〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 夜の闇が西の空へと追いやられ、東の山際より白い太陽が顔を現した頃。
 光に侵食されつつある暁の空には、羽を広げた朝鳥たちが一日の始まりを祝福していた。
 いつもと変わらない朝。
 いつもと変わらない景観。
 だが、その視点を眼下に広がる都市へと向けてみると……そこには、いつもと違う朝があった。
 


第20話 『第5次討伐隊』


「やあ、おはよう」
 エルフ族の少女エストが夜着姿のまま部屋を出ると、スイートルームの隣に併設されたサロンより声を掛ける者があった。
 宿屋内の一つの階を丸ごと借り切っているため、それは彼女の良く知った声だ。
 優雅にも朝の光の中、佇んでいたカシュナにおはようと返事をすると、彼女は思い立ったようにこう付け加えた。
「珍しく早いですね。何かあったんですか?」
 常日頃は朝に弱いのであろう。カシュナは優しく微笑むと、オークのテーブルに置かれた白亜のコーヒーカップを手に取る。
「ああ、今日は朝早くから目が覚めたんだ……何故かね」
「ふふ。もしかしたら、今頃シオンさん達がワードナを倒し終えてるのかも」
 エストが悪戯にそう呟くと、今回も先を越されたかとカシュナは笑い、珈琲を一口だけ喉に落とす。
「そんな嬉しそうに。少しは悔しくないんですか?」
「エストもクレアみたいな事を言うんだ?」
 カシュナは拗ねたようにそう言うと、エストの顔を引き寄せその唇を重ねる。
「悪い人……クレアに怒られるわよ」
 遠慮がちにそう呟くエストにウインクを返すと、カシュナは静かに立ち上がる。
「パーティ内のコミュニケーションさ」
 優しく微笑むと、二人は長めの口付けを交わした。

 それからそう時間を空けず、カシュナに勢い良く飛び込んでくる影があった。
 その小柄な少女の体当たりをしっかりと抱きすくめると、少し怒ったかの様な表情を作る。
「朝から元気なのは良いけど、気を付けないと怪我をするぞ」
 言い終えると同時に、元の優しい笑顔を浮かべる。
 その少女は舌を出して自分の頭を軽く小突くと、「怒られちゃった〜」と嬉しそうに首を傾げる。
「シャルムはいつも元気ね」
 そうエストが尋ねると、すぐさま大袈裟に頷いてみせる。
「うん。元気一杯なのがシャルムちゃんの魅力よね」
「自分で言ってて恥ずかしくない?」
 胸を張って宣言するシャルムに、さりげないツッコミを入れるカシュナ。
 しかし、シャルムは意地悪そうな顔をすると、カシュナの首筋に抱きついてその耳元でそっと囁く。
「カシュナお兄ちゃんの女好きよりは、ぜんっぜんマシよ。クレアちゃんに言いつけちゃうから」
「おいおい、勘弁してくれよ……」
 最愛の彼女、クレアが怒り狂うところを想像でもしたのだろうか。
 顔を引きつらせ、ぎこちない笑みを浮かべるカシュナ。
「う・そ」
 そう囁くと、シャルムはカシュナの頬にキスをした。


