小説 〜DAVALPUS〜


第ニ節 少女


『あなたはここで何をしているの?』

 そう問われ、咄嗟に返事の出来ない男に対し、少女はさらに問い掛ける。

『あなたはどうして戦うの?』

 男を見つめる少女の瞳は、どこか哀しい色をしていた。
 その視線に射竦められ、男は身じろぎひとつ許されない。
 目の前のこの少女は魔物の類なのか?
 男はふと考えたが、しかし瞬時にそうではないと悟る。
 少女の問いに答えることのできない自分自身の心が、自らの身体に戒めの呪縛をかけているのだと…。
 そう。少女の問いかけは、常日頃より己の胸中で幾度となく繰り返してきた、あの「自問」そのものではないか。
 ついに耐え切れなくなり、男は少女からその視線を外した。

「俺は…主である狂王陛下の命に従い、聖王都の軍勢を迎え撃つべくここに……」
 辛うじてそう漏らす男の声は細々と、そしてどこか空虚な、まるで自分に言い聞かせるかの様な口調だ。
「そう、これは戦争なんだ……。そして、俺はただの駒にすぎない」

 詭弁だな。

 その己の台詞と平行して、頭の中では冷静な自分がそう呟く。
 確かに、狂王に仕える騎士としてその命令に従うのは正しいのであろう。
 主の勅命は何物にも優先される。
 騎士としては当然だ。
 だが、それに盲目的に従うことに対して、内心では警鐘を鳴らし続けていたのではないのか?
 ただ、それを一切の行動に現さなかっただけだ。

『あなたはどうして戦うの?』

 今一度、少女が問い掛ける。

「主が為の戦いこそ、騎士たる者のすべて……」

 違う。

 狂王の行う政治─領土拡大政策という名の下に繰り返される侵略戦争が、許されざる行為であることぐらいは誰の目にも明らかではないか。
 その野望に加担する…いや、気付かぬ振りをして無意味な殺戮を繰り広げる事が、はたして騎士の成すべき戦いと言えるのであろうか?
 否。
 断じて否。
 そんなものが、騎士たる者の戦いであろうはずがない。
 善や悪といった概念にすら当てはまらない愚かな所業。
 おそらくは自分でも気付かぬうちに、騎士階級という名の「ぬるま湯」に浸かりきっていたのであろう。

「お、俺は…俺は……」

 自分の心の弱さ、醜さ、愚かさ。
 そういったものを直視できずに、なんの志も持たずにただ時間を垂れ流すようにして生きてきた。
 哀しげな少女の瞳は、まるでそんな心を見通しているかのように感じられた。
 男がその視線を少女に戻すと、いままさに何かを呟こうとしている。
 だが、その口元の動きとは異なり、なんの声も発せられていない。
 ただ口をパクパクさせているかのように見える。
 少女はより一層、哀しげな表情を浮かべると、その瞳からは一筋の雫が頬を伝わり落ちていく。
 そして、一言。

 それはやはり聞き取ることは出来なかったが、確かに何かを呟いた。
 男はただただ立ち尽くすことしか出来なかった。
 或いは呆然と、若しくは戦慄していたのかも知れない。
 少女のその一言が、男の胸に強い衝撃を与えたことに何の疑いもない。
 男が一瞬だけ少女から視線を外し、そして再びその顔を見上げた時には、そこには既に少女の姿はなかった。

 低く唸る風の中に掻き消されてしまったかのように、少女の姿は忽然と消失していた。
 或いは、少女などはじめからそこにはいなかったのかも知れない。
 それは男の遠い記憶が呼び起こした幻像だったのだろうか?
 しかし、もうそんなことは男にとってはどうでもいい事だった。

 燻り爆ぜる焔。
 鳴きながら駆け抜けていく荒んだ風。
 くすんだ空に佇む黒くたなびく雲。
 戦いを目前に控えたその戦火の村に、男の姿はなかった。
 


 

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