<皇妃さまMAKER>


 グランベル暦758年。バーハラ。
 老いし王アズムールに代わり政務を取り仕切るクルト王子が、イザーク遠征の帰路、何者かによって殺害せしめられた。
 
 その知らせは、バーハラを……いや、グランベル王国、いやいや、ユグドラル大陸全土を。それなりの哀しみと大いなる不安で満たした。ナーガの血脈が途絶えた。万が一、ロプトウス復活などということになれば、対抗手段はない。その上、世継ぎのいないクルト王子の跡を巡って、争いが起きることは必至。平穏を望むまっとうな人間が不安を覚えるのは当然のことだった。
 しかし、ただっぴろいグランベル王国だ。その民全てが嘆き、死を悼んでいたわけではない。高貴なる血族の中には、その事実を喜び、ワインの注がれたグラスを合わせ笑う人間がいた。私腹を肥やすために動乱を求め、富と地位を独占するつもりになっている人間が。国の頂点に極めて近い血族の中に。

「わっ、はっ、はっ。これでクルト王子、バイロン卿ともに我らの邪魔することはできないわい」
「ああ。だが油断はできぬぞ。バイロン卿の息の根はとめておらぬしな」
「何、時間の問題よ……くっくっくっ」

 しかし、それはごく一部の人間。王子の死に天と地がひっくりかえるほどの衝撃を受け、心の底から涙を流し、生きる気力を失った聖なる血を引く者も当然いる。クルト王子の父アズムール王やその遠い親族たち。彼の妻となる予定……を一方的に立てていた少女も、その一人だった。

「嘘よ、そんな……」

 突然の訃報に彼女は耳を疑った。信じられなかった。信じたくなかった。
「勝手に死なないでよ。残されたあたしはどうなるのよ。どうすればいいのよっ」
 宙を仰ぎ、呆然と呟く。その頬には、涙が滝のように流れていた。
 少女は王太子妃の最有力候補であったヴェルトマーの姫。名をヒルダといった。ヒルダの夢はグランベル王妃となることだった。
「あたしこそが国母に相応しい……相応しかった、はず……」
 
 ヴェルトマーの分家の娘であったヒルダは、次期グランベル王の妃として擁立されるために本家に引き取られた。クルト王子との間に特別な約束があったワケではない。クルト王子は同性愛者なのかもと噂が立つほどに女性に関心を示さなかったし、個人的に親しくする機会にも恵まれなかった。だがヒルダはクルト王子の伴侶に収まる気満々でいた。グランベル・プリンセスの座は幼い頃から植え付けられた彼女の存在理由でもあり、生涯をかけた夢であった。
 しかし、その夢は今、破れた。クルト王子の死によって。バーハラには、他に王子はいないのだ。
「クルト王子が死んだら、どうやって王太子妃になればいいのよ……うわーーーーーーーーーーんっっ!!」

 もう自分がグランベルの王妃となることはない。その事実に打ちひしがれた彼女は泣き暮らした。
 クルトが亡くなったことで、ヒルダの価値はなくなった。ヴェルトマー家のものは彼女が泣いていようが笑っていようが、気にしなかった。その事実が、己の存在意義を見失っていた純粋な少女を追い込んでいった。

 彼女が全てに対する情熱とやる気を失い、邸に篭っている間に、クルト王子の娘が見つかった。その娘とヴェルトマーの嫡子アルヴィスが結ばれた。結果としてヴェルトマーはグランベル皇帝の座を手中に収めることのできた。一族の長老らは大喜び。次期王妃としてさんざ持ち上げていたヒルダのことは、もはやどうでもよかった。

  花も枯れようという年頃になって、ヒルダの縁組も決まった。
  王女ディアドラの夫に名乗り出たが相手にされず、そのまま正妻を貰い損ねてしまったフリージ家の中年長男ブルームが新夫である。どちらからともなく、自然に持ち上がった話だった。バーハラ王家を覗けば互いの家以上に望ましい縁組はなかったのだ。特別に望んだ相手ではないが、あえて断る必要もない相手。ヒルダもブルームも自分の年齢に焦りを感じていた。二重、三重の意味で利害の一致した政略結婚。当人らも一応は納得しての結婚だった。

