<王子第一主義 〜聖戦終了直後のお話〜

 朝日が昇る。若い者らは長い戦の後だというのに、未だ祭りの中にある。
 ロプトウスの化身ユリウスを倒し、光の皇子セリスはバーハラに凱旋を果たした。バーハラ城下では、上へ下へのお祭り騒ぎ。城内でも、内輪だけのささやかな宴が催された。

 夜通しの祝勝会。苦い記憶を笑いで昇華し、酒と音楽に酔いしれて、将来を語り合う。
 主君を含む若い者達の体力、精神力には、感服する。日が昇ろうとも、終わる気配のない宴。フィンは疲れた身体の欲するものを与えるべく、仮に定められた部屋へと向かった。
 かすかに伝う光の楽を心地よく聴きながら、一つ欠伸をする。薄い意識の中で、今後について考えていた。

 戦いの時代は終わった。同時に、リーフの命を護り、彼にレンスター王位を継承させるという、自分に課した役目も終わった。
 これから先、リーフの為に何ができるだろう。
 かの王子に一層の幸福を与えるためならば、どんな苦労も厭わない覚悟はある。だが、どうすれば彼は最高の笑顔で笑ってくれる? 国の重鎮として、リーフに仕える事。不慣れな政を行う彼を、補助すること。それだけでいいのだろうか。もっと何か、リーフの為に、自分にしかできないことがあるのではないか。

 至福の衣を纏ったリーフの夢の笑顔を思い浮かべ、フィンはふと微笑を洩らした。その時。
「……何だ?」
 夢を覚ますような、床を蹴る響きが耳を襲った。
 けたたましい足音に、フィンは不機嫌に足を止めた。
「お父様っ! 待って下さいな」
 ナンナだった。彼女は息を切らせ、父フィンに迫った。
「お父様。今夜部屋に伺いたいのですが、よろしいですか」
 緊張に乾いた声。ぎこちない平静で、ナンナは言う。
「それはいいが、どうした? あらたまって。深刻な話か……?」
「え、ええ。その、大切な話、です」
 言葉を詰まらせながら、懸命な瞳を向ける。フィンは頷いた。
「分かった。待っている」
 フィンの短い答えに、ナンナは気恥ずかしそうな微笑みを浮かべた。
「それでは。夜にまた」
 会釈をして、ナンナは宴の中へと帰っていった。

「話、か……」
 フィンは抑揚ない呟きを洩らした。
 娘の慌しい背中を数秒視界の片隅に入れた後、何事もなかったかのように歩き出した。  

 太陽の乱反射が自然に部屋を満たす、うららかな午後。
 フィンは適度な睡眠をとり、ゆったりと湯に浸かり、軽い食事を摂った。
 身体が満たされると、心が栄養を欲する。
 フィンは自然、リーフの事を考えていた。

 これからのこと、これまでのこと。時の滝を遡り、王子の父であるキュアンのこと、母であるエスリンのことにまで考えを巡らす。心地の良い記憶の渦。シグルド軍での戦いのこと。戦時中に結ばれた妻のこと。フィンの思考は再び現在に至り、娘のことに考えが巡った。

「そういえば、大切な話があるといっていたな……」
 何だろう。フィンは首を傾げる。
 まず思い浮かぶことといえば、今後の動向についてだ。長い戦いが終わった今、息子デルムットは母の故郷であるアグストリアのために働きたいという意思を示している。そして出来ることならば離れて育った妹を伴いたいとも言っていた。
 話というのは、やはりそのことだろうか。
 あの娘も、アグストリアに行きたいのだろうか。いや、それとも、……もっと年頃の娘らしい相談かもしれない。
「あれも、もう
16だったな……」
 ありえない話ではない。今、軍……いや、正確には元軍内というべきか……では、正式な婚約を結ぶ恋人達が続出している。
 それぞれが故郷に帰らねばならぬ身。そして、国のために個人を犠牲にして働かねばならぬ立場にある。今離れれば、次に会えるのは何時になるか解らない。だから堅い約束を交わすのだ。
 昨夜は、明日のグランベル皇王セリスと、イザーク王シャナンの婚約発表が同時に行われ、終戦の祝いに大輪の花を添えた。

