フィンに、再び悪夢が訪れた。
 娘と、認めたくはないがその恋人である男を憤然と見送った後。今度は大切な主が予想外の娘を連れて、部屋を訪れたのである。

「フィン。来たよ」
 リーフは、小さく微笑んだ。
 はにかんだ笑顔が、夏に咲く白い花のようにすがすがしい。
「……」
「フィン? あの、話を聞いてくれるのだろう?」
「……どうぞ、お入りください。狭い部屋ですが」

 呆然と立ち尽くしながらも、フィンは主に粗相のなきように我を押さえて礼をする。
 堅く強張った顔で椅子を勧め、銀髪の少女を冷ややかに見やった後、フィンは静かに頭を振った。
「それで……何ようですかな。フリージの娘よ」
「……っ!」
「フィン
!?
「王子からお話があるとは伺いましたが、同行者がいるとは思いませんでした。それも、フリージ家の者……」
「フリージ……?」
 リーフは、困惑顔でフィンを見た。……苦く歪んだフィンの顔を。
 ティニーは、そっと顔を伏せる。身動ぎをする。震える声で言った。
「ごめんなさい……わたし、フリージの出身……。でも……」
「……!?」
 リーフの耳がその呟き捕らえ、動く。しばしの間、後に声を上げた。

「そういうことだったのか! やっと分かった!」
「……」
「リーフ様?」
「フリージだから、なんだというんだ!」
 立ち上がり、フィンを一喝するリーフ。ティニーは目を見開いた。フィンと同様、驚きの顔でリーフを見た。
「私が、ティニーを連れてこの部屋に来て、何が悪い。彼女は私の恋人だ」
「いや……フリージだから、特に何があるという訳ではありませんが」
 主を静めようと、何とか微笑んで見せる。
 ナンナ以外なら、同行者などいるはずがないと思っていたからなのだが。
 フリージの娘と呼んだのは、名前が思い出せなかっただけなのだが。
 それにしても、やはり恋人と断言するか……。この少女が恋人だという事実もだが、これまで秘密にされていたことが、さらにショックなフィンだった。
 思わず、憂いの息が漏れる。

「それならば、いい」
 膨れた顔で言うリーフ。恋人を不安にさせたことで、機嫌が悪いらしい。
「リーフ様……わたし……」
 ティニーも立ちあがって、リーフの服の袖を掴んだ。その手が震えている。
 リーフはティニーの肩を抱いた。
「……君が僕の申し込みを受け入れてから、時々寂しげな顔を覗かせていたのは……このことだったんだね」
 肩に置いた手に力を入れて、ティニーを自らに向き合わせるリーフ。
 ティニーの瞬きの回数が増えた。

「ごめん、僕……今の今まで、気が付けなくて。ティニーが、フリージとレンスターの関係のことを気に病んでいたなんて……なんで、気が付かなかったんだ、これまでっ! 情けないよ。想いが叶って、そのことだけに浮かれていたのかもしれない!! ごめん、ティニー……」
「これから先、ユグドラル各国は……手を携えていくことになります。敵対していた各国が遺恨を流し、よい関係を築こうとしています。レンスターを支配していたフリージの公女であるわたしが貴方のところに嫁ぐことで……両国の関係は、ううん、全ての敵対していた国々の関係は、これまではともかく、これからは友好的なものになると象徴することになるのかも……、いいえ、そうなって欲しいと思って……貴方の申し入れを受けました。どうしても貴方の許に行きたいという我侭の、言い訳に過ぎないのかもしれませんが……ね」
「ティニー!」
 リーフはティニーの小さな身体を腕に収めた。

「きゃ、リーフ様……っ!?」
「そうだよ、我侭でいいんだよ。そして、僕だって我侭だ。ティニーがレンスターに来たら……もしかしたら、辛い想いをするかもしれないんだって分かっても、それでも君を連れ帰りたいって思っているんだ……ずっと一緒にいたいんだよ」
「わたし、わたし……」
 ティニーは恋人の背中に手を廻した。
「わたしも、一緒にいたい……辛くても、いいの……」
「うん……僕が、君を護るよ。だから、一緒にレンスターに行こう」
「はい。リーフ様……」
 目を合わせ、二人は笑う。
 ティニーの瞳に水が滲んでいる。
 リーフは指で、それを掬う。
「大好きだよ……」
「わたしも……愛しています」
 リーフとティニーは抱き合った。そうして、互いの気持ちと温もりを確かめあった。
 そこに、二人以外の人物がいることも忘れ果てて……。