「まあ、仕方がない。ヴェルトマーで妥協するか」
「もうクルト王子はいないし、フリージ公妃なら御の字じゃないの」

 本人たちの無気力っぷりとは対照的に大仰な式から三年が経過し、ヒルダも二児の母となった。一人目はトードの聖痕すらない男子。顔立ちも成り行きで結婚した夫ブルームに似ている。ヒルダの関心を引く要素はない。二人目は娘だった。銀の髪、紫の瞳、そして聖痕はフリージのものだが、目鼻立ちは自分に似ているかもしれないと思った。美人になる予感がする。頭もきっと、自分に似て優秀に違いない。性格もきっと、頑張り屋で心優しい、自分のような娘になるに違いない。根拠は特にないが、ヒルダは確信に近いものを抱いていた。

 あたしがグランベル皇妃となることは不可能……でもこの子には可能性があるわ。
 今はまだディアドラ皇妃に子供はいない。でも、あと一、二年のうちに世継ぎの皇子が生まれてくれれば。
 世継ぎの君とこの娘が結ばれれば ……そうしたら。そうしたら、この娘は皇太子妃。さらにこの娘が男の子を産めば、その子はいずれグランベル皇帝になる。そうしたらあたしはグランベル皇帝の祖母。
 それって、同じことじゃない? あたしがクルト王子と結ばれ、子を成し、さらにその子が子を成せば、あたしはグランベル王の祖母になった。グランベル王妃になって、成すべきだったことが、結局は果たされる……っ。

「同じだわっ!」
 第一公女イシュタルの誕生から、十日。バーハラに出産報告へ赴くための馬車に乗り込みつつ、ヒルダは叫んだ。
「何が同じなのだ、ヒルダ……」
  後に立つブルームが問うた。

「え、いえ……なんでも。それより、ねえブルーム。この子が皇妃になったら、フリージは今以上に栄えるわよね」
「それはそうかもしれんが、バーハラに皇子はいないぞ」
「あと一、ニ年もすれば生まれるわよ、ナーガの血を強く引く光の皇子が!」
「その可能性は確かにある。しかし、この娘にはトードの聖痕があるではないか。フリージを継いでもらわねばならん」
「……!? 何を言うの、フリージにはイシュトーがいるじゃない。長男をないがしろにする気なの!??」
「……そういうわけではないが……しかし、トールハンマーが……」

 生まれたばかりの赤子の前で、夫婦は数年後のことを決めていく。
 夫婦が、というより、ヒルダが、といったほうが正しいか。ヒルダは夫が彼女と合わないごくまっとうな意見を言えば、睨み付け、声を荒げてそれを捻り潰していった。
「ああ、もう、煩いわね。神器の一つや二つ、何だって言うのよ! 娘の幸せのほうが大事でしょうが!!」
  グランベル皇妃の座に未練たっぷりのヒルダが、娘イシュタルをグランベル皇太子の妃に据えようと目論むのは、ごく当たり前の流れだった。

「皇妃になることが幸せになることとは限らんだろう。イシュタルとお前は別の人間なのだから……」
「ああー? 何か言った!?」
「い、いや、なんでもない」
 ……そしてそれに真っ向から反対することのできる人間も、いなかった。

「ヒルダちゃんは、一番大きな国の、一番偉い人の奥様にならなくてはいけないのよ。だからいっぱい勉強しましょうね」
「はい、叔母様。クルト王子に相応しい人になれるよう、国語も歴史も生物も、いっぱい、いっぱい勉強しますわ」

「そんな踊り方じゃあ、クルト王子のご不興を買うわよ。もっと訓練しないと……」
「はい、頑張りますわ、大叔母様。寝る時間を遅くしても構いません。稽古の時間を増やしてくださいな」

