〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 ズゥゥーン。
 そんな重々しい音を立て、その玄室の主たるファイアドラゴンは横たわった。
 そして、その重量に耐えかねたのか、床の石材が砕け部屋中に紛煙と破片とを撒き散らせる。
 生命の灯火が消えつつあるこの焔竜の全身からは、竜の体内にて生成された可燃性の高熱ガスが陽炎となって立ち上っていた。
「……やったのか?」
 焔竜を屠った連中の一人、黒帽子の剣士デュオはそう尋ねた。
 無論、誰か特定の相手に対して言った言葉ではなかったが、それでもそう確認せずにはいられなかった。
 単独で倒したのではないにしろ、デュオにとってこれほどまでに巨大な敵を相手になどした事はないのである。
 それ故か、戦闘が終了した今でも僅かに身体が震えているようだった。
「ああ。姉さんのサポートがあったとはいえ、なかなか良い手際だったよ」
 そうメルキドが答える。
 常に他者に対して見下した態度で接する彼が、本心ではないにしろデュオを賞賛した。
 その様子が滑稽なものに映ったのか、姉のアイルはフッと笑みを漏らす。
「あなたが他人を評価するだなんて……珍しい事もあるのですね? メルキド」
「何を言ってるんだい、姉さん。僕はただありのままを述べたに過ぎないさ。それに、まだまだデュオは未熟だよ」
 自分でも意外に思えたのであろうか、姉に指摘されると必死になって取り繕うとする。
 その様子がおかしかったのか、アイルはうっすらと涙を浮かべて笑い出した。
「フフ、何を慌てているのかしら」
 


第22話 『異変』


 強力な魔物達が跋扈する地下第十層。
 その魔物の多くが、各地に伝説として名を残す者ばかりであった。
 それらを前にしても常に優位に立ち、いつ奇襲を受けようとも知れぬこの異空間に於いても、不敵な態度で余裕の表情を浮かべているこの姉弟がイルミナには恐ろしく感じられた。
 もしも、この姉弟が本気を出したならば、どれ程の力を発揮するのだろうか?
 そして、何故にこの迷宮へとやって来たのであろうか?
 いや、その答えは容易に予想できるものであった。
 魔術師ワードナの討伐に成功したとして、この姉弟がトレボーが親衛隊の地位などを求めるはずがない。
 とすれば、狙いは一つ。
 すなわち、ワードナが奪い去りし”魔除け”だろう。
 それが何を意味するのか。そして、それを実行に移すだけの実力を姉弟が備えている事実がイルミナを恐怖させていた。
 そんな様子に気付いているのか、時折デュオが気遣いの言葉を掛けると、イルミナは無理に笑みを作り頷いて見せた。
 アース姉弟に至っては、用はないとばかりに視線すら合わそうとしない。
 だが、イルミナにはそれが逆に有難くもあった。

 こうして幾つかの玄室を突破し、何回目かの空間転移を行なうと、そこはまた変わらぬ薄暗い回廊であった。
「また同じような所か……一本道である以上は目的地に近づいているのだろうが」
「……デュオ君」
 度重なるテレポートの連続に億劫になったデュオが独り言を呟くと、彼の袖を引き消え入りそうなか細い声で囁きかける少女の声があった。
「ん、どうした?」
 イルミナを気遣い、そっと小声で応える。
「このまま行くとワードナの所に着くのよね? みんな、怒ってるよね…きっと」
「お前が気にする事じゃない。みんなと離れてしまったのは事故だ」
 僅かに微笑み、心配はいらないとなだめるデュオ。
 イルミナは小さく「うん」と呟くと、再び黙り込んでしまう。
 そうこうしていると、一行は6番目の扉の前に辿り着いた。
 それまでの5つの玄室同様、この部屋の中には凶悪な魔物が召喚されているはずだ。
 デュオとイルミナは精神を集中し、来るべき激闘に備える。
「気負う必要はありません。ここの魔物は既に倒してあります」
 緊張の面持ちを浮かべる二人にそう説明するアイル。
 そして、姉の言葉を引き継ぐかのように、メルキドはその扉を開け放った。

 はたして、その玄室内には生物の気配は一切、存在していなかった。
 その代わりとでも言おうか、部屋の中央には粉々にされた氷片が多数散らばり、赤黒い不気味な染みがその床石に塗り込まれている。
 さらには、血油と湿気とアンモニア臭の混じりあったような異臭が立ち込めていた。
 デュオがふと姉弟の方を見やると、何か予想外の事でも生じたのであろうか。常に冷静沈着な彼等が、心なしか慌てているかの様に感じられた。
「姉さん、これは一体……ロズの奴は何処にいるのさ?」
 静かに低い声で姉に問う弟。その声は必死に感情を押し殺しているかの様だ。
「落ち着きなさい、メルキド。ロズは死んでいます」
 そう呟くと、部屋の中央に散らばる氷片と染みに視線を移す。
 メルキドは何かを言いたげであったが、姉のやけに神妙な表情に気付いた。
 そして、アイルの視線を追ったメルキドは全てを悟った。
「まさか、あの氷片と染みがロズのなれの果てなのか……」
 その姉弟の会話を聞いていたデュオ達には、彼等の思惑など気付くはずもなかった。
 だが、ロズとかいう彼等の仲間が、ここで何者かによって殺されたのだと言う事は理解できた。
 玄室内には相変わらず何の気配もない。
 危険はないと判断したのか、姉弟は中央の染みのところへと近づいていった。
 それを遠間より眺めていたデュオも、姉弟の言動や、何よりもあの染みが気になるのか静かに歩を進めた。
「!?」
 それは唐突に、しかも一瞬。
 イルミナは近くて遠い間合に、凄まじいまでのおぞましい気配を感じ取った。
 だが、アース姉弟やデュオには、それに気付いた様子はないようだ。
 てっきり気のせいかと思った矢先、それはさらに強く感じられた。
 そして、確かにそれを確信した。
「アイルさん、危ない!」
 イルミナの突然の叫びに対し、疎ましげに視線を上げるメルキド。
 しかし、その直後に平行次元より自らの姉に迫る殺気を感じ取ると、姉を庇うようにその場に押し倒す。
 ぐぉぉぉーん。
 そんな唸り声とも、業火の燃え盛る音ともとれる低い轟音と共に、アイルが今しがたまで立っていた場所に、青白い巨大な火柱が立ち上った。
「おい、なんだよコイツは?」
 今まで体験した事のない現象に、黒帽子の剣士が驚きの声を上げる。
 その声に反応したかのように、玄室内には更なる異変が発生しようとしていた。
「待って、みんな。周りを……」
 異変をいち早く察知したイルミナがそう言うが早いか、一行を取り囲むかのように五本の火柱が出現する。
 そして、禍々しい圧迫感と毒々しい瘴気を伴ない、火柱の中に巨大な異形が姿を現し始めた。
 その異形はまるで人間を嘲るかの様な笑みを浮かべたかに見えた。
 デュオはその光景に戦慄した。

 

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