本日の一言   

2001/11/23

富士山の美しい「浜石岳」に登頂

 静岡県のJR清水駅から一駅東へ行くと興津駅がある。
そこでバスに乗りかえ山梨県方面へ向かうと、まもなく承元寺の停留所があり、窓
越しから「こちらへどうぞ」と手招きをされた。法被姿の人達であった。
ここは本日の目的地、さった峠への登山口にあたるところで、法被姿の人達は東海道
400年祭の記念行事として今川、武田、北条などが戦った時代の遺構などを現地
解説するボランティアグループだった。

「ここへサインをしてくださ〜い。出発は随時で結構で〜す」
そんなアナウンスを耳にしながら係員からナンバー札を渡された。私と同行の友は
受付が早い方だったので早速登り始めた。山道には左右にみかんが黄色く色づきた
わわに実っていた。私は今年の夏に富士山へ登った時の杖をつきながら、慌てず急
がずにと登って行った。みかん畑越しの下の方には清水市から山梨県方面へつなが
る52号線が見えたりした。平成13年11月23日の朝8時頃のことだった。

 やがて、前方に10人ほどがたむろっている場所が見えてきた。
そばへ寄ってみると、一人の解説者が登山客に向かって往時の遺構などを紹介し、
槍や刀を使っての合戦の模様を紹介していた。現地ならではの臨場感がある。
木々の茂る中にあっても大勢の武士が静かに集まる広い部分もあれば、いつでも山
麓の敵陣へ急襲できる隠れ家的な場所もある。 
ボランティアのメンバー達は、山中でのそういった要所々が解説の舞台だ。
  
 さて、本日の我々の目的は、今川家、北条家、武田家の武士達が山中でどのよう
に戦争を繰り広げたかを実地踏査で知ろうとしたことと、東名高速で西から東へ向
かうと突如大きな富士山に遭遇するあのさったトンネルの上に立ってみたいという2
つの願望達成であった。そんな心境の時、東海道400年祭の記念行事としてボラ
ンティアのメンバー達が「さった峠一帯で歴史的解説を加える」との情報が入り、も
はや、いてもたってもいられなくなり参加することになったのだ。



 ところが思わぬ事態に遭遇することになった。
この日の予定の最上段の場所にたどり着いたら「浜石岳方面」への看板があり、ち
ょっと足を踏み入れるつもりがどんどん深みに入り、行動予定にはない場所へ、下
っては登り、登っては更に登り、と悪戦苦闘になってしまったのである。
所々にはペンキ塗りした岩があり、それが道標だろうという判断して前進はするが
ふと、山中での遭難者記事が脳裏をよぎったりしていたのである。
 しかし、ついには浜石岳の山頂に辿り着くことができた。標高は707mだ。
中には「なーんだ、707mか」と思われる方もあるかも知れないが、歩いて急
坂をよじ登って行くのは並大抵のことではない。
それ故、頂上に着いての富士山の景色はひときわ美しかった。感激も一入だ。
「あれが今年の夏に登った山なんだ」「あの時の山頂測候所はもうないのだ」と
経験が自分に語りかけてくる。そういえば測候所に2泊したこともある。



 写真を撮ったり、昼食を済ましたりしていたらいつのまにか30分ぐらいが経
ってしまった。その時、「そろそろ出かけましょうか」と相棒から声がかかった。
「またあの山に戻らねばなりませんから」という補足言葉がついていた。
見れば、あの山とは遥か彼方に黒っぽく大きく聳え立つ峰々であった。
「よくもまあ、あんな所から歩いてきたもんだ」と思う反面、「おいおい、また
あんな所まで歩かなきゃならんのかよ」という気分にもなっていた。



 ちょうどその時だった。展望台で遊んでいた若者達が目の前を通りがかった。
そこで、「ちょっと君達、いつ登ってきたの?」と何となく声をかけてみた。
「私達ですか、この裏側の道ですぐ下まで車に乗せてきてもらいました」
「えっ、クルマでこの近くまで来れるの?」
「はい、父がここまで送ってきてくれて、今度は向こうの山の麓で待っていてく
れることになっています」

 そう言ったかと思うと、その若者達はキャアキャア言いながら降り始めた。
こちらも手元のお茶をぐっと飲み干してからリュックをヨイショと持ち上げた。
「あの過保護若者達め、父ちゃんも父ちゃんだ、一緒に歩いてやれよ」
そんなことを思いつつも「よし、がんばろう」と、自分に言い聞かせてのスター
トとなった。「それにしてもこんなところまでクルマで来れるなんて」と思った
り、「よし、今度はクルマで来てやろう」と思ったりしてのことだった。

 帰途は、登る場面も案外あるが基本的には下り傾向だった。
所々で富士山の写真が何度も撮れたし、景色もゆっくり楽しむことが出来た。
にもかかわらず、我々は先程の若者達を追い越していた。足を痛めたらしい。
「我々おじさん達は日本を背負っているだけに結構強いのだ」――そう思ったり
した。しかし、それを口に出すのは憚られるので「がんばってよ」とすれ違いの
際には若者達に声をかけたりした。これが大人というもんじゃと…。



 さあ、ここが「さった峠」の見晴台だ。浜石岳からの帰途だから気分がいい。
しかも、途中のボランティアメンバーの解説はちゃんと聞いての上である。
下界を見下ろせば実に爽快、高速道路はクルマが何本かの線のように走らせ
新幹線も時折り突き抜けるように走っていく。但し、音だけは上の方に抜け
てくるのか、音と音が混じりあって、ゴーッといった合成音になったりして
いる。クルマや列車に乗っている人たちの魂の叫び声のようでもある。

急斜面に続くみかん畑は、ここでも黄色でたわわに実っていた。
東京方面を眺めると、左手斜面がこのみかん山、その遥か正面が白雪の富士
山、真下が高速道路と鉄道で、右手前方が夕日の明るい空、そして、その下
は雄大に広がる駿河湾となっている。そこには船も浮かんでいる。
まさに大自然と人間の叡智が生かされたパノラマでありコントラストであり
詩的な場面だ。ここで遅れてきた若者達も感嘆の声を上げていた。

 それからのJR興津駅まではかなり長く、きつかった。
「こんなところは歩くものではない、クルマで走るところだ」と言いたくな
るような舗装道路をテクテクと歩かなければならない。時々タクシーが走る
ので思わず手を上げたくなるがそれも我慢、我慢だった。
折角の山登りの日にタクシー客では何かそぐわないような気がするからだ。
でも、帰宅後の酒量はいつもより多くなり、経済的には同じだったみたい。

         2002−12月 記

 

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