「王子に気に入られなければ、妃にはなれないぞ。クルト王子の好みは儚げな女性だと聞いたが、大丈夫だろうか。お前は頑丈そうに見えるからな」
「!? では、ヒルダは運動量を増やし、間食も止めますわ。風が吹けば吹っ飛びそうなほど痩せてみせましょう!」

 これはヒルダの幼き日の、自己鍛錬の日々。 その一風景。

「イシュタルは、グランベルの皇太子、ユリウスさまの妻となるのだからね! 今のうちに教養も作法を完璧にしておかないと、後で恥を掻くのはお前だよ! 笑い者になりたいの?」
「……そうなのですか? 笑われるのは嫌……イシュタルは、しっかりお勉強します……」

「ユリウスさまは幼いながらに杖も攻撃魔法も、完璧に使いこなすという。それをイシュタル、お前はなんだい。雷以外は人並みじゃないかっ。あー、なんて駄目な子なんだろ」
「……っ。ごめんなさい、もっと訓練します。だから、ぶたないで……っっ」

「明日から、お前の夕食はないよ」
「……そんな……っ、どうして!?」
「お前は発育がよすぎる。ユリウスさまは少女と見まごうごとき華奢な容姿。このままじゃ、結婚式の時、どっちが妃かわからないって言われちまうよ」

  こちらがイシュタルの幼き日。ヒルダより叱咤され、仕方がなく努力をする日々。

 イシュタルが生まれてから、ユリウスが誕生するまで。ヒルダは祈り続けた。皇妃ディアドラが子を授かることを。懐妊が知れれば、その子が皇子であることを。
  当然、ただ祈り、待っていただけでない。行動も起こした。
  顔を見たくないと思っていたディアドラやアルヴィスの元に頻繁に訪れ、子供のいる生活の素晴らしさを語ったり、トリュフやキャビアなど、催淫効果があるとして知られる食物を差し入れたりした。
 運良くなのか、努力が実ったのか。こうして生まれたグランベル皇子ユリウスとフリージ公女イシュタルの歳の差は僅か二歳。女のほうが年上とはいえ、婚姻を結ぶに支障となる差ではなかった。

 娘イシュタルを皇妃に、というのは、ヒルダの生涯をかけた夢であり、生き甲斐であった。
 だから、念には念を入れていた。例えば、一族の裏切り者の娘ティルテュがドズル大公の弟と結ばれ、男女を一子づつを儲けていたことを知ると、その娘……あくまで娘のほうだけ……を引き取ったり。ヴェルトマーの分家筋の娘を、息子イシュトーの花嫁候補として早くからフリージに迎えたり。
  フリージに対抗できるほどの権力のある家とはいえ、差し出す姫がいなければ、皇太子妃の座を得ることはできない。ヒルダは出来得る範囲で候補者を抑えた。その上で、イシュタルの教育に力を入れた。

 水準を軽く上回る容姿を化粧技術と矯正器具によって高め、好奇心旺盛なのをいいことに、国の宰相が務まるほどの知識を詰め込んだ。次期皇帝を生むに適し、かつ皇子を虜にする魅惑的な肢体を作るために有酸素運動と毎日百回づつの腕立て伏せと腹筋を義務付けた。生まれ持った素地と徹底した教育のかいあって、イシュタルはいつ皇太子妃……いや、皇妃となっても恥ずかしくない女性へと成長した。ヒルダからしてみれば、自分が受けたものと同等の教育を娘に施したにすぎなかった。
 ただヒルダとイシュタルの教育の間には、一つ、大きな差があった。
  ヒルダのお妃候補教育は、彼女が物心ついてから始められたことであった。グランベル妃となるための本家との養子縁組は、彼女の意思でもあったのだ。グランベル王妃の座に彼女自身が魅力を感じ、クルト王子を陥落させてみせようという気概や使命感があった。

