〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 冗談とも本気とも取れぬ表情で頷くと、アイルはそっとデュオの側を離れた。
 そして、弟の横まで進むとその肩に手を置き、無言でその先に設置された移送方陣を見据える。
 鈍色の光を放つその魔方陣は、そこに足を踏み入れる者を飲み込む深淵への片道切符である。
 ましてや、空間跳躍の術法を歪曲させる結界が幾重にも張り巡らされた大魔術師の領域だ。
 迂闊に先へと進む事は、自殺行為に他ならない。
 デュオとイルミナもその事実には気付いていた。
 はたして、このままアース姉弟と共にワードナの元へと進むべきか否か。
 或いは、この場でシオン達仲間の到着を待つべきか。
 そんな思考に巡り躊躇しているデュオに呼びかける小さな声があった。
 彼の半歩後方に控えたイルミナだ。
「こうなったのも、元はといえばあたしの所為だし……デュオ君の考えに従うわ」
 その瞳には覚悟を決めた者の光が宿っている。
 デュオは微かに微笑むと無言で頷いた。
 少女の苦渋の決断を受け取ると、数歩先にいる姉弟を呼び止め尋ねる。
「勝機はあるのか?」
 その問いかけに振り向いた姉弟の顔には、ふてぶてしいまでの余裕の表情があった。
 そう、これまでとなんら変わる事の無いあの表情だ。
 姉弟は顔を見合わせ低い苦笑いを漏らすと、やがて弟のメルキドがデュオ達に向き直り皮肉気な口調でこう言った。

「僕達を誰だと思っているんだい?」
 


第31話 『嚆矢は放たれた』


 この最下層に降り立ってから幾度目かになる移送方陣へと踏み込むと、それまで鈍く輝いていた魔方陣が急激にまばゆい光を放ち始めた。
 蒼く輝く魔法文字が浮かび上がり、その光に侵食された周りの風景がぐにゃりと歪み始める。
 一瞬、軽い眩暈に似た感覚に襲われるも、次の瞬間には既に別の空間への転移を完了していた。
 超古代の禁術の成せる業か、はたまた魔除けの恩恵に依るものか。
 ともあれ、それまでとは比較にならない程長い暗黒回廊の始点へと、姉弟を含む四人は立たされていた。
 隣からは果ての見えない回廊を見つめ、感嘆の声を漏らすイルミナの囁きが聞こえた。
 この先に大魔術師がいる。
 上帝トレボーのもとより魔除けを奪い去り、この大迷宮を一夜の内に築き上げた偉大なる老君が。
 回廊の闇を見据え、感慨にも似た感情を抱くデュオの腕に、女の掌がそっと触れる。
「ここまで来て臆したのかしら?」
 からかう様なアイルのその一言に、デュオは決して怯まずに静かに頭を振った。
「もう既に後戻りの出来ない所まで来てしまった事ぐらいは分かるつもりだ」
 その返事にアイルはただ、「そうね」とだけ呟いた。
 デュオの言うとおり、もうここまで来てしまった以上は、ワードナとの雌雄を決するしか道は残されてはいないのだ。
「姉さんのお気に入り君はともかく、そっちのお姫様は大丈夫だろうね?」
 メルキドの容赦の無い一言に、イルミナはキッと鋭い視線で返す。
「あたしだって覚悟は出来ています。これでも一応は侍ですから」
「そうかい? それは頼もしい限りだ。……せいぜい、足を引っ張らないで貰いたいね」
 まるで人を馬鹿にするように鼻で一笑すると、先頭に立ち第一歩を踏み出す。
 それに追従する形で、デュオ達もメルキドに続く。
「さあ、行くとしようか。今頃、老人は待ちくたびれて、自分の棺桶でも設えている頃だよ」
 その弟の台詞に、アイルは愉しげに笑みを漏らす。
 デュオとイルミナは、さすがにメルキドのブラックユーモアには着いていけなかったようだ。
 ただ、ひたすらに真剣な面持ちで回廊を床石を踏みしめていく。

 それからどのくらい歩いたのであろうか。
 実際の時間ではほんの数分にも満たない僅かな距離であっただろうが、デュオ達にはまるで数時間にも渡る強行軍を終えたかのような疲労感が感じられた。
 それでも厭戦気運に支配されなかったのは、極度に張り詰めた緊張のお陰であった。
 無論、アース姉弟にはそのような兆しは微塵も感じられなかったが……
 その永劫とも思える暗黒回廊の終点に存在したのは、それまで迷宮の各所で見てきた物となんら変哲の無い一枚の扉であった。
 特にこれといった装飾も無く、その材質も他の扉と変わりは無いようである。
 ただ、その扉の表面には一枚の真鍮製のプレートが掛けられていた。
 そこには、ここが偉大なる大魔術師の控える玉座である事を意味する一文が刻まれている。
 とうとうこの大迷宮の最奥部、終着点というべき場所へと辿り着いたのである。
 一行が扉一枚を隔てこの場に立っている事は、既にワードナの知るところであろう。
 つまり、何の小細工も通用しない。
 デュオは黒帽子の被りを正すと、愛剣カシナートをしっかりと握りなおす。
 イルミナもまた、愛刀童子斬安綱の柄を握る手に力を込めると、来るべき決戦に備える。
 反面、姉弟はいつも通りの自然体だ。
 武器を構えるわけでもなければ、呪文の詠唱に入るわけでもない。
「メルキド」
 姉の言葉に頷く弟。
「それじゃ……始めようか」
 妖しく微笑むアイル。
 その姉の表情を無言で確認すると、メルキドは目の前にそそり立つ扉を勢い良く蹴破った。
 そして、決戦の火蓋は切って落とされた。

 

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