 もしもナンナにも言いかわした相手がいるとすれば、誰だ? あの娘が日頃親しくしている男性といえば、大切な主だ。
 しかし、まさか……。
 だが、もしそうだとしたら。
 フィンが娘のいう大事な話とやらを考察していると、扉が控えめな音を放った。
「はい」
 部屋の戸を開ける。そこには、年若い主が直立していた。フィンは満面の笑みと何気ない声で、レンスター王子を迎える。
「リーフ様」 
「フィン、あのさ。今夜、少し時間とれるかな?」
「リーフ様のためなら、ない時間だって作ります。何でしょうか」
 娘より、王子優先。躊躇いもなく答える。
「うん。その……だ、大事な話があるんだ」
 リーフは上目使いでフィンの表情を覗った。

 フィンの脳裏で、先のナンナの態度と、リーフの表情が重なった。まさかとは思う。だが、リーフとナンナは親しい。そして、ナンナは名門ノディオンの王女でもある。身分的にも不相応というほどではない。あってもいい話なのだ。
 ささやかな予感が芽吹いた。

「何でしたら、今、聞きますが?」
「え、あ、いや、その。あのさ、今夜、話すから。必ず、部屋にいてくれよ」
 部屋に招き入れようと扉を大きく解放したフィンに、リーフは慌てて頭を振った。若若しいうなじまで赤く染め、俯く。その時。予感は確信に成長した。なんと光栄なことだろう。頬が緩むのを自覚しながら、フィンは答えた。
「はい。とっておきのお茶を用意して、お待ちしていますよ」
「う、うん。じゃあ、後でな!」
 リーフは全身に昇る血のごとき勢いで、回廊を駆けて行った。フィンは夢でも見ているような心地で、主の背中を見送った。
「私は、リーフ様の義父となるのだな……?」

 辺りを、穏やかな濃紺が包みこむ。
 期待と緊張が心身を満たした一日が過ぎ、間もなく運命の時が訪れる。
 暖色で統制された簡素な室内を、浮いた足取りで徘徊しながら、フィンは主と娘の訪問を待った。

 暗黒時代の支配者ユリウスを倒し、平和を掴み取った今。
 戦いの中でも常に伴にあった二人が幼い頃から続いた関係に甘い区切りを付けるべく、身近な人間に報告する……。
 若かりしフィンにも覚えのある、真面目な恋愛の通過儀礼だ。
 今夜、大切に守り育ててきた君主と娘がその儀礼に挑む。さぞや緊張していることだろう。日中の二人の態度、そして自身の遠い記憶を交互に呼び起こす。
 フィンの口元は、自然弛んだ。

「リーフ様とナンナか……」
 今日は、正式な付き合いの報告だろうか。
 それとも日頃から親しい二人のこと、既に結婚、ないしは婚約の段階まで話が進んでいるのかもしれない。

 リーフとナンナ。二人の絆は、フィンの前で育まれた。
 兄弟のように親友のように。強い絆で結ばれていることは、フィンも知るところである。それが恋と呼ばれるものに絆に変化しても、おかしなことではない。
 自分ごとき一家臣の娘は、王子には相応しくないかもと思う。だが、娘ナンナは幸いなことに、容姿、性格、能力、実績。どれ一つとっても、非の打ち所がない。客観的に見れば、彼女ほど王子に相応しい女性はいないのだ。実際、身分は問題にならない。ナンナの母ラケシスはヘズルの血を引くノディオン王女であったのだし、フィン自身も聖戦の功績で爵位を賜ることが内定しているのだから。誰もが納得し、祝福する縁組となるはずだ。

「ナンナならば、いい」
 最愛の君主が、愛した女性と幸福になる。リーフの幸せは自分の幸せ。
 血を分けた娘が最愛の君主に認められる。嬉しい。
 ナンナならば自分と君主の強固な結びつきを、無理に解こうとはしない。都合がよい。
 さらに、娘が王子の妻となれば、自分は王子の義父となれる。より強い関係をリーフと築くことが出来る。義父として、これまでの厳しい時代では与えることが許されなかった種類の愛情で、主君を包み込むことができる。至上の喜び。
 だから、リーフとナンナの関係を祝福する。

 不純だという自覚はある。だが、ほんの少し甘い夢を見ることくらい許して欲しい。フィンは誰にでもなく詫びた。

 

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