 イシュタルは自我が確立できていないうちから、グランベル皇太子妃となることを刷り込まれた。そのため、ユリウスこそが絶対無二の相手であると、信じて疑うことはなかった。他の相手に恋をすることなど考えてもいなかった。それだけならまだしも、ユリウスが自分を求めないこと可能性があるということも、考えたことがなかった。
「お前はユリウス殿下の妻となるのだよ」
 子供の脳は柔らかい。何百回、何千回と一字一句違わずに繰り返し聞かせれば、誤まった事実とて飲み込んでしまう。

 十三歳になったイシュタルは、ヒルダに似たのかどうかはさておき、とても賢い娘となった。グランベル王立学問所の講師を家庭教師として学んだイシュタルは、あらゆる分野で才能を発揮した。十歳の時に魔法使い最高のクラスであるセイジとなり、十三歳にして学問所卒業レベルの学力を身につけた。容姿も文句のつけようがない。顔には子供の可憐さを残しつつ、矯正下着によって膨らむ個所を調整された身体は女らしさに溢れていた。彼女の魅力は、ユリウスと並んで恥ずかしい人間とならないために努力したことによる。繰り返して言うが、ユリウスに見初められるため、ではない。その過程は、彼女の人生設計から省かれている。ユリウスの妻となるのは、イシュタルの中で決定事項なのだ。

 イシュタルの二つ年下の従妹ティニーは、綺麗で何でも出来る従姉をたいそう慕っていた。血の滲むような努力が誰のためになされているのか、常々疑問に思っていた。ある日、ティニーは少ない食事を大事そうに食べる従姉に質問をした。

「姉さまは十分に痩せていらっしゃるのに、どうしてあまり食事をされないのですか?」
「それはね、ユリウスさまより細くありたいからよ」
「ユリウスさま……その方が、姉さまの心を射止めた方なのですね」
「少し違うわね。私はユリウスさまの妻になるって、決まっているのよ。お母さまがそうおっしゃっていたわ」
「まあ! イシュタル姉さまには許婚がいらっしゃるのですね。どのような方なのですか?」
「……教養も作法も魔法の能力も一流で、少女のように可憐な顔立ちをして、身体つきもほっそりしていらっしゃるそうよ」
  まだ見ぬ婚約者……ということに脳内でなっている相手……に想いを馳せるイシュタル。ティニーは単純に、ああ、そうなんだ……と納得した。そして美しき従姉姫の婚約者に興味が湧いた。 
「男性なのに、ですか……?」
「ええ、そうらしいわ」
「らしいって……お会いしたことはないのですか?」
「母さまはユリウスさまに相応しい女性となるまで恥ずかしくて表に出せないっておっしゃっているの。将来の伴侶となる人だもの、早くお会いしたいわ。ユリアさまとディアドラさまを同時に亡くして、きっと寂しい思いをなさっているでしょう。お慰めしたい……」

 中途半端な教育しか施されていない娘を公の場に出したり、後の皇帝の前に出すのはヒルダの矜持が許さなかった。女性としても、母としても、完璧でありたかったから。 何より、フリージの側から売り込んだのでは安く買い叩かれるのは目に見えていた。ヒルダがイシュタルになって欲しいのは、多数の妻の中の一人ではない。唯一絶対の皇妃の座なのだ。そのために何としても、バーハラ側からイシュタルをつれて来いと言わせたかった。


 皇太子ユリウスにイシュタルを売り込む計画は、当然完璧に練られていた。ヴェルトマー人ということもあって、ヒルダが皇太子に近づくことはそう難しいことではない。ユリウス皇子に、アルヴィス皇帝に……行方不明になるまではユリア皇女やディアドラ皇妃に。『イシュタル』。その名前を刷り込み続けた。イシュタルがいかに才能にあふれ、見目麗しいか。心優しい少女であるか。将来有望であるか。等々。自分で言うだけではない。金品を掴ませた侍女数名を、バーハラ城で働けるように取り計らい、手よりよく動く口で、イシュタルの素晴らしさを城内にふりまくように仕掛けたりもした。
 地道な行動は功を成した。母親の変死と妹の失踪。肉親二人を相次いで失ったユリウスを慰める名目で、高級菓子と珍しい果物を持ってバーハラ城を訪れた時のことだった。

