リレー小説 〜Infinity〜


魔剱講座/狂える鳩と笛吹き男


 午後2時半、渋谷ハチ公前。
 そこは、いつも人込みだ。
 駅から吐き出される雑踏──
 駅へと飲み込まれていく雑踏──
 そして、人待ちなのか行き先を失ったのか所在なげな若者達──
 様々な人々が、駅前のちょっとした広場に変わらない風景を作り出している。
 ──顔ぶれは常に変わりながら風景は毎日おなじ、か。
 やはり人待ちをしながら、稔はぼんやりと思っている。
 隣には晴明がいる。
 稔と同じように人込みを眺めている様子だが、果たして何を考えているのか。いつも通りのその表情からは読み取れない。
 この変わらぬ風景の中で稔の巨躯だけが浮いている。留美がいれば「稔とだったら、どんな雑踏の中でも待ち合わせできるね」と言うところだろう。
 ──実際、人込みではぐれてもすぐに追いついてくるしな。
 そんな事を連想する。
 ──そう言えばこの間も……
 思い出し掛けた所で思考を中断。
「わざわざ後に回んな」
 肩越しに背後の気配へ言い放つ。
 聴剄──人の気配、あるいはその動きの起こりを捉える技法が中国拳法にはある。
 全身で気配を聴く、と老師達は言う。現代風に言えば全身の皮膚感覚を鋭敏に鍛え高精度のアンテナと化す技法とでもなるだろうか。
 極めれば目を瞑っていても周囲の様子が完全に把握できる。心の動きさえ捉える。
 それが聴剄だ。
 無論、稔も相当に鍛えている。聴剄を鍛えているのと、そうでないのとでは攻防の展開に天地が差があるからだ。
 だが──
 それだけに、背後へ忍び寄る気配の不愉快さは人並み以上だ。
「──悪趣味な真似は止せ。いつも言ってるだろうが?」
 元より無愛想な声に険をこめ、稔は重ねて言った。
 その声に応えて、悪びれた様子もない飄々とした声が返る。
「背後を取るってのも、なかなか難しいものなんだな」
 言いながらひょっと前に出たのは真夜だ。
「よぉ調伏屋。来てやったぞ」
「思ったよりも遅かったですね」
 いつも通り、笑みを含んだ表情で晴明が応える。
「どこかで道草でも?」
「途中でアメリカ魔道士に襲われたのさ」
 真夜は軽く肩をすくめてみせる。
 右肩に提げた肩掛けカバンが、肩をすくめる仕草に合わせて持ち上がる。
 中には自慢の魔道書Scriptureが入っているのだろう。カバンの持ちあがる様子から、そんな重みが読み取れる。
「連中、魔力よりは体力でね。稔が一緒なら楽できたんだけどな」
「これ以上そっち方面に駆り出すな。迷惑だ」
 釘を刺すように稔が言えば、真夜は再び肩をすくめて応える。
「分かってるさ。俺も水代に恨まれるのはゴメンだしな」
「ところで彼らの狙いは──」
 再び、晴明。
 真夜は問いが終わるのを待たなかった。
「十中八九、Scriptureだな。今のところ俺は魔剱なんぞ持ってない。そっちが狙いならお前の方を狙うだろうよ」
「なるほど──じゃぁ、真夜君は魔剱のついでに襲われたわけですね」
 からかうように晴明が言う。
「失礼な言い方をするなよ」
 受ける真夜の表情は苦い。
 いつもなら、Scriptureがいかに空恐ろしい力を秘めた魔道書であるかを語って聞かせるところだ。が──堪えた。
 おそらくは晴明の指摘が正しいだろうから。
 何しろ時期が時期である。
 とはいえ、分かっていても悔しい。だから表情が苦い。
「──で、その魔剱は?」
