〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 大魔術師ワードナがその居城としているのは、この広大なる大迷宮の最下層。
 すなわち、地下10層に潜んでいるとのまことしやかな噂が囁かれていた。
 しかしながら、いまだかつて地下10層に足を踏み入れ、生還した冒険者は存在しなかった。
 ただ、四度に渡り派遣されたワードナ討伐隊の数人が、命からがら逃げ帰ったのみである。

 紆余曲折の末、第二昇降機の封印をブルーリボンによって解除したシオン達は、一路地下9層を目指し降下を続けていた。
 当初、最下層まで直通するかと思われたこの昇降機であったが、どうやら地下9層にまでしか届いていないのであった。
 恐らくは、ワードナの魔力が昇降機を開通させる為の削岩機を弾き返したのであろうか。
 その事から、ワードナに最も近い所まで行ってみる事となったのだ。
 様々な軋轢を抱えたまま……
 


第16話 『別離』


 上帝の試練場、地下第9層。
 そこは、地表から遥か下に位置する閉ざされた暗黒の世界であった。
 もはや魔の瘴気を吸って生きる魔物以外の生命は姿を消し、人間の住む領域とは完全に異なる次元と化していた。
 そんな下層域に、一行はいよいよ降り立つのであった。
「おいおい、なんだか寒くねぇか?」
 硬い表情の皆の気分を和らげようとしたのか、はたまた本心からそう感じたのか、ヨセフは誰にともなく自らの意見を主張した。
「地下9層ともなると、流石に陽光から遥かに遠ざかってますから。勿論、それだけが原因とは申しませんが」
 その言葉にシキがレスポンスを返す。
 シオンは未知のエリアのマッピングに没頭していて、ユダヤは相変わらず厳しい表情を浮かべている。
 デュオは未だに元気のないイルミナを気に掛けながらも、常に周囲への気配せを怠らない。
 一瞬の気の緩みが生死を分ける。
 今がまさしくそんな状態であったが、皆の士気は低く気持ちも停滞していた。

 長く伸びる無機的な冷たい回廊を進んでいると、目の前に開けた場所が出現した。
 冒険者内ではこういった場所のことを、玄室、もしくはエアポケットと呼んでいた。
 そして、ここには必ずといっていい程、敵モンスターの一団が潜んでいるのである。
 そして、シオン達の前にもご多分に漏れずその異形の怪物が姿を現した。
 その怪物の名はポイズン・ジャイアント。
 猛毒の血液がその身体を巡り、その吐息をもってしても毒素を撒き散らすと恐れられる人喰いの巨人である。
 玄室内に居合わせた巨人は2体。
 久しぶりの獲物を目にしたのか、その巨体に見合わぬ速度で飛びつくように襲い掛かってきた。

「来るぞ…猛毒の体液に気を付けろ。瞬時に終わらせろ!」
 叫びざまに抜刀すると、ユダヤはその1体に向けて走り出した。
 後方ではシキがMADALTOの呪印を結び、複雑な詠唱を開始していた。
 また、ヨセフはBAMATUの加護の奇蹟を呼び起こさんと、精神集中に入っている。
 そして、デュオとイルミナは残りもう1体の巨人を迎え撃った。

 ユダヤは巨人の繰り出す怪力パンチを回避しつつ間合いを詰め、見事その懐に入り込む事に成功していた。
 こうなればもう勝負はついたも同然であろう。
 一方、デュオ達の方はというと、二対一と数の上でこそ優位に立ってはいるものの、猛威を振るう巨人の体力は計り知れない。
 冷静に戦闘をこなすデュオとは対照的に、イルミナのは明らかにいつもの調子を失っている。
 それ故に、数の優位性を獲得しながらも、戦闘は先行きの読めない展開となっていた。
 なぜなら、彼女は焦っていた。
 先の戦闘で己の未熟さゆえに不覚を取った事もそうだが、その後の一件でユダヤに邪魔者扱いされた事が彼女の精神に大きな影を落としているのだ。
 そして、その心の迷いは反応の遅れや判断ミスという形になって如実に表れる。
 その時、イルミナの見せた一瞬の隙。
 狡猾な巨人は、獲物の見せたその僅かな隙すら見逃しはしなかった。
 巨人の拳が唸りを上げて迫り来る。
 あわや、その餌食になるかと思われた刹那、ヨセフのBAMATUが効果を顕した。
 不可視なる神聖な壁にその攻撃を逸らされた巨人がバランスを崩すのと同時に、今度はシキのMADALTOが完成する。
 極限にまで低下したその極寒の凍てつく吹雪は、対峙している巨人2体を巻き込み猛烈な加速を重ねる。
 その冷却効果により、巨人たちはその生命活動を停止した。
 
 戦いが終わり、度重なるイルミナの落ち度に業を煮やしたユダヤは、彼女に対し一段と厳しい視線を放つ。
 その瞬間、MADALTOの吹雪により、倒したと信じて疑わなかった巨人がユダヤの背後に立ち上がった。
「呪文無効化!?」
 誰かがそう叫ぶのと同時に、巨人は己が持つ猛毒の体液を撒き散らしながらユダヤを急襲する。
 その体液は猛烈な勢いで酸化し始め、玄室内の空気を毒そのものに置き換えていく。
 渾身の奇襲を咄嗟に反応したユダヤが、その猛毒を浴びながらも辛うじて巨人を葬る事には成功する。
 また、それに伴ない幾つかの問題が生じ始めていた。
 まずは、巨人の亡骸を中心に玄室内の空気が汚染されたという事だが、それは聖職者の浄化呪文によって十分に対応できた。
 真に問題なのは直接、間接問わずに、パーティメンバーの何人かが毒による被害を被ったという事だろうか。
 汚染され始めた空気を僅かに吸い込んだメンバーに比べ、体液そのものを浴びてしまったユダヤの容態が予想外にも深刻であった。
 もはや解毒薬では効果が期待できないと踏んだのか、ヨセフは解毒呪文を唱え始めた。

