リレー小説 〜Infinity〜
Mystical Crime theory
時計の針が正午を指し示したのを見計らい、留美は学舎を出た。
ここ最近の秋晴れは今日も健在と言わんばかりに、その厳しい日差しを投げかけてくる。
それでも、それは以前ほどの暑さを感じさせなくなり、明らかに秋の深まりを感じさせていた。
清々しい青空の下、季節特有の恩恵に与ろうと、芝生の上にくつろぐ学生カップルの姿も多々見受けられる。
午前の講義を終えた留美は、昼食を摂るべくキャンパス内に併設されているカフェテリアへと足を運びながら、そんな光景を目にした。
そして、いつもなら隣にいるはずの稔に想いを馳せた。
「……ま、考え込んでもしょうがないか」
そう呟き、両の掌で顔を軽く叩くと、歩調を上げ先を急いだ。
”Cafeteria Wasabi-Cat”
そう刻まれた真鍮製のプレートを首から提げた猫の置物が、その店先で訪れる客を出迎える。
最近、学生達の間で密かな人気を呼んでいるこの店へと昼食にやってくるのは、すっかり留美の日常となっていた。
正午という時間帯でありながら店内が閑散としているのは、バイト店員の弥生ちゃん(大半の常連は彼女目当てでやってくるらしい)が長期休暇を取っているためだろうか。
留美が店内に入ると、カウンター越しに、咥えタバコで作業している女性──店長の西村 詩姫(ニシムラ シキ)が「よっ」と、留美に片手を挙げる。
「こんにちは。いつものAランチセットをお願いします」
サンドイッチとサラダ、そしてドリンクが一品付く定番のメニュー(これで料金は税込480円)を注文すると、留美は客席を見回した。
店内には4〜5人の学生たちがくつろいでいる。
はたしてその中に留美の見知った人物は……いた。
完全無糖のブラックコーヒーを片手に古めかしい洋書に目を落とす、黒一色のラフな格好の男。
留美のバイト先の先輩であり、この大学の3年に在籍している三谷 真夜(ミタニ シンヤ)。オカルト研の部長を務める、一部で”変わり者”として有名な男だ。
「はいよ、悪いけど自分で持ってね。人手が足りないんだからさ」
唐突に呼ばれ振り向くと、セットメニューの載ったトレイを差し出す詩姫の姿があった。
注文してからそう時間は経っていないというのに、相変わらずの仕事の速さはさすがと言ったところか。
しかも、ドリンクの種類を一言も言っていないにも関わらず、留美の好みのカプチーノが注がれている。
「あ、はい。それにしても詩姫さん一人で大変ですね」
トレイを受け取り留美がそう口にすると、「まったくだ」と返してくる。
「なんでも、彼氏と京都まで旅行だってさ。羨ましい限りだよ」
看板娘である弥生の休みを、詩姫が冗談めかして愚痴る。
そして、直後に「留美、アンタもね」と付け加えた。
苦笑いを浮かべつつ代金をカウンターに置き、真夜のいるテーブルへと向かった。
がたっ。
昼食のトレーを置く音に反応したのか、真夜が本から目を上げる。
その目には隈が出来、実に眠そうに見える。
「ああ、水代か……今日は稔の奴は一緒じゃないんだな」
そう言って物珍しそうに首を捻ると、軽く微笑み本を閉じた。
「そうなんですよ。急なバイトが入ったとか言って」
わざと怒ったように頬を膨らませた留美の顔を見た真夜はフフと鼻で笑い、見るからに苦そうな漆黒のコーヒーを一口嚥下する。
「まあ、男には男なりの事情があるんだろうよ」
「ど、どういう意味です…それ!?」
さりげない冗談に対し、予想通りの反応を見せる留美を見て、真夜はますます愉快に笑った。
「冗談だよ、冗談。そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
真夜の性質の悪い冗談に思わず狼狽しつつも、留美は椅子に腰を降ろした。
そして、サンドイッチを頬張りながら、ふと真夜の読んでいた本の表紙を垣間見る。
くすんだ赤い表紙には、見慣れぬ言葉が記されている。
少なくとも、英語や独語ではないようだ。
「すかるぷ…ち……? また訳の分からないモノを呼んでますね?」
訝しげな表情の留美に、真夜はその本を手にとって答える。
「これの事か? これはな……聞いて驚け。さる高名な魔術に用いられた魔道書の写本なんだぜ」
その真面目な表情に反し、あまりにも素っ頓狂な台詞に留美は呆れ果てた。
「三谷さん。もういいかげん、魔術だとか超能力だとかはやめにしませんか?」
「なに言ってんだ。今でこそ魔術などの非科学的な事象を軽視するようになったが、中世ヨーロッパに於いては、魔術や錬金術は立派な科学として認識されていたんだぞ」
そう語る真夜の眼差しは熱い。
「それに、なにも大昔だけに限った話じゃないぞ。水代、昨日の事件は知っているよな?」
昨日の事件?