 誤魔化すように目的のものを催促する。
 しかし晴明はからかうような笑みのまま頭を振った。
「慌てないで下さい。まさかこんな所でお見せするわけにはいかないでしょう?」
「なら、早いところ移動しよう」
 言って、真夜は頭を掻きながら背を向けて歩き出す。
 ──照れ隠しかよ? 珍しい。
 そんな事を稔は思う。
 こんな場所では出せない事くらいすぐに分かる話だ。いつもの真夜なら、およそ失念するような事ではない。
 ただ、魔剱の存在が真夜を舞い上がらせてしまった──そういう事なのだろう。そう思いつけば、急に魔剱の正体が気になりだす。
「なぁ──」
 真夜を呼びとめるように稔は言った。
「魔剱ってのは一体何なんだ?」
「ん?」
 面倒そうに真夜は振りかえった。
「──説明してなかったのか?」
 真夜の問いに晴明はえぇ、と頷く。
「真夜君から説明してもらおうと思いまして」
「まったく。相変わらず抜ける手は徹底的に抜くな、お前は」
 真夜は溜め息をついてみせる。
 しかし晴明の表情に変化はない。
「無駄は極力省くようにしていますから」
 あまつさえ笑顔のまま言ってのけた。
 諦めて、真夜は再び溜め息。
「──取りあえず移動するぜ。こんな所で話してても埒がない。説明は、道々してやる」
 言い捨てるように言って、駅に向かって歩き出した。

「グラムドリング──ってのが争奪戦の主役の名前だ。業界じゃ単に魔剱って呼ぶヤツの方が多いがね」
 吊革に掴まりつつ真夜は言った。
 かったるそうな仕草。眠そうな半眼、その下に濃く浮かんだクマ。
 見るからに睡眠不足気味だ。
「良いのか? こんなトコで、そんな話して」
 真夜の隣に立った稔が問う。
 そんな二人を、一人座っている晴明が見上げている。
「ん? あぁ構やしない。聞こえたところでゲームかアニメの話としか思わないだろうさ」
 真夜の応えは無造作だった。
 電車の中──満員と言うほどでもないが、そこそこに混んでいる。
 そんな場所では周囲の話など途切れ途切れにしか聞こえない。そもそも、注意を払うほどの関心すらない。
 だから気にする必要もない──そういう論法らしい。
「んなもんか?」
「そんなものさ。で、本題に戻るぜ?」
「あぁ」
 妙に神妙な顔で稔は頷いた。
「で、その素性だが実のところ詳しいところなんて分かっちゃいない。魔術師の求める真実からもほど遠い」
 そこまで言って真夜は皮肉な笑みを浮かべた。
「──とりあえず、業界で最初に報告されたのは第2次大戦中のドイツらしい。ナチスの連中がオカルト兵器を集める過程で掘り出したって噂でな」
「へぇ」
「それより前の経歴は全く不明。もちろん名称も不明で、だからグラムドリングって名前も連中が勝手につけたもんさ」
 視線を窓の外に向け、真夜は続けた。
 まるで遠くを見るように目を細める。
「頃は大戦も末期。最強の魔剱って触込みで、起死回生の期待が掛かってたんだが──これが連中、扱いきれなかったんだな」
「ってぇと、暴走したのか?」
「逆さ。──さっぱり力を引き出せなかった」
 芝居っ気たっぷりに頭を振る。
 稔は怪訝そうに顔をしかめた。
「じゃ、何を根拠に最強の魔剱なんて言い出した?」
「ありえない遺物──オーパーツって言うんだがな。水晶のドクロだのインドの錆びない鉄柱だのの類、知ってるか?」
 珍しく笑みを浮かべて真夜が問えば、稔は少し間を置いて頷く。
