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<前書> 江戸に幕府を開府し徳川三百年の礎をつくりあげた「徳川家康は二人いた」というショッキングな歴史書「史疑 徳川家康事蹟」は、明治35年に村岡素一郎によって書かれて、出版された。 同書は時の文豪徳富蘇峰の主宰する一流出版社「民友社」から出されたが、直ちに店頭から消えたという。この本の流布を喜ばない勢力があったことを物語っている。 家康二人説の作品は、その後歴史学者らからは問題にされず忘れ去られていた。 1963年(昭和38年)、第39回直木賞受賞の作家榛葉英治は「史疑 徳川家康」を出版社「雄山閣」より出した。榛葉氏は「史疑 徳川家康事蹟」の原作者村岡素一郎(母堂の父君)の孫にあたるが、原著の現代訳を中心に復刻し、更に解説で「史擬」の問題点や旧蹟の探訪などの章を加えている。 |
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このWebサイトでは榛葉英治著「史疑 徳川家康」を参考引用し、筆者榛葉氏の目を通した「家康二人説」の抄録と現地ルポの写真などを加え公開する。 徳川家康二人説の真偽については、世人のご批評を仰ぎたい。 |
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史疑 徳川家康事蹟 | 成斎 重野博士 序 |
融軒 村岡素一郎 著 | |
東京 民友社 発兌 | |
発行 明治35年 |
原作者紹介:
嘉永3年(1850)、筑前福岡に生まれる。明治8年上京し茗渓師範学校(後の東京高等師範学校)入学、同11年北海道に渡り校長など歴任するも同17年突然、官職を辞して上京し、「日本神学新説」を出版。
明治27年(1894)静岡県の教育職役人になり、公務の傍ら「史疑」の発想を得て調査、研究する。静岡市の講演会で「家康の出生の研究」を発表し反響を呼ぶも、これが基で免職になり、一家は上京。その後北海道、豊橋、岐阜で郡視学など学校関係の職を得て各地を回り、明治35年「史疑 徳川家康事蹟」を上梓。
昭和40年 原本の集録が行われ 「明治文学全集77 明治史論集」として 筑摩書房より発行された。
「史疑 徳川家康」 | |
発行 雄山閣 | |
著者 榛葉英治 | |
昭和38年11月25日 発行 |
筆者紹介:
大正元年 静岡県に生まれる。
昭和11年早大英文科卒 第39回直木賞受賞、「蔵王」「渦」「赤い雪」「誘惑者」等の小説を出す。