〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


「おいおい、このユダヤって…お前の事だよな? やっぱりよ……」
 己の目を疑いながらも、ヨセフはおずおずと問い掛けた。
 皆、何も語ろうとはしなかったが、ここで起きた明らかに異常な惨劇を……そして、何よりもその現場に仲間の名が残されていた事実に驚愕していた。
「残忍な手口ですね」
「うん。だけど、これだけの数の守護者をほぼ一撃で葬り去っている。恐ろしい腕の持ち主だよ」
 現場を冷淡な眼差しで見つめていたシキの言葉に、シオンはまた冷静な分析結果を述べた。
 デュオとヨセフはそれら遺体を調べ、イルミナに至っては目を背け入り口付近にまで下がっている。
 そして、この件となんら関わりがあるであろうユダヤは、血文字を睨みつけただ立ち尽くすのみであった。
「……しかし、なんて切り口だ。とても普通の剣やそこらじゃこうはいかないぞ」
 首を失った忍者の傷口(切断面?)を観察していたデュオは、思わず感嘆の声をあげた。
「鋼斬糸による手口さ」
 視線を移す事無く、ユダヤが静かに呟いた。
「おい、まさかヤツの仕業だって言うんじゃないだろうな?」
「城下でも同じ手口の殺しがあったらしい」
「だけどよ……だけど、ルシフェルはお前が止めを刺した筈だぜ。俺やシオンもこの目で見ているんだ」
 ユダヤは壁に縫い止められた僧侶の口からブルーリボンを抜き取ると、静かにヨセフを振り返りその目を見据える。
 どれほどの時間が流れたろうか、いやほんの数瞬だったのかも知れない。
 その険悪とも取れる沈黙を破ったのは、それまで帳の外にいたイルミナであった。
「あ、あの……もしかしたら、たまたま同じ武器を使う別人って事もあるし、ユダヤさんもそんなに気にしないほうが……」
「事情を知らない奴は黙ってろ! これは俺の問題だ」
 今まで見た事もないようなユダヤの鋭く暗い瞳に、イルミナの精一杯の笑みが凍りつく。
 その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「おい。俺も詳しい事は知らないが、今のは言い過ぎだろう?」
 そのあまりの態度が頭にきたのか、デュオがユダヤに詰め寄るが、足早に駆け寄ったシオンが無言で引き止める。
「何故だよ? 何があったのかは俺には分からない。だが、あんたらは生死を共にしてきた仲間じゃないのか?」
「何が言いたい?」
「別に隠し事をするなと言うつもりはない。だが、一部の仲間を蔑ろにして、自分達だけが訳知り顔で過去の因縁を持ち出すのが”仲間”なのかと聞いているんだ」
 デュオの激しい弾劾に一瞬顔をしかめるが、ユダヤは更に怒りを露にデュオに掴みかかると、周囲の惨劇に視線を向ける。
「その”仲間”がこんな事をしでかしたんだ。それも、過去に消え去った筈の亡霊がな……」
「ふん、茶番だな。今が個人的な感情を持ち出すべき時じゃ……」
「もういいですよ、デュオさん。あたしなら気にしてませんから」
 2人の間に割って入った少女は、寂しげな表情を浮かべると、その黒帽子の剣士に頭を下げた。
 その姿にやりきれないものを感じたデュオであったが、その胸中を汲んで引き下がる事にした。

 過去の確執というものは、それほどまでに人の心を掻き乱すのであろうか。
 その空間には、確かに不協和音が響き始めていた。
 


第15話 『辣言、甘言』


 昼も過ぎ太陽がやや傾きかけると、天高く聳えるカント寺院の尖塔が長くその影を落としていた。
 この時間帯、人も疎らに閑散とした礼拝堂には、カドルト神とその御使いたちを描いたステンドグラスが、折りしもその幻想的な光の空間を作り出さんとしていた。
 そんな、カントの執務室に人目を憚り足を運ぶ者がいた。
 男は簡素ながらも上等な素材で編んだ衣服を身に纏い、その背筋は真っ直ぐに伸び堂々とした足取りで歩を進めていた。
 そして、目的の部屋の前に辿り着くと、厳かにかつ臆する事ない面持ちで扉を叩いた。
「どうぞ、開いています」
 扉のうちからの声に応じ、男は静かに扉を押し開けた。
「失礼します」
 男が室内に歩を進めると、そこには鼻腔をくすぐる香のような煙が微かに立ち込めていた。
 その部屋の中央、執務机に腰を降ろしていた司祭と思しきエルフが立ち上がり、来訪者を応接テーブルへと招き寄せた。
 エルフの服装は、金糸や銀糸の刺繍に彩られた豪奢なローブであり、その胸元には高司祭にのみ帯びる事を許された黄金のホーリーシンボルが提げられていた。
「よくぞ参られた、近衛兵長どの。さあ、まずはくつろがれよ」
「お気遣いは結構。それよりも私に話とは一体どのような用件でしょう?」
 その台詞こそは慇懃なものであったが、その雰囲気は明らかに不快を表していた。
「まあまあ、そう急く事もないでしょう。まずはお掛けなさい」
 高司祭ホークウィンドは相手の心中を知ってか知らずか、あくまで自分のペースで物事を運ぶ。
「……それでは、お言葉に甘えて」
 上帝トレボーの近衛兵を束ねる男、ゼル・バトルが応接ソファに腰を降ろすと、エルフもまたその正面へと腰を落ち着ける。
 すると、頃合を見計らっていたのか、女神官がよく冷えた東方の茶を運んできた。女神官は給仕を終えると会釈をして部屋を後にした。