  ここ数日、ユリウスは情緒不安定で、時折別人のようになるという。記憶にも混乱が見られるとヒルダは聞いていた。
 義理の叔母として世話を焼いた自分のことや、丹念に刷り込んだ素晴らしきイシュタル公女のことも忘れ去られているのではないか。ヒルダは怯えつつユリウスと対面した。だがヒルダを迎えたユリウスの様子は、それまでとさして変わらなかった。頬の肉が落ち、目つきが鋭くなった程度の違いしか見えなかった。

「お加減はいかがですか? ユリウス殿下」
「うん? 大丈夫だ……今は落ち着いている」
「そうですか。それはよかった。イシュタルも、心配していました。きっと心細い想いをされているだろうと……自分はいいから、ユリウス殿下の傍にいてやってくれと……」
「……イシュタル?」
 額に手を当て、眉間に皺を寄せ。ユリウスは唸っている。ヒルダの中に嫌な予感が走った。
「あたしの娘、イシュタルですよ。まさか、まさかとは思いますが殿下、イシュタルのことを忘れたワケではありませんよね!?」
 ヒルダは二人の間に置かれた大理石のテーブルに上体を乗せ、ユリウスの手を強く握った。そんなはずはない、あっていいはずはないと、詰め寄った。
「いや、その……名前には覚えが……よく話に聞いて……」
 烈女の剣幕に推されて、ユリウスは細々と答えた。彼の中には、ロプトウスという暗黒神人格が入っていた。ロプトウスは、覚醒したばかり。これから侵略する世界のことを学んでいる最中であった。どう行動するのが、もっとも世界の害となるのかを考えていた。皇子ユリウスという殻で出来ることは非常に多いらしい。だから、しばらくはユリウスになりすまして様子を見よう。そういう心積もりでいた。

  ロプトウスはユリウスの記憶を取り込んではいた。だが完全に自分のものとしてはいなかった。記憶とは印象の伴うところが大きい。ユリウスの見た光景や学んだことを完全に脳内に取り込んでいても、覚えを運用することが容易でなかったのだ。体も記憶も同一人物であっても、心が別人では、なりすますことは簡単ではない。
 ヒルダは曖昧な言い方をするユリウスの幼い顔に、己の般若の顔を、口臭が鼻につこうという距離にまで近づけた。
「ひっ……」
 ユリウスは悲鳴に近い声を漏らしつつ、腰を引いた。ロプトウスとなったユリウスに恐れているものなどなかった。恐ろしき叔母とて、気まぐれに殺すことが出来る。だが……自然に逃げてしまう。心ではなく身体が。本物のユリウスがヒルダをどう思っていたのかロプトウスは知らなかった。だが身体に染み付いた習性で、なんとなく分かってしまった。

「それだけですか!?」
「あ……いや」
「いや……?」
 実際、本物のユリウスにとってもイシュタルとは、よく話に聞くフリージのお姫様、程度の認識しかなかった。恐ろしき叔母が似ていると豪語してやまない娘、会いたいとも思っていなかった。ただしその名を耳にしない日のほうが少ないため、意識にこびりついている名前ではあった。ロプトウスにはユリウスの機微まではわからない。ただ、思考の隅々にまで行き渡ったイシュタルと言う固有名詞と、素晴らしいという形容詞だけがユリウスの中にあった。存在は強く残っているというのに、姿さえ、憶えの貯蔵庫から引き出すことのできない少女の存在が、ロプトウスも気になってはいた。

「イシュタル公女は素晴らしい女性だ……と」
「まあ、殿下ったら、本当にそう思ってくださいますの!?」
「う、うむ……」
「では逢いたいでしょう?」
 ヒルダの口許が大きく裂けた。その深紅の瞳に熱く燃える太陽が見えた。
「と、当然だろう……」
 面識も関心もない少女に逢いたいということが当然のはずはない。しかし、ロプトウスには頷く以外のことはできなかった。それほどにヒルダの顔は恐ろしいものだった。

 

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