〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜
そこは暗闇であった。
身体全体に重く圧し掛かる重圧。
そして、自我すらをも呑み込まんとする奈落の闇。
悠久に続くかと思われたそれは突如終わりを告げる。
視界に一点の光明が差し込み、まるで蜘蛛の糸を掴むかの如くただただ回帰を求めた。
やがて、暗黒は去り再び覚醒の時を迎えた。
目が覚めると……
そこは暗闇であった。
第17話 『アース姉弟』
「痛っ……ん…何処なの、ここ?」
どのくらい気を失っていたのだろうか?
目を覚ますとそこは、今まで自分達が居た場所とは明らかに異なる空間であった。
イルミナは辺りを確認しようと立ち上がろうとするが、落下の際、したたかに全身を打ちつけたのであろう。
鈍い痛みと痺れによって、身体がいう事を聞かない。
周囲を見回してみると、少しばかり離れた場所でデュオが倒れていた。
辛うじて動く腕で、腹ばいになった身体を引っ張りながらデュオの元へと移動した。
「デュオ君、大丈夫?」
イルミナに揺すられると、デュオは軽いうめきを上げ意識を取り戻した。
「ん? イルミナか……ここは、一体?」
落下時に咄嗟に受身を取ったのか、彼女よりは遥かにダメージの軽いデュオは、多少ふらつきながらも立ち上がる事に成功した。
そして、足元に取り落としていた愛剣を拾い上げると、周囲を警戒しつつイルミナの怪我を診る事にした。
先刻の足元が抜けた時、うずくまっていた事が災いしたのか、無理な姿勢で落下した為に受身を取り損ねたらしい。
幸い骨に異常は見当たらなかったが、全身を強打した為に動く事すらままならないのが現状か。
「全身を強く打っているな。みんなが来るまでここにいるとしよう」
「あ、その……ごめんなさい。あたし…」
強制的とはいえ、しばし意識が途絶え思考を停止した事で、本来の平静を取り戻したのだろうか。
先程までの自暴自棄な様子はすっかり消え、代わりに非常にばつの悪そうな表情で俯きがちに呟いた。
「俺に謝っても仕方がないだろう。まずは合流してからだ」
「うん、そうだね」
顔を上げたイルミナの表情は、これまでで最高の笑顔だった。
デュオはなぜか自分の顔が赤くなるのを感じ取り、不意にトレードマークの黒帽子を深々と被りなおした。
そんな様子をイルミナは不思議に思った。
それから2人はしばらく待ち続けたが、仲間が彼らのもとに降りてくる兆しは皆無であった。
恐らくは、あの殺気の主と戦闘になったのだろう。
ユダヤ達の実力ならば誰が相手でも、そうそう遅れを取るものではない事は分かっているつもりだ。
だが、あの時点でのメンバーの状況は決して良いものであるとは言い難かったのも事実だ。
或いはなんらかのトラブルを引き当ててしまったのかも知れないが、今の彼らに出来る事は何もなかった。
また、デュオ達も何にもしないでただ待ち続けているわけではない。
あれから、付近を探索(といっても数歩の範囲であるが)した結果、ここが彼らの目指す大魔術師ワードナの居城。
すなわち、最下層である事には間違いがないとの確証を得るに至った。
この地点から、さらに奥へと伸びる奈落の回廊。
その入り口とでも言うべき場所に、黄金のフレームに収められた警告文を発見したからだ。
要約すれば、ここは偉大なる魔術師の居城であるから早々に立ち去れ……という意味合いの内容であった。
その後、相変わらず痛覚により動けないイルミナを守るように周囲を警戒しながら時間だけが過ぎていった。
このまま悠久の暗闇の中に取り残されようとしたその時、なんの前触れもなくそれらはやって来た。
奈落の回廊のそのまた奥から音もなく忍び寄るそれらに、初めに気付いたのは以外にもイルミナであった。
迷宮の影に溶け込むかのように移動するそれらは、実体を持たずにかりそめの肉体に宿る貧欲なる亡者、ライフスティーラーであった。
それらをいち早く察知したイルミナであったが、自分の身体が動かないのがやや感を鈍らせているかのようでもあった。
本来であれば気付きざまに自分が直接攻撃できるものを、ここはデュオに頼らざるをえないのだ。
「デュオ君、左!」
イルミナの声に促されその方向を視界に収めると、そこには一切の気配さえ持たない闇の亡者が、今まさに飛び掛らんとする所であった。
「な、マジかよぉ〜」
驚嘆の叫びを発すると同時に降り抜いたカシナートの刃は、間一髪のところで亡者を切り裂く事に成功した。
しかしながら、デュオが周囲を見渡してみると、その亡者の数は確認できるだけでも悠に10体を超えていた。
しかも、そのどれもが生気、気配というものを全く持ち合わせていないときた。
