<杖な勇者と敵王女>


*

「でね、あのね、お兄ちゃん……」
 つい先日まで、私はマンスターで解放運動の指揮をとっていた。
 トラキア軍を駆逐したマンスター。このマンスターの解放をもって、北トラキアはついに長い闇から解放された。光の皇子セリスさまを迎えたこと、リーフ王子という正統な後継者の得たこと……マンスターは今、喜びに湧いていた。
 当然、私も嬉しい。嬉しいはずだ。だが、素直に嬉しいと口にすることができない。複雑な想いが、胸に燻っている。

「それでね、お兄ちゃん」
 妹フィーとの再会は、嬉しい出来事だった。
 再会によって、長くはないとわかってはいた母の死を事実として知らされた。それは心に射した闇の一つだった。

 
 我が父はエッダ教の最高責任者であった。薬や回復魔法の知識も、人並み外れてあったという。
 私には無理でも父ならば、もしや母の病を治すことができるかもしれない……。
 そう考えた私が母と妹の許を去り、父を探す旅に出たのは二年も前のこと。
 
 最近になって、アグストリアにあるエッダの塔で父の声を聞いたものがいる、という情報を得たが……もう遅い。私は間に合わなかったのだ。母を救うことはできなかった。

「お兄ちゃん、聞いているの?」
「ん、ああ……」

 フィーと私は、マンスター城の一室を貸し切り、積もりに積もった話をした。
 両親のこと、故郷のこと、軍のこと。空いた時間を埋めるように……。
 話を、と言っても、私が口を動かすことは殆どなく、フィーが一方的に話をしているといった感じではあったが。

「でね、シレジアを出てくる時にはマーニャが頑張ってくれたんだ。私とアーサーを乗せて、イザークまで一気に翔んだのよ。すごいでしょ」
「ああ」

「アルスター軍と戦った時にね、アーサーはトローンの魔道書を……」
「ああ……」

「コノートに向かう時にあたしを呼びとめて、アーサーったら……」
「ああ、うん……」

「お兄ちゃん、ちゃんと聞いてないでしょ」
「聞いているさ。そのよく話に出てくるアーサーってヤツがどうしたんだ?」
「うん、アーサーはね、その……わたしのこと、大切な人だって言ってくれて。えっと、その……」
 頬を染めて、俯くフィー。

 ああ、そういうことか。
 私は心の中で手を打った。 フィーももうそんな年頃になったんだなぁ。
「……しっかりしたヤツか? お前が選んだ相手なら、私はよほどの男で反対しないつもりだが……」
 フィーは頬をさらに赤くして頷きかけた……ようだったが、その動きは途中で止まった。
「うーーー、しっかりかぁ……」
 頭を抱えて唸る。暫くそうしていて、それから、手を大きく振った。
「ま、いいじゃない、それは! 会えばわかるから」
「そ、そうか……しかし」
「憎めないヤツよ、ホント」
「……まあ、お前が……」
 好きだって言うなら、それでいいさ。
 一抹の不安を抱きつつも、フィーの恋人についての話を打ち切ろうとした。
 今、色恋についての話をするのは、危険だったからだ。
 何かの拍子に、私も恋をしていること……それも、許されぬ恋をしていることを、打ち明けてしまうかもしれないから。私の中に押し込めた想いは、外に出ることを望んでいたから。

「そ、そうだわ! そういうお兄ちゃんこそ……っ」
 だが、遅かった。話を逸らせるため、だったのだろう。フィーは私の恋について言及した。
「お兄ちゃんこそ、誰かいい人いないの? 一年以上、マンスターにいたんでしょ? 素敵な出逢いの一つや二つ、あったんじゃないの??」
「え……」
 不意打ちだ。私は思わず、言葉を止める。
「あ、その反応は〜いるんだっ!」
「……それは……」

 瞳を輝かせて、フィーは身を乗り出した。私たちを隔てているテーブルが激しく揺れた。

「い、いない」
「嘘だぁ。お兄ちゃん、嘘吐く時、口に手を当てるからすぐにわかるよ」
 手を後に隠したが、遅かった。 妹は、私のことを知り尽くしている……。
 フィーは左手を腰に手を当てて、胸を張った。右手の人差し指が、真っ直ぐに私に向けられる。さあ、白状しなさい! と言わんばかりに。

「どんな人よ、ねぇっ。綺麗な人? 優しい人……?」
「そうだな……見た目も、中身も綺麗で……それに、とても楽しい人だったな」
 このくらいなら、話ても構わないだろう。彼女の素性を話すことはできないが。
「へえ、楽しい人かぁ。いいじゃない。アーサーも楽しいんだよ。そういう人を好きになっちゃうの、血なのかもね。……会いたいなぁ」
「それは……無理だよ」
「どうしてよぉ。よほどの人でない限り、あたしは反対しないよ?」
「……無理なんだよ……」
「え……?」
「もう二度と、触れることも叶わない人だから……」
「……」
「無理なんだよ……」
「……」
 もうこの話はやめよう。言わんばかりに息を一つ吐き、立ち上がった。
「お兄ちゃん……」
 フィーも立ち上がった。私を見上げる大きな緑瞳は、潤んでいた。
「そっか……お兄ちゃんも、色々、あったんだね。早く、本当の平和が来るといいね。哀しい別れがなくなるように」
「ああ……」
「解放軍のリーダー、ご苦労様でした……」
 小さな両の手が、私の手を包み込んだ。  