「確か考古学の用語だったよな? その時代では絶対に存在しないはずのものが、たまに出土する事があるとか──大抵は胡散臭いニセモノだって話だったと思うが」
「上等上等。お前、肉体派の割に物知りだな」
 満足げに真夜も頷く。
 ──なんか、上機嫌だな。珍しく。
 これほど真夜の表情がよく変わる事は珍しい。その珍しい様を目の前に稔は思う──思うより軽く戸惑う。
「でな。このグラムドリングが掛け値無し、それも飛びっきりのオーパーツだったのさ」
 真夜は上機嫌に話を続ける。
 稔の戸惑いに気づく様子はない。普段は鈍感な方ではないのだが──それほど上機嫌なのだろう。
「年代測定をすれば、人類が鉄の扱いどころか剣ってものを発明する前に作られたものだと出る。そのくせ錆一つも刃毀れ一つもない」
 もはや止まらないほどの勢いだ。
「勿論、それだけなら最強を冠するほどのものじゃない。こっからが本領なんだが──」
「まさか切れぬものなし──とか言い出すわけじゃないだろうな?」
「違うさ」
 口を挟んだ稔に、真夜は「何を単純な」とでも言いたげな冷たい視線を向ける。
「勿論、切れ味は恐ろしいくらいだったそうだ。だが、本領はそこじゃない。この剣はな──力を加えれば加えただけ全部、吸収するって特性を持ってたのさ」
「力を吸収する? 確かに凄いのかもしれんが──」
 言い掛けた稔の言葉を真夜が遮る。勢いあまって腕まで振り払ってしまう。
「誤解するなよ? 俺が言ってるのは比喩じゃない。拡散させるでもなく、方向を反らすわけでもなく、本当の意味で吸収する──呑みこむんだ」
「──つまり、エネルギーを完全に保存する特性を持っていた」
 二人のやり取り──と言うよりは真夜の独演を静かに聞いていた晴明が言った。
「そういう事ですね?」
 にこにこと真夜に同意を求める。
 対する真夜の表情は苦りきっている。理由は至極単純だ。
「狙ってたな? 良いところだけさらいやがって」
 そういう事である。
 対する晴明はどこ吹く風と言った表情だ。
「なんの事でしょう?」
「──とにかく、そういう事さ。これが軍事的/政治的にどれほど大きな武器になるか、頭の悪い独裁者殿でもすぐに理解しただろうな」
 間を置いて、何も無かったように真夜は話を再開した。晴明は無視する事にしたらしい。
「なにしろ実験する限り無限にエネルギーを蓄積できた。このエネルギーが解放できれば核なんて比較にならん。放射能みたいな面倒もないしな」
「でも結局、溜め込むばかりで解放できなかったってわけか」
 全て理解したように稔は頷いた。
「その通り。ナチスの連中、魔術結社まで巻き込んでいじりまわしたが方法は判らず仕舞い。そのまま敗戦で魔剱は行方しれずになったが、役にも立たない遺物に見向きする連中も少なかったから長い事そのままになってた──」
 一旦、真夜はそこで言葉を切った。
 勿体つけるように、たっぷりと溜めを置いて外の風景を眺める。
 窓の外で流れていく景色のスピードが落ち始めた。
 次の駅が近いらしい。車掌の、あの独特の調子のアナウンスが流れる。
「それが、なんで今さら? ──って聞きゃぁいいのか?」
 呆れた声で稔が続きを促す。
 ──ったく、仕方ねぇな。
 そう言いたげな顔だ。
「そう。人間、素直が一番だぜ」
 妙に嬉しそうな顔で真夜は頷いた。
 魔術オタクと言うのは魔術師である事を隠す表の顔と言うより、限りなく地に近い姿なのかもしれない。