「なかなかに美味しいでしょう? このお茶は遥か東方、葦原の大国より取り寄せた一品でしてね」
 内心苛立ち始めた近衛兵長とは裏腹に、このエルフは今しがた運ばれた東方茶についての薀蓄を語り始めた。
 両人ともその表情は穏やかなものであるが、その心中はまさに動と静。
 エルフはこの怒れる来訪者を、わざとからかっている様でもあった。
「ホークウィンド猊下。そろそろ、用件をお聞かせ願えませんか」
「やれやれ、近衛兵長どのはお気が短いと見える……まあ、いいでしょう」
 くっ、と奥歯を噛み締めるゼル。
「今回、卿にご足労願ったのは、他でもない卿自身の立場を案じてのこと」
「私の立場ですと? それはどういう……」
「考えても御覧なさい。今や着実に冒険者共は、かの大魔術師のもとへと近づきつつあるのですよ。万が一、このまま彼奴らが魔除けを取り戻すような事があれば……上帝が誇る近衛兵をもってしても叶わなかった偉業を成し遂げでもしたら、卿の面子は丸潰れではないか?」
 怒気に紅潮しかけていた近衛兵長の顔が、一気に青ざめる。
「くっ、確かに。ですが、猊下の提案どおり、その者達を近衛兵として迎え入れる事により、上帝の覇道はより一層の……」
「だから、それでは卿の立場が危ういと申しているのですよ。かたや、幾度にも渡る惨敗を期した敗軍の将。かたや、見事偉業を成し遂げた歴戦の勇士。果たして上帝陛下の目には、どちらの方が己の信頼に足ると映るものか」
「な、なんと……言われてみれば仰るとおり。しかし、私には打つ手などありませぬぞ」
 すっかりと落胆しきったゼルに対し、そのエルフの策士は口の端をにわかに吊り上げた。
「その為に、お呼びしたのですよ」


 一方、地下4層、第二昇降機。
 先刻の配備センターでの一件以来、パーティ内には不穏な空気が流れていた。
「待てよ、それじゃこのまま下層へ向かうと言うのか?」
「ああ。アレが誰の仕業かを、はっきりさせておきたいからな」
 デュオはすっかりと塞ぎがちのイルミナを横目に見ながら、改めて聞き返したがユダヤの返答は変わらず。
「ここから下の階層に関する情報は一切ないんだ。それを調べるためにも、悪い提案じゃないと思うよ」
「俺もシオンに賛成だ。パッパと行って、パッパと片付けようぜ」
 いつも何かとやる気の散漫なヨセフも、今日に限ってはやけに意欲的だ。
「……シキ、アンタの意見はどうだ?」
「わたくしは別に。みなさんの方針に従いますわ」
 突如現れた、過去の亡霊だかの所為で皆の意識が自分自身にしか向いていないのが気に入らなく、デュオは何かを言わずにはいられない気分であったが、これより下層に向かうと言うのであれば悪戯に事を荒立てるのはかえって危険だと判断し押し黙った。
 ただ、何よりも気に入らなかったのは、仲間であるはずのイルミナの変調にも気をかけずにいるという事だった。
 そんなイルミナに何か声を掛けてやりたかったが、結局掛ける言葉が見つからず終いであった。
 そう、デュオはまだこのパーティにとって、新参者以外の何者でもなかったのが目に見えて自覚できたからだ。
 そして、第二昇降機へと乗り込む一行の後に続きながら、誰にも聞こえない微かな声でそっと呟いた。

「……気に入らないな」

 

NEXT  BACK


前のページへ