本日の一言   

2001/3/18

ファッションショー


  今日はちょっとしたいきさつがあって静岡東駅近くのイベントホール、グランシ
ップへ出かけることになった。
静岡デザイン専門学校の「ファッションショー」を見学するためである。


 駅を降りて会場に入ると、ロビーのそこはもう華やいだ声と美しく着飾った若い女
性達が一杯であった。
所々には学生達の両親らしき人もいたが大方はこの学校の学生達か、もしくはその
友達、または先輩、後輩であろう。ロビー付近には何らかの役割を持った学生らし
き姿と、それを取り巻くお客らしき人がなんとなく一体感醸し出していた。
 受付でサインを済ませ、ホールに入り、観客席に着席した。
通りすがりで受け取った会場案内やパンフレットを眺めたりしていると、ふと「ファッショ
ンショー」という文字よりも「harmonics」という文字の方が大きいことに気がついた。
文字のあしらい方が「harmonics」をメインタイトルとし、「ファッションショー」の文字
が、その上にちょこんと載った形で、小さくサブタイトル扱いになっていたからだ。
「なるほどな、今時はただの"ファッションショー"という表現では、かえってファッション
性に欠けてしまうというわけか」――そんなことを思いつつページをペラペラとめくって
行くと、いつの間にか脳裏では「だから、コンセプトを前面に押し出して新鮮味を持たせ
ているんですよ」と工夫の跡の声が聞こえたりしている。
 やがて定刻、いよいよ開演時間だ。
場内のスピーカーからは「おしゃれと音楽は切り離せないものであり…」と、先程
のタイトルの由来がアナウンスされている。――
続いて、「私達はGuitar、民族、Pop、Rock、R&B、Trance、Classic、Waltz、と
いう音楽のジャンル分けの中から、そのムードに合わせた自分達の手作りのコスチ
ュームをご紹介してまいります」――そんな趣旨の説明がフォローされている。
 オープニングのナレーションが終わると、途端に照明が一変した。
会場はリズミカルなサウンドが鳴り響き、画面は暗転から陽転、ステージは若い男
女の軽やかなステップの舞い始まりとなった。
せり出したフロアを歩くモデルの姿は腰をひねらせ、肩をゆすらせながら新作のコ
スチュームデザインをさりげなく訴え続けている。
どれもがカラフルで現代若者の斬新性、センスが溢れている。
照明は音楽のジャンルごとに上手に使い分けられ、モノトーンの衣装の場合も気品
と格調に彩られている。
観客席を見回すと、人々は時の過ぎるのを忘れたかのようにステージを見続け、
半ば陶酔していたようでもあった。

 さて、そういった雰囲気に浸りながら感じたことをここに幾つか述べてみよう。
1、 基本的には今の学生達の背丈が大きくなったためか、出演する学生モデルが
  プロと見間違えるほどスタイルがよくなっていた。
2、 そのモデルがCDやMD、あるいはヘッドホンで育ったせいか、舞台で踊る
  ことへの恐怖感がない(出たがりや?)からか、音楽に合わせての身体の動
  きのノリがとてもよかった。
3、 服装のデザインは、さすが若者らしく着こなし上手なトレンディなデザイン
  で、各ジャンルごとにオリジナル性が豊かであった。
4、 色使いは、今日の不況ムードを全く反映せず、いかにも若者が作ったという
  感じで、明るさと、楽しさがみなぎっていた。
5、 フィナーレの場面では、モデルはもとより裏舞台で努力をした人が一堂に並
  んでいたため、その情景がいかにも皆でやり遂げたという喜びと満足感、達
  成感が漂っており、観客席の人々にもそれがビンビンと伝わっていた。