「理由はな、最近になって見つかったからさ。それもナチスの連中が発掘したのとは別に何本も」
「役にも立たないんじゃなかったか?」
「コイツは業界でもトップシークレット扱いなんだが──イギリスで解放に成功しちまった錬金術師が居たんだ」
 言葉を一旦、切る。
 そしてまた芝居掛かった仕草で頭を振った。
「いや、失敗したというべきだろうな」
「暴走、か」
「その通り。詳しいところは伝わってないから分からんが、ロクに制御も効かない状態でエネルギーを解放しちまったらしい。結果、錬金術師の工房から半径1Kmは本人も含めて綺麗さっぱり──」
 真夜の指先がぱっと開く。
 要は爆発をおこした、と言う事らしい。
「あとかたもなく蒸発。あとに残ったのは瑕一つない魔剱が二振りばかり──かくて、争奪戦の始まりというわけさ」
 やはり真夜の表情は妙に嬉しそうだ。口元に抑えても溢れるといった風な笑みが溜まっている。
「──ったく迷惑だな」
 対照的に稔の表情は苦い。
 ──何もわざわざ俺の身の回りで争奪戦なんぞやらんでも良いだろうが。
 そんな事を思っている。
「で、なんだってその連中が東京に集まって来てるんだ?」
「──相変わらずカンが良いな」
 苦い顔のまま問うた稔に、真夜は素直に感心を示した。
 真夜も晴明も、世界各地から魔剱を求める連中が集まっているとは言っていない。だが実際、稔の言う通り集まってきているのである。
 東京に──。
「残念ながら理由は言えない──と言うより、俺も説明できない」
「どういう意味だ?」
「魔剱が東京を選んだ──ってのが業界の噂だ。それで魔剱が東京に集まってるんだってな」
 真夜の表情は、一転して苦々しい。
「誰が流した噂かは知らないが、実際その通りになっている。何より──俺のタロット占いでも同じ結果が出た。10回やって10回ともな。そのクセ、それ以上は何一つ分からない」
「占い──? んなもんが当てになるのか?」
 稔は露骨に眉を顰めて言った。
 よほど占いと言うものに不信感を抱いているらしい。そこら中のメディアで占いが飛び交う──そんな現代の若者にしては珍しいタイプかもしれない。
「お前な、こっちの世界に首突っ込んでて、まだそんな事を言うのか? 確かに未来予知ってのは不可能さ。だが既に起こった事、起こりつつある事を知る事はできるんだぜ?」
 冷たい目で真夜は言った。
 真夜から言わせれば、業界の常識なのである。占いを信じない稔こそが信じられない。
「インターネットだの雑誌だので情報を集めるのと同じ事さ。ただ方法論が違うってだけで──」
「──晴明の占いは当らんぞ? 本人も自分で言ってる」
 素朴な疑問をぶつけるような表情で稔が問う。
「こいつの占いは──」
「──真夜君、稔君。次の駅で降りましょう」
 言い掛けた真夜を遮って、晴明が立ちあがった。
「どうした、ハル?」
 戸惑い気味に稔が問う。
「これを見てください」
 やはり笑みのまま晴明は携帯電話の液晶を差し出した。
 そこに映っているのは一通のメールだった。
 内容は──

 やっほー、ハルちゃん。
 ネットで泳いでたら変な情報捕まえてしもうたよ〜。
 ハーメルンが稔くんの友達を狙ってるみたいなんやわ。──理由はまだ分からんのやけど。
 とりあえずボク助けに行くけど、でもきっと長持ちせんから、すぐ追っかけたって欲しいんよ〜。
