〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜
第14話 『少女の傷』
再び足を踏み入れたそこは、何故か前回とは異なる感覚を喚起させた。
暗闇やそこに跋扈する魔物に対する恐怖は消え、逆に来るべき展開を渇望させるが如き昂揚感があった。
だからといって慢心や気の緩みは一切ない。
その事が彼が非凡な才覚の持ち主ではない事を証明していた。
迷宮の回廊を進む者たちは6人。
その先頭を行く黒マントの剣士は、決して慣れた訳でもない道のりを少しの躊躇いもなく歩を進めた。
黒色に統一された装備、そして肩先を僅かに超える漆黒の長髪。闇を見据えるその瞳の色は真紅。
”死神”のそれを連想させる若き剣士は、迷宮内にあっても愛用の黒帽子を被り続けていた。
「見えてきた……というのも変だが、ダークゾーンだ」
デュオが呟くと、その後方で迷宮の簡略地図を眺めていたシオンが目前に佇む闇を指さした。
「あの先に地下4層までを貫く第一昇降機があるはずさ」
「まあ、行くしかねぇだろ。さっさと片付けようぜ」
特に気に掛けた風でもなく呟くと、ヨセフはデュオの肩に手を置いた。
「こんなデカイ穴に潜るのは初めてだろうけどよ……気後れすんじゃねぇぞ」
「……ああ、わかっている」
暗黒回廊の終着点には、はたして件の昇降機は存在した。
シオンが慣れた手つきで操作版をいじると、太い金属製のワイヤーを巻き上げるくぐもった音が周囲に響き渡った。
それから数瞬も待たぬうちに、機械によって吊り上げられた鉄格子に覆われた小部屋が下層より出現した。
その格子戸は一行の前で微かな金属摩擦の音を立てて開くと、一行を内部へと招き入れた。
「なんか、かなりくたびれた感じよね…これ」
「なぁに、心配するな。こうした機械技術はアルマールよりもリルガミン地方の方が優れている」
イルミナの心配を一笑にふすと、ユダヤは率先して昇降機へと乗り込んだ。
未知の迷宮に対する皆の緊張を、彼なりに和らげたのだろう。
昇降機内は意外にも広く感じられた。
その宙吊りの室内を見回すと、この昇降機を操作する為のものであろう簡素な錆び付いたレバーが、大仰な歯車に連結された小箱から伸びていた。
レバー脇に取り付けられた金属板には、A〜Dの記号が一定間隔で刻まれている。
すでに操作法を熟知していたのか、シオンはそのレバーを、Dの位置にまで押し下げた。
すると、先程と全く逆の動作で格子戸がひとりでに閉じていく。
格子戸が完全に閉まりきりロックが掛かると、一拍おいて昇降機が下層へとゆるやかに降下をはじめた。
魔除けを奪いし大魔術師ワードナ。その老人が想像を越えた絶大なる魔力によって一晩のうちに築き上げた大迷宮。
ワードナを討つべく、迷宮に踏み込んだトレボー親衛隊。
そして、彼らが設置した迷宮を縦に貫く昇降機。
設置当初、まさか彼らが魔除け奪還に失敗し、後に冒険者が活用するとは思いもしなかったであろう。
しかし、その装置の手前に永久暗黒の禁術を施したのは何故であろうか?
第一、このような自らの牙城を脅かす装置を、なぜワードナが放置しているのであろうか?
数々の謎は、無責任な憶測や噂を孕みながらも、未だにこうして機能していた。
軽い浮遊感と共に昇降機は停止した。
格子戸が開いたその先に現れた空間は、つい今しがたまで自分達がいた迷宮上層とはあきらかにその空気が違っていた。
その壁面は苔生し、気のせいか一段と暗い印象を与えた。
地下4層に足を踏み出すと、そこは前後に伸びる通路の只中であった。
「シオンさん。それで、目的の場所はどちらでしょうか?」
シキがそう尋ねた時だった。
薄暗い回廊から、浅葱色の装束を纏った剣呑な眼光の一団が襲い掛かってきた。
その素早い身のこなし、無駄のない統制の取れた連携。
忍者だ。
リルガミン地方では、その数も少なく珍しい向きのある暗殺者達がワードナに従っているという噂は耳にしていた。
だが、忍者発祥の地である東方との境目、アルマールでの冒険をこなしていた彼らにとってはそんなに珍しい相手ではなかった。
一行が昇降機を降りる瞬間を狙っていたのであろう。
その完全なる奇襲攻撃は、十分に反応しきれていない一行に容赦なく襲い掛かった。
忍者の逆手に構えた短刀が、デュオの喉元を狙って煌いた。
が、寸前の見切りによって辛うじてかわすと、勢いの止まらない忍者の胴をデュオの剣が通り抜けざまに凪いだ。
しかし、仲間が斃れるのを見ても、その非情な暗殺者達はせっかくの奇襲をふいにするつもりはないようだ。
