「えっ、お酒を。酒など造っても、お里ちゃんじゃあ、うまくいかねえと思うがのう。よしたほうがいいじゃねえか。」
甚吉は、お里の考えに反対でしたが、お里の胸のうちを察して、とうとうを三百文貸してくれました。 お里は喜んで、直ぐに沼津の町に出かけ、瓶や麹を買い求め、家に帰るや、早速仕込みました。(初めてのことだから、うまくいくかな。)危ぶみながら、家の粗末な仏壇に向かって手を合わせました。そのとき、ふと、死んだ父っさま、母さまがいつもお参りをしていた村外れの地蔵さまの姿が目に浮かびました。お里は、家を出て、地蔵堂に向かいました。
折悪しく降り出した雨のなかを物ともせずに地蔵堂に着き、ずぶ濡れになったのも気にかけず、
「どうか、父っさま、母さまの法事ができますよう。そのため、お酒がうまくできますように……。」
一心不乱に祈るお里は身じろぎもしませんでした。
それから十日ほど経ったある日。
沼津の宿の外れに住んでいる伯母さんからの使いがきて、
「急に重病になったので、看病にきてくだされ。お頼み申す。」
という手紙が届けられました。
この伯母は、弥平の姉でしたが、弥平の死んだときも、お松の死んだときにも、葬式に顔を出しただけで、病気の介抱になど、一度もきたことはなかったのです。
(母さまが病気のとき、見舞いにもきてくださらなかったのに……。)
恨む気持ちが、幾分ありはしたものの、
(今は、たった一人の伯母さんなんだから、わたしが行ってあげなければ。)
お里は、狩野川の渡しを越えて、伯母の家へかけつけました。
「まあ、お里、よくきてくれたね。お前の母さまのとき、見舞いに行かなかったのに。それに、みなし子になったお前を、引き取ることもしなかったわたしだ。さぞ恨んでいることだろうと思っていたんだよ。重病だと知らせてやっても、到底、きてくれはしないと思っていた。ありがと。ありがとうよ。」
伯母は、はらはらと涙を流して喜びました。
お里は、伯母の身体に取りすがるようにして
「伯母さんが重病と聞いて、心配で、心配で……。飛んできたのです。どうかよくなって。お里が一生懸命看病しますから……。」
お里も目に涙を浮かべていました。
一人ぼっちで心細い思いをしていた伯母にとって、お里のきてくれたことがどんなに嬉しかったことでしょう。
お里の真心のこもった看病によって、伯母の病気は、みるみるうちに快方に向かい、六日ばかりで起き上がれるようになりました。
「お里、もう心配はいらないよ。ここまでなおれば大丈夫。お前もうちのことがあるだろうに。」
お里も、うちのことが急に心配になりました。いや、うちのことより何より、仕込んだお酒のことが気にかかったのです。
明日は帰るという前の晩、雲行きがおかしいと思っているうちに、しのつくような雨が降り出しました。明日は晴れてほしいと願っているお里の思いも空しく、雨は翌日も一日降り続け、とうとう三日三晩、降りしきったのでした。
雨もやんだその日の朝、きょうこそはと思って支度をしていると、
「狩野川の水が増えて、渡し船が出ないぞ。」
大声で叫ぶ人の声が聞こえてきました。
(ああ、何ということだ。折角、三百文ものお金を借りて、お酒を仕込んだのに。あれからもう幾日も放っておいたから、もうお酒どころが、お酢みたいになっているかも知れない。)
お里は、がっくりと気を落としました。そのとき、あの村外れのお地蔵さまの姿が浮かんできました。(お地蔵さま、どうかお願いです。お酒がうまくできますよう、どうか……。)
お里は、思わず地蔵堂の方角に手を合わせていました。
それから二日経ち、川の渡し舟が出ました。まだ流れの濁っている狩野川の岸へ立った時、お里は、あの大雨が、そしてその川が恨めしく思えてなりませんでした。
心のなかは、もうお酒のことでいっぱいだったのです。
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