 せやから取りあえず、次の駅で下りたって──そっから先はボクの電子式神をハルちゃんのモバイルPCに送って案内さすから〜。
 じゃね〜。

 文面は極めて軽かった。が、その内容は──
「おい、こりゃ──」
 焦りを滲ませて稔が言い掛ける。
 その表情は堅い。光線の加減か、顔色さえ青ざめて見える。
「差出人は真冬さんと言うお嬢さんです。稔君の友達と言うのは留美さんの事ですね」
 妙に冷静に晴明は答える。
「おい──ハーメルンてのは、あの伝説の魔術師か?」
 真夜の声が珍しく上擦る。
「だとしたら面倒だぞ──なんだって、そんな大物が」
 苦い顔で呟く。
 自信家の真夜に、これほどのプレッシャーを与える──つまり、ハーメルンと言う魔術師はそれほどのビッグネームなのだろう。
 だが──
 晴明は柔らかな仕草で頭を振った。
「大丈夫──真冬さんが助けてくれるなら心配は無用ですよ」
 そう言った表情は、やはり笑みを含んでいた。

 ばさばさばさっ。
 激しい羽音と共に数十匹の鳩の群れが留美に襲いかかる。
 力は決して強くない。
 牙があるわけでもない。
 ふくふくと温かな空気を含んだ丸い身体。丸みを帯びた翼。とても、人を傷つける凶器を帯びているようには見えない。無力だが平和な生き物。
 それが鳩と言う生き物だ。
 だが──
 鋭くはないが嘴がある。蹴爪がある。
 そして何より数が多い。
 一斉に襲いかかられれば逃げ切れない。人を傷つけるだけの力もある。
 十分に脅威だ。
 その鳩の群れが人を包み込むように襲っている。ならば、それは白昼の恐怖と言うべきだろう。
 逃げる事もできず、身をかわす事もできない。ただ両腕で顔をかばう事で精一杯。
 たちまち全身に無数の傷が浮かんだ。
 うっすらと血が滲む。服に裂け目が増えていく。
 一つ一つは浅い。
 浅いが、いずれ深手になりかねない。
 それでもなお致命傷だけはない。ただ鈍い痛みが全身に浅く刻まれていく。一瞬を長く長く引き伸ばしたような感覚に陥っていく。
 そんな状況が続いている。
 最初、何かの冗談だと思った。そして、すぐに現実なのだと気がついた。
 次に誰かが追い払ってくれると期待した。でも、誰も助けてくれなかった。
 助けを諦めて、自分の力でなんとかしようと思った。でも、逃げる事も追い払う事もできないまま傷ばかりが増えていった。
 そして今、次第に思考が麻痺し始めている。
 追い詰められた恐怖に──そして、この非常識な光景に。
 ぷつん、と何か回路が頭のなかで切れたような気分。
 ──ヒッチコックの『鳥』を思い出すなぁ。
 呑気に、そんな事を思い出した。
 昔、友達に勧められてビデオで借りた映画だ。貸してくれた友達の忠告に従わず夜中に一人で見て、あんまり怖くて泣いてしまった事がある。
 ずざっ。
 足を滑らせて転んだ。上の空になった事が祟ったのだろう。
 ──あー、これから稔とデートなのに。スカート、汚れちゃったな。
 なおもそんな事を思う。思うことで──恐怖から逃げようとしている。
 顔をかばう両腕の動きも、惰性になりつつある。
 いっそ──
 このまま抵抗を止めてしまえば──
 そんな誘惑が、じわじわと留美の運動神経を支配し始めている。
 そこへ突然──
「あーっ、お姉ちゃん、諦めたらあかんよーっ!」
 明るい声。声と共に小柄な人影が飛び込んでくる。
 次の瞬間、その人影と留美を包むように蒸せるような熱気が舞い上がる。
 ぼわっ!