同じくヨセフに飛び掛った忍者も、その凶刃が届く前にカウンターの蹴りを受け吹き飛んでいった。
壁面に激突した忍者のその首は、あらぬ方向に折れ曲がっていた。
そして、もう一人の前衛、イルミナは予想外の苦戦を強いられていた。
死角からの攻撃になんとか反応はできたものの、その攻撃は彼女の左の肩口を僅かに捉えていた。
傷口からはどす黒い血が流れ落ち、その意識が微かに遠退きかける。
「くっ……毒?」
無意識にうめくと、イルミナは苦悶の表情を浮かべる。
一方、暗く濁りきったその瞳に一点の光すら宿さない暗殺者は、その手負いの獲物にとどめを刺さんと追撃を仕掛けた。
態勢が崩れていたとはいえ、忍者の攻撃を何とかはじき返すとイルミナは一歩踏み込んで袈裟切りに斬りつけた。
その急な動作が災いしたのか、顔色は蒼白であった。
目前の危機が去り一瞬、気の緩みを見せたイルミナの不意をついて、更なる新手が跳ねる様に飛び掛ってきた。
「え、マズ……」
思わず目を閉じてしまう。
しかし、その身に刻み込まれる筈の攻撃は、いつまで経っても訪れる事はなかった。
「ぼやぼやするな! 取り敢えず下がれ!」
ユダヤの声にふと引き戻されると、目前の忍者は首を失って倒れていた。
その時、イルミナが目にした光景は、まさしく過去に自分が助けられた時と同じものであった。
怒号を上げながら、敵を片っ端から切り伏せていく赤髪の剣士。
その力は圧倒的で、数の差などまったく問題ではなかった。
勿論、デュオやヨセフも善戦しているが、ユダヤのその剣技はあきらかに別次元のものであった。
ユダヤの村正が振り下ろされる。
ある者はその胸板を鮮血に染め、ある者はその腕(かいな)を両断された。
ユダヤの村正が横凪に一閃する。
ある者はその首を失い、ある者はその胴を分断された。
ユダヤの間合いから飛び退く者もいた。
だが、その剣氣は間合いとは関係なく、その者を斬り裂いた。
それは異様な光景であった。
まるで演劇芝居でも観ているかの様な、そんな光景であった。
イルミナは自身の傷の痛みやその場の状況などを忘れ、目の前の光景に目を奪われていた。
「……大気が生み出せし軋轢、黒雲の主に導かれし雷の爪牙よ」
高く透き通る旋律にふと視線を巡らせると、シキの眼前に緑色の光を放つ小さな魔方陣が描かれている。
呪文の詠唱が終わるや否や魔方陣が弾け飛び、それを描いていたのと同色の輝きを放つ電撃が解き放たれた。
魔術系統第3レベルに位置付けられる呪文、MOLITOである。
哀れな暗殺者達は、その雷の波に捕えられると声もなく倒れていった。
それらはほんの数瞬の間に起きた出来事であった。
「モンスター配備センター。いよいよ目的の場所にご到着ってわけか」
迷宮内の他の扉とは比べ物にならない程の堅牢な鉄扉を前に、ヨセフが誰にともなくそう呟いた。
「イルミナさん、調子の方は如何ですか?」
「うん…ありがとう、シキちゃん。もう大丈夫だから……」
シキによって施された解毒呪文によって正常な体調を取り戻してはいたが、イルミナの表情はどこか沈んでいた。
「ねえ、ユダヤさん。あたしって弱いのかな……やっぱり」
「さっきの戦闘の事か? ああ、はっきり言ってまだまだ未熟だ。だが鍛錬を怠らなければ、お前なら必ず強くなれるさ……」
すっかりと意気消沈したイルミナは、しかしその言葉を最後まで聞く事はできなかった。
だが、弱気や不安と言ったものは、迷宮においては伝播する。
その事を知っていたイルミナは、表面上だけでも努めて明るく振る舞う事にした。
「えへへ、ご迷惑をおかけしました」
(あたしって……足手まといなのかな)
配備センターの扉をくぐると、そこには夥しい量の屍と血の海が広がっていた。
死屍累々─まさしくそんな惨状であった。
しかしそれらが、この配備センターを守るべき立場にある者達のなれの果てだと気付くまでにそう時間はかからなかった。
何故ならば、室内には彼ら以外に姿はなく、守護者がその任を放棄して立ち去ったとは考え難いからである。
そんな地獄絵図の中で、シオンはふと見やった視線の先で信じられないものを目にした。
「ユダヤ、あれっ!」
シオンの叫びに皆が一斉に振り向くと、そこには壁面の一角に縫いとめられた僧侶らしき男の死体があった。
その顔には凄まじいまでの恐怖が張り付き、その物言わぬ口には青色のリボンが咥えさせられている。
そして、その横には殴り書きしたかのような血文字が残されていた。
彼らを死に追い込んだであろう、襲撃者のメッセージであろうか?
その血文字はこう書き記されていた。
”Present for Judah”
(ユダヤに贈ろう)