本日の一言   

1999/10/23

富士山の風穴探検


 富士山麓には数多くの風穴が存在している。
 噴火の際に溶岩が流れ落ち、やがて富士山の表層と溶岩自体の表層の合間に厚みが出来、その厚みがスポッと抜け、既に固まっていた溶岩の表層と、富士山の表層の合間にトンネル状の穴が出来たのが風穴と言われている。
  
 1999年10月23日、我々異業種の会の静岡SP研では標高約1,200mの「軽水風穴」という所を目指した。西湖から河口湖の方に向かいその中ほどから登って行った方向である。数ある風穴の中でも安全を第一とする大衆コースと違い、我々に専門家もいたことからここは半ばプロコースであった。

 この風穴の形は、溶岩の表層部分が一部落とし穴のように落ち、ちょうどその落ちた所が溶岩の抜け始めた切端部分となっており、いわばここがトンネルの入り口状となっており、風穴の入り口となっている。我々はおそるおそるこの落とし穴を降り入り口の前に立つと中は真っ暗、不気味な口を開いていた。

 しかし、一瞬たじろいだのも束の間で、我々はすぐ懐中電灯にスイッチを入れ前へと進んだ。上下左右が岩だらけの中を足場を確かめながらの前進である。位置としては富士山の表層に沿っての地形のため、地下の中にあっても曲がりくねりながら下へ下へと降りていくことになる。

 それも普通の歩行と違い、下へ降りながらも途中で崖をよじ登る形の所もあれば、いったん足を踏み外せば身体に岩が刺されるような所もある。懐中電灯が届かぬ先はまさに真っ暗、吸い込まれる気配すらある。思わず懐中電灯を天井や左右の壁に当て、さらに足元の岩を確認しながらの前進である。

 「あれ、ここが終点かな」と思ったら、突き当たりの壁面にやっと人間が通れるような穴があり、そこが通り道になっている。中には、下りという関係から寝そべる形で足を突っ込んで行く場所もある。途中でガイドさんが後方に回ったことから私が先導役になり、運を天に、いや地中に任せての前進となる。

 「あとどれくらいあるの?」−−そんな声が後方でする。同じように「終点まで行かなくても風穴のムードは充分味わえたじゃないの」という声も聞こえる。人生における先行き不安ならば単位年度が長いだけにあまりピンと来ない点もあるが、我々の今の前進は分秒単位で怖さが肌を通じてくる。

 温度は高い、蒸し暑い感じで身体中が汗びっしょりとなっている。外温は11度だったのに風穴の中は裸になりたいぐらいの暑さだ。しかし、何が飛び出てくるかわからない状況のため皆が服装を脱がず、我慢のまま進んだ。次第に交わす言葉が少なくなり時々足を滑らす「痛い!」という声ぐらいであった。

 そして、ついに到着。−−到達壁には何やら小さな人形が置いてある。我々はそこに集まり凱歌をあげた。写真も撮った。やがて、落ち着いたのか「懐中電灯を一斉にスイッチオフしよう」と誰かが言った。皆がその通りするとまさに真っ黒、真っ暗闇であった。夜空には星があるが地底には星明りさえない。

 この後、我々は地表に向かって登り始めた。つい先程経験してきた道だけに怖さは減ったが、登る辛さがつきまとった。しかも、余裕が出来たことにより周囲を見まわす回数が増え、岩の突起の凄さや今にも崩れ落ちそうな姿を目にし、一刻も早くという気持ちが自分を後押しした。

 明るい地表、豊かな緑、木漏れ日ーー順々に見まわし、皆に微笑が戻る。もう大丈夫だとばかりに裸になって下着を代える人もいる。地底を潜ること数百m、それも殆ど人の入っていない「軽水風穴」ー。我々はこの洞窟を踏破した満足感に酔いしれた。これからの人生にも大いに役立って行くことであろう。

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