本日の一言   

2001/9/23

リニア・モーターカー、乗車体験

      私たちはプラットホームに出てリニアモーターカーの到着を待った。
  この時は、今、講演会場で「超電導って何か」「リニアモーターカーの原
理は」といった基礎的なことから、「どれぐらいの速さで走るか」「どんな
コースを走るのか」を聞いてきたばかりだったから、早く「列車の浮くっ
て感じを味わってみたいな」という気持ちで一杯だった。

   やがて列車が滑り込んできた。
  外見は普通の新幹線とさほど変わった様子もなかったが、よく見れば何と
なくもっと流線形度が増し、おしゃれになっているような気もした。
「さあ、いよいよ出発だ」――私たちは目の前の入り口から乗り込んだ。
確か3両編成の1号車から乗り込み、2号車へ向かったような気がする。



 シート券はあらかじめ先程の解説室で手渡されていたのでその席を目指
して着席した。私はちょうど列車の中頃だったので正面の電光ニュースと
頭上のテレビ画面の両方がよく見える位置となった。
正面に係員が立ち、出発前の解説を始めた。先程の解説がリニアモーター
カーの全般論とするならば、この場はこの列車自体の個別説明であった。



 いよいよ定刻、列車が動き始めた。普通の新幹線だったら動き始めた時
など全く気にかからないところだが、ここでは耳を澄まし気を使うことに
なる。シートベルトをはめる必要があるかと思ったがそれはなかった。
列車は次第にスピードをあげ、どんどん加速していった。正面の電光ニュ
ースもその速度数字を刻々と変化させていった。

時速180kmぐらいになった頃だろうか、突如、今までの列車と線路と
の接触音がなくなった。「おっ、浮いた、浮いた」と誰かの声が聞こえた。
音が静かになったことにより、ふわっーと<浮上感>が伝わってきたのだ。
「ほほう、これがリニアモーターカーか」――私たちは「ついにやったぞ」
と未知体験を克服する喜びを味わうことになった。



   車内のテレビ画面には、このリニア・モーターカーの進む前方の様子が
映し出されていた。殆どトンネルを駆け抜けていく場面だった。暗い前方
を列車が放つ前照灯で切り開いていく感じでもあった。
一瞬、外の景色が見える場面もあったがそれではスピード感を確かめる余
裕はなかった。あっという間の通過だったからだ。

 車内のスピードメーターは300、350、400kmとぐんぐん上昇
していった。乗客の中から「おー、凄い」といった声もあがった。
そして、ついには452kmにまで達した。実験上の最高速度は550k
mまで出たそうだが、私たちの場合は一般人のせいかこれ止まりであった。
しかし、私たちにとっては軽飛行機並みの速度に充分満足したのだった。



 さて、ここらで本来ならばリニアモーターカーのあれこれを述べてみた
いところだが、どうしてもパンフレットの移し変えになることを否めない。
例えば、高度な電磁石の応用により列車が線路から浮き上がり、それゆえ
に摩擦抵抗が少なく、音も静かで、揺れも少なく、それでいて猛スピード
で走る、いわば次世代乗り物だ、という具合にである。

   それも新聞や経済誌、科学雑誌などで実験結果の模様が紹介された例を
あげ、海外諸国が注目し、特に中国からは敷設計画の引き合い来たという
ような記事を披露することになる。
が、今回はその説明は避けよう。インターネット上で詳しく説明してある
ホームページもあるからだ。

テレビ画面で前方の様子を見ているうちにいつしかこのリニア・モータ
ーカーはスローダウンしていった。普通の新幹線の200km位の速度な
らばまだ速い筈だが、急に遅くなったような気がするから不思議なものだ。
そして、130km位に落ちてきたところで列車と線路との接触音が始ま
った。「おっ、着地したぞ」と誰かが言ったら周囲から笑い声が上がった。
  
ついに、この日のリニアモーターカーの実体験会は終わった。山梨県都
留市の実験場でのことである。
私にとっては宇宙探検用のロケットや海底探検用の深海艇などに乗るのが
夢の夢であるように、実験段階のリニアモーターカーに乗ることは考えも
出来なかったことが、今日ここに実現出来たのである。
  
ヘリコプターやグライダー、ヨットに大型旅客船、富士山の風穴や樹海
などを経験した私にとってはさらに一つの勲章がついた思いでもあった。
因みに、このリニアモーターカーは東京を出発点とし、山梨、長野、名古
屋、奈良を通って大阪にたどり着く中央新幹線構想の一環であるという。
公共投資抑制の今日、果たしてホンモノに乗れる日はあり得るのやら。
2001‐9‐23 記。 
  

 

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