 荘厳なる空気に満ちたそこには、己の主君に跪く騎士の姿があった。
 玉虫色に輝く板金鎧に身を包み、腰に奇怪な刃を持つ剥き出しの剣を提げた完全武装の出で立ち。
 近衛兵長のゼル・バトルだ。
「では、その者たちは確かに他国より密命を受け、魔除けを持ち出そうと企んでおるのだな?」
 朝の早い時間という事もあり、トレボーはいつにも増して不機嫌な表情で家臣を見下ろす。
「御意。我が親衛隊が入手した確かな情報であります」
 カント寺院のエルフより入れ知恵されたゼルは、自らの保身のために懸命になって自らの主君をたばかろうとしていた。
 そして、その策は功を奏しつつあるようだ。
「だが、その者達がかの魔術師めを倒せる保障はなかろう? されば、無用な取り越し苦労ではないのか?」
「恐れながら……ワードナ打倒の成否に関わらず、その者等を捕らえ罰する事が重要だと申し上げます。それにより、陛下の強固な意志を諸国に知らしめる良い機会になろうかと」
 その言葉にしばし考え込むトレボーであったが、自分なりの結論に達したのか、目を見開いて命じる。
「よかろう、近衛兵長ゼル・バトルよ。そなた自らが指揮せし第5次討伐隊の出陣を許可する。必ずや愚かな間者共を捕らえ、そしてあわよくば魔術師ワードナの首と魔除けを余の前に捧げよ」
「はっ。必ずや陛下のご意向に添えますよう、粉骨砕身で勅命を果たす所存に御座います」
 トレボーの手より、上帝軍の指揮権を意味する赤柄の短剣を授かると、ゼル・バトルはその身を翻した。
 最後に上帝に一礼をすると、彼の部下たちが待つ広間へと消えていった。


 文字通り、両手に花と言わんばかりに、エストとシャルムを従えたカシュナが朝食を摂ろうと階下に下りてくる。
 いつもなら、そろそろ人で込み合う時刻だというのに、今朝は一人の姿も見えない。
「おや、誰もいないなんて珍しいね」
「はい。何かあったのでしょうか?」
 カシュナの問いかけにエストが答えたとき、食堂の扉を蹴破らんかという勢いでクレアが飛び込んできた。
 その表情には尋常ではない様子が浮かんでいる。
「クレアちゃんの様子、変よ。浮気がバレちゃったのかな?」
「ば、馬鹿なこと言ってるんじゃない」
 幸いその小声の遣り取りはクレアの耳には届かなかったようだが、依然その様子はおかしい。
「何かあったのか?」
「大変よ…表通りの方が凄い事になってるわ」
 一瞬、クレアの言葉の意味が理解できなかったが、とにかく表通りで何かが起きているのだろう。
「よし、行ってみよう」と言うなり、カシュナは急ぎ足で宿屋を飛び出した。
 カシュナ達の泊まる宿は、通りから一本隔てた所に位置するため、表通りへは細道を抜ける必要があった。
 しかし、その道すら埋め尽くすように、表通りには無数の人達が詰め掛けているようだ。
 そんな人ゴミを押し分けて前に進むと、その通りを行軍する軍勢の列が視界に映し出された。
 純銀製の騎士鎧にその身を包み、手にした長方形の盾には上帝のエリートガードを表す獅子の紋章が刻まれていた。
「親衛隊……なのか?」
「トレボーの側近中の側近、ゼル将軍自らが率いているという噂よ」
 この時期に上帝の懐刀が動く。それはありえない話だとカシュナは思った。
 そもそも、上帝軍が城塞を離れないのは、ワードナの地上侵攻に対する備えという考えが一般的であったからだ。
 第一、この軍勢はどこへ向かっているのか?
 近隣地域に対する迎撃だろうか?
 確かにここらでトレボーの力を近隣に見せ付ける必要性はあるだろう。
 だが、これまで執ってきた政策から考えると、やはり今になって軍事行動を起す事にどれほどの意味があるのか。
 では、ワードナの迷宮か?
 いつまで待っても、冒険者がこれといった成果を上げない。
 痺れを切らした上帝が、第5次討伐隊を編成したのか。
 いや、今までの討伐隊の敗因がその迷宮攻略には向かない大部隊であった事は、さすがのトレボーでも気付いているだろう。
 そんな考えを巡らしていると、ふと隣にいたクレアが手を握ってくる。
 その手は微かに震えていた。
「あの戦列……迷宮に向かってる。シオンさん達、無事かしら」
 その繊細な小さい手をそっと握り返すと、力強くカシュナは言った。
「大丈夫さ。だが、一応は手を打っておいた方がいいかもしれないな」

 

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