ただひたすらに、生命という糧を求めてにじり寄ってくるだけの、半自動的な存在とすら言えた。
「なんなんだ、こいつらは?」
「ライフスティーラーという不死者ね。生者の精気を吸収しようとする貧欲なる亡者よ…気を付けて」
とはいうものの、亡者の生を渇望する勢いは衰えを知らない。
デュオがイルミナを庇いつつ必至に応戦しても、次から次へと湧いてくるようだ。
「くそっ、冗談じゃないぞ……」
死を恐れぬ(もう死んでるけど)亡者のいつ果てるともない猛攻に、デュオの息はすっかり上がり肩で息をしていた。
その額には汗が滲み、前髪がぴったりと張り付いていた。
その時、それまで感情の抑揚というものを全く感じさせなかった亡者が、ふとニヤリと口を歪めたように見えた。
次の瞬間、デュオの身体は目に見えないなんらかの力によって、完全にその自由を奪われてしまった。
デュオは知らなかったが、これはMANIFOという2レベルの僧侶呪文によるものであった。
MANIFOは相手の動きを僅かばかりの間だが捕縛する効果があり、この状況において最悪の呪文であるといえた。
「くっ……イルミナ、逃げろ〜」
不本意ながらも迫り来る死を悟ったのか、せめてこの少女だけでも無事に逃がしてやりたいとデュオは思った。
だが、今のイルミナにはそれも叶わないのだと気付いたのは、それとほぼ同時でもあった。
憐れ、身動き一つ取れないデュオに亡者達が一斉に襲い掛かる。
「凍てつく大気に潜む古の氷狼よ。その顎もて、汝が敵を喰らい尽くせ……」
やや低めの女性の声が場に響き渡ると、突如虚空より吹き込んできた凍てつく嵐が、亡者の群れをいとも簡単に一掃した。
僅かばかりに残った亡者共が、その攻撃の主を見つけその矛先を変更するが、これまた何処からともなく現れた剣士がその前に立ちはだかる。
「死に損ないの分際で、僕等と戦うつもりかい?」
その剣士は見下したかの眼差しで亡者共を見据えると、全く無駄のない動作で次々に斬り捨てていく。
そして、最後に残った亡者も、彼らを捕縛せんと呪文を練り上げる最中に、女性の放った対不死者破滅呪文ZILWANによって灰塵と帰した。
「フッ、僕等の転移地点にいたのが不運だったね……」
剣士は皮肉めいた台詞を一人ごちると、手にした曲刀を鞘へと収め身を翻した。
そして、彼と同じ顔を持つ女魔術師を振り向くと、なにやらブツブツと小声でやり取りを始める。
その間、彼らはただの一度もデュオ達を一瞥すらしない。
まるで、初めからそこには自分達しかいないかのような振る舞いだ。
「すまない、助かったよ」
彼らを不審に思いつつも、デュオは礼の言葉を述べた。
すると、それまで終始無視をし続けていた2人(恐らくは双子なのだろうか)が、初めてデュオに視線を移した。
「何か勘違いをしているようだけどさ、僕等は別に君達なんかを助けたつもりはないよ」
その目はあくまでも冷たい。
剣士の物言いに少しばかり頭にきたが、自分達の現状をわきまえているデュオは敢えて友好的に振る舞った。
「いや、それでも助けられた事には違いない。礼を言わせてくれ」
「フン、僕等は忙しいんでね……大した用もないのに話し掛けないで貰えるかな?」
その反応を見て、デュオは確信した。
こいつらは十中八九、悪戒律の人間だと。
「やめなさい、メルキド。折角、お礼を言って頂いてるというのに……相手に失礼ですよ」
「……ごめんよ、姉さん」
それまで沈黙を続けていた女が、弟メルキドの慇懃無礼な態度を諌めると、それまでの他を見下した眼差しが多少は和らいだかのように見えた。
「気を悪くされたかしら? この子はいつもこんな感じなのよ」
姉はデュオに軽く会釈をすると、ふと隅でうずくまるイルミナを見つけて微笑んだ。
「あら? こんな所で寝ているなんて、随分と大胆なお嬢さんね」
イルミナは苦笑いを浮かべ、恥ずかしげに語り始めた。
「あの…あたしが原因で、上の階からデュオ君と一緒に落っこちてしまったらしいんです」
「まあ、それはかわいそうに……」
わかってやっているのか、表情すら優しげだが彼女にはイルミナを助ける気は微塵もないようだった。
「アイル姉さん。こんな所で時間を潰している暇はないんじゃない?」
メルキドの言葉に振り向く、姉アイル。
「そうね。では、行きましょう」
そう応えると、デュオたちに背を向けて立ち去ろうとする。
まるで、我関せずといった様である。
弟に至っては、明らかに侮蔑の眼差しを差し向けていた。
姉弟が奈落の回廊に足を踏み出さんかという時に、デュオは何かを思い出したかのように、その背に言葉を投げかけた。
「強力な術者である姉アイル。そして、やはり強力な剣士の弟メルキド……」
デュオの言葉に振り向かないまでも、姉弟は足を止めた。
「間違いない。アンタらは……アース姉弟だな?」