糟地蔵

その2

弥平の大声にびっくりして飛び起きたお松とお里は、
「父っさま、父っさま。」
いくら呼んでも返事もしません。
 見ると、真っ赤な顔をひきつったようにゆがめて、額には油汗がどっと吹き出しています。思わず取りすがった二人の手を払いのけるようにした弥平は、
「うーっ。」
ひときわ大きなうめき声を出して、のけぞるように身を反らせたかと見るやとうとう意識を失い、しばらくして息が絶えてしまいました。
 二人は、声を限りに弥平を呼びましたが、その命を取り返すことはできませんでした。

こうして、一家の柱を失ったお松とお里は、暮らしを立てていくために、ひたすら働きました。雨が降っても風が吹いても畑仕事を休むことはありません。
「お松さんのとこじゃあ、弥平どんが亡くなって大変だのう。」
「ああ、それにしてもお松さんはよく働くのう。ほんとうに感心じゃ。」
「お里ちゃんも、よく手助けをするじゃないか。」
「ほんとだの。」
近所の人たちが話し合っている声を聞いても二人は、誇らしく思うでもなく、相変わらず仕事に精を出すのでした。
 こうして、二人の生活が平穏に続くかに見えたとき、お松は、無理な働きがたたったのでしょうか、身体が急にやせ衰えて、どっと床についてしまいました。気は張りつめていても、慣れない荒仕事は、やはり大変だったのです。病気は日とともにだんだんと重くなり、ほおもやせこけて見るかげもなくなってしまいました。
「母さま。病は気からというからね。気弱にならないで」
お里は、母親を励ましては、懸命に看病を続けました。
(母さまは、苦労ばかりしてきて、父っさまが死んだあとはなおさら大変だった。できれば、少しでも楽をさせてやりたいと、いつも思っていたのに……。)
お里は、食べるものも食べないで、お金を作り、沼津の宿まで出かけて薬を買い、母に飲ませましたが、病気は快方に向かいません。
 ある夜、やせ細った身体をもたげるようにして、
「なあ、お里や。わたしは、もう長いことはないよ。わたしが死ねば、お前はたった一人になってしまうんじゃ。暮らしを立てていくのも決して楽なことじゃあない。そこで……。村の衆もみんな酒好きの人が多いことだから、酒造りをして買ってもらえば、何とか暮らしも立つと思うがの。」
あえぐように、ようやくいい終えたとき、ぐったりと顔を伏せてしまいました。
 その晩、お松は、とうとう亡くなってしまいました。
お里の悲嘆はたとえようもありません。
今は、すでに天涯孤独になったお里は、気だてが優しいばかりでなく気丈な娘でしたので、
(いつまでも悲しんでばかりいてはいけない。これからはわたし一人で強く生きていかなければ……。母さまが亡くなる前に、お酒を造って売ったら……といったっけ。おいしいお酒を造って安く売れば村の人も喜ぶに違いない。)
 しかし、お里は、日々の生活に追われ、その日ぐらしを続けるうちに、お松が死んでから一年ばかりの月日が経ってしまいました。
(母さまが死んでからもう一年。うちは貧乏で何の余裕もないけれど、せめて一周忌をやらなくては。それに父っさまのも兼ねてぜひ法事をやりたい。ところで、法事の費用がないのにどうしたらよいだろう。そうだ。前にも考えた事だが、お酒を造ってみよう。母さまも死ぬ前にいい残してくれたことだし…。)
早速、近所の甚吉の家を訪ね、
「すみませんが、お金を三百文ばかり貸してくだされ。亡くなった親の法事をしたいのですが、お金がないのでお酒を造って売りたいのです。瓶や麹を買うお金がほしいのです。どうかお願いします。」