすぎないかもしれません。しかし、帝国全体が、トラキアとの戦線を望んでいるわけではないでしょう。となれば、フリージとしては、形だけとはいえ戦争の口火を切ることになった人間を、処罰しないわけにはいかないはずです。分かりますよね?」
  公女は毅然とした態度をかろうじて保っていた。だが男を直視することはできなかったし、手と唾液に汚された肌は総毛だっていた。

 背の留め具を引き千切り、ドレスの中より下肢を引き出し。力任せに衣服の内部を侵食していく男の手は、確かな支配欲に満たされていった。抗う華奢な腕を両足で挟み、少女の顔を覗きこむ。その苦悶を楽しむように。
「……後で困るのは、ご自分なのですよ……っ」
 身をよじり、顔を背けながら発した公女の言葉には、悦ぶ男の脳に到達するだけの力はなかった。
 やがて男は腰を浮かし、上に乗せた人形を向かいの座席に転げ落とした。寝かしつけたそれに改めて圧し掛かろうとする、間に。わずかな空が生じた。

 公女は絶望を振り切り、上体を反転させた。ある一点を目指して、手を動かす。男の脱ぎ捨てた、上質の塵である衣服。その中にあるはずの、たった一つの、直接の自衛手段。一冊の魔道書に。彼女は回復の杖の他に、魔道の初歩を習得していた。亡き父の指示によって。
 魔力放出の媒介として必要な雷の魔道書。青い布地に、銀の装飾を施した紙の束。指先が触れると、血の中に眠る力が膨れ上がった。

「βροντη……雷よ!」
 力ある声に呼応するかのように、巡る血を経て、脳から手へと伝わるモノがある。魔力が膨らむ。サンダーの魔法が完成するまでには、しばしの時を要する。だが今はわずかな時すらない。完成を待たず、熱くなった手の平から、力を放つ。
「……ぐぉぁ」
 男の素の背中に、小さな人造の稲妻が落つる。男の時が静止したように、微々たる動きすら止め……喉に残っていたものが漏れるような音を発し、床に崩れた。
 公女は扉に身体をぶつけた。だか重要人物を輸送する車だ。そうやすやすと外へ行ける扉である筈がない。
 彼女自身、逃亡の先に、アテがあるわけでなかった。といって、このまま薄汚い男の慰みものになることは、誇りが許さない。

 見張りと称して中を覗っていた役人らが、顔を見合わせる。
 錠を外し、上司に害をなした公女を取り押さえるべき場面である。だが、下手に扉を開け放てば、彼女を逃すことにもなりかねない。抜刀できる体勢を整え、あとはただ、狼狽するのみであった。
「βροντη……雷よ!」
 公女は再び、雷を呼んだ。 張られたガラスに向かって、これを落とす。 派手な音を立てて、砕け散る。破片が肌にかかる。 男らは、多量の破片から逃れようと、咄嗟に後退した。露出部分を庇うように、手が動く。抜刀の体勢が崩れた。公女は放たれた枠に、細い身を潜らせる。上体を外に出し、続いて、腕の力によって、下半身も通過させ……るつもりであった。

「きゃ……!」
「……この女、大人しくしていればいいものを……っ!」
 軽い衝撃から安く立ち直った将軍は公女の足首を掴んだ。馬車内に戻そうと、力を込める。
 前後左右に激しく足を揺らして、これに抗する。
「おい、お前達! 何をぼさっとしている。このじゃじゃ馬姫を何とかしろ」
「は、はいっ!」
 一人は魔動書を奪い、公女の半身を中に押し入れる。一人は中に入るべく、錠を外すという作業にかかる。その時だった。

 ……空いた、男の背後に。
 木々の茂る上空より、一騎。竜。
 肉眼で確認できる最高の速度でもって、下降した。
 竜を繰った男は、斜に構えた槍を、公女の上体を乱暴に押す男のうなじに突いた。
「な、何者だ……っ!」
 フリージ将軍が、上ずった声を上げる。
 錠を外す役人が上司の声と驚愕の目線に釣られるように首を動かす。
 そこには、喉に残っていた音を出すだけのモノが転がっていた。それだけだった。同僚をモノに変えた者の姿はない。

 風の音に紛れて。木々のざわめきに混じって。羽ばたきの音。
 役人は、顔を上げた。
 竜騎士の姿を、今度こそ、視界に捕らえた。剣を引き抜く。次の瞬間、竜騎士の槍によって、剣が払われる。無防備となった男の心臓に、鋭利な金属が埋め込まれる。

「ぐ、な……に…………っ」
 丸腰の将軍は、狂乱の声を上げた。
「誰か、誰か出あえ! 曲者だっ!!」

 一目を憚る行為のために、本隊から外れたのだ。他のものに悲鳴や音が漏れぬように、移動した場だ。 “誰か”が駆けつけるはずはない。
 将軍も劣勢だと分かってはいるらしく、公女の足を掴んだ手は脂汗で湿っていた。
 公女は、足を動かし、絡みつく男の手を払った。窓枠に置いた手に力を込めた。
そこに、手が差し出された。大きな手だった。

「ターラ公女、リノアン……違いないな」
 天空より現れた一人の竜騎士の、力強い声。
「は、はい……」
 公女は、突如眼前に存在した男の声に、反射的に頷いた。

 彼女ほど危うい立場の人間が、見知らぬ相手に名を明かすなど。常なら、まずしないであろう短慮な行為だった。
「リノアン」
「……」
「俺を信じて、共に来てはくれまいか」

 二人の男がついえる様は、彼女の瞳に入っていた。差し出された手が二人を屠るところを、目にしていたのだ。恐怖を感じないはずがない。だけど、理性が感情の速度に追いつかなかった。
 気付けば公女は、竜騎士の手をとっていた。
 先から、上空にあった竜騎士。それが彼だと何故かわかった。
 取りたいと感じたから、取った。理屈ではなかった。
 竜騎士は頷くと、公女を馬車内より引きずり出した。乱暴ともいえる行為だった。強く引かれた腕も、窓枠にあたる身体も、悲鳴を上げる。苦痛の声だけは漏らすまいと、公女は口を引き結んだ。

 閉じ込めていた空間より脱出を果たした公女を、竜騎士は引き寄せた。その手は、既に優しいものであった。

 公女を乗せると、竜は上昇した。
「ま、待てっ! リノアン公女!」
 好き心を出したがゆえに、重要な任務を失敗した男は、命まで奪われなかったことを安堵しつつ。待てといって待つわけがないことも分かりつつ。
「リノアン公女!」
 元囚人の名を、叫び続けていた。

 

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