 私はマンスター解放運動の指揮者だった。
 マンスターを支配するフリージを、脅かすトラキアを、駆逐せねばならなかった。
 帝国に組する者、全てを憎む必要はないのかもしれない。だが……倒す者として認識している必要はあったのだ。
 彼女は、フリージの中核にいる娘だった。公家の姫君……。
 愛して、いいはずがない。彼女が、敵である私を、愛してくれるはずはない。例え想いが通じあったところで、結ばれることはない。真の平和とはおそらく、彼女の生命を奪った先にあるものだ。マンスターの奪回、北トラキアの解放。バーハラの陥落。一つ闇を払うたびに、私の心は軋んだ。これからも、心は泣き続けることだろう。

 出逢いは偶然。好きになる切っ掛けも、ささやかなものだった。
 叶うことのない恋。甘さよりも苦さの強い想いは、運命の悪戯によって始まった……。

『レヴィンさま、レヴィンさま……』
 病床にありながらも繰り返す母フュリー。母の病気を救うため、父を探しに……いっそ、レヴィン陛下をお探しすべきでは……と思いはしたが、とにかく私は父クロードを探すために、シレジアを出た。
  母の夫。私もフィーも、父に会いたいという気持ちはあったし、何より……母も口には出さなかったが、きっと多分、父に会いたいはずだ。
 で、マンスターにはブラギ関係の寺院が多いとか、高名なプリーストが出入りする祠があるとか、そんな嘘か本当かもわからない噂を耳にして、この地を訪問したワケだ。

「ここがマンスターか……美しい街だな。とりあえず、寺院を訪問するのは明日にして……今日は宿をとって早めにや……」
 休んで、明日から行動開始! しようと思った……はずだが、その考えは。

 ぐーーーーっ

 己の腹の虫に掻き消された。
「そ、そうだな。この街のことを早めに知ったほうがいいな。私はマンスターの情勢について、何もしらない。情報収集といえば、酒場。酒場にいこう」
 自分の行動を正当化しながら、宿の並ぶ十番通りから比較的健全な酒場が並ぶという六番通りへと進行方向を変えた。
 しばらく歩くと、肉の焼ける甘く香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
 私は最初に目についた……というか、鼻についた酒場に入ることを決めた。

 ぐぐぐーーーー。

 ああ、そんなに急くな、腹の虫。もうじき美味い飯がたらふく食えるのだから。あばれんぼうの腹を宥めるように擦りつつ、古びた引戸に手を掛ける。

 赤と薄暗さが交わる時間帯。
 普通なら、この種の店はそれほど混んでいない。確かめもせずに中に入った。
 意外なことに、座ることのできる場所を探さねばならぬほどに混雑していた。
  照明は明るく、酌をして廻る少女や踊り子の露出度は低い。店の人間と客が気さくに話をしている。いかがわしい店でもないのに客が多く、しかも、客と店の人間が懇意である。以上のことから、地元の人間に人気がある店であると解釈できる。それは、味がよく、値段が安く、しかも早く料理が出てくる可能性が高いということ。適当に入ったにしては、運がいい。

 私は吟遊詩人や踊り子が芸を披露する舞台からもっとも離れた二人用のテーブルについた。その席だけが、誰も座っていなかったから。情報収集するには、人の輪に入ったほうがいい。だが、混んでいて、かつ和気藹々とした雰囲気の店だと、他人が注文した品を他の人間が食べてしまうことがよくある。色々なものが食べられるのはいいことなのだが、自分の注文分が食べられてしまうのは嬉しくない。
  腹を満たしてから芸を見るフリをして輪の中に入るほうがいい。安くて、量の多いツマミでも持参して。
 冷静に判断した私は、席に座り、早速、品書きと睨み合った。

 イモの煮物。焼き魚。だし巻き卵。鳥のから揚げ。単品メニューも捨て難いが、定食やセット物も色々食べられてお徳な感じだ……。
 視界に映るのは、品書きのみ。
「あの、もし……」
 が……それだけの混みよう。
「……うーん……肉……」
「あの……?」
 一人で一つのテーブルを陣取るなど、無理な話だった。酒場に不似合いな透き通った声が耳を打った。
「魚……と、これは失礼。何か?」
 卓上に置かれた白く細い手が、視界の片隅に入る。顔を上げる。斜め向かいに、女性が立っていた。
「同席しても構いませんか?」

