この話は金曜日の夜、仕事のトラブルからパパが東京から帰れなくなる所から始まります。
ママ:「明日は蓼科だよ、朝には帰って来れる?」
そうだったのだ、会社の保養所に杉本家・石川家・我が家(総勢11人)で行く予定になっていた。
仕事が終わって、神田のホテルに到着し、風呂に入って寝たのが3時くらい、翌日は6時に起床し、7時の新幹線で自宅へ。
慌しく準備をして出発。
到着まで約3時間半(150Km)、特に渋滞もないのだが昼食、休憩を取りながら行くと、夕方になってしまう。
夕食は6時。
皆で楽しい会食である、その時事故が起こった。
隣に座っていたそらが、椅子から降りようとテーブルに手をかけようとしたようなのだが、手がかからず額をそのまま痛打した。
「ギャー!!」
抱き起こしたそらの額が真っ赤になっていた。
頭に血がのぼって的確な判断ができなかった。
少し冷静になってきた時には、応急処置、救急車の手配は完了していた。
周りの人に感謝。
混乱したパパへ海の一言が耳に入ってきた。
「海くんの頭と取り替えてあげたい(泣)」その優しい気持ちを大切にしてね、パパも泣きそうになったよ。
ママが救急車に同乗し、パパが自分の車で病院へ向かう。
救急車が到着し、救急隊員のかたから注意を受けた。
「我々は信号とかは止まりませんので、付いてこないで下さい。お子さん大丈夫ですからゆっくり来てください」
「はい」と返事はしたが、土地感ないし、病院の簡単な地図しかないし、病院まで距離があるし、はぐれたら病院につけないような気がしたので付いていくつもりだ。
諏訪中央病院へ出発。
スタートしてまもなく、救急車はパパの視界から消えていた。
あんな大きいワンボックス車についていけないなんて、しかも下りのタイトコーナーが続く道なのに。
「そら〜」と叫んではみたが、いっこうに追いつけなかった。
その時、救急車の中ではそらは「パパ〜」とずっと泣いていたと聞いた。
その後、ママも「止めて下さい」と泣いたらしい。(救急車に酔った)
吐き気はありますか?の問に「あります」といい、その次には吐いていたらしい。
そらと一緒に介護を受けるママ。
救急車についていけない父と救急車に酔い吐いた母。
ごめんなこんな親で。
だいぶ遅れて病院に到着したパパ。
パパとママの前で診察が始まった。
手足を押さえられて泣くそら、縫わなくてもよいとのことだが、消毒とテープを張られ終了。
若い医師が、「これくらいで大騒ぎするな」というニュアンスで説明を始めた。
「・・・CTやレントゲンも意味をもたない・・・」素人なので「そうなんだ」と思いながら、割り箸が脳に刺さって死んでしまった子供のニュースを思い出していた。
医者がそう言えば、その場ではそれを信じるしかない。
といいつつ、「大丈夫なのですね」と念を押し、睨みつけて帰ってきました。
結果的には大事に至らなくてよかったです。
帰りの車中でもすっかり元気を取り戻していました、ただ「ニ〜ニ(兄)は?」「ニ〜ニいない」と気にしてばかりです。
皆さん助けてもらいました、ありがとうございました。
ちゃんと見てなくてごめんね、そら。
傷跡が残りませんように。