「……」
 二人以外の人物。この部屋の住人であるフィンは、あんまりな光景を目にして、固まっていた。
 リーフとナンナが結ばれてくれればいいと思っていた。
 分からず屋で、男を見る目がない娘。気の強すぎる娘。それでも、娘だ。可愛い娘だ。誠意を持って説得すれば、分かってくれるかもしれないと……希望を捨てていなかったのだ。アレスよりリーフのほうが、断然立派な人物なのだ。ナンナをどうにかしてレンスターに連れ帰りさえすれば、そうして主の隣に置いておけば。いつしか気持ちが変わるかもしれないと思っていたのだ。これまで一緒にいて、ある程度の愛情の蓄積はあるはずなのだから、結ばれるまでそう長い時間はかからないだろうと踏んでいたのだ。
 妻になったラケシスだって、出会った当初は他の人間を想っていた。だけど長く一緒にいるうちに、一途に愛情を注ぐうちに、自分を愛するようになった……一応……のだから。

 だが。主の隣に、別の女が常に添うとなれば話は別である。主は国まで連れ帰った恋人を捨てるようなことはしないだろう。結婚話まで出た仲となれば、なおさらだ。
 ティニーとフィンは、これまで個人的な付き合いはなかった。
 フィンはその人柄を殆ど知らなかった。控えめなタイプに見えるので、自分と主の間を裂いたりはしないだろう。その辺は安心といえば安心。ナンナと結びつけることが困難である以上、妥協すべきかとも思う。

 しかし、特に考えつきはしなかったが、言われてみると。フリージの公女をレンスター王妃に、というのは問題になる気がする。フリージは長い事、マンスター地方を支配下に置き、圧政を敷いてきた。娘や主を連れて各地を放浪していた時、追っ手であったのは、常にフリージの者だった。ティニーを王妃に迎えることを、国民は快く思うだろうか。重臣は、快く思うだろうか。
 思うはずがない。王子の輝かしい経歴に、傷がつくのではないか。
 妻を歓迎されないことで、主の心にも、傷がつくのではないか……。
 フィンがそんなことを考えていると。

「……あ、フィン? どうしたんだい、さっきから黙りこくって」
 恋人を抱きつつも、ふと我に返ったリーフ。フィンに話を振る。
「あ……あの、し、失礼しました」
 リーフの頬はうっすらと赤みを帯びている。ティニーに至っては、旋毛までが、真っ赤だった。
 ティニーは、慌てて、リーフとの間に距離を取る。そして、ソファに腰掛けた。リーフはティニーの隣に座った。膝におかれたティニーの手に、さり気なく手を添えた。 
 そして、フィンを真っ直ぐに見据える。

「フィン」
「はい……」
「彼女を妻にする」
 駄目だ! 
 と、自分の子供の結婚ならば、反対もできよう。しかし、全てを犠牲にしても仕えるべき主が断言したこと、どうして頭っから否定できるか。彼は承諾を得に来たわけではないのだから……。
「……」
 しかし。だからといって、頷くこともできない。
 ナンナとリーフが結ばれ、リーフの父になる。そのことにやはり未練がある。フリージの娘を娶ることに対する不利益というのも、気になる。大切にお育て申し上げた王子が、よく知らぬ娘を第一に考えるようになるかもしれないという恐怖心も、少しあったりする。
 諸諸々の事情により、頷かなくてはと思っても、首が頷いてくれないのだった。

「フィン……?」
「フィン様……」
 言葉を発しない、頭部も固定されたまま。そのようなフィンを見て、リーフは怪訝を顔に浮べた。ティニーは不安げに瞳を揺らす。身体も小さく揺らす。リーフは手に力を込めた。ティニーに触れている、右の手に。
「……」
 さらに黙っていると、リーフの眉が上がった。目尻も、上がった。先にフリージについて触れた時に、一喝されたことを思い出した。大切な主に、嫌われたくない。怒らせたくない。

