<太陽の傷痕>


 並ぶ窓からは、太陽の光が射し込んでいる。人々は眩しさのあまり、眼前に手を翳さずにはいられない。
 長い冬が終わり、まもなく春がやってくる。野には、雪の下で表面に出ることを待ち望んでいた植物たちが、芽吹いている。
 今は春。シレジアがもっとも美しく輝く季節だ。
 春を春として喜ぶことのできる国を、二十年近い月日を経て、シレジアはようやく取り戻した。
 闇を払ったのは、かつてマンスターの勇者と謳われたシレジアの王子セティ。彼は聖戦と呼ばれるグランベル王国での戦いを終えた後、シレジアの解放運動を指導。聖戦より一年半の時を経て、ようやく<平和>という言葉が馴染む状態をこの国に戻した。
 彼は全ての戦いを終えるとその頭に冠を戴いた。戴冠式より二月後に、再び、国を挙げての祝宴が催された。聖戦終了時に連れ帰った婚約者リーンを、正式に妻として迎えたのである。  

「陛下」
「……」
 長すぎる冬の時代を超えた後、トーヴェに新設されしシレジア王宮。
 赤い絨毯を如かれた広い廊下をセティは歩く。向かうは謁見の間。会議を終えたばかり。しかし彼には休む時間はない。
「国王陛下」
「……」
「陛下……っ」
「……」
「……セティさまっ!」
「あ」

 何度か呼びかけられた後に、セティは振り返る。侍従が呼ぶ存在が自分ということにようやく気がついたのだ。
 シレジア国王セティ。
 新米の国王である彼は「国王陛下」という名に馴染めずにいた。

「どうした? 血相を変えて」
 息を切らし、自分を追ってきた少年に微笑みを向ける。それは、国民に言わせれば前シレジア王妃を思わせる自愛に満ちた笑み。愛妻リーンに言わせれば、無駄に色気のある笑顔。
 思わず頬を染めた侍従は、息を整えてから、切れる声を発した。

「リーンさま……じゃなかった、王妃殿下が……その」
「……リーンが……?」
「……あの、そのぉ……やっぱり……」
「……外に、出たのか?」
 侍従は頷いた。セティは眉一つ動かさない。
「踊り子の衣装を纏い……?」
「多分……外套をまとっていたので、はっきりと確認はできませんでしたが……」
 王妃の夫は内心で息を一つ吐く。
「……噂は本当だったのか……」
「あ、えっと……リーンさまも、悪気があるわけじゃないと……」
「ああ、わかっているよ。報告、ご苦労だったね」
 私は何も気にしていないから。セティは本心とは言いがたい言葉を、細く続けた。



 今は蜜月。夫婦にとって、もっとも楽しい時期のはず。一旦崩れた国政の体勢を整えることに追われるセティの最大の楽しみは、妻との時間だった。
 だが、新妻はただセティの傍にいるということはしない。時折、城を降り、街へと遊びに出ているようだった。

 王妃となっても変わらない。その奔放さも愛しい少女。

 謁見の間に押し込められたセティは、次から次へと訪れる客の話を半自動的に処理しながら、王妃のことを考えていた。

 セティが一方的にリーンを想っていた時は、踊り子という職業の華やかな印象から外れた、大人しい娘だと思っていた。
 恋人といってもいい間柄になってからは、無理に明るく振舞っているように見えた。
 それは他の女を求めてしまった元恋人と、彼女を強く求めた自分への配慮だったのかもしれない。背筋を伸ばしていても、笑っていても。数秒後には地に倒れ落ちるかもしれないというような、危うい雰囲気があった。

 自由で明るいリーン。我侭と紙一重ではあるけれど決して己の信念を曲げることはない、前だけを見ようとする少女。一人であっても輝く、太陽の申し子。
 彼女の舞そのものの、素のリーンを知ったのは、シレジアに連れ帰ってからのことだった。

 結婚式の前日。
 リーンは踊り子を辞めるつもりだと言っていた。

『シレジア王の妻が、踊り子だったら問題あるよね。名門の血を引いていたとしたって……』

 セティはリーンの舞が好きだった。正確に言うと、踊っている時のリーンが好きだった。
 だから辞める必要はないと言った。踊り子は恥ずべき職業ではないと。光の公子セリスのもとで力を揮った聖戦でも、シレジアの解放戦争でも、彼女の舞は人々を励まし、目に見えない力を与え続けた。その舞が国民に受け入れられぬわけがない。
 それに対してリーンは言った。

『……好きで踊り子をやっていたわけじゃあないから。これを機会に踊り子、辞める。王妃業と両立できるワケないしね』

 リーンが踊り子であることに引け目を感じているのは知っていた。エッダ公クロードの娘と知れるまで、孤児院で育った自分を惨めに思っている節があった。
 長く連れ添った恋人の選んだ女性が、名門の血を引く女騎士だったことも、彼女の心的外傷を深めたのだろう。
 リーンの笑顔はとびきり明るい。シレジアでの彼女は、以前よりもさらに愛らしく、健康的だ。心の傷の存在など、全く感じさせない。だがふとしたことで、その傷痕が見えることはある。踊り子を辞めると言ったリーンの表情には、確かに血の痕が滲んでいた。

 だから、辞めたいのなら、それでもいいだろうとセティは思った。踊ることで生じる痛みが少しでもあるのなら、それに無理に耐えることはない。

 それなのに……今。
 セティが政務に追われている今になって。
 彼女は街に出て、踊りを披露しているという。夫である彼には告げず。

「何を考えているのだ……」
 呟いてしまってから、セティは口許を押さえた。が、遅かった。

「え、あ、すみません……っ」

 アグストリアの商人による関税引き下げの願いに対して、セティはそう口にしてしまっていた。
 商人は、額の汗を拭いながら、何度も頭を下げた。

「……」
「無理を申しました」
「……いや。取引量が多くなればまた検討する。今回のところは、申し訳ない」

 セティは妻に対する不信を洩らした時が、もともと断わるつもりであった内容だったことに安堵した。

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