本日の一言   

2003/2/24

ついに発刊!「日本平夢の開発プラン」

  このたび私の執筆した本が静岡新聞社出版局より発売されることになった。
タイトルは「日本平、夢の開発プラン」といって、約300ページのものである。
表紙の写真は、日本平を眼下に入れながら富士山方面を撮影したものであり、自分
がセスナ機に乗せてもらって窓越しにシャッターを押したものである。
文字はタイトルのほかに「新しい静岡市のために」とか、筆者名、それに帯封の部
分には「日本平をダイナミックな観光地にしよう」などと書いてある。

 さて、それでは「日本平」とはどこのことだろうか。
大方の方はご存知だと思われるが、静岡市と清水市の接点にあたる海際の小山、つ
まり標高308mの有度山の山頂部分のことであり、ここから眺める富士山の眺望
が天下一品、まさに最高のビューポイントといって過言ではないところである。
現に戦後間もない頃、毎日新聞社主催の全国観光地コンクールで平原の部の1位を
獲得したという実績ももっている。

 「それで、この本で言いたいことは何なの?」――こんな質問も出てこようかと
思われるので、まずはその動機を述べてみよう。
第一は自分が退職し自由な時間が生じたこと、第二は予ねてより日本平を観光客向
けにもっと充実した施設が欲しかったこと、第三はたまたま静岡市と清水市が合併
し新しい静岡市が生まれることからそれをバネに全国に自慢の出来るような都市に
したいな、と思うようなことがきっかけであった。

 ところが思うことは簡単であっても実際にパソコンでキーを打つようになったら
どこから手につけていいかわからず、ただその日に思うことをペラペラとしゃべる
ように打つのが精一杯であった。
 しかし、そのうちにこれでは体裁も整わないし文章組立てにもなっていないと気
付き、時には本屋に出向き各本の行数やら文字数などを見比べたりした。
そして、一定方針を見出しとにかく打ち込みを続けながら組立てを考えて行った。

 そんな折、静岡新聞社の方と会う機会があったので何気なく以上の現況を述べる
と、「それならいい人を紹介しよう」ということで出版局の方と会うことになった。
縁とは不思議なものでその数日後に出版局の方から「どんな内容で、いつ頃発刊し
たいの?」などと聞かれ、だんだんと話が具体化していった。
原稿の提出方法や写真点数、締切日などが設定され、書店での発売日まで決まって
いった。残り1カ月そこそこであった。

 さあ、それからが大変。まだまだ日があると思っていたのが後半月、後10日と
なってくると自分のピッチの遅さにいらだちが生じてくる。「なんとかなるわさ」
という自己納得の部分と、「きちんとしなければ」という心の葛藤が渦巻き、文章
の方が進んで行かなくなる。昔の作家ならば原稿用紙をバリバリと裂いて心境変化
を行うことができるが、こちらはパソコンに向かってそうも行かず、我慢に我慢を
重ねてキーをパチンパチンと叩いて行った。

 そして、ともかく定められた日に原稿を納入、後は校正刷りを待つだけとなった。
「年末ギリギリにゲラを出しますので正月の間にチェックしておいてください」と
いうのが出版局からの申し出であった。
その第一校が済めば1月下旬までに修正を加え、2月末には発刊出来る運びであっ
た。その時は静岡市と清水市が合併するのが4月1日だから、そのタイミングで充
分だなと思っていた。

 ところがそんな折、わがファミリーから「清水市で政令都市を目指してというシ
ンポジウムがあり市民意見の発表者を募集しているよ」との声がかかった。
要は、折角本を書くのだから黙って発刊するのではなく市から与えられた場に所
信を発表するのが礼儀よ」との主張である。
「そんなことまで…」と思わず絶句したが全く予期せぬ提案だったからである。
しかし、結局は内心恐る恐る、見た目には堂々と発表することになった。(別掲)

 その準備が新たに生じたことにより正月の間は結構忙しくなった。
実家にも顔を出さねばならず何だかんだで飲む機会も多かったからである。
1月11日(土)、清水市のテレサホールで開かれたシンポジウムも無事終わり、
わが市民意見の発表も約10分間のスピーチもなんとなく消化した。
テーマは本と同じように「日本平の夢の開発プラン」であり、言わんとすること
は日本平への観光客増こそが新市の発展につながるということであった。

 家に帰ってホッとした頃に、「先程の様子を見てみる?」とビデオのスイッチ
が押された。「もういいよ」と断ったもののディスプレイ上ではその画面が流れ
ている。「それよりビールだ、ビールだ」と言いつつ、目をそむけたふりをしつ
つなんとなくチラリホラリとその画面も見ることになる。
狭い我が家ゆえほかに行く場所もなくビールに主眼を置きつつも画面を見れば
自分とは別の自分が何かほざいているのがよくわかる。

 やっと終わった頃、「デジカメでも撮っておいたから本にも載せたらどう?」
との声がまたかかった。
「……」――なるほどそれも一策だな、と思いつつも、唐突の申し出に回答は逡
巡せざるを得なかった。
しかし、その後のテレビニュースにそれが取り上げられていることがわかり、自
分のスピーチ風景も取り上げられていたことからこの案は採用することにした。

 本の校正作業はそんなことを含めて多種多様に生じてきた。
古文書の掲載認可も口頭では了解得ておいたものの書面がまだ届いていなかった
りしたからである。
出版局からは「納期が遅れますよ」との催促もあった。
私の所属している異業種の会のメンバーからは「2月例会にはぜひ皆に配本でき
るように間に合わせてください」との有難い声もかかってきた。

 そして、2月18日、わが家に完成本が届けられた。書店に並ぶのは2月20
日以降に順次並べられて行くとのことであった。
果たして書店にどのように並ぶのか、売れるのか。――新しい不安がまた湧いて
きた。そーっと近くの書店にも顔を出したりした。でも、まだ並んでいない。
もうひとっ走り向こうの店に行くと、「おっ、あるある」――胸にじーんとくる
ものがある。ここの店長には敬意を表したくなる。

 2月22日(土)朝、わがフアミリーから素っ頓狂の声があがった。
何事かと思って目をこすりながら起床してみると、静岡新聞にこの本に関した記
事が大きく出ているではないか。私がこの本を手に持った写真入りである。
早速、浜松の友人から電話がかかってきた。「やったね、おめでとう」という具合
である。これが2億円の宝くじだったら尚うれしいところだが、それと匹敵する
ぐらいのうれしさが込み上げてきた。

 というわけで、今回はまずはその記事を紹介しておきたい。
             2003−2−23記
   

 

 

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