 その人は、カリプトゥラで上半身を覆っていたため容姿まではよく分らないが、どことなく品のよさが漂っていた。立ち姿は細くしなやかだった。ぱっと見たところ、大食漢ということはなさそうだった。それならば、何ら問題はない。私が同席をしたくない相手というのは、食事を奪う人間だから。
 私はにこやかに笑って空いた椅子を指した。
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
 女性は腰を降ろした。
 やはり、酒場には不似合いと言える、優雅な仕草で。
 良家の令嬢がお忍びで遊びに来ている、といったところか。
 忘れがちだが、私もエッダ公家の直系で、バルキリーの継承者だ。それなりにどころでなく良家の人間のはず。それなのに……随分と慣れてしまっている。そんな私のほうが可笑しいのかもしれない。

 シレジアでは、強い酒は必須だ。私もフィーも、暖のかわりに強い酒を子供の頃から大量に摂取していた。旅に出てからも情報収集のために昼間っから酒場に入り浸る必要もあった。必須だったから、酒に強くなった。酒場にも慣れた。それだけのことだ。不思議なことではない。特別に食い意地が張った呑んべえってワケでは、きっと多分ないはず。

 まあ、それはさておき。注文せねば食事は運ばれてこない! 私は品書きに視線を戻した。相席となった場違いな女性に対する興味は、勿論あった。話かけようかと思わないでもなかったが、彼女は場慣れしていないようなので、とりあえずは止めておくことにした。私自身、はじめて酒場に入って、知らぬ人に話しかけられた時には激しく動揺したものだ。心の準備をする時間は、必要なのだ……。
  冷静に考えた末、私は先に注文することに決めたんだ。色気より食気! とにかく上手い飯と酒!! なんて理由ではない。断じてない。

 うーん。最初はまず麦酒だな。暖かい地方では外せない。それとマンスター四季御膳という、マンスターの郷土料理が上品な弁当箱に詰め込まれたものを頼むか。あとは好物のイカ干の揚げ物と川魚を焼いたもの。北トラキアでは葡萄酒や、果樹で割った酒が主で、値段も手頃だ。酒としては物足りないが、口あたりはこちらのほうがいい。つまみなども、やはりその地方独自の名物が、一番美味い。その店ならではの絶品料理というのもあるから、気を抜けない。もう少し涼しければイザーク直送、期間限定の、キムチ鍋を食いたいところだが……いかんせん、ここは暑い。厨房で火を使っていること、人が密集していることもあるが、基本的にマンスターは温暖な地域なのだ。だが、私は辛い食い物が好きだ。夜がふけて気温が落ちたら、追加注文してみてもいいな。 焦って一度に全てを注文する必要もないよな。周囲の様子をじっくりと伺いつつ、特に人気のある品を頼むという手もある。

 私は周辺の客たちが食べているものをさりげなくチェックした。品書きに描かれた絵と、食べている品を見比べてみる。

、あそこで髭面のおっちゃんが食べている肉の塊はなんだ。
 ちと骨の部分と油分が多いが、美味そうだ。どれだ……これか? 豚ブロックの香草煮。あの、肉の串刺しも、いいな。食べている人が多い。うーんと、どれだ、どれだ。
 シシカバブ、こ、これかな……横に付いている絵と似ている。
 おお、30Gか。安いな。売れるはずだ。  これを5串いただこうか。いやいや、折角のはじめて来る……そして長くはいないはずの土地だ。少しづつ沢山の種類の、ここでしか食べられないものを食べておくべし……。というワケで2串にしておいて、っと。
 野菜と肉のサラダも美味そうだ。量も多い。あの半透明の皮で包んで食べるのか……珍しいな。どれだ……生春巻き……これかな。

 どうやらこの店は、魚類よりも肉類のほうの人気が高いらしく、食べている人が多い。 酒場には珍しく、サラダ類が多いようだ。 果物の盛り合わせや、甘い酒の種類も豊富なようだ。女性客がターゲットに入れているのだろう。その狙いは店内を見る限り、成功しているといえる。一般女性が訪れるだけあって、どことなく酒場独特の粗野な感じが薄い……。

「あ……」

  そういえば、同席している女性は、さっきから、店を物珍しげに見ているだけで……いや、私と同じように周囲の人間の食べている品を見ているのかと思ったのだが、それにしては露骨だから……注文する気配も、品書きを見ている気配もないな……と、考えたところで、申し訳ない事実に気がついてしまった。

「品書き、独占してしまっていたな。申し訳ない」
 頭を下げて、品書きをテーブルの中央に置いた。一つのテーブルに、品書きは一つしかなかったのだ。

 女性に向けてメニューを開きつつ、さあ、存分に見てくれと差し出す。  女性の頭部で外に出ているのは、片方の瞳……灯りの加減かもしれないが、珍しい紫色だ……と形のよい鼻とだけだったが、何となく、「きょとん」としているのがわかった。それから、「苦笑」した……ような気がする。

 彼女はしばらく品書きを見ていて……熟考しているというより、見ているだけという感じだった……それから、口を開いた。

「……貴方と同じ物を同じ量だけ。それと……できるだけ強いお酒を頼んでいただけませんか?」

 

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