本日の一言   

1999/9/12

南アルプス、悪沢岳3,141mの山頂を克服


 「悪沢岳」、といっても大方の人は「それってどこにあるの?」といってピンと来 ないことであろう。そこで、まずは静岡県以外からアクセスした方のためにも、その 位置からご紹介してみよう。

 静岡県には東から西に狩野川、富士川、安倍川、大井川、天竜川といった大きな河 川があり、それぞれ太平洋に注いでいるが、規模の大小はともかく江戸時代に「越す に越されぬ大井川」と言われたためか、あの「大井川]が案外有名なようである。 因みに、この川は静岡市と浜松市のほぼ中央に位置し、河口から上流に上って行くと お茶で有名な「川根茶」の茶畑や、SLで行ける千頭駅、ちょっと脇へそれると寸又 峡温泉などがあり、その本流の上には井川ダムや畑薙ダム等が存在している所である。

 さて、今回の話はこの畑薙ダムの上流、つまり大井川の源流に近い所が主な舞台で ある。我々のメンバーは10名、一般の登山愛好家からみれば邪道であろうが、出発 点は静岡市のヘリポート基地であり、ここから操縦士等を含め6名乗りのヘリで、約 20分ほどかけて一っ飛びした。同じヘリで3回に分けて飛んだのである。 到着予定地は、木ヘンに甚という字を書いた「さわら島」という盆地であった。

 山また山、我々のヘリは直線で南アルプスの方に向かった。殆どが緑一色であった が、時々ダムが見え、急峻の一角に崖崩れなども見えた。 機中ではパイロットが絶えず左右を見渡し、計器を指で確認しながら、地上と交信を 続けていた。「ほら、あそこに大きな湖がーー」我々はそのたびに身体を乗り出し外 景を見た。エンジン音は鳴り響いていたが自分達の会話にさほどの支障はなかった。

「あれが鳥森山です」−−パイロットの指差す方向を見ると、その麓に着陸予定地と 思われる盆地が見えていた。「さわら島はあそこですか」−−エンジン音を気にして か、つい大声でパイロットに声をかけてみる。「ええ、もうすぐ着陸します」−−パ イロットはそう言ってひときわ緊張状態に入った。我々も谷間に入って行く機体に、 鳥になったような気分で舞い降りて行く。

 到着時間は一番機が9時半ごろだった。「ここまでヘリで飛んできたんだ」−−そ う思うだけでもう今回の目的を達したような気分になった。そのためか第2班を迎え に戻るヘリに全員で手を振ったり、写真を撮ったりした。喜びの表われだった。 我々は二番機、三番機が到着するまでは、さわら島周辺の探索を行った。空気はヒン ヤリとし、いかにも高原に来た気分であった。大倉喜八郎の史跡もあった。

 やがて11時、最終機が到着し、全員が揃った。 スケジュールでは、すぐさま鳥森山に登ることになっている。1,571mの山であ る。我々は、つい先程まで鳥の気分であったが、今度は地上を這い上がっていくアリ になった気分でフーフー、ハーハーと登って行った。 山頂に到着すると全員で写真撮影だ。翌日の千枚岳に登る予行演習みたいであった。

 鳥森山を下山してからやや遅め昼食をとった。勿論、まずは鳥森山の登頂を祝して の乾杯からである。正直言ってここは下界のレストランと違い、皆でビールを運んだ りしなければならない。しかし、既に一山超えたからであろうか、皆が皆、疲れをモ ノともせず、お互いに力を合わせ、料理支度をする。これがまたビールのうまさを倍 加させる。「かんぱーい」−−ビールが身体の隅々にまでしみわたる。

 しばし歓談の後、いよいよ本日の宿泊予定地の「二軒小屋」に向かうことになる。 足は特別誂えの車(といってもたんなるRVカー)であり、静岡のヘリポート基地か ら約4時間かけて登ってきた車である。運転手はこれからガイド役になる方々で、一 行は全部で12名となった。そそり立つ山、吸い込まれるような崖、そんな山腹を車 は恐ろしいスピードで走って行く。

 「二軒小屋」に着くにはまだ早かったためか、その道をさらに上に登り東俣・西俣 といったまさに大井川の源流に近づいた。もう、一般登山者には入れない所だ。小さ なダムがあり、我々はその水辺で一服する。「その辺に赤い石があるでしょ、赤石岳 から流れてきたものですよ」−−ガイドさんの説明に、改めて川面に目をやるとナル ホド赤い石が散在している。「水の中は特に赤いんですよ」−−という声も飛んだ。

 やがて、我々の車は「二軒小屋」に到着した。 小屋という文字から掘っ立て小屋めいたものを連想していたが、太い木を使った立派 な大型ペンションであり、辺りの雰囲気によく溶け込んでいた。建物の中は地下室が 風呂で、一階が食事、二階が寝室という構成であった。寝室は6名位泊まれる部屋が 7室ぐらいあっただろうか。とにかく山にふさわしい宿泊先であった。

 我々は素早く入浴し、一階で大いに飲んで、語り合った。時にはベランダに出て外 の雰囲気を楽しみながら歓談をした。 夕食が一段落した後は、まだ元気のいい数人が小屋の前のキャンプ地に出向いた。 そこでは満天の星を眺めたり、キャンプの人達にはコツ酒のご相伴にも預かったりし た。コツ酒とは、この地ならではのヤマメの珍酒だそうであった。