 フィンは思わず、リーフの顔から目を逸らせた。逸らせた先には、ティニーの繊細そうな顔があった。
 反対をすることはできない。それならば、娘の方から身を引かせる術はないものだろうか。
 思案する。思いつく。
「ティニー公女。家はどうなさるのですか? フリージは確か貴女が継ぐことになっていたはず……」
「え、ティニー! そうなのかい?」
「……ええ」
「では、レンスター王家への輿入れは無理ですよね。残念です」
「そんな、ティニー! 嘘だろう?」
 フィンは内心ほくそ笑み、リーフは慌てた。
 ティニーは頬を染め、複雑な微笑みを浮べた。
「そういうお話は、確かにありました」
「ティニー……」
「ですが、兄は、フリージは自分が継ぎたいと言っているのです」
「え」
「アーサーが?」
「はい。なんでも父方……ドズルの従兄弟と、上手くやっていく自信がないのですって」

 思い出し笑いをするティニー。
 フィンは、アーサーと似ていない従兄弟にあたるヨハンを思い出す。彼らの仲は悪いが悪くない。軽口を叩き合う様は、長年付き合ってきた悪友のようだ。
「ふふ。兄の本心は、別のところにあったのだと思いますけれどね。ドズルを二人で切り盛りするより、どうせだったら、フリージ家を一人で仕切りたい……とまで言っていましたもの」
「いい奴だ、アーサー……」
「リーフ様のところへ嫁けと直接言わないところが、兄様らしいでしょう?」
「ああ。ヨハン公子は不思議ところがある人だけど、ドズルでの人気も高い。それに、ラナもついていくだろう。一人で継ぐって形のほうが、いいのかもしれないね」
「ええ。だから、わたしは……」
 ティニーは自らの左手を握るリーフの手に、右手を乗せる。
「うん。一緒に、レンスターに行こう」
「フィン様、心配してくださって……嫁げぬことを、残念だとまでおっしゃってくださって……本当に、ありがとうございます。わたし、嬉しかったです……。実を申せば……フィン様に反対されたらどうしようと、ずっと不安だったのです」
「だから、それは無用の心配だって言っただろう? フィンだって、フリージだからって、特に何がある訳でもないって言ってくれたんだし」
「え……っ」

 言っただろうか、言ったかもしれない……。
 だが。言葉のアヤというヤツだ。残念だと言ったのも、言葉のアヤ。本心では、賛成なんてしていない。安易な発言を後悔するフィンだった。
「フィンは、いつだって僕の味方だから」
 にーっこり。
 春のうららかな日差しのように暖かい笑顔で、リーフが言った。
 リーフが立ちあがる。フィンの眼前に来て、その手を取る。
 フィンも立ちあがる。姿勢を正した。

「フィン」
 リーフの晴れやかな笑顔は、消える。続いて、夏の日差しのように厳しい顔つきになる。
「北トラキアは、長いことフリージに支配されてきた。その中で苦労を重ねてきた家臣らが、ティニーについて、よい感情を抱かない可能性は……確かにあるのかもしれない。残念なことだけれど。だけど、だからこそ、かな。フィンの賛成は嬉しかった。他の誰よりも、フィンに祝って欲しかったから。やはりフィンは私の幸せを一番に考えてくれている……」
「リーフ様……勿論です。私は常にリーフ様のことを考えています」
「嬉しいよ。これからも、よろしく頼むよ」
 再び、にーーーーっこりと笑うリーフ。
 フィンは、頷いていた。気が付いたら。魅惑の笑顔に引き摺られるように。彼の父キュアン想起させる力強い物言いに納得させられたように。

「例え、本当に例えだけど。ティニーとの仲。皆に反対されたとしたって、フィンだけは私達の味方をしてくれるよね?」
「はい!」
 他の皆は反対、自分は味方。
 そのシチュエーションは、いいかもしれない。自分だけが、リーフの味方。
 これから先は、多くの家臣がリーフの下に集う。その中で、影が薄くなることもない。いや、リーフの中での立場が、一層上がることになる。
 覗うような目線と、やや不安に揺れたリーフの声に勢いよく返事を返した後。フィンはそう動機づけした。

「本当に、ありがとうフィン」
「ああ、ありがとうございます。不束者ですが、宜しくお願いいたします」

 こうして後の新トラキア国王夫妻は、舅、もとい、口煩き従者、もとい、忠実なる家臣であるフィンから、結婚の賛同を取り付けたのだった。

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