留美は首を傾げしばし考えた後、今朝のニュースでやっていた殺人事件の事を思い出した。なんでも、残された遺体から一部の内臓器が紛失していたとかいう、不可思議な他殺事件らしい。
「内臓がなくなったとかいうやつですよね?」
その返答に大袈裟に頷く真夜。
「それがどうかしたんですか? まさか魔術で呪い殺したなんて言い出すんじゃないでしょうね?」
と、いかにも真夜が言い出しそうな事柄を指摘し、予め釘を刺す。
「なんだ、分かってるじゃないか。それなら話しが早い」
予想通りの返答に、留美は頭痛を感じた。
頭をおさえる留美を意図的に無視しているのだろうか。真夜は話を続けた。
「まず、殺し方についてだが…これは判断材料が少なく、俺には判断できない。だが、問題は殺し方ではなく、その動機だろう。遺体からわざわざ臓器を持ち去ったという事から推測するに、加害者はそうとうに頭がイッた奴か、もしくは黒魔術に携わる者とみて間違いないだろう」
そこまで矢継ぎ早に語ると、真夜はブラックコーヒーで乾いた喉を潤す。
呆れながらも話を聞いていた留美は、真夜の言っている言葉の意味が分からずに、思い浮かんだ疑問を口にする。
「それで…臓器と黒魔術がどう関係あるんですか?」
コーヒーカップを皿の上に戻すと、真夜は頷いた。
「吸血鬼伝説というものを知ってるかい?」
「吸血鬼って……ドラキュラとかのアレですよね?」
突然、脈絡のない話を振られ、困惑しながらもそう答える。
「うん、そう。人間の生き血を啜る吸血鬼だけど、なぜ彼等は自らの生命を保つために血を吸うか知ってるかい?」
「え? 何故って、血には栄養素が……って、鉄分は豊富だけど、栄養は無さそうね」
「血という物はね、魔術的な考えでは”生命”そのものを指す意味合いが強いんだよ。全身を駆け巡る熱い血の流れは、心臓より送り出され心臓に戻る。まさしく”生命”を身体中に運んでいるわけだね」
期せずして始まった真夜のオカルト講義の前に、観念した留美は食事を摂りつつ受講する事にした。
「話を事件に戻そう。血や心臓ほどに直接的なイメージはないだろうけど、他の臓器にもそれぞれ魔術的には重要な意味が存在するんだよ。まあ、今回の事件では警察側の情報規制によって、どの部位が持ち去られたとかは発表されていないから、あまり詳しい事は言えないけどね」
「結局、三谷さんの想像上の話なんですね」
留美の何気ない一言に、真夜の表情が一瞬凍りつく。
「いや…ま、まあな。そんな時もあるさ……て、もうこんな時間か?」
ふと、壁に掛かったアンティーク時計を見上げて、真夜は席を立った。
「あれ? 午後の講義にはまだ時間がありますけど?」
「うんにゃ、研究室の方で用事が残ってるんだよ。まったく、飯もろくに食えやしない」
そう苦笑すると、例の自称”魔道書”を手にとり踵を返した。
そして、歩き出してすぐ振り返り、
「確か今日は稔とデートだったよな? 上手くやれよ」
真夜は意地悪な笑みを浮かべると、肩越しに手を振り店を後にした。
しばらくその背を見送っていた留美であったが、真夜の姿が見えなくなると、ふと呟いた。
「デートか……稔くん、来るわよね?」
真夜はカフェテリアを出ると、学舎の裏側に聳える研究棟へと向かった。
この大学の敷地はとても広く、様々な施設が併設されている。
先程のカフェ”Wasabi-Cat”のような飲食可能な店だけでも、学食を含め7軒は存在している。
その他にも、戦前からの蔵書量を誇る通称”古代図書館”(学生達の間でこう揶揄されている)や、今では使われていない旧校舎なども撤去されずにそのまま残されている。
真夜が向かう研究棟へは、こうした巨大建造物群を迂回しなければ辿り着けず(一度学舎内へと入れば裏口からショートカットは可能だが)かなりの距離を歩かされる。
そうした長い道のりを行く事を、真夜は密かに”死の行軍”と呼んでいた。
”死の行軍”とは、元々は大戦中の南アジアにて旧日本軍が現地民の捕虜に対し行わせていた悪名高いものである。
この無駄に入り組んだ敷地の空間設計を皮肉って、こう呼ぶことに疑いはなかった。
その”行軍”も半ばまで差し掛かった辺りで、真夜の懐から緊迫感すら感じさせる曲が流れ出した。
曲目はヴェルディ作曲のレクイエム。
真夜の持つ携帯の着信音の中でも、特定の相手からの着信にのみ流れるように設定されているものだ。
「どうした、調伏屋。俺に何か用かな?」
─酷いなあ、まるで人を呪殺師か何かのように。
携帯から洩れてくる落ち着き払った声は、篠田 晴明であった。
「そう大差はないだろ?」
─まあ、否定はしませんけどネ。それよりも、真夜君の力を貸して貰えませんか?
「おいおい。稔だけならまだしも、俺まで狩り出すってのか? あいつもいい加減に水代に返してやれよ」
─稔君や水代さんには申し訳ないとは思ってますよ。でも、事態が予想外の方に転びそうなんでね。
「東南アジアグループの事か? 確かペナンガランとかいう連中だったな」
─先程、病魔(ヤカー)使いの呪術師と接触しました。こちらの方はなんとか片を付けましたけどね。
「それなら問題ないだろう? 俺の方も忙し……
─それだけなら良いのですが、話はどうもそう単純ではないらしくて。
真夜は立ち止まり、溜息を一つ吐いた。
─そこで、魔道書Scriptureの所持者である真夜君にも手伝って欲しいなあと。
「偽典とかほざいたのは、何処の誰だよ? それに俺のは写本だぜ。……とはいえ、お前にはいくつか借りがあったからな。仕方がない、手を貸してやるよ」
それから二言三言交わし、真夜は携帯を切った。その後、しばし逡巡し再び携帯を手にとると何処かに掛け始めた。
3コールばかり待って電話に出たのは、研究棟で真夜を待つ同級の者であった。
真夜は急用で行けなくなった旨を一方的に伝えると、相手の苦情を一切無視して携帯の電源を切ってしまった。
そして、やや傾きをはじめた太陽を伏せ目がちに見上げると、足早にその場を後にした。