〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 地下第9層、昇降機設置エリアから北西に位置する区画。
 獰猛なる毒巨人との熾烈な戦闘を終え、ついいましがた2人の仲間がシュート・トラップにより下層へと姿を消した玄室。
 そして、満身創痍のメンバーを、突き刺すかのような鋭い殺気が包み込む。
 通常時よりも少ない頭数。
 攻撃の要となる者の手痛い負傷。
 状況は最悪であった。

 その玄室内の全てのものに対し放たれる殺気を前に、メンバーは困惑の表情を浮かべ、もしくは戦慄していた。
 パーティの主戦力となるユダヤの治療を行なっていたヨセフは、このまま治癒呪文に専念すべきか…それとも、自らが剣を手に殺気の主を迎え撃つべきか迷っていた。
 迷いがあれど、治癒呪文に必要な精神集中だけは乱れていないのは流石か。
「くっ……シオン、シキ。後ろに下がれ」
 と、体内から毒素が完全に抜けきっていない身体を起しながら、苦悶の表情でユダヤは言った。
「おい、無理するんじゃねぇ。まだ、とても戦える身体じゃないんだ」
 治癒の燐光をユダヤにあてつつ、ヨセフが怒鳴りつける。
 しかし、ユダヤは村正を杖代わりに立ち上がると、治癒を施すヨセフを払いのけた。
「これだけ動ければ充分だ。すまないな……」
「馬鹿野郎! お前、死ぬ気かよ……シキ、MALORだ」
 ヨセフの咄嗟の指示に一瞬驚いたシキであったが、無言で頷くと空間転移呪文の詠唱に入った。
「待て、MALORは中止だ。奴がそこまで来てるんだ……あの2人を残したまま引き返せるかよ」
「あ? 奴って……」
 聞き返す司祭の言葉に、表情を一層険しくしたユダヤが呟く。
「この殺気には覚えがある。違うか? ヨセフ、シオン」
 その低い声にメンバーの間に、より重々しい緊張が走る。
「間違いない。”魔人”だ」
 


第18話 『魔人』


 かつて、彼らのパーティに在籍し、そして裏切りの末に散っていった男がいた。
 ルシフェル・ミューロホーク─”魔人”の通り名で広く知られた凄腕の元暗殺者である。
 悪戒律の彼が何故、善戒律の彼らパーティに籍を置いていたかについて誰も語りはしなかったが、そんな事は別にどうでも良かった。
 問題なのは、仲間達を裏切り、そしてユダヤの手によって死を迎えた筈の彼が、どうしてここに現れたのか?
 寺院によって埋葬された者に、蘇生の手段など存在するわけもない。
 そんな疑問と、そしてその彼に対する怒りや憤りがユダヤの中に蘇りつつあった。

「もしも、奴だったとしてよ……今の俺たちに勝てるのかよ?」
 長剣を引き抜きつつ、ヨセフは隣に立つ瀕死の剣士に確認を取る。
「確かに今の状態では相当に怪しいだろうな」
「おいおい、玉砕覚悟ってやつかよ? 俺はまっぴら御免だぜ」
 その口先こそはいつもと同じに冗談めいた台詞を吐き出してはいるが、表情は決死そのものであった。
「この殺気が奴ならば勝機はある。奴ならば攻撃呪文を防ぐ手立ては存在しない筈だ」
 そう言って、後方に控えるシキに目配せをする。
 シキは頷くとすぐさま強力な単体攻撃呪文TZALIKの詠唱を開始する。
 刹那、彼女に向かって伸びる鈍い光の筋を、シオンは偶然にも視界に捉えた。
 それは彼も良く見知った、死を導く非常の一撃であった。
「危ない、シキ!」
 直後、彼女を突き飛ばしたシオンの胸は鮮血に染まり、その身は力なく崩れ落ちていった。

 シキは一瞬、何が起きているのか理解できなかったが、それでも目の前に倒れこむ最愛の少年の姿は確認できた。
 そして、その彼が自分の身代わりになったのだという事も……
「え…なんで、シオン……」
 彼女はシオンのもとに這い寄ると、その身体をそっと抱きすくめた。
 シオンに言葉はなかったが、彼女を気遣う優しげな笑みを浮かていた。
 シキはそんな彼の優しさに思いがけぬ涙を流していた。
 禁術による転生を経た彼女が、数百年もの過去に失ったはずの涙を。
 永きに渡る人生で得た、かけがえのない大切な人を無くしたくない。
 そう改めて実感し、彼女は彼を救う為の最上級治癒呪文を唱え始めた。

「ルシフェール! 貴様の憎むべき相手は俺だ。出て来い、決着をつけてやる」
 赤髪の剣士が吠えると、それに応えたのは幾筋もの鋼斬糸であった。
 それらを切り払い、そして寸前で見切りかわしていく。
「さすがは汝が剣。我が生命を奪っただけの事はあるという事か……」
 暗く沈んだ低音が響き渡ると、まるで影が実体化したかのような漆黒のローブを纏った男が現れる。
 暗緑色の髪を背まで伸ばしたその男の顔面には、不気味な形相を浮かべた白いオペラマスクが着けられていた。
「貴様の狙いは俺だろう? 他の奴には手を出すな」
 仮面の表情とは対照的に、全く無表情の”魔人”は冷ややかに言った。
「自惚れるな。汝の次は汝が仲間よ……。小生は過去を清算するが為に再び舞い戻ったのだからな」
 チッ、と舌打ちをユダヤだが、意を決すると”魔人”に対し連続で打ち込んでいった。
 ”魔人”は両手の間に張った鋼斬糸で器用に斬撃を受け流し、巧みな体術で身を翻した。
 そして、仲間達へと放たれる鋼斬糸を氣の刃で弾き飛ばすと、ヨセフに下がるように手で合図を送る。
「おい、どういうことだ? お前、1人で戦うつもりかよ」
「このままじゃ、シオンがヤバイ。2人を連れてデュオ達を追え」
 再度、”魔人”に対し仕掛けながらユダヤが吠える。
 一瞬、何かを言いかけたヨセフであったが、ユダヤの指示に従う事にした。
 2人のもとに駆け寄ると、シオンを抱えてシュート・トラップを故意に作動させる。
「死ぬんじゃねぇぞ……」
 彼らの盾となり奮戦している仲間の背にそう声をかけると、眼下に開ける闇の中にその身を躍らせた。

「ヘッ…お前こそ、つまらない死に方するんじゃないぞ」
 既に誰もいなくなった空間に、ユダヤはそっと呟いた。

 かくして、3年越しの死闘がいま始まろうとしていた。

 

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