 そんなユダヤの容態が心配になったのか、イルミナがおずおずと近づいてくる。
「あ、あの…ユダヤさん、大丈夫ですか?」
「イルミナ。お前、戦闘中に余計な事でも考えていたな?」
 その心配をよそに、ユダヤはイルミナを激しく弾劾した。
「今回はヨセフの防御魔法が間に合ったものの、一歩間違えればどうなっていたか位は分かっている筈だ」
「……はい」
「それとも、お前は余裕を見せる程に強くなったつもりなのか?」
 俯いたイルミナの目には大粒の涙が溢れていた。
 シオンは巨人の残した宝箱の開錠を、シキは空気の中和呪文に集中している。
 デュオはただ黙ってその様子を見守っていた。
「それにお前には上達というものがないのか? 俺と一緒について廻っておきながら、未だにその程度の腕とはな」
「……あたしだって頑張ってます。何もそんな言い方しなくても」
 消え入りそうな声でイルミナが呟いた。
「顔を上げろ、イルミナ。言いたい事があるなら、はっきりと言ってみろ」
「あたしは……」
「ん? なんだ、聞こえないぞ」
「あたしは、ユダヤさんに助けられてから…ずっとユダヤさんに憧れていました。ユダヤさんみたいに強くなろうと、必死に頑張りました……」
 イルミナは涙に濡れた顔を上げると、嗚咽したのどから必死に言葉を紡ぎだした。
「ああ、そうだな。お前は必死に頑張っていた。それは俺も認めるが、最近はどうだ。上達するどころか剣に迷いが出ているとはな」
「あたしは、ユダヤさんに早く認めて欲しかった……肩を並べて戦える一人前の剣士として…ユダヤさんに相応しい一人の女として……」

 それまで土色のそれに変色していたユダヤの顔色が、その本来の血色を僅かながら取り戻しつつあった。
 だが、予想以上に毒素の汚染が酷かったのか、その奇蹟は解毒を成し遂げる事無く立ち消えとなった。
 ヨセフは精神を集中し再度、呪文詠唱に入る。
「あたし、ユダヤさんの事が好きです」
 脆く壊れそうな身体を震わせ、しかしその瞳には真摯な光を宿してイルミナはその胸の内を告白した。
 しかし、一方のユダヤはバツの悪そうな表情を浮かべていた。
「いや、お前の気持ちは嬉しいんだが……悪いがその気持ちには応えられない。俺にとってお前は大切な弟子というか、昔に共に過ごした妹に近い感情をだな……」
「ユダヤさんのバカ!」
 差し伸べかけたユダヤの手を払いのけると、イルミナは涙で霞んだ視界の中を駆け出した。
 一足飛びに遠ざかる彼女を押し留めようとするが、全身に激痛が走り動く事すら叶わない。
 他のメンバーも咄嗟の事に反応ができずにいる間に、自暴自棄となったイルミナは玄室を飛び出そうとした。

「待て、どこに行く気だ?」
 今まさに玄室を飛び出ようとするイルミナの腕を掴む者があった。
「……離してよ、デュオ君」
 自分を行かせまいと腕を掴むデュオの顔も見ずに涙声で訴える。
「もう、ここにはいられない」
「自分が今どこにいるかを思い出せ」
「そんなの関係ないわ。もう、あたしなんてどうなっても構わないんだから……放っておいてよ!」

 ぱぁん。
 玄室内に乾いた音が響き渡り、デュオに頬を張られたイルミナがその場に崩れ落ちる。
「ここは既に個人の甘えが許される領域ではない。酷な言い方になるが、お前一人の勝手な行動でパーティが全滅する事すらある……違うか?」
 デュオに叱咤を受け項垂れたイルミナは、肩をわななかせて涙に目を腫らした。
 その唇を血が出るほどにかたく噛み締めた。
 その様子を静かに見守っていた一行は僅かに安堵の表情を窺わせると、各々が今取り組むべき事へと専念した。
 
 が、次の瞬間。
 桁外れの殺気の塊が近づいてくるのを、皆一様に肌で感じ取っていた。
 その殺気の元はつい今し方、自分達が歩いてきた昇降機の方角から感じられる。
 侍や戦士といった五感を洗練させた職以外の者─シオンやシキですら、悪寒ともとれるその強力な殺気に戦慄していた。
 だが、戦闘の要たるユダヤの治療は不完全であり、ヨセフはその治療に未だ深い精神集中にあった。
 この状態のイルミナでは、とても戦闘をこなす事は不可能であろう。
 パーティの危機を察知したデュオは覚悟を決めると、師より譲り受けた愛剣カシナートを無言で引き抜いた。
 はたして殺気の方角は自分のいる区画の対角線上、すなわち最も距離を開けている状態を示す。
 足元にうずくまる少女を気に掛けながらも、デュオはその決死の一歩を踏み出さんとする。
 すると、足元からカチッという仕掛けが作動する微音が聴こえ、わずか一瞬それに気を取られてしまった。
 その瞬間、デュオとイルミナのいた区画の床が抜け、2人はその口を開いた暗闇へと呑み込まれていった。

 

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