 翌朝は6時半朝食、7時に出発した。温度は13度、結構冷え冷えとしていた。 「我々はあの尾根を走るんですよ」−−車中でガイドさんの指先を見ると川越しに高 い山が聳えていた。「えっ、あの山頂をですか」−−信じられないまま我々の車はデ コボコ道を走って行った。断崖、絶壁の道が各所にあり、時には我々は車から降りて 岩を動かしたりして走行した。景色のいい場所では「あれが千枚岳で、その向こうが 丸山、次が悪沢岳です」とガイドさんの説明が続いた。赤石岳もそそり立っていた。

 それから約2時間後、我々は車から降り千枚山荘へと進み、その足で千枚岳へと登 った。ガイドさんは高山病を意識してか、時々立ち止まり皆に高山植物の解説を行っ た。悪戦苦闘、やがてやっとの思いで千枚岳に到着した。ここは標高2,880mだ。 山腹では所々で富士山の気高く美しい様子に立ち止まり、宝永山のない姿と山頂が動 物の角みたいな姿に何度も見とれた。「8月に入ってこんな天気のよい日はまだ4日 目ですよ」とのガイドさんに言われ、我々は自分達の運の良さに感激した。

 山頂での休憩が一息ついた頃、ガイドさんが「今回の予定では次の丸山が到達点と なっていますが、今日は天気もよいのでその先の悪沢岳まで行ってみますか?」と皆 に質問をした。我々にはたじろぐ人と、意欲的な人とに表情が分かれるのが見えた。 目的地の丸山は、急坂とはいえまだ一掴みのところにあったが、悪沢岳はその遥か向 うに岩石が盛り上がった感じで黒々と突っ立っていたからだ。我々は「とてもあんな 所までは」「いや、折角ここまで来たのだから]と、相反する気持ちが揺れ動いた。

 しかし、山頂での休憩が活力を生んだのか、まずは丸山にと全員で出かけることに なった。黙々と行進は続き、足取りは次第に重くなり時々戦列を離れる人も出てきた。 知らず知らずのうちに総勢12名のメンバーが3班ぐらいに分かれ、前の組と後ろの 組が30分ほどの時差となってきた。登山用の本格的な折りたたみ杖を持って来た人 もいれば、かって富士登山に使用した杖を持って来た人、或いはありあわせの木で急 こしらえの杖を作った人、などが疲れ切ったポーズで登っていた。

 そして、ついに第一班が丸山の山頂に到達、続いて第二班、第三班と、くたびれた 表情の姿が重なるように座り込んできた。 無事の登頂に喜びの声が静かに伝わり、やがて笑いが生まれ、誰かが凱歌めいた声も 上げた。これで一応、全員が今回のスケジュールを達成、ついに克服したのである。 中には、「二軒小屋」から詰め込んできた熱いお茶を美味しそうに飲む人もいた。

 それから暫く経って、先程の第一班3名が腰を上げた。休憩をたっぷりとったせい か悪沢岳に向かって行進を開始したのである。「とにかく行ける所まで行ってみまー す」−−そんなことを言い残しての出発であった。 ここからはいきなり難所がはだかる。岩石に手足をしっかりと確かめながら登って行 く。一歩間違えば谷底への滑落だ。勿論、道なんて全くない。たよりにするのは岩と 岩を結ぶ所々の赤いペンキだけだ。いつしか空気も薄くなっている。

 そして、「やったァ」−−ついに登頂を極める。周囲は全部下界だ。遠くの前後左 右もすべて山だらけだ。思わず深呼吸をする。誰かが「ヤッホー」と声を張り上げて いるがコダマは帰っては来ない。きっと、答えたい人もいるだろうがまだ登山中で疲 れているか、下山の際の足元に気を遣っている人が多いことだろう。実際、登る時に は見えなかった崩落現場が頂上に立つと随所に目に映る。滑落の怖さも身に沁みる。 悪沢岳の地名の由来は、岩場がゴロゴロし下界に多大な被害をもたらすからであろう。

 我々は山頂の標識の前でお互いのカメラを持ち出し写真を取り合った。そして、時 には丸山方面を見下ろし、杖などで合図を送った。と、次陣のメンバー4名ほどが若 干の刺激を受けてか登山を開始するのが見えた。我々は双眼鏡でそれを確かめながら 手を振った。やがて合流、またもや歓喜の声をあげた。ここでの昼食はまさに美味し かった。時間は丁度正午、誰かが「悪沢」の地名にあやかり、世界のトップが集まる 「ワルシャワ会談」だとも言った。一瞬、ヒヤリとする風が背中を横切った。

 ところで、自慢じゃないが(実は自慢)小生はいつしかこのメンバーの先導役を果 たしていた。「年甲斐もなく」−−との声も聞こえぬわけではないが、結果的には我 ながら健脚ぶりを示したのである。それもこれも実は隠れた努力、つまり毎日の早朝 45分の早歩き特訓の成果であった。当初は2週間程度の予定だったがこれが実施日 の変更で遂に2ケ月にも及んだのだ。昨年は富士山で3,776m、今年は悪沢岳で 3、141m、ーーー何かこの2年は「やったゾ」という感じでいい気分であった。

末筆ながら今回のご計画を組み立て、ご支援、ご協力、ご同行頂いた方に心より感 謝申上げたい。
  −−−登山日−1999−8−28&29日。 長谷川 紘司 記−−−

{追記} 文中、ワルシャワ会談と言ったのは実は自分でした。噴飯、笑止。   

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