本日の一言   

2001/6/22

静岡県立 美術館の周辺を歩いて…


    今年に入ってから急に緑、花、樹木といったものに興味を覚えることにな
  った。
  一般的にはあまり知られていないが「緑の桜」や「なんじゃもんじゃ」とい
  う珍しい花を自分に説明し、実際にその満開の現場まで案内してくださった
  方がいたからである。
   知人にその話をしてみたところまずは第一声、「植物に興味を持つなんて
  そろそろ年になってきたんじゃないの?」という言葉が跳ね返ってきた。
  大方がそうなので近頃は、「いやいや年じゃなくて時代の変化がそうさせて
  いるんですよ」と応じることにした。間髪を入れずに「今は環境や自然保
  護が大きな問題でしょ」と言い返しながらである。
  別に両手をスーツの襟に当ててヒラヒラ動かしているわけではないが、「へ
  ん、時代感覚はこちらの方が進んでいるんだぜ」といった気分をこめての
  素振りである。(これって、やっぱり年齢抵抗かしらん?)




   さて、そんな矢先、今回は静岡県立美術館の周辺を歩く機会があった。
  数多くの木々が立ち並ぶ中を歩いて行くと、所々ではあったがその木の根
  っこ辺りに木の名を書いた<樹木名板>があることに気づいたのである。
  「あの大通りにあるのがケヤキで、この小道にあるのが大島桜なんだ」





  最初の中はその程度の関心で進んで行ったが、次から次へと<樹木名板>
  が出てくると、ついつい実際の樹木と見比べながらの前進となっていく。
  時には「そうか、これが白樫で、あれが山桃か」といった具合で、今見て
  いるものと自分の知識とを心の中で照合をしながらであった。
  さらには、「これがイヌマキで、あれがイヌツゲか」と、次第に木の格好と
  葉っぱの様子が判別しにくくなり頭を混乱させながらであった。
  そうなると目線も段々と下がり、「これがキンモクセイで、あれがドーダン
  ツツジか」と何だか手近な木に焦点を合わせての行進となった。
  ついには「これはタマリュウで、あそこにあったのが確か山陰方面で沢山見
  たことのあるキャラボクだったな」と地上に目線を這わせたりした。
  やがて、木が鬱蒼と茂る場所へ入ったら、途端に<樹木名板>も続出してき
  た。思わず足を止めたりペースダウンしたりして、その樹木の名を脳裏に刻
  みつつ木の頂上に向かって枝葉姿を仰いだりした。
  濃い緑の葉から木洩れ日があり、その境目辺りが黄色く輝き、そよそよと揺
  れている様子を見たりしていると改めてその美しさを再発見したりする。
  普通の花が赤や青の色調で自ら着飾るとすれば、この場面は木の葉と太陽と
  風とで織り成すハーモニーの美しさだ。小鳥の声も交じっている。





   ――と、こんなことを描写していたらキリがないので、ここで今回印象に残
  ったクスノキの話をしてみよう。
  ナニナニ、たまたま美術館の脇で堂々と聳えているクスノキを見たからだ。
  それも何百年の歴史があるといったものではなく、まだ20mそこそこの伸び
  盛りの木であった。





  「これが楠木正成で有名なクスノキか」――そう思って樹木全体を眺めるとな
  んとなく重厚感と風格が漂っているのがわかる。
  またもや目線を根っこから樹木の先端にまでゆっくりと持ち上げて行くと、そ
  の昔、寡兵で鎌倉幕府の大軍を破ったという正成のエピソードを思い出したり
  する。
  歴史上のことだから楠木正成の功績を認めるべきかどうかはよくわからないが
  この木がガッシリと左右均衡にゆったりと伸びているのを眺めると何となく気
  分がいいから不思議だ。
  他の種類の木が大方曲がりくねって大きくなったりしているのに対し、この木
  はいかにもスクスクと、かつ正々堂々と伸びている感じだからであろうか。
  因みに、この場で「人生もこうありたいものだ」と思ったりしたこともあって
  帰宅してから広辞苑で楠木、と楠などを調べてみた。
  「クスノキは成長が遅いが大木になるように、遅いが手堅く仕上げた身代」と
  書いてあり、その説明として「手堅い財産家」とも補足してあった。
  さらには「今は金銭うめきて、費へど跡は減らず…」とも書いてあった。
   話は横道にそれるみたいだが、「金銭うめきて、費へど跡は減らず…」とはど
  んな意味だろう、と気がかりになってくる。
  自己流に解釈すれば、「自分の持っているおカネが多過ぎて、使っても使っても
  減らなくって困っちゃう」、と意味に思えてならない。
  つまりは羨ましい存在というか、縁起のいい木なんだ。
  「ウーム、やっぱり、見事な木だと思っていたが自分にとっては遠い存在なん
  だ」と思わず慨嘆、一息深呼吸をしたりした。
  何か機会があればもう一度あのクスノキを眺め、ちょっとタッチでもしてくれ
  ば宝クジか、サッカーのtotoでも当たるかも知れないとも思った。
  わが生涯において1億円でも当たればまさに「金銭うめきて、費へど跡は減ら
  ず…」の場面に遭遇することは必定だからである。
   でも、もう少し辞書の先を読んで行ったら、「楠は木へんに南と書くが南国か
  ら来た木だから」と書いてあり、文字の由来については実にあっさりしたもの
  であった。「ナーンダ」だった。
                       2001−6−3 記  
      

 

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