 燃え盛る炎の壁が二人を円状に囲む。
 呆然と、留美は顔を庇っていた両腕をさげた。一旦さげれば、もう再び上げる力が沸いてこない。
 脱力して炎の壁を見つめる。
「──っ」
 炎に巻かれて鳩が燃え、そして燃え尽き、炭化して地に落ちた。肉の焼ける匂いが留美の胸の奥に不快な濁りを残す。
 次々と鳩は飛び込んで──黒炭に変わって落ちていく。
 絶えかねて視線を反らした。
 反らせばその先に小柄な──留美の胸元くらいまでの背の少女が留美を見え上げていた。
 子供っぽい顔に縁なしの大きな目がねが可愛らしい。
「──ね? 諦めたらあかんて。せっかくボク、助けに来たんやもん」
 少女は真っ直ぐな笑顔で留美に言った。
 幼さを残した声に、舌足らずな関西弁。
 それが、なんだか留美の笑みを誘う。引き込まれたように心がほぐれる。一旦は狂気へと墜ちかけた精神が平衡を取り戻す。
 だが平衡を取り戻せば、それはそれで混乱の種があった。
「ね、あなた誰? それからこの炎はなんなの? それに助けに来たって──」
 疑問が、そのまま口をついて出る。
「えっと、あんなぁ、そんないっぺんに聞かれたら困るよ〜。順番に説明するから聞いたってくれる?」
「──うん」
 本当に困った様子の少女に、留美は素直に頷いた。
「ボク、日向 真冬いいます。稔くんのお友達のお友達なんよ。でね、お姉ちゃんはなんでか分からんのやけどハーメルンいうドイツの怖いおっちゃんに襲われとったんや」
 一つ一つ言葉を捜しながら少女──真冬は説明を続ける。
「この火はファイア・ウォール。ウィルスから自分を守るための仕組み──なんやけど、ちょっと細工してあるん」
「──それって、インターネットの? でも細工って?」
「このファイア・ウォールはコンピュータ・ウィルスを防ぐものと違うんよ。あの──ちょっと、きっとお姉ちゃんが信じられんような話するけど黙って聞いたってね」
 首を傾げる留美に、真冬は困ったような顔で言った。
 そこで一旦、言葉が切れる。どうやら説明の言葉を考えているらしい。
 ──このコ、本当にくるくる表情が変わる。いまどき珍しいよね。なんか可愛い〜。
 思いながら留美は、真冬を見つめている。恐怖から一気に解放された反動か、妙に呑気な気分になっていた。
 そんな留美を真っ直ぐに見つめて真冬は口を開いた。
「あんね。さっきの鳩はハーメルンが魔術で操って作った使い魔なんよ。それで、今いる世界は元の世界と同じようで違う──ハルちゃんは狭間とか位相がズレるとか呼ぶんやけど、そーゆーわけのわからん世界なんね──」
 ゆっくり、言葉を選びながら真冬は一生懸命、説明を続る。
 正直言って留美には理解しにくい話だ。多分、真夜あたりが同じ事を言えば決して信じはしない──そもそも最初からまともに話も聞かないだろう。
 だが、なんとなく今は素直に頷けるような気がする。
「でね。このファイア・ウォールは悪い魔法から身を護るためのものなんよ。位相がズレてるから目に見えてんけど、ホントはボクのPCの中で動いてるプログラムなん」
「ハルちゃんって──? それから魔術でプログラムなの?」
 やはり留美は半分も理解できなかった。それでも理解できそうなところから質問した。
 うん、真冬は頷いて留美の質問を受け付ける。
 それから0.5秒。
「うーんと、ハルちゃんはボクのお友達で、稔くんのお友達でもあるんよ。それから──ボクはRPGとかアニメの魔法使いと違って、プログラムを組んで魔術を使うんや。それで、ハーメルンはRPGで言うたら悪い魔法使い」
「──じゃぁ、わたしは悪い魔法使いに狙われたお姫様?」
 真冬の説明に合わせて、留美は冗談を言った。
「うん。そしたらボクは良い魔法使いやねっ」
 さらに調子を合わせて真冬が頷く。
 数秒の間。
「あははははっ」
「はははははっ」
 声をたてて二人、笑い合う。
 留美は目元に涙さえ浮かべている。
「でね──」
 ひとしきり笑ったあと、真冬は急に真顔に戻った。
「お姫様の守護騎士と、魔法使いを二人召喚してんよ。魔法使いばっかでバランス悪いんけど」
「守護騎士と魔法使い──?」
「うんっ。お姉ちゃんの知ってる人とハルちゃん」
 明るい笑顔で真冬は頷く。
「だから、大丈夫っ」
 もう一度、明るく頷いた。

 


 

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