〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 城塞都市の裏通りを音も無く歩を進める者がいた。
 その纏うローブは周囲のそれと同じ─即ち闇色に染め上げられ、顔面は白色の奇妙なオペラマスクで覆われていた。
 先刻、虐殺劇を繰り広げたこの怪人は、通りの所々より投げかけられる視線など全く意に介した様子も無く、目的の場所へと到達しつつあった。
 それからそう掛からぬうちに、怪人はその足を止め右手の半ば朽ちかけた建物を仰ぎ見た。
 風化しかけた看板には、「Cafe Les Mizerable」と刻まれている。
 既に営業を停止して久しいその店の扉を開くと、怪人はそれまでと同じく無言無音で店内へと姿を消した。

 


第10話 『胎動の闇』


 コンコン……
 完全なる闇に、そのオークの扉を叩く音が響き渡った。
 その残響はいつしか闇に飲まれ、それと同化するかのように掻き消えていった。
 コンコン……
 数拍を置いて、再び先刻の音が響き渡る。
 すると今度は、返事を待つことも無く無遠慮に扉のノブを捻った。
 はたして、その小部屋の主は小振りな魔法のワンドを翳すと、無礼な招かれざる来訪者たちを地上へと放り出さんと早口に呪文を唱え始めていた……
 が、来訪者の一団に見知った顔を確認すると、古の呪文詠唱を中断した。
「そなたであったか……久しいな」
 老賢者が低く響く声で呟くと、落ち着き払った女性の声がそれに応える。
「ええ、お久しぶりです。偉大なる賢者殿……」
 
 知人との再開を果たしたシキを先頭に、シオン達はそのダークゾーンの中の小部屋に足を踏み入れた。
 部屋の壁は大型の書棚で埋め尽くされ、老賢者が向かう卓上にも多数の書物や何かの魔法装置、そして迷宮の各所を映し出すという遠見の水晶球が無造作に置かれていた。
 卓上の物は勿論の事、書棚に納められているどの書物にも見たことの無い文字が記されていた。
「そなたと会うのは数十年振りか……変わらず、若く美しいことよ」
「あの方の死後、こちらに移られたと聞き、ようやく会いに来る事ができました……」
 老賢者は申し訳無さそうに俯くシキの頭をそっと撫でると、気に病む事は無いと諭し椅子を促した。
 一行はいつも毅然なシキが悲しげな表情を浮かべたのに困惑したようであったが、取り敢えずはこの場の様子を見守る事にした。
「ぬしらは、詩姫嬢の仲間であろう? 気を楽にするがよい」
「え、あ、はい」
 冒険者達の間で噂にのぼる大賢者を前に、皆一様に緊張しきっていた。
 もっとも、それも無理はない事だ。
 なぜならこの老賢者は、かの大魔術師ワードナや稀代の魔女ソーン、古のゾーフィタスに匹敵する力を持つと言われているからだ。
「ふむ。懐かしい顔を見た礼に、ぬしらに一つ聞かせてやろうかの……あの魔除けの話を」


 怪人が半ば廃屋と化した店内に入ると、そこには既に2人の先客がいた。
 いや、この2人こそが怪人をここに呼び出した張本人なのであるが……
 薄暗い店内で怪人を待ち受けていたのは、同じ顔をした男女。
 おそらくは双子なのであろうか。
 2人とも怪人を見下すかのような冷たい眼光をたたえていた。
「遅かったじゃないか、”魔人”」
 腰から剣を提げた男が、威圧的とも取れる口調で言った。
 怪人は無言で視線のみを返す。常人であれば震え竦み上がる邪眼にも男は臆する様子はない。
「騒ぎは起こすなと事前に言っておいた筈だよ。まさか、僕等が知らないとでも思っていたのかい?」
 変わらず無言。
「まあ、やる事をやってくれれば問題は無いけどね」
「問題はない。汝等こそ小生との約を違えるでないぞ」
 男の言葉など全く意に介さず。そんな怪人の口調が勘に触ったのか、男は激昂していきり立った。
「何を言う、この恩知らずが! 僕等が手を差し伸べなければ、お前など今頃……」
「やめなさい。貴方だって”魔人”の性格ぐらい分かっていたでしょうに」
 それまで黙っていた女が、同じ顔の男をなだめる。
「約束は果たしましょう。ですが、今後は軽率な行動は謹んで頂けますか?」
 口元を僅かに綻ばせるが、その冷徹な瞳は相変わらず変わる事は無い。
 怪人からの返事は無く、その場の空気が急激に張り詰めはじめた。
「なんだ? 不満なのかい?」
 男の台詞が引き金になったかの如く、怪人が己が手首を捻らんとした瞬間、怪人の背後に新たな気配が生まれた。
「ヘイ、GUY! そう熱くなるなって。せっかくなんだ、仲良くやろうぜ……FRIEND?」
 陽気な口調で突如、姿を現したのは褐色の肌の異様な男であった。
 何が異様かというと、その髪型……ドレッドヘアーである。
 勿論、滅多にお目にかかれる髪形ではない。
 だがそれ以上に、怪人に気取られる事無くその背後を取った事自体が、この男の恐ろしさであろうか。
「仲良くだって? 冗談はやめて欲しいな、ロズ!」
「フ〜ウ、OK。まあ、そんなに心配しなくても……”魔人”が失敗したらオレがなんとかするさ」
 ロズは肩を竦めたポーズをとると、陽気におどけてみせる。
「それでは、計画通りに……」
 女が手にした燭台の蝋燭の火を吹き消すと、光と共に彼等の気配も闇へと消えていった。

 かくして、物語の序章は終わりを告げ、新たなるステージへと進む事になる。
 だがこの時、彼等には己に訪れる運命を知る術はなかった……

 

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