――というわけで、この日は会場の雰囲気のよさもあったがこれが学生達のショ
ーかと思うぐらいの大変見ごたえのある内容であった。


特に、こういった学生達のファッションシヨーを見たことのない人達に申上げる
ならば、「近頃の学生達の創造力、制作力、情報発信力はとても素晴らしいものに
なった」ということをお伝えしたい。
これらの学生達がいつの間にか自らの作品力と、演出力、発表力等を身につけ、
場合によってはインターネットで世界に情報発信が出来る能力を備えてきたから
である。
 余計なことかも知れないが、かっての音楽の世界ではプロ歌手になるためには
その登竜門であるタレント事務所や放送局の全面支援が必須条件であった。
それが今や素人の歌手でも優れた能力さえあれば、タレント事務所や放送局がそ
れを追っかけるようになり、攻守逆転、思わぬ形勢変化が生じているのである。
その意味では、学生達のファッションショーも優れた作品、見事な演出さえ行え
ば、今後は観衆や視聴者、消費者がその価値を高く評価し、ひいては世界に羽ば
たくチャンスを与えて行くかも知れない。
言い換えれば茶髪、厚底、ガングロなどととかく世間から揶揄される若者達もま
ずは自己努力、そして運とツきを呼び込むことによって、突如その能力が高く認
められる時代になりつつあると言えよう。
 ついでにもっと強く言うことが許されるならば、学生諸君には「今の若者がこ
ういったイベントが展開できるようになったのも、先輩諸氏の温かい心遣いと環
境作りがあったればこそ出来たんだ」という自覚と認識を持ってもらいたいとい
うことである。
そう言うとすぐ、「何だ、何だ、お説教かい」などという声も聞こえてきそうだ
がそうは言わないでもらいたい。
「そういう学校だから当然だろ」とか「時代が変わったんだから当たり前だ」と
いう一方的な見解も避けてもらいたいのである。
 何故かといえば、まずはわが国の終戦直後のあの悲惨な状況から、今日の世界
第2の経済大国にまで押し上げてきたのは諸君の父や母、そして同世代の人たち
のたゆまざる努力の賜だった、ということを想い起こしてもらいたいのである。
見方によれば「そんな戦争を起こしたのが同世代の人ではないか」とか「俺達が
そんな論理に巻き込まれる必要はない、時代は変わったんだ」という意見もある
だろう。それはそれで正しいのだから否定することはできない。
しかし、起こってしまったものは仕方がなかったし、自分の置かれた環境によっ
てそれに対応していかなければならないのはいつの時代も同じではなかろうか。
姿こそ変われ、今の世を現実として認め、その中から光明を見出し、それに突き進
んで行くという姿勢はいつでの世でも大事ではなかろうか。
 いま、先輩諸氏は学生達に対しファッションショーを開く環境を整え、そのチ
ャンスを与えた。と同時に学生達も相呼応しその舞台で思う存分の腕を奮った。
我々もそれを見学し心休まる思いをすると共に、この若者達に将来の夢を抱いた
りもした。いわば、とてもよいファッションショーだったのである。
ただ美しいとか、きれいだ、というレベルだけでなく、そこにはわが国の発展振
りを想い起こさせ、若者への期待感を感じさせる面があったのである。
それがゆえに、よりこういった場を構築した先生や先輩諸氏に対し改めて感謝を
する気持ちをぜひ持つてもらいたいのである。そして、後輩の人々にもそれを教
えて行ってもらいたいと思うのである。それでこそ日本はもっとよくなり、経済
発展だけでなく精神的にも一流国に成長していくのではなかろうか。
 本当の意味でのファッションとは自分の考え方であり、心であり、その上に立っ
ての自分を象徴する外・内装だと思えてならない。
今回のテーマだった音楽はまさに心を動かす感性の世界、その入り口でもあった。
自分達の考え方や心を表現する世界へ一歩踏み込もうとするものでもあった。
どうか、今後はそれに加えて身近な周囲の人間に対する温かさ、人情なども大事
にして行く世界を演出して行ってもらいたいと思う。
―――ファッションが人類の幸せを生むように―――。
最後になったが今回出演した学生やバックで支えた学生達、学校関係者の方々に
ショーの努力を、感謝と敬意で表しておきたい。  2001年2月18日      
                 一観客者  長谷川 紘司 

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