小説 〜DAVALPUS〜
第ニ節 乱闘
「ご苦労だったな、次も頼むぞ」
そう言い残すと、軍属らしき男は脹らんだ小袋をテーブルの上に置き席を立った。
踵を返すと、そのまま何事もなかったかのように酒場を去っていく。
目の前に置かれた小袋の中身に目を通す事なく、無言で琥珀酒を呷る。
暗殺報酬──。
いや、暗殺と言うのは正確ではないか。
戦場に於いて敵将のみに狙いを定め、そしてその指揮系統を分断、破壊する。
そういった仕事を始めたのは、いつの頃からだろう。
祖国ガイネスにいた頃は、一介の冒険者として名を馳せていたものだ。
天変地異と共に祖国を覆う暗雲。
冒険者として迷宮探索に明け暮れ、ガイネスにおいて”第二位の弓の使い手”とまで称されたものだ。
「へっ、今となっては輝かしき思い出ってか?」
空になったグラスからそっと手を離すと、不意に猛禽類を思わせる鋭い視線を投げかける。
その先にいたのは、にやにやと愛想笑いを浮かべる数人の男達であった。
薄ら汚れた鎧に使い込まれたであろう得物。
半ば擦り切れかけた外套を纏っている。
冒険者か、或いは冒険者崩れのゴロツキといったところか。
その中でも一回り体格の良い、おそらくはリーダー格であろう男がテーブルの向かいの席へと腰を降ろす。
「へへっ、聞いたぜ。アンタ…」
「おいおい、勝手に人の卓に着くんじゃねえよ」
男の台詞を遮り、興味無さ気に手を振る。
「まあ、そういうなって兄弟…」
「人違いだろう。俺は一人っ子なんでな」
取り付く島も無しとはこうした事だろうか。
その視線を合わすことすらなく、質素なつまみを口に放り込む。
体よくあしらわれた男は、僅かに青筋を浮かべながらも、その友好的な表情は未だ崩してはいない。
「チッ、アンタには敵わねえぜ…。オズワルド・ガートナー?」
オズワルドと呼ばれた男は、ほんの一瞬だけ視線を合わせると、その視線を再び外した。
そして、通りかかったウェイトレスに片手を上げ「ネエチャン、もう一杯、追加頼む」と、にこやかに語りかける。
明らかに無視されている事を悟った冒険者風の男は、頭に血が上ったのか、奥歯をがたがたと鳴らして戦慄いている。
「おいおい、オズさんよ。いくらアンタがすげえ人だからって、そういう態度はいただけないんじゃねえのかい?」
テーブルに両手をつき、勢いよく立ち上がる。
その反動で木製の簡素な椅子が激しい音を立てて地面に転がった。
それまで賑やかな喧騒に満ちていた酒場は、その瞬間、まるで潮が引いたかのように静まり返る。
注がれる視線。
「囀るなよ、小僧が…」
オズワルドが、さも面倒臭そうに、しかしよく通る声で呟く。
流れる沈黙。
刹那、それは一転して男の怒声が響き渡る。
「て、てめぇ…もう我慢ならねぇ。覚悟はできてるんだろうな!?」
男の背後に控えていた仲間と思しき連中もオズワルドににじり寄る。
しかし、なんら動じた様子もなく、不敵な笑みを浮かべるオズワルド。
「何がおかしいんだよっ!」
「いやなに。お前らみたいな半端者が『覚悟』という言葉を口にすると、これほど陳腐に聞こえるものなのか…とねえ」
その発言にとうとうキレたのか、突然男が殴りかかる。
だが、取立て慌てた様子も無く、オズワルドはあくまで冷静に対応する。
周りの見えていない男の顔面に、既に空となっていたグラスが飛ぶ。
そして、間髪入れずにオズワルドの手元が閃く。
男の右目には銀色に輝くフォークが深々と突き立っていた。
絶叫と共に真紅の鮮血が迸る。
その頃になってようやく酒場のそこかしこから声があがり始める。
突然の惨劇に悲鳴を上げ目を覆う者。
その光景に興奮し歓声を上げる者。
そそくさとこの場を去る者もいた。
まさに狂気の坩堝。
そして、更なる怒声が湧き上がる。
「この野郎、生かしちゃ帰さねえぞ!」
こともあろうか、遂に剣を抜き放つ男達。
その鈍く輝く凶刃が、未だ席を立とうともしないオズワルドに肉迫する。
しかし、オズワルドは座ったままの体勢からテーブルを蹴り上げると、男達をあっさりと跳ね除けてしまう。
つまみの盛られた皿や小袋もまた中に舞う。
直後、小袋に詰まっていた金貨が小気味良い音を立てて男達の上に降り注いだ。
「得物まで使うとはな…上等だぜ。お前らこそ生きて帰れるとは思うなよ」
そう呟くオズワルドの瞳には、冷たい光が満ちていた。