本日の一言   

2001/7/19

7回目の富士登山で…

   2001年の7月19日。―――この日は静岡市と浜松市のビジネスマ
  ン13名が富士山に登る日であった。
  まずは浜松勢6名が朝3時50分に東名浜松IC近くの駐車場に集まり、
  レンタカーのバスに乗り代え、5時直前の到着予定で、静岡へと向かった。
  静岡の待ち合せ場所はJR静岡駅の南口で、4時半には既に静岡勢7名が
  そのバスに乗り合わせるために待機していた。
  バスは東名高速での交通渋滞により予定より30分ぐらい遅れたが、その
  頃の静岡市は空は晴なのに雨がポツリポツリと降り始める妙な天気だった。
  駅近くの郵便局の屋上には虹が浮き上がったりしていたからである。
  
   やがて、静岡勢を乗せたバスが再度東名高速に入り富士市の方に向かっ
  た。もう雨の心配は全くなくなり、前途明るい感じであった。
  途中、バスを止め全員がコンビニに立ち寄り、朝飯と昼飯、それに飲み物
  やお菓子などを手当てしたりした。
  この頃には静岡勢、浜松勢の見知らぬ人たちもお互いにうちとけ、車中で
  は「富士登山」をキーワードに話が弾むようになっていた。

   7時20分位だったろうか、バスは富士宮口の5合目に到着した。
  皆は、山小屋で焼印を押してもらい記念の杖として持ち帰るための金剛杖
  を買ったりした。と同時に、ここで30分休憩をとった方が高山病対策に
  もなるからと全員にクイズを出したりして時間を費やした。
  内容は、「参加者の中で3名の方が万歩計を持っていることがわかりまし
  たので、この3名の方の平均歩数を当てませんか」というものであった。
  条件としてはこの3名が全員登頂しようが、お鉢巡りをしようが、或いは
  途中で下山しようが、とにかくおかまいなしの平均点ということだった。

   そして、私がこの案の言い出しっぺであることからまずは思いつきの数
  字を言い放った。以下、一同が数字分析に入り、それぞれが投票した。そ
  の投票メモは公正を期すために運転手さんに預けられりした。 
  この場所での天気は爽やかな晴れ、雲が所々に見える程度であった。



   さあ、いよいよ出発だ。一同が1〜2mおきに登り始めた。
  トップクライマーは若干経験もあるということで最年長者の私となり、ラ
  ストクライマーは屈強の最年少者という組み立てになった。
  スタートムードは大変よく、道中には明るい声が鳴り響いていた。

   しかし、ここからの登頂状況については頁数の関係もあり詳述は避けよ
  う。富士山には沢山の人々が登ったことがあるし、登って行くこと自体は
  決してラクなものではなく、自分との闘いに過ぎないからである。
  但し、周囲を見回す余裕があれば下界には緑の樹海群が面となって広がり、
  頂上方面には見たこともないような大岩石群が出現したりしていることだ
  けは特筆しておきたい。

   問題は頂上近くになってからの気象である。ここからはちょっと触れて
  みたい。山頂の神社に入り金剛杖に最後の登頂印を押してもらって外に出
  てみると次第に霧と風が強まっていたからである。この時点での登頂者は
  13名中9名、まだ一同ホッとした表情でもあったが、やがて外の気象状
  況が心配となり、剣が峰の測候所にまで登るかどうかで意見が分かれた。
  外の景色はもう真っ白、数メートル先も見えない状況となっていた。

   結局はこの段階では4名が下山、5名が測候所を目指すことになった。
  しかし、1名が途中で挫折したため残りの4名が3,776mの最頂地点
  に到達することになった。「ついにやった!」――この4名はお互いに霧
  でかすむ中での写真撮影をし、中には標識に抱きついたりした者もいた。


   さて、ここからの下山スピードは早まった。悪戦苦闘の始まりである。
  いつのまにか霧が雨模様となり、時には氷雨もどきになってきたからだ。
  あまりの寒さに9合5勺の小屋では温かいおしるこなどを飲んだりしたが、
  風雨はますますひどくなり、しかも遠くからはカミナリの音も一段と大き
  くなり始めたことから、各小屋を通過しての一直線降りとなったのだ。

   ヘタをすれば人心事故にもつながりかねない心配も高まった。もはや途
  中で着替えする余裕もなかった。霧雲の中をつんざく雷音と閃光。―――、
  地上ならば一定の秒数後に落雷となるがこの山中ではピカッと光った瞬間
  が落雷だ。周囲に大きな樹でもあれば防げそうな気もするが、この山肌に
  漂う雷雲の中にあっては自分が絶好のターゲットだと不安になってくる。

   風雨は一段と厳しくなってきた。ついには新7合目辺りで体中が水びたし
  の状態となり、カッパは着ていたもののどこから入ったのか下着は濡れ、そ
  れに夕方の冷え込みが加わり、急速に体温が低下していくのがわかった。
  もうこの時点では、風雨とカミナリを気にしながらの下山に下山を重ねてい
  くか、自分の体温の限界に挑戦するかのどちらかとなった。

   が、ちょうどその頃、幸いにも新6合目に近い所で雨は止んでくれた。
  「こんなズブ濡れ状態では小屋にも入れないな」――そう思って、小屋の直
  前で裸になり、急いでバッグから新しい衣服をとり出し、着替えをした。
  バッグの中の下着類も若干濡れてはいたが今着ているものよりもいくらかマ
  シだった。乾いたタオルがあったので、それを背中に挟み込んだりして急場
  をしのぎ保温にも努めた。まずは濡れ下着からの脱出は成功したのだ。

   新6合目の山小屋に到着した時には、温かいしいたけ茶が出された。
  「まるで雹のような雨だったでしょう」――そういって、炭火のあるところ
  にも案内された。正直言ってまだ歯がガクガクした状態であった。冷え込ん
  だ山中で裸になったのが、今頃になってまた寒さをぶり返していたのだ。
  
   その時親切だったのがこの小屋の宿泊客者達であった。
  私の着替えた服装が地上用の涼しげな服装であったためか、「これを着て行
  かないときっと風邪をひきますよ」と、先程まで着ていたカッパ類を二人が
  かりで暖炉で乾かし始めてくれたのである。この数年、毎年富士登山をする
  という大阪からのご婦人方であった。この際、ここで厚く感謝しておきたい。

   それから約15分後、我々は最後の下山をし、後続のメンバーと共にバス
  に乗り込んだ。最終組みであったためか、「ご苦労さん」とか言われて拍手で
  迎えられたのである。足を引きずって来た人にはことさら拍手が大きかった。

   富士5合目からの帰途開始は、ほぼ19時であった。
  静岡市への到着は21時半前、おそらく浜松勢の現地到着は22時半、自宅
  着は23時ぐらいになっただろう。とにかく全員無事で帰れたことが大変喜
  ばしいことであった。翌日の今日辺りは疲れでウメいている人もいるかも知
  れないが、家族からはねぎらわれていることだろう、いや非難をされている
  かも知れない。この点は気にかかるが、でも、やがてはいい想い出となろう。

   あっ、そうそう、出発時に決めた万歩計クイズは私の一人当たりであった。
  しかし、結局はその賞金は夕食会場が時間的に間に合わなかったため、その
  キャンセル料と化した。私の日程管理のまずさによる自戒費みたいなものだ
  った。因みにその時の歩数は「17,000歩」。一人が途中下山の破目にな
  ったからだそうだ。皆さん、お疲れさんでした。 2001‐7‐20 記。 
  

 

前回の一言へ        次回の一言へ


Copyright @ 異業種交